セルビア共和国の自治州であったコソボは、住民の約8割以上がアルバニア系で、
セルビア人は1割ほどしか居ない。 元々、旧ユーゴスラビア連邦の時代から、
他の6つの共和国に準じる自治権を与えられていた。

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しかし、1988年にセルビアの大統領に就任したミロシェビッチは、コソボの
自治権を奪って政府機能を中央に集中し、アルバニア語による放送や教育を禁じ、
アルバニア系住民を官庁から追放するなどの弾圧政策をとった。

コソボ住民は、これに反発。 初めは非暴力・不服従で対抗していたが、後に
独立を求めてコソボ開放軍が結成され、武力闘争を始めた。 ユーゴスラビア
連邦軍やセルビア治安部隊との間に激しい戦闘が続き、多くの死者や難民が
出たり、家が破壊されたりした。

1999年に北大西洋条約機構(NATO)が介入して、セルビアを空爆し、セルビア
国民の生活が圧迫され、やがてミロシェビッチ大統領は失脚した。
ユーゴスラビア連邦政府は、和平案を受諾し、武力紛争は終わりを告げた。

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しかし、その後、アルバニア系住民によるセルビア人などへの報復攻撃により、
多くのセルビア人難民が出るなど、対立は解消していない。

アルバニア系の人達は、おだやかなイスラム教徒が多い。 しかし、歴史的には、
ローマ帝国の影響を受けて、キリスト教徒(カトリック)が多かった。 後に、
オスマン・トルコの侵略にあってから、イスラム教徒が増えた。 セルビア人の
影響もあり、東方正教会の人も居る。

コソボの殆どが、こうしたアルバニア系の人たちとなっており、ロマ人は、
セルビア人よりももっと少ない。

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