オーストリア共和国は、ヨーロッパ中央にある内陸の山岳国家で、人口は
約800万人。 かつては、多数の民族から成る巨大な帝国の一部だったが、
現在は、9つの小さな州から成り立ち、国民の大部分がドイツ語を話す。

オーストリアの歴史は、ヨーロッパの交易の民族移動の十字路として始まった。
国の北部を流れるドナウ川は、ヨーロッパの西、北、東の3つの部分を繋いでいる。
ドナウ渓谷に最も早く定着したのは、東から来たケルト民族と、南のイタリア
半島から来たローマ人であった。

austriamap

1200年代、ルドルフがこの地にハプスブルグ王朝を創設した。 この王朝は、
その後600年以上に渡り、オーストリアを含むヨーロッパ各地を統治した。
16世紀から17世紀に掛けての絶頂期には、ヨーロッパの半分近くがハプスブルグ
帝国の領域であった。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、オーストリアは、隣国であるドイツに
味方して、セルビア、ロシア、イタリア、イギリス、日本、アメリカ等と戦った。
4年間の戦闘の末、オーストリアとドイツは敗北し、ハプスブルグ王朝は崩壊した。
1918年、帝国内の非ドイツ系民族はそれぞれ独立して別個の国家となり、ドイツ系
民族は、オーストリア共和国を創った。

hapsburg

1929年の世界大恐慌はオーストリアの経済にも深刻な打撃を与えた。 国力の
衰えていたオーストリアは、1938年に、ドイツのヒトラー政権によって併合を
食い止めることが出来なかった。 1939年に第二次世界大戦が勃発した時、
オーストリアは、ドイツの一部として、日本、イタリアと共に、枢軸国側に立ち、
イギリス、フランス、ソビエト、アメリカ等の連合国側と戦った。 連合国側に
よる広範な爆撃と地上攻撃の結果、ドイツは1945年に降伏し、オーストリアは
独立を回復した。

戦後のオーストリアは、外国の援助を受けて、1955年までに順調な経済成長を
遂げ、安定した政府を持つに至った。 過去の歴史を反省したオーストリアの
指導者達は、将来、世界にどのような扮装が生じようとも、一切関与しないと
宣言した。

現在のオーストリア国民の生活水準は高く、健康保険と社会保証は、労働者全体に
行き渡り、失業率は低い。 国内の主要政党は、協力して国家の方針を定めており、
東西両ヨーロッパとの貿易額は増加を続けている。

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