多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

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    タグ:松前藩

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    アイヌ語は、日本固有の2つの言語のうちのひとつ(もうひとつは日本語)であり、
    日本語と地続きで接触して来た唯一の言語。 日本語の方言だと思っている人も
    多いが、系統的にも文法の上でも日本語とは大きく異なる別言語となっている。

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    語順は日本語と同じで、主語や目的語は動詞の前に、修飾語は被修飾語の前に
    置く。 一方、 r で始まる単語が沢山あるところなどは、日本語や朝鮮語、
    ツングース諸語など、周辺のいわゆるアルタイ言語とは異なる。



    文法の特徴の1つは、動詞の主語と目的語を人称接辞というもので示すことで、
    例えば、『私が彼にお金をあげた』は、icen ku-kore となるが、『彼が私にお金を
    あげた』は、 icen en-kore となる。 更に、『私があなたにお金をあげた』は、
    icen eci-kore となる。 つまり、ku- が『私が彼に』、en- が『彼が私に』、eci- が
    『私があなたに』を表すことになる。 また、『私たちが笑った』は、mina-as
    となるが、『私たちがそれを見た』は、ci-nukar となり、同じ『私たちが』が
    自動詞 mina では、接尾辞 -as で、他動詞 nukar では、接尾辞 ci- で表される
    などという現象もある。

    『私の家』と『私の口』を違う形式で表現するのも、アイヌ語の特徴で、cise
    『家』のように持ち主の『私』がいなくても存在しえるもの、つまり、譲渡可能な
    ものは、ku-kor cise のように、ku-kor『私が持つ』という表現で所有関係を表すが、
    par『口』のように、『私』がいなくなってしまえば、『私の口』も存在しなく
    なってしまうようなもの、つまり、譲渡不可能なものは、ku-paroho のように
    人称接辞 ku-『私』+paroho『~の口』という変化形(所属形と呼ぶ)で表す。
    また、場所とそれ以外のものとは、文法的に区別される。



    【アイヌ語の今】
    アイヌ語は、日常会話では、殆んど使われなくなったが、そこには、松前藩や明治
    政府以来の、アイヌ人に対する収奪と差別の問題が大きな影を落としている。
    しかし、現在でもアイヌ語を残し伝えて行こう、現代社会の中で活用して行こう
    という努力は続けられている。

    北海道最大のアイヌ人組織である北海道ウタリ協会は、1980年代から、アイヌ文化の
    継承活動に力を入れ始め、道内各地でアイヌ語教室という活動を始めた。 また、
    1989年からアイヌ民族文化際が始まり、アイヌ語劇が上演されるようになった。
    1994年には、アイヌ語教科書として『アコロ・イタク』が刊行された。 1997年には、
    アイヌ文化振興法が成立し、それに伴って設立されたアイヌ文化振興・研究推進機構
    という財団の主催する、指導者育成講座や上級話者講座、アイヌ語弁論大会、
    出版助成事業などによって、アイヌ語を学ぼうとする人の裾野がかなり広がった。
    STVでは、アイヌ語に関するラジオ番組を放送していたが、現在では、アイヌ人を
    講師にして『アイヌ語ラジオ講座』という番組を流しており、インターネットを
    通じて全国どこからでも聞くことが出来る。;

    【お勧めの1冊】


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    仙台藩白老元陣屋とは、 今から約150年前の江戸時代末の安政3年(1856年)に
    置かれた陣屋跡。 当時、北海道はまだ蝦夷地と呼ばれ、日本はまだ鎖国をしていた
    時代であった。 幕末の日本沿岸には、アメリカやロシア等の諸外国が交易を
    するように迫って来ており、箱館(函館)が開港となった時、幕府は、松前藩だけで
    蝦夷地を守るのは困難と判断し、仙台藩をはじめとする東北地方六藩に蝦夷地の
    警備を命じた。



    元陣屋とは、本陣を示す意味があり、仙台藩では、十勝の広尾、道東の厚岸と根室、
    更に、千島列島の国後(トマリ)と択捉(フウレベツ)の5ヶ所にも出張陣屋という
    脇陣屋を置き、太平洋沿岸の東蝦夷地一体の警備にあたった。

    赤い部分が仙台藩の担当地域。 東蝦夷のほぼ全ての警備にあたった。
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    幕府は当初、仙台藩の元陣屋を当時交通の要所となっていた勇払(苫小牧)に
    置くように命じた。 ところが、仙台藩の重役三好監物が現地を調査したところ、
    勇払は湿地帯で陣屋を建てにくい上に波が荒く船の出入りには適していないため、
    箱館に近く、自然の地形をそのまま利用出来る白老が選ばれ、幕府にこれを
    許された。

    仙台から白老までは、約800キロほど離れているが、記録によると、この間の
    移動は、早い時で20日間、川の氾濫や津軽海峡のしけ等で2ヶ月以上も掛かる
    ことも珍しくはなかった。

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    仙台藩元陣屋には、約120人の藩士達が毎年交代で故郷を離れ、慣れない気候風土の
    中で暮らしていた。 藩士達は、弓や剣術の稽古の他、火縄銃や大砲の訓練に
    励んだ。 当時の白老には、400人ほどのアイヌ人達が住んでいたが、北の地で
    生活をするの多くの知恵を彼らから学んだ。

    山と川等、自然の地形を巧みに利用した白老元陣屋の面積は、66,000㎡で、堀と
    土塁と4つの門に囲まれたお城の形をしていた。 内曲輪は、上級武士達が住んで
    いたところで、本陣や勘定所、兵具庫、穀倉等の主要な建物があった。 また、
    外曲輪には、下級武士達が暮らす4棟の長屋と武芸をみがく稽古場等があった。

    慶応4年(1868年)、約260年続いた徳川幕府が倒れ、蝦夷地の警備にあたっていた
    陣屋の武士達は、賊軍と呼ばれて箱館から攻めて来た新政府軍に追われるように
    白老を去った。 こうして、仙台藩元陣屋は、12年間の歴史を閉じたのである。

    その後、東北各地では、仙台藩を中心として、戊辰戦争が始まったが、東北の
    各藩は、この幕末の蝦夷地での警備に資金を大量に費やしてしまったため、
    最新の武器を揃える事が出来ず、旧式の武器だけで戦うこととなっため、
    奥州越列藩同盟は、新政府軍に負けたとも言われている。

    【お勧めの一冊】


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    最近、地方の方に電話を掛ける機会が多くなり、先日は、札幌、福岡、仙台に
    電話を掛けた。 さて、この中で、最も訛っている都市は、どこかと言うと、
    比較的標準語に近いとされている、札幌なんですねw

    私、何気に、東京⇔仙台⇔札幌を引越しで行ったり来たりしております関係上、
    標準語に加えまして、東京弁、仙台弁が完全ネイティブ、北海道弁は、仙台弁の
    南側の方言である、仙南弁が変形した方言であるため、こちらも、ほぼネイティブ
    となっております。

    仙台弁と北海道弁は、単語も70%程度同じで、イントネーションは完全に同じ。
    『いづい』と『したっけ』は、仙台弁と北海道弁以外は使っていない方言で、
    『いづい』は、標準語で言うと、『しっくりこない』になるのだが、ニュアンスが
    標準語とは、かなり異なりる。 また、同じ仙台弁から派生した単語である筈が、
    北海道の場合は、『今日の天気いづいね』とも言うため、仙台弁の使い方からは、
    既に逸脱している。

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    北海道弁で言うところの、『今日の天気いづい』とは、仙台弁では、『今日の天気
    おがつねー』と言うので、既に全くの別物。 『したっけ』に至っては、共に基本的
    には、『~すると』と言う意味で使うのだが、北海道弁では、『またね』という意味
    でも使うものの、仙台弁には、そのような意味は一切ないため、完全に元の意味が
    変形したもの。

    尚、仙台弁で『またね』は、『んでね』と言います。 『したっけ』と
    『しったっけ』は非常に似ているのだがが、全く別の意味で、『しったっけ』は、
    『~していたら』という意味。

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    北海道は、かつては蝦夷地と呼ばれた外地で、松前藩が完全に独立をするまでは、
    仙台藩が直轄地として、一時蝦夷地を治めていた場所。 その後、戊辰戦争~
    明治維新を経て、東北列藩同盟の各藩が、蝦夷地の開拓を強要されたのだが、
    その中でも、仙台藩からは多くの武士たちが強制的に蝦夷地の開拓をやらされたため、
    北海道には、その方言が完全に残った。

    その他、現在の愛媛県宇和島市は、仙台藩の支藩だったため、藩祖伊達政宗公の
    長男である、伊達秀宗公が、初代藩主となり、仙台藩から、家臣を引き連れて、
    宇和島入りしたが、その方言自体は、現地に完全に吸収され、全く残ってはいない。

    これと同様に、約400年ほど前に、石巻の月の裏から、ローマに向けて出帆した、
    慶長遣欧使節団の一部は、その地でキリスト教へと改宗し、スペイン南部に
    留まったが、こちらも、現地の人たちと同化し、今でも、その名残として、
    スペイン語で、日本を意味する『ハポン』姓を名乗っている。

    支倉常長を団長とする、この慶長遣欧使節団については、下記のリンクを参照。

    >>遠い帆 ~日本で始めて海を渡ったサムライ~

    【お勧めの一品】


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