1993年のソ連崩壊直後、ロシア国内では社会主義から自由市場経済への移行の
最中にいたが、その社会システムの抜本的な転換のためには、大きな痛みが伴い、
社会全体が混乱を極めた状態となった。 一時的に経済が機能しなくなり、国中が
ハイパーインフレに陥ったのだが、その当時の新生ロシアの世論は、北方領土を
日本に引き渡すのはやむなしとの意見が実は多数派となっていた。

戦争末期の1945年に行われたヤルタ会談でアメリカ、ソ連、イギリスは
ソ連がクリル諸島全てを得ることに合意した。 しかし、1956年の日ソ共同宣言
では、平和条約が締結され次第、色丹島、歯舞群島を返還することにソ連が同意
したため、平和条約は締結されなかった。

ソ連崩壊後、自国への投資を必要とするロシアは1993年に同様の共同宣言に
署名し、平和条約に向けた交渉の土台を作ったが、当時の日本国内では、
4島一括返還論が多数派を占めていたため、事態は進展しなかった。
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1993年当時、歯舞と色丹の2島返還はほぼ確実、国後と択捉に関しては、
ロシア側から見ると、日本の経済援助が喉から手が出るほど欲しかったため、
国後を手放して、日本からの経済援助を引き出すというロシア側の意見も多かった。
残る択捉は、北方4島の中でも最大面積、かつ、最大の人口を抱えており、何よりも
ロシア空軍基地が立地していることもあり、3島だけ日本に引渡し、残りの択捉
だけは次の世代にその判断を委ねるというところまで実は話が進んでいた。

戦後70年以上も既に経過したが、日本とロシアとの間には、未だに平和条約は
結ばれてはいない。 その最大の障害となっているのが、江戸時代より続く日本と
アメリカとの不平等条約。 日本とアメリカは戦後数度に渡って、様々な条約を
結んで来た、いわば最良のパートナーの筈なのだが、実は、外務省が作成した
高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)の
中には、以下のような文が明確に記載されている。

● アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
● 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することは出来ず、現実に提供が
   困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で
アメリカ側の基地提供要求に『NO』と言うことは出来ないと日本の外務省が
ハッキリと認めている。
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北方領土問題が解決できない理由
この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、
例えば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、以下のような大原則が
存在する。

● だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないという
 ような約束をしてはならない。

そして、この極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ
間違いなく日米の間に、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の
密約)があることを意味している。

従って、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土
問題が解決する可能性は実はゼロで、ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた
ゼロとなっている。 2016年12月15日にロシアのプーチン大統領が来日した
際には、その直前の11月上旬にモスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全
保障局長から、『返還された島に米軍基地を置かないという約束は出来ない』
という日本側の基本方針がロシア側に伝えられた。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルーのリマで開催された
日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し『君の側近が『島に米軍基地が置かれる
可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる』と述べたことが
分かっている。(「朝日新聞」2016年12月26日)

この時点で既に、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることが
完全に確定していたこととなる。
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