第二次世界大戦で共に戦った、アメリカとソ連は、戦後には、自由主義と
社会主義といった政治体制の違いや、軍事的な警戒心から、激しく対立する
ようになった。

このアメリカとソ連の対立は、沢山の国々を巻き込んで行った。 アメリカは、
西ヨーロッパの国々や日本、韓国等、世界の自由主義、資本主義体制の国々と
同盟を結んだ。 これに対し、社会主義のソ連は、主に、ポーランドや
チェコスロバキア等の東ヨーロッパの国々と同盟を結び、更には、中国とも
同盟関係を結んだ。

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こうして、世界に西側同盟諸国と東側同盟諸国が出来上がり、ヨーロッパは、
西側と東側に事実上分断された。 特に、ドイツでは、この分断がハッキリと
現れ、西ドイツと東ドイツとに分断された。 この他、朝鮮半島が南北に、
ベトナムも南北に分断された。

アメリカとソ連は、世界で1、2を争う軍事大国であり、お互いに時刻を攻めて
来るのではないかという不信感を抱いていた。 そのため、相手よりも常に
勝ろうと、核兵器の開発等を進めて行った。 その結果、核兵器で攻撃すれば、
相手からも核兵器で反撃されるのかも知れないという緊張関係が生まれた。

こうしたなか、キューバ危機が起き、核戦争が起きるかも知れないという
危機感を東西両陣営共に抱いていた。

【旧ユーゴスラビアは、東側陣営ながら、独自の路線を行った】
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冷戦時代、アメリカとソ連は、西側と東側それぞれの中心ではあったが、
それぞれの陣営に属する国々は、皆同じ考えであった訳ではない。 西側では、
フランスが一時期NATO(北大西洋条約)を脱退し、西ドイツが、東ヨーロッパ
との関係を改善する動きを見せたりと、独自の行動を取る事もあった。 東側
でも、ソ連と中国が対立したりと、西側諸国、東側諸国共に、それぞれの中での
対立が生じた。

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アメリカにとっても、ソ連にとっても、冷戦が長引く事は負担になっていた。
核兵器の開発や、見方の国々との関係を保つための費用を膨大に負担しな
ければならず、アメリカ、ソ連共に、経済的に苦しい状態になっていた。

この他、いくつもの要因が重なり、2つの超大国を中心とする冷戦は、次第に
崩れて行った。 それを象徴する出来事が、1989年のベルリンの壁崩壊であり、
1991年のソ連の崩壊だった。

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