多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

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    タグ:松島

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    名所・名勝・史跡・旧跡 に参加中!

    東北随一の参拝客を誇る、陸奥一宮 塩竈神社。 この神社、表記方法が、色々と
    あり、しかも、その漢字の画数が余りにも多過ぎるため、地元民でも、その漢字が
    正確に書けないという非常に悩ましい神社となっているが、正式名称は、
    『志波彦神社鹽竈神社』となっている。 鹽竈神社は、全国にある鹽竈(鹽竃・
    塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社であり、その歴史は1,200年以上と
    言われている。 船形山(1500m)を祖山とするパワースポット。

    鹽土老翁神は『塩づくりの神』であり『漁業と海の神』とされている。 この
    神様は、塩の製法を伝えたと言われ、『古事記』の『海幸彦・山幸彦』の話にも
    登場し、武甕槌神と経津主神が東北を開拓する際に導きをしたという話もある。

    奈良時代、国府と鎮守府を兼ねた多賀城がこの神社にほど近い場所に建てられ、
    その精神的支えともなって信仰された。 その後、武家社会になってからは、
    平泉の藤原氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主が大神主として務めた。



    この神社がある宮城県塩竈市は、市の正式名称が、塩竈市で、駅や港の名称に
    『塩釜』を使用しており、更に、神社の名称に『鹽竈』 を使用しているため、
    非常に紛らわしい。 時々、市の名称として、『塩釜』を使用しているのを
    見かけるが、それは、実は間違い。

    初詣時には、最寄りのJR仙石線・東北本線とも深夜から早朝にかけて臨時列車が
    運行されるため、非常に多くの参拝客が訪れることでも有名。 松島湾の一番奥に
    あるため、晴れた日には、牡鹿半島の金華山、松島湾の島々を望む事が出来るため、
    景勝の地としても知られている。 宮城県内では、まず、この塩竈神社でお参りを
    済ませた後に、松島からの初日の出を見る事が習わしとなっている。

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    また、強力なパワースポットとしても有名で、特に、東北本線の塩釜駅側にある
    表参道、男坂から参拝すると、運気が上がると言われている。

    本殿の前では2つのお賽銭箱の間が強いパワースポットなので、お賽銭を投げたら
    中央でお参りするとよい。 

    授与所で頂ける御神塩には強い浄化作用があるので、身に着けておくと過去の
    悪運を洗い流し、新しいチャンスを掴めるようになる。 

    強力な浄化のパワーと事業運、勝負運、縁結び、子宝祈願などにご利益がある。
    夏場ならウニ丼を食べると金運アップにも効果的。

    【塩竈神社のご利益】
    • 強力な浄化作用がある。
    • 新しいチャンスの種をまいてくれる。
    • 鹽竈桜が満開のシーズンに訪れるとよい。 桜の時期は水の気が強くなる。
    • 表参道の石段の真ん中をゆっくり上るとよい。
    • タラヨウの木の周辺がパワーが強い。
    • 2つのお賽銭箱の中間あたりがパワーが強い。
    • 授与所で頂ける御神塩には強い浄化作用があり、トラブル除けによい。
    • ウニ丼を食べて金運アップ。
    • ずんだもちには活性と浄化の効果がある。
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    被災地通信 に参加中!

    2015年5月末に約4年3ヶ月ぶりにJR仙石線が営業を再開し、それに合せて新たに
    街開きを行った野蒜駅前。 駅前には何もないという話は聞いてはいたものの、
    余りにも工事が進んでいなかったため、絶句。。 現状、野蒜駅前には、この駅舎
    以外、一切何もなく、建物がひとつもない。 線路を山側に移設した新野蒜駅の
    ホームからは、旧野蒜駅、現在のファミリーマートが見えているが、新駅舎に登る
    ための階段がないため、道路を使って旧野蒜駅まで行こうとすると、坂道を下って
    約1キロ程度の道のりとなる。

    野蒜地区は、約10mの高さの津波が襲い、何もかも流されてなくなったため、
    山側のこの場所への集団移転が決まっているものの、移転工事がかなり遅れている
    ため、災害復興住宅が完成するまでには、これから2年程度掛かる。 野蒜地区、
    宮戸地区の被災者の一部は、東松島市と災害協定を結んでいる美里町に建設された
    仮設住宅で丸4年間生活をしていたが、その仮設住宅も、今年の3月で全てなく
    なった。

    新たに建設された新野蒜駅付近
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    野蒜駅
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    野蒜駅
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    野蒜地区入口
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    野蒜駅ホーム
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    野蒜駅前
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    野蒜駅前
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    野蒜海岸(石巻方向)
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    野蒜海岸(松島方向)
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    東名駅

    福島の自主避難者に関しては、メディアでも色々と伝えているものの、野蒜や
    石巻の被災者の事は何も伝わってはいない。 宮城県の被災状況は、関東を
    はじめとする、その他の地域には、情報が5%も伝わってはいない。 よって、
    関東方面からわざわざ被災地まで行っている人達は、全てネットから情報を得て
    いる。 写真だけだと余り伝わらないと思うが、360度何もないこのような景色
    ばかりが続く。

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、約500名が津波の犠牲となったため、
    震災から丸4年経過した今でも海開きをしていない。 これから先、10年後に
    海開きが出来るのかすらも分からない状況となっている。 現在、この海岸
    部分では、約15mほどの新たな防波堤の建設が行われており、3年程ほど前
    までは、それと同じ高さの瓦礫が同じ場所に積み上げられていた。

    この場所は、本州では、最もアメリカ大陸に近い場所であり、元々津波が到達
    しやすい場所であるため、25年ほど前にも、防波堤のかさ上げ工事を行ったが、
    そのかさ上げした5m程度の防波堤は、一切何の役にも立たなかった。
    被災後に宮城県内で海開きを行った海水浴場は、5ヶ所のみとなっている。

    旧野蒜駅付近
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    廃止された仙石線跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    津波災害後の野蒜駅前
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    仮設住宅
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    新たに新設された慰霊地蔵

    東松島市内の復興状況は、他の被災地を比べると、恐らく、一番遅れており、
    この場所は地盤沈下により、3年4ヶ月もの間、海水に沈んでいたため、
    陸地に戻って、まだ1年も経過してはいないが、それでも中央メディアでは、
    全く報道されないため、東松島に来る人は、かなり稀。

    元々、野蒜港は、「明治3大築港」と呼ばれ、明治初期に建設された、日本でも
    指折りの港だったが、開港から数年後に台風によって破壊されたため、その
    代わりに、横浜に港が開かれた。 よって、横浜開港◯◯周年は、野蒜港が
    消滅して◯◯周年と言っているのとほぼ同じ。

    東名駅前も、野蒜駅前同様、5月末に路線を山側へと移転し、新しい街を
    建設中だが、やはり周辺には、1軒たりとも建物がない。 旧東名駅からは、
    歩いて10分以上も掛かる坂道の上にあるため、ここに街を移転しても、それを
    嫌がる人が出るかも知れない。 わざわざ新しく建設した筈の道路も、かなり
    遠回りとなるため、高齢者には非常に住みづらい新しい街が建設されている。
    被災前の東名では、潮干狩りが非常に有名だったが、津波災害後は、いつ
    潮干狩りが再開するのかすら分からない。



    【野蒜小避難訴訟】 仙台地裁、現地調査へ 時期や範囲を協議 2015.07.17
    東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童
    計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5,300万円の
    国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年7月16日、仙台地裁であった。

    弁論では、遺族側が裁判所に現地調査を求めていることが分かった。 地裁は、
    現地調査を実施する意向で、実施時期や範囲について現在協議を進めている
    という。

    訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は野蒜小体育館に避難
    した後、津波で犠牲になった。 もう1人は同校児童で下校後にいったん
    体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で
    車を降りた後に津波で亡くなったとしている。

    【瑞巌寺の塩害】
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    国宝にも指定されている瑞巌寺は、伊達家の菩提寺であり、伊達政宗の正室、
    陽徳院愛姫が祀られているが、その瑞巌寺の景色が一変していて、絶句。。
    樹齢400年を超える杉の木林が、塩害により概ねなくなった。 松島は、津波
    被災地の中では、一番ましな被災度合いであったものの、この付近は、1メートル
    程度の津波を被ってしまったため、日本三景松島のお土産屋も長期に渡って
    休業を余儀なくされた。

    その後の復興は順調であったが、塩害の被害は、かなり深刻。 毎年夏の
    灯篭祭りの時期には、この杉林の下でろうそくを灯して、幻想的な景色を見る
    事が出来たが、今では、こんな寂しい景色になった。 瑞巌寺では、過去の
    観光客を呼び戻そうと、これまで非公開であった陽徳院愛姫の廟所を期間
    限定で公開している。

    【お勧めの一冊】


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    被災地通信 に参加中!

    宮城県東松島市にある東北最大の海水浴場、野蒜海岸。 目の前に見えて
    いるのは、石巻湾。 本州で最もアメリカ大陸に近い場所で、外洋に開けて
    いるため、明治時代には、「明治三大築港」として、野蒜港がこの地に建設
    されたが、その数年後に、大型の台風が発生し、港湾設備がことごとく破壊
    されてしまった。

    その後、関東にある横浜に新たに港が開かれたため、この地に港が戻る事は
    なかった。 よって、野蒜が消滅したのは、歴史上これで二回目。 開港前
    までの横浜は、単なるひなびた漁村に過ぎなかったが、その後大きく発展し、
    今では日本第二位の都市にまで成長しているが、何とも皮肉な話である。 

    尚、この場所は、3年4ヶ月もの間、地盤沈下により、海に沈んでいた場所で、
    被災直後、暫くは、山のような瓦礫置場となっていた。 2013年の夏に
    入ってから、かさ上げ工事が本格化したため、ようやく、この場所は、3年4ヶ月
    ぶりに陸地に戻った。

    被災直後の東松島市野蒜付近

    東松島市は、市全域の60%強が、津波被害を受け、内陸側7キロまで、津波が
    押し寄せた。 明治三大築港であった、野蒜築港跡を世界遺産にという話も
    あったのだが、津波により、それすら流された。 松島の海岸は、砂が黒く、
    海の色が、深緑色で、余り綺麗ではないのだが、野蒜の砂は、白いため、
    海の色は、青ではなく青緑色。 別名奥松島。 日本三大渓谷のひとつ、
    嵯峨渓があるのもこの場所。


    被災直後のJR仙石線野蒜駅前

    この海岸では、500名以上が津波により犠牲となった。 現在不通となっている
    仙石線の電車は、下り列車は、地元の乗客の判断により、丁度高台地点に
    停車したため、乗客は、一昼夜その場所に留まったのだが、翌日には、救助隊が
    助けに来たため、全員無事だった。

    一方、同時刻に野蒜駅を発車した上り列車は、被災当初、乗客全員が死亡したと
    報じられた。 実際は、直ぐ近所にある、野蒜小学校に全員が避難したのだが、
    そこの小学校の校長が、学校の校舎に鍵を掛けてしまったため、折角電車から
    降りてわざわざ小学校の体育館まで避難をしたものの、最後は、津波に飲み
    込まれて、数名が亡くなった。
     
    被災時の野蒜小学校

    被災後、宮城県内の海岸では、4年近くを経ても、4ヶ所しか海開きを行って
    いない。 この野蒜海岸も、この先、いつ海開きが出来るのかすら分からない
    状況となっている。 10年後、この海岸で泳げる日は来るのだろうか? 石巻の
    被災状況は、時々ニュースでも取り上げられるのだが、東松島は、殆ど報道
    される事はなかった。

    この場所には、ユースホステルがあり、かんぽの宿もあり、民宿も沢山あった場所。
    今は、何もかもなくなった。 野蒜には、建物は、一つたりとも残ってはおらず、
    元々、この場所は、うっそうとした松林だった。 その松林も95%以上が流出
    したため、今では何もなくなった。 防潮林だった筈の松林は、津波の激流に
    押し流れ、最後は、人や建物を襲うための凶器と化した。


    燃料が足りず、火葬が追いつかなかったため、遺体は一旦土葬にされました

    この海岸には、約5メートルほどの防波堤があったにも関わらず、津波の高さが
    余りにも高過ぎて、何の役にも立たなかった。 それでも、25年ぐらい前に、
    2メートルほどかさ上げ工事をして、高くした場所。 何もかもなくなって
    しまったため、もう昔の景色すら思い出せない。

    福島の人たちは、避難生活が長引いて、苦しんでいるとは言うものの、それは、
    宮城県でも同じこと。 福島の場合は、特に景色は変わってはいないが、宮城県の
    場合は、何も残ってはいないため、この地に何があったのかは、自分の記憶に
    頼るしかない。 まさか、何もかもなくなるとは思っていなかったため、写真の
    1枚すら手元には残ってはいない。

    復興が進んでいるとは、名ばかりで、一番復興が遅れているのは、野蒜なのでは
    ないだろうか? こんなに綺麗で穏やかな海なのに、どうして、この場所で500人
    以上も死ななければならなかったのか、かなり疑問だらけ。
     
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    2011年12月末に撤去された、仙石線の下り電車

    すぐそばにある、航空自衛隊松島基地は、津波で水没し、被災後の数日間は、
    全く機能しなかった。 よって、この地で真っ先に救助活動をしたのは、
    アメリカ軍。 被災後は、この付近の住民たちは、美里町と松島町に分かれて、
    半年から1年近くも寒い体育館での寝泊りを余儀なくされた。


    長渕剛 松島基地 自衛隊員激励ライブ

    【お勧めの一品】


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    JR東日本仙台支社は、東日本大震災で被災した仙石線の全線運転を東日本
    大震災発生から4年経過した2015年6月までに再開すると発表した。 これと
    同時に、仙石線が東北線に乗り入れる『仙石東北ライン』が運行を開始する。
    不通区間の高城町~陸前小野駅間(10.4キロ)のうち、陸前大塚~陸前小野駅間の
    線路を約500メートルほど内陸側の高台に移設する工事がこの程完了し、2014年
    12月14日にレールの締結式が行われた。 2011年3月の津波災害により、長期に
    渡って運転不能となっていた仙石線がこの日1本のレールで繋がれた。 今後は、
    内陸部に移設する東松島市の東名、野蒜2駅の整備が進められる。

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    仙石線の東北線乗り入れに関しては、仙石線松島海岸~高城町駅間と東北線
    塩釜~松島駅間で両線が近接する区間に新たに約300メートルの接続線を設ける。
    このルートを通ると、震災前と比べて、仙台~石巻間が、約10分程度短縮可能
    となる。 但し、この区間は、東北線が2万ボルトの『交流電化』、仙石線が
    1,500ボルトの『直流電化』となっているのと、交直切り替えのデッドセクション
    区間が、極端に短か過ぎるため、当面は、小海線で使用されている、
    ハイブリットカーで対応するとの事。

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    陸前赤井付近にあった送電施設が津波で破壊されてしまったため、再開区間の
    高城町以北は、現在でも電化での再開の目途は立っていない。 東北線との
    乗り入れを考えると、仙石線は、全線で交流電化に転化すべきで、今後は、
    スピードアップと、複線区間の延長等も考えなければならない。 全線複線で
    なくとも、例えば、松島海岸~高城町、野蒜~陸前小野、矢本~東矢本間を
    複線化するだけでも、かなりのスピードアップが期待出来る。

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