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    タグ:東松島市

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    不安、恐怖、怒り、喪失感―。 東日本大震災は、被災した多くの子どもの心に傷を
    残した。 日常を取り戻しつつある学校現場で、子どもの心のケアは重要性を増して
    いる。 東松島市はスクールカウンセラーの巡回など、多方面からのサポートに力を
    入れている。

    学校で何が スクールカウンセリング(東松島)不安・恐怖、耐える幼心
    出典:河北新報

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    東松島市の川下公民館で避難生活を送る野蒜小5年の京野瑞樹君(10)は活発な
    野球少年。 お気に入りの野球帽をかぶり、練習に打ち込む。

    3月11日は、学校からの帰り道で巨大地震に襲われ、恐怖で動けなくなった。
    通行人に助けられ、父親の文彦さん(37)らと一緒に野蒜小の屋上に避難し助かった。
    津波は学校の校舎を破壊し、仲良しのクラスメート2人の命を奪った。

    『友達が亡くなってさみしい。 地震が来ると、あの時みたいに胸がどきどきする』と
    瑞樹君。 文彦さんは『普段は口に出さなくても、心の中には(恐怖が)あるかも
    知れない』と思いやる。

    大曲地区センターに避難する主婦千葉理恵さん(30)は、大曲小3年の次女(8)が
    余震の時に示す反応が気掛かり。 『顔色が変わり、パニックのような感じ。 いざと
    いう時、冷静に逃げられるかどうか心配』と話す。

    1,000人を超える犠牲者を出した同市で、小中学校の児童、生徒の死者、行方
    不明者は計32人、両親の一方か両方を亡くした子どもは36人を数える(5月6日現在)。
    避難所生活が長引く中、学区外からのスクールバス通学者は約500人に上る。

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    地震で受けたショックや慢性化する震災ストレスとどう向き合うか。 東松島市は、
    宮城県教委を通じ、岐阜、徳島両県のスクールカウンセラーの派遣を受けている。

    岐阜県の心理士神谷文子さん(36)は、鳴瀬一中に間借りする鳴瀬二中に派遣
    された。 隣接する小野小に入る浜市小も巡回する。 両校とも津波で校舎が使え
    なくなった。

    5月中旬、初めて学校を訪れた神谷さんは子どもの異変に気付いた。 『おなかが痛い』
    『頭痛がする』という訴えを耳にする中で、首や肩を触ってみると、パンパンに張って
    いた。 ささいな事でいら立つ様子も気になった。 リラックスするための呼吸や
    体操の時間をつくった。

    『環境が変わり、日ごろ感じないストレスで神経が過敏になっている。 心身の緊張を
    緩める時間の確保が必要だ』と神谷さんは強調する。

    子どもの心のケアは、震災前から子どもと親しい人々が、日常生活の中で話に耳を
    傾けたり、リラックスさせたりするのが最も効果的とされる。

    徳島県から矢本一中に派遣されている心理士の森世歩さん(29)は『子どもは事情を
    抱えながら精いっぱい頑張っている状態。 周囲の大人たちの安定が欠かせない』と
    保護者と教員の役割の重要性を指摘する。

    市は4月下旬、東大医学部の専門チームと連携し、小中学校全ての児童、生徒
    約3,600人に対し、震災後の心理状況について調査を実施した。 心的外傷後
    ストレス障害(PTSD)が疑われる児童・生徒らの心のケアを行う。

    心理士でつくるケア・宮城と公益財団法人『プラン・ジャパン』(東京都)が6月28日、
    大曲小で教員を対象に心のケア研修会を開いた。 『子どもに希望を持たせたいが、
    簡単に『乗り越えよう』などと言っていいのだろうか』。 教師らにとってスキルを学ぶと
    ともに、互いに抱える悩みを吐露する場になった。

    講師を務めた東北大教育ネットワークセンター長の本郷一夫教授(教育学)は
    『災害直後の心身のストレスは、誰にでも起こる正常な反応。 子どもの拙い言葉を
    受け止め安心感を与えてほしい』と強調。 『長い時間がかかる。先生が心と体の
    健康を保つことも大切だ』と助言した。




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    2011年3月11日夕、東北の震災被災地では広い範囲で雪が降った。 津波で
    ずぶ濡れになった人、建物の屋上で救助を待つ人…。 暖が取れない状況の
    下で、冷たい雪は多くの人の目に『非情の雪』と映った。 天候は夜には
    回復し、満天の星空が広がったが、それもまた『無情の星空』。 放射冷却で
    翌朝にかけて厳しく冷え込み、多くの命を苦境へと追い込んだ。

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    津波の後、雪が降り積もった被災地。寒さに奪われた命も少なくない
    2011年3月11日午後4時ごろ、宮城県南三陸町

    その時 何が 非情の雪、無情の星空(宮城・南三陸町)
    出典:河北新報

    皆、寒さでガタガタと震えていた。 唇は紫色で顔面は蒼白。 外は雪。
    低体温症の症状だった。 『震えがひどく、自分で思うように動けない人もいた。
    3人がかりで着替えさせた』 宮城県南三陸町の公立志津川病院の看護師
    佐藤のり子さん(52)は、目の当たりにした低体温症の怖さを思い起こす。

    海岸から距離約400メートルに位置する同病院は津波に襲われ、水は4階まで
    達した。 全身ずぶぬれになったり、横たわったまま水に漬かって半身が
    泥まみれになったりした患者も多かった。

    浸水を免れた西棟5階会議室には、入院患者42人と病院スタッフ約80人、
    駆け込んだ近隣住民約120人の計約240人がいた。 看護師らは5階の限られた
    物資で、患者の体温を保つ工夫を重ねた。 濡れた衣服を脱がせてタオルで
    包み、新聞紙を体に巻いた。 ゴム手袋もはめさせた。 床には段ボールを
    敷き、体を寄せ合うように寝かせた。 毛布代わりに介護用おむつと、外した
    カーテンを掛けた。

    『体を温めてあげたくても電気も火もない。 ありったけの物で、できる
    限りのことはしたんですが…』と佐藤さん。 必死の措置もむなしく、12日
    午後に救出ヘリが来るまでに、患者7人が低体温症等で息を引き取った。

    宮城県石巻市大街道小でも、女性1人が低体温症とみられる症状で亡くなった。
    東松島市野蒜小でも多くの人が濡れた服のまま避難。 割れた窓から吹き込む
    冷気が体温を奪い、お年寄りらが次々と低体温症で死亡した。

    宮城県警が震災から1カ月後にまとめた県内犠牲者8,015人の死因によると、
    低体温症を含む『その他』が58人いた。 あの日の冷え込み、その後の停電や
    燃料難による暖房の欠如…。 過酷な寒さが地震や津波から取り留めた命を死の
    ふちに追いやったのも、この震災の特徴だ。

    仙台管区気象台によると、東北太平洋側各地の気象データは震災後、津波被害や
    停電の影響で入手できなくなった。 宮城県内で唯一切れ目なくデータが残る
    仙台は11日午後、断続的に雪を観測。 第1波襲来後の午後4時半前後は見通しが
    利かないほどの強さになった。

    多くの証言によると、宮城県沿岸の各地は同日夕、雪に見舞われた。 夜は西から
    高気圧が張り出し、東北は広い範囲で晴れた。 気象台は当時の天気図から
    『12日朝は放射冷却で津波被災地は軒並み氷点下2~3度。 被災者には
    厳しい気象条件だった』と推測する。

    志津川病院の看護師畠山啓子さん(53)には二つの『もし』が交錯する。
    『もし、もう少し暖かかったら助かった人もいたかもしれない。 でも、もし
    阪神大震災のような真冬だったら、もっと大変なことになっていた』

    【お勧めの一冊】


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    震災の直前、JR仙石線野蒜駅(宮城県東松島市)を同じ時刻に発車した2本の
    列車があった。 ともに4両編成の仙台行き上り普通列車と石巻行き下り快速列車。
    海沿いを走行中に地震に襲われ、2011年3月12日の朝刊は『野蒜駅付近を走行して
    いた列車と連絡が取れないとの情報がある』と伝えた。 乗客の明暗が分かれた。

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    その時何が 消えた列車(東松島)
    出典:河北新報

    3月11日午後2時46分。 2本の列車は、時刻表通り、野蒜駅からそれぞれの目的地へ
    出発した。 窓の外は雪が舞っていた。

    仙台に向かう上り列車の乗客は、会社員や小学生ら約50人。 駅を出てすぐ、携帯
    電話が一斉に鳴りだした。『宮城沖で地震発生』。 緊急地震速報だった。ほぼ
    同時に車両が揺れ始めた。 あちこちで悲鳴が上がった。 石巻専修大3年
    菊谷尚志さん(20)は思わず手すりをつかんだ。 『大人2人に揺さぶられて
    いるようだった』

    車両が緊急停止した場所は駅から約700メートル。 近くには東松島市指定避難所の
    野蒜小があった。

    『乗客を野蒜小に避難させてください』。 仙台のJRの指令担当者から無線指示を
    受けた乗務員の案内で、乗客は約300メートルの道のりを歩いた。 誘導された
    体育館には、既に100人以上が避難していた。

    【5年が経過した野蒜駅前】


    午後3時50分ごろ。『津波が来たー! 2階に上がれー!』。 入り口近くにいた
    菊谷さんは、男性の叫び声を聞いた。 人が殺到した近くの階段を避け、ステージ
    奥の階段へ走った。 そこも行列だった。 順番を待つ間に水は足首まで達した。

    現実感がなかった。 『映画みたいだ』と思った瞬間、近くの窓ガラスが次々に
    割れ、泥水が一気に流れ込んできた。 後ろにいた女の子やお年寄りが声もなく
    流されたが、なすすべはなかった。 必死で2階に上った。

    JR東日本仙台支社によると、少なくとも乗客1人が体育館で亡くなったとみられる。
    混乱の中、安否を確認できた人数は約20人。 2カ月が過ぎた今も、体育館に避難
    した乗客数すら『不明』のままだ。

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    津波は線路上の上り列車も押し流し、車内は1メートル以上浸水した。 菊谷さんは
    『もし車内に残っていたら、死んでいただろう』と振り返る。

    下り列車は野蒜駅から約600メートル走って緊急停車した。 幸運にもそこは十数
    メートルの高台だった。

    『とどまった方が安全だ』。 地元に住む年配の男性客が、乗客を外へ誘導しよう
    とした若い乗務員に助言した。 乗客と乗務員約60人は、最も高い位置にある
    3両目で待機することになった。

    高台は津波の襲来を免れたが、濁流にのまれる建物や車が窓越しに見えた。
    『上り列車は無事だろうか』。 石巻市の和泉徳子さん(51)は、野蒜駅で
    すれ違った列車の安否が気掛かりだった。

    乗客の男性たちが水に入り、流された家の屋根に乗って漂流していた70代ほどの
    男性を救出した。 震えるお年寄りを座席に横たえ、体をさすって温めた。
    『暗くなる前に一口ずつどうぞ』。 ある女性客が自分の弁当を周りに勧めた。
    それを機に和泉さんら他の乗客も手持ちの総菜や菓子、水を取り出した。 自然に
    分かち合いの輪が生まれた。

    1人だけ、心細そうな男の子がいた。 大人がさりげなく見守り、励ました。
    夜、母親が水をかき分けて車両にやって来た。 『みんな自分のことのように
    ホッとした』と和泉さん。 その晩、男の子は母の腕で眠った。 夜は長く、
    寒かった。 乗客は詰めて座り、互いの体温で暖を取った。

    【5年が経過した東松島市】


    12日朝。 乗客ら全員が車両を脱出、線路を歩いた後、トラックの荷台に揺られ、
    指定避難所の公民館へ向かった。

    『一人一人ができることをやった。 みんなの力で乗り越えられた』。
    和泉さんは今、そう思っている。

    【お勧めの一冊】


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