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    タグ:東松島

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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸から、車で更に10分弱走ると、宮戸島と呼ばれる
    風光明媚な『奥松島』に到着します。 その宮戸島にあるのが、大高森。 松島四大観の
    中でも、最も美しいとされる『壮観』と呼ばれています。 登山道入り口から、山頂までは
    徒歩で15程度。 山頂からは、360度の大パノラマから見えるが、そこから見えるのは、
    被災した場所ばかり。 特に、野蒜地区は、上から見ると、何もかもなくなったのが
    よく分かる。



    この地は、日本三大渓の『嵯峨渓』がある場所としても有名で、女性的な曲線的な美しさが
    特徴の松島と比べると、荒削りな男性的な美しさを持つのが、この嵯峨渓となっている。
    大高森山頂からは、その嵯峨渓と石巻の町を望む事が出来る。 煙が出ている場所が、
    石巻市門脇地区。 大高森から出ている遊覧船は、3,000円も掛かるため、松島から
    出ている2,000円の遊覧船(見る場所はほぼ同じ)をお勧めします。

    【大高森】

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    宮戸島への入り口付近にあった観光桟橋は、津波で完全に破壊されたため、この宮戸島の
    大高森登山道の入り口へと移転した。 東松島市の名前の由来は、この『奥松島』と
    航空自衛隊『松島基地』があるためで、どうしても『松島』という単語を入れたいという理由で
    こうなったのだが、地元では殆ど誰も使わないという、無意味な名前となっている。

    【野蒜海岸付近】
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    野蒜から奥松島の宮戸島へ行く途中の道。 津波で何もかもなくなり、この場所は、
    地盤沈下により、3年以上に渡り、水没していた。 つい最近になって、ようやく防波堤の
    工事が始まったため、高さ15メートル程の防波堤が出来たが、その前までは、この高さと
    同じぐらいの瓦礫置き場だった。 単なる荒れ地にしか見えないこの場所には、被災前
    までは、観光客が宿泊する「奥松島ユースホステル」があった。 建物も松林も、電柱の
    一本すら残らなかった野蒜の復興は、まだ始まってもいない。

    この付近に到達した津波の高さは、約10メートルで、この場所にある防波堤は、25年ぐらい
    前に、2メートルほどかさ上げしたものだが、それでも、何の役にも立たなかった。 この
    場所は、東北最大の海水浴場であるのと同時に、奥松島という観光地であるため、
    かつては、民宿街と松林だったのだが、松林も10本程度を残して、全て流出した。

    【月浜海岸】
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    かつて民宿街であった月浜海岸。 野蒜海岸は、外洋にあるため、波が高いのと、
    海水浴客で混み合うため、地元の人間は、大体、この宮戸島で海水浴をしていた。
    むしろ、こちらの方が、観光客が余り来ないため、ほぼプライベートビーチ状態だったの
    だが、その民宿街も津波によって全て流されたため、現在は、その場所には、仮設住宅が
    立ち並んでいる。 当然、観光客は、ひとりも来ないため、非常に閑散としている。
    この場所は、夏になると、海水浴客から、車の駐車料金を500円も取るという殿様商売を
    してたが、その面影は、一切残ってはいない。

    今年に入ってからは、海岸の防波堤の工事が本格的に始まったため、砂浜には入れなく
    なった。 工事関係者の話によると、春ぐらいまでには、工事を完了させたいとの事
    であった。 東松島市は、市域の60%以上が津波で水没しているため、津波が再度
    襲った場合は、このような仮設住宅は、ひとたまりもないが、高台が多くないため、
    仕方がない。

    【観光桟橋跡】
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    宮戸島入り口にあった観光桟橋跡。 その観光桟橋からは、石巻の街がもう見えて
    います。 この付近には、航空自衛隊松島基地があるため、ブルーインパルスが通常
    訓練を行っているのも、この海上付近。 ブルーインパルスは、展示飛行のために
    日本全国でアクロバット飛行をしているのだが、その本拠地の状況が、このような有様
    だとは、一言たりとも言わないが、元々、自衛隊の宣伝のためだけにある
    ブルーインパルスなので、被災地の事などどうでも良いのであろう。

    先日行った、入間基地での航空祭においても、『航空自衛隊松島基地所属』と言ったのは、
    一度きりで、被災地の事には一切触れず。 国立競技場で展示飛行を行った際にも
    同様で、マスコミの偏向報道には、騙されないようにした方が良いと思います。 尚、
    野蒜海岸の入り口には、このお地蔵様があるが、石巻の門脇小学校の脇にあった、
    同じお地蔵様は、道路工事のため、どこかへと移設されてしまった。



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    美里編で紹介した堤防を海側へ約15キロほど下ると、野蒜海岸へと出ます。
    2015年5月30日に約4年ぶりに営業再開を果たした、JR仙石線の野蒜駅は、
    山側へと移転し、新たに街開きを行ったため、駅前には、未だ一切何もない。

    【新しく移転した野蒜駅前】
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    工事関係者の人達の話によると、来年の5月までにこの場所を宅地造成して、
    個人に引き渡すそうです。 どの場所を誰に引き渡すかは、既に決まっていて、
    後は宅地造成するばかり。 野蒜に限らず、『街開き』した筈の新しい町には、
    道路の1本すらまだなく、単なる荒れ地を切り開いただけの状態となっています。

    この場所に災害復興住宅が完成するのは、2年後と言われており、工事が遅れて
    いるため、再来年の3月に仮設住宅が全て廃止されるまでに間に合うのかすら
    分からない状況です。 この後紹介する、石巻の新蛇田地区は、街開きしたにも
    関わらず、ここよりも酷く、道の一本すらまだない。 

    【津波で廃止となった旧仙石線跡】
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    津波災害により、廃止となったJR仙石線跡。 1枚目は、新しくなった仙石線。
    この付近は、20年ほど前にも、強風時に安全に運転を行えるよう、陸前小野⇔
    野蒜駅間で若干ルート変更をしたため、その時の旧線も残っているのだが、現在、
    ファミリーマートになっている、旧野蒜駅は、その時に新しくした駅であるため、
    仙石線の駅の中では、比較的新しい駅舎だった。

    このすぐそばにある野蒜小学校では、折角仙石線の電車から乗客が避難をして来た
    のにも関わらず、校長が校舎に鍵を掛けてしまったため、体育館に避難をしていた
    人達数名が津波の犠牲となった場所。 東日本大震災発生時に、電車が津波で折れ
    曲がって倒れていたのを覚えている人も多いと思うのだが、それがこの場所。

    下り列車は、乗客の判断により、ちょうど高台部分で停車したため、翌日に乗客
    たちは、全員助けられたが、その車両自体は、2011年の12月末まで、その場に
    放置された。 

    【津波で廃止となった旧野蒜駅】

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    津波災害で残った旧野蒜駅は、今後、『津波伝承館』として整備される事が
    決まっている。 この元駅舎には、観光案内所もあり、東日本大震災で被災した
    時のパネルが展示されている。 この付近も『宮城県連続地震』の被災地である
    ため、観光局の人達に、その時の地震災害の情報も展示して下さいとお願い
    して来た。

    『東日本大震災』の時よりも、『宮城県連続地震』の時の地震の方が、地震災害
    としては、凄まじかったのだが、その事を覚えている人は、東松島周辺にしか
    居ない。

    尚、『宮城県連続地震』で被害を受けた場所は、『東日本大震災』では、ほぼ
    無傷だったのだが、その理由は、そんな程度の地震で倒壊する家屋やブロック塀は、
    その時に既に全て倒壊して無くなっていたのと、その後、地震に対する災害強化を
    更に行ったため。

     

    野蒜駅前に到達した津波の高さは、3.7メートルとなっており、町と共に、
    うっそうとした松林もほぼ全てが流出したため、一切何もなくなった。
    工事関係者に尋ねたところ、この場所は何になるのか分からないとの事だった。
    このすぐ先が野蒜海岸なのだが、工事中であったため、海側へは一切入れなく
    なった。 尚、この付近での死亡者の数は、約500名。
     
    福島県と東電によれば、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、15メートル
    だそうだが、その津波の高さは、実は、『遡上高』であった事を住民らの追求
    により、東電と福島県が既に認めています。 3.7メートルの高さの津波で、この
    有様なので、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、明らかに2メートル以下。
    その証拠に、福島の建物は、ほぼ全て残っている。

    【新しくなった東名駅】
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    野蒜駅と同じく、5月30日に4年ぶりに営業を再開したJR仙石線の東名駅。
    高台に移転したため、その高台への入口側から見ると、野蒜駅とほぼ同じような
    位置となった。

    内陸側へ移転し、その入り口部分がほぼ同じであるため、地域住民にとっては、
    かなり使いづらい駅になった。 周囲に建物は、まだひとつもない。 この付近は、
    潮干狩りで有名な場所だったのだが、現在、潮干狩りは出来ない。



    JR仙石線の陸前小野駅前にある『空の駅』。 ここでは、仮設住宅に住むお母
    さんたち手作り、ソックモンキーの『おのくん』を購入する事が出来る。
    どれでも1体1,000円となっており、通信販売での場合は、1年半待ちの大人気
    商品となっている。 但し、この『空の駅』まで来れば、その場で購入する
    事が出来る。

    【空の駅】
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    『空の駅』とは、東松島市内にある『航空自衛隊松島基地』の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっています。

    『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募っている。 より
    正確に言うと、1年半後には、仮設住宅が全てなくなるため、それまでにこの
    『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなるという意味。

    ここには、『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れない。 

    【小野駅前応急仮設住宅】

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    JR仙石線の陸前小野駅前にある『おのくん』を販売している仮設住宅。
    陸前小野駅からは、線路沿いに歩いて10分程度掛かる。 仮設住宅を入ると、
    まず、ブルーインパルスが目に飛び込んで来る。 『おのくん』は、宮城県
    東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつずつ手縫いで作っている、
    サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみのソックモンキー。 東日本大震災
    からの復興への願いがこめられている。 『めんどくしぇ』が合い言葉。

    【お勧めの一冊】


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    東松島市は、2003年の『宮城県北部連続地震』でも大規模被災をしているが、
    その当時、野蒜地区は、余り被災しなかったのだが、その隣の小野、大塩地区は、
    震源地の真上にあったために、大規模被災し、かなりの家屋が被害を受けた。

    過去に東日本大震災よりも大規模な地震に遭遇しているため、、野蒜小学校
    校長の証言にも『地震は予知出来なかった』とは出ていないのだが、野蒜
    小学校は、海から、ものの数百メートル程度しか離れていないため、津波が
    予想出来なかったというのは、教育者としても余りにも甘い考え方。

    付近を走っていたJR仙石線の乗客達も、地震発生直後に全員野蒜小学校の
    体育館へと避難をしたが、校長が校舎への入り口の鍵を掛けてしまったため、
    その一部は、津波に飲み込まれて死亡した。



    <野蒜小津波訴訟>校長『津波到達予想できず』
    東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難し、津波で死亡した住民と
    児童計3人の遺族が市に計約5,300万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が
    2015年10月22日、仙台地裁であり、当時の女性校長が『学校に津波が到達する
    とは予想できなかった』と証言した。

    校長は理由として、市防災マップで学校が避難区域外だったことや停電などで
    情報収集ができなかった点を挙げた。 津波情報の収集は『教頭に任せていた』
    と証言したが、学校に電池式のラジオがなく、情報収集ができなかったという。

    訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民らは市の地域防災
    計画で避難所に指定された野蒜小に避難し、校長らに体育館へ誘導されたとして
    いる。 校長は『児童は体育館に避難させたが、住民の避難は各自の判断
    だった』と反論した。

    死亡した3人のうち、児童1人は担任の女性教諭が同級生の親に引き渡し、
    学校より海側の自宅付近で津波にのまれた。 校長は『保護者に引き渡すのが
    あるべき姿だ』と認めつつ、『震災下では一つの判断。 引き渡し後の安全
    確保は同級生の親に委ねていた』と語った。

    児童を引き渡した担任は『(県教委の指針に)違反したかもしれないが、
    児童を早く安心させてあげたい一心だった』と当時の心境を語った。

    市の調査によると、体育館では住民ら計13人が死亡したとされる。


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    おのくんは、宮城県東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつ
    ずつ手縫いで作っている、サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみ
    (ソックモンキー)。 東日本大震災からの復興への願いが込められている。
    『めんどくしぇ』が合い言葉となっている。



    来年は、さる年という事で、最近、にわかに注目を集めている大人気商品と
    なっており、通信販売で『おのくん』を手に入れようとした場合、1年半待ち
    となっているが、陸前小野駅前にある『空の駅』 、あるいは、
    『小野駅前応急仮設住宅』まで行けば、その場で手に入れる事が出来る。
    元々、この仮設住宅まで足を運んで欲しいという願いが込められているため、
    通信販売には、余り力を入れてはいない。 『おのくん』の制作には、その
    大きさにもよるが、概ね、1時間半程度掛かるとのこと。

    【空の駅】
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    小野地区は、12年前の「宮城県連続地震」の際にもかなりの被害を受けており、
    この周辺一体は、震度6強連続3回という激震に見舞われたため、多くの家屋が
    倒壊したり、屋根にブルーシートを掛けたりして、何とか復興への道を歩み
    だしたのだが、その6年後には、「東日本大震災」が発生し、地震被害こそ
    受けなかったものの、その後に発生した津波が、この陸前小野駅周辺まで到達し、
    再び被災地となったもの。 よって、住宅に関しては、二重、三重ローンを抱えた
    まま仮設住宅で暮らしている人達も居るのが、この地域の特徴。 家を二回連続で
    失った人達の場合は、再度住居を建設しようとしても、かなり難しいのと、
    この周辺一帯が、津波で浸水したため、再度家屋を建築しても、また津波が
    やって来るのではという不安が捨てきれない。

    東松島市の場合は、市域の六割以上が津波により浸水してしまったため、
    陸前小野駅から見て、海側に家があった人達は、陸前小野駅よりも内陸側に
    家を建てた人達が多い。 新しく家を建てた場所も津波によって浸水した場所
    なのだが、この周辺には高台が少ないため、この周辺に住みたい場合は、
    どうしてもこうなってしまうのが実情。

    【小野駅前応急仮設住宅】
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    「空の駅」とは、東松島市内にある「航空自衛隊松島基地」の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっている。 『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募って
    おり、より正確に言うと、1年半後には、この周辺の仮設住宅が全てなくなるため、
    それまでにこの『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなる
    という意味でもある。


     
    『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れません♪

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    2015年11月28日(土)、地元の人間ですら、全く知らない宮城県石巻市内の無名の
    小さなライブハウスで、X JAPAN の被災地での約束が果たされた。 X JAPANに
    とっては、24年ぶりのライブハウスでのチャリティーライブとなり、「ヤフオク!」での
    チケットオークション落札総額は2,828万9,358円に上った。 中央共同募金会を
    通じて全額寄付され、東北被災地の子どもたちの支援に充てられる。
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    被災前の石巻にやって来る歌手と言えば、演歌歌手と売れない歌手だけと相場が
    決まってたのだが、東日本大震災以降は、実に様々なミュージシャンがやって来た。
    極めつけは、アメリカから、2度もシンディ・ローパーがやって来て、小学校と
    幼稚園にピアノを寄付して行った。 AKBもやって来た、さだまさしもやって来た、
    長渕剛もやって来た、加藤登紀子もやって来したし、八代亜紀もお忍びでやって
    来たぞw
    xjapan_tuika_ishinomaki
    2011年3月11日の震災当日、シャンソン歌手のクミコさんが、石巻市文化センターで
    コンサートのリハーサル中に被災して、そのまま地元民と共に避難生活を送ったのは、
    かなり有名な話で、それ以降、クミコさんと石巻の関係は続いているのだが、
    その石巻の関係者が、余りにも酷過ぎて、一言では言い表せないのが残念。



    X JAPANで街興しして欲しいぞ石巻w
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    夢のような約束が実現する――。人気ロックバンド「X JAPAN」が11月28日、
    石巻市のライブハウスから世界ツアーをスタートさせる。 被災地にある150人
    収容の小さなステージを選んだその始まりは、2年前に現地を見たリーダーの
    YOSHIKIさん(50)が、ライブハウス従業員につぶやいた一言だった。

    今年9月、ライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」の従業員山村孝雄さん(32)は
    一瞬、耳を疑った。「X JAPANのライブをするので会場予約をしたい」。
    イベント主催者が店にかけてきた電話は、そう告げていた。 山村さんは
    「あの時の言葉は、約束だったんだ」と気づいた。

    2013年9月、YOSHIKIさんが自分の目で被災地を見たいと石巻を訪れ、
    幼稚園や小学校を回った。 最後に立ち寄ったブルーレジスタンスで、運営
    資金を寄付してくれた人の名前を書いた木札を店内に貼っていることを知った。
    YOSHIKIさんも3万円を寄付した。

    そして帰り際。 「ここからワールドツアーを始められたらいいね」とぽつりと
    口にした。 案内した山村さんは何と答えればよいのか、言葉に詰まった。
    「夢みたいな話で、冗談だと思っていた」と振り返る。 
    -------

    リーダーのYOSHIKIは2013年9月、被災地の石巻を訪問。幼稚園や小学校を
    回り、最後に訪れたのがこの日公演を行ったライブハウスだった。 当時、
    再訪を約束したYOSHIKIは、X JAPANにとって24年ぶりとなるライブハウス
    公演を行うことで約束を果たした。

    震災復興チャリティーコンサートとして開催された同公演に入場できる観客は
    わずか150人。 半数の75枚はインターネットオークションサイト ヤフオク!内
    特設サイトのチャリティオークションに出品され、残りの半数75枚は地元の
    石巻市・東松島市・牡鹿群女川町在住者を対象に無料招待した。

    ライブハウスには、石巻市長をはじめ、地元を代表した高校生たちがお出迎え。
    会場から15分ほどの場所にある石巻市総合体育館では、急きょパブリック
    ビューイングが行われ、約3,000人がスクリーンに向かって大声援を送った。
    『ニコニコ生放送』を通じて全世界にもネット配信され、番組中も視聴者に寄付を
    呼びかけた。

    「ヤフオク!」でのチケットオークション落札総額は2,828万9,358円にのぼり、
    中央共同募金会を通じて全額寄付。 東北被災地の子どもたちの支援に
    充てられる。

    X JAPANの日本ツアーはこの後、12月1~4日の横浜アリーナ4daysを皮切りに、
    7日に大阪、9日に福岡、11日に広島、14・15日に名古屋の5都市で計9公演開催。
    大みそかには18年ぶりに『NHK紅白歌合戦』に出場する。
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    東日本大震災の犠牲者を一時的に土葬した『仮埋葬』の跡地の大半が、当時の
    形跡すらない状態になっている。 宮城県内6市町の15カ所は、復興工事の
    作業場や更地になり、伝承碑などは設けられていない。 荼毘に付して弔う
    こともできないほど過酷だった震災の現場をどう語り継ぐのか、課題を指摘
    する声も出ている。

    宮城県内で仮埋葬がなされた場所は図の通り。 石巻市が最多の7カ所で、
    亘理町3カ所、気仙沼市3カ所、東松島市と女川町、山元町各1カ所だった。
    各地とも犠牲者の多さに火葬の処理能力が追い付かず、震災後の2011年6月
    までに計2,108人の遺体を一旦土葬した。 その後、掘り起こされ、同11月
    19日までにようやく全て荼毘に付された。

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    埋葬地には公園や墓地などが選ばれた。 石巻市のうち雄勝地区では、公園脇の
    市有地で52人を仮埋葬した。 現地にはいま、被災した岸壁工事の業者向けの
    作業小屋が立つ。 門脇地区の広場は、12年秋に人工芝を敷き、早期に復旧した。
    市内の他の5カ所も当時の状況を伝えるものはない。 市の担当者は『家族
    としては受け入れ難い緊急避難措置だった。 そうした感情を考えれば残す
    選択はそぐわない』と語る。

    fig381

    亘理町の観音院は仮埋葬地を提供。 跡地には砂利を入れ、駐車場として
    使えるように整備した。 既におはらいの法要が執り行われた。 和尚の
    本郷正繁さん(73)は『たとえ慰霊碑を建てるにしても誰がやるのか』と
    戸惑う。 仮埋葬地をめぐっては12年、宮城県内外の有識者でつくる
    『3.11震災伝承研究会』が15カ所を震災遺構の保存候補に挙げたが、機運は
    高まらなかった。 研究会座長で減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎
    理事長は、『災害のスケールの大きさを物語る場所で、個人的には残念に思う。
    仮埋葬があった現実を伝える看板などの設置をどこか1カ所でも考えても
    いいのではないか』と話す。

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    2015年5月末に約4年3ヶ月ぶりにJR仙石線が営業を再開し、それに合せて新たに
    街開きを行った野蒜駅前。 駅前には何もないという話は聞いてはいたものの、
    余りにも工事が進んでいなかったため、絶句。。 現状、野蒜駅前には、この駅舎
    以外、一切何もなく、建物がひとつもない。 線路を山側に移設した新野蒜駅の
    ホームからは、旧野蒜駅、現在のファミリーマートが見えているが、新駅舎に登る
    ための階段がないため、道路を使って旧野蒜駅まで行こうとすると、坂道を下って
    約1キロ程度の道のりとなる。

    野蒜地区は、約10mの高さの津波が襲い、何もかも流されてなくなったため、
    山側のこの場所への集団移転が決まっているものの、移転工事がかなり遅れている
    ため、災害復興住宅が完成するまでには、これから2年程度掛かる。 野蒜地区、
    宮戸地区の被災者の一部は、東松島市と災害協定を結んでいる美里町に建設された
    仮設住宅で丸4年間生活をしていたが、その仮設住宅も、今年の3月で全てなく
    なった。

    新たに建設された新野蒜駅付近
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    野蒜駅
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    野蒜駅
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    野蒜地区入口
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    野蒜駅ホーム
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    野蒜駅前
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    野蒜駅前
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    野蒜海岸(石巻方向)
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    野蒜海岸(松島方向)
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    東名駅

    福島の自主避難者に関しては、メディアでも色々と伝えているものの、野蒜や
    石巻の被災者の事は何も伝わってはいない。 宮城県の被災状況は、関東を
    はじめとする、その他の地域には、情報が5%も伝わってはいない。 よって、
    関東方面からわざわざ被災地まで行っている人達は、全てネットから情報を得て
    いる。 写真だけだと余り伝わらないと思うが、360度何もないこのような景色
    ばかりが続く。

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、約500名が津波の犠牲となったため、
    震災から丸4年経過した今でも海開きをしていない。 これから先、10年後に
    海開きが出来るのかすらも分からない状況となっている。 現在、この海岸
    部分では、約15mほどの新たな防波堤の建設が行われており、3年程ほど前
    までは、それと同じ高さの瓦礫が同じ場所に積み上げられていた。

    この場所は、本州では、最もアメリカ大陸に近い場所であり、元々津波が到達
    しやすい場所であるため、25年ほど前にも、防波堤のかさ上げ工事を行ったが、
    そのかさ上げした5m程度の防波堤は、一切何の役にも立たなかった。
    被災後に宮城県内で海開きを行った海水浴場は、5ヶ所のみとなっている。

    旧野蒜駅付近
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    廃止された仙石線跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    津波災害後の野蒜駅前
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    仮設住宅
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    新たに新設された慰霊地蔵

    東松島市内の復興状況は、他の被災地を比べると、恐らく、一番遅れており、
    この場所は地盤沈下により、3年4ヶ月もの間、海水に沈んでいたため、
    陸地に戻って、まだ1年も経過してはいないが、それでも中央メディアでは、
    全く報道されないため、東松島に来る人は、かなり稀。

    元々、野蒜港は、「明治3大築港」と呼ばれ、明治初期に建設された、日本でも
    指折りの港だったが、開港から数年後に台風によって破壊されたため、その
    代わりに、横浜に港が開かれた。 よって、横浜開港◯◯周年は、野蒜港が
    消滅して◯◯周年と言っているのとほぼ同じ。

    東名駅前も、野蒜駅前同様、5月末に路線を山側へと移転し、新しい街を
    建設中だが、やはり周辺には、1軒たりとも建物がない。 旧東名駅からは、
    歩いて10分以上も掛かる坂道の上にあるため、ここに街を移転しても、それを
    嫌がる人が出るかも知れない。 わざわざ新しく建設した筈の道路も、かなり
    遠回りとなるため、高齢者には非常に住みづらい新しい街が建設されている。
    被災前の東名では、潮干狩りが非常に有名だったが、津波災害後は、いつ
    潮干狩りが再開するのかすら分からない。



    【野蒜小避難訴訟】 仙台地裁、現地調査へ 時期や範囲を協議 2015.07.17
    東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童
    計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5,300万円の
    国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年7月16日、仙台地裁であった。

    弁論では、遺族側が裁判所に現地調査を求めていることが分かった。 地裁は、
    現地調査を実施する意向で、実施時期や範囲について現在協議を進めている
    という。

    訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は野蒜小体育館に避難
    した後、津波で犠牲になった。 もう1人は同校児童で下校後にいったん
    体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で
    車を降りた後に津波で亡くなったとしている。

    【瑞巌寺の塩害】
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    国宝にも指定されている瑞巌寺は、伊達家の菩提寺であり、伊達政宗の正室、
    陽徳院愛姫が祀られているが、その瑞巌寺の景色が一変していて、絶句。。
    樹齢400年を超える杉の木林が、塩害により概ねなくなった。 松島は、津波
    被災地の中では、一番ましな被災度合いであったものの、この付近は、1メートル
    程度の津波を被ってしまったため、日本三景松島のお土産屋も長期に渡って
    休業を余儀なくされた。

    その後の復興は順調であったが、塩害の被害は、かなり深刻。 毎年夏の
    灯篭祭りの時期には、この杉林の下でろうそくを灯して、幻想的な景色を見る
    事が出来たが、今では、こんな寂しい景色になった。 瑞巌寺では、過去の
    観光客を呼び戻そうと、これまで非公開であった陽徳院愛姫の廟所を期間
    限定で公開している。

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    2015年8月10日に活動開始から10周年を迎えた閃雷。 津軽三味線と和太鼓を
    現代風にアレンジし、バンドスタイルでみちのくの伝統民謡等を中心に、音楽活動を
    行っている。 新しいのに、何故か懐かしい感じがするそのメロディーは、どの世代が
    聞いても、新鮮な音として楽しめる。

    9314007

    メンバーは、和太鼓奏者の三浦公規、石田陽祐、千葉響の3名と津軽三味線の
    高橋勇弥で構成されており、東日本大震災以降は、東松島市や南三陸町を中心に、
    被災地他での活動も精力的に行っている。

    【閃雷 生誕10周年ツアー2015】

    8月10日(月)仙台darwin
    8月23日(日) 北海道北斗市総合文化センターかなで〜る
    9月17日(木)福井県あわら温泉みのや泰平閣
    9月18日(金)名古屋CLUB ZION
    9月19日(土)大阪LIVE HOUSE D'
    9月20日(日)三重県津市河芸公民館
    9月21日 (祝)静岡県 浜松市 浜松市福祉交流センター 
    10月14日(木)東京Shibuya WWW
    12月6日(日) 宮城県美里町文化会館

    氏名、連絡先、券種、枚数を記入して
    live@wadaiko.info
    にメールを送信!!





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    東北以外での活動も行っており、今年度は、活動10周年を記念した全国ツアーの他にも、
    東日本大震災で故郷を失った子供たちとエイズで親を亡くした子供たちがひとつの舞台で
    家族になるという「At Home in the World 世界がわが家」のアメリカ公演にも出演した。



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    震災から4年2ヶ月ぶりに石巻に帰って来る205系マンガッタンライナー☆
    全車両石ノ森キャラクター塗装で、このキャラクター塗装車両は、2パターン
    あります♪ これまでの石巻は、仙石線が止まったままであったため、市内の
    交通量が約2倍程あったのだが、仙石線は止まっても鉄道と並走している
    三陸自動車道は無料にはならなかった。

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    仙台⇔石巻間は、仙石線で行くよりも、高速バスの方が早いため、どこまで
    仙石線に乗客が戻せるかが鍵。 また、仙石線が全通した事により、これまで
    石巻線経由で運転をしていた直通の特別快速と、石巻線のマンガッタンライナーは
    姿を消す事となった。

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    【仙石線マンガッタンライナーと石巻線マンガッタンライナー】
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    営業再開直前のJR仙石線の旧野蒜駅前。 建物と松林は100%全て流されたため、
    一切何もなくなりました。 元々は住宅地で、防潮林が生い茂るうっそうとした松林が
    ありました。 旧野蒜駅から野蒜海岸までは、歩いても3分程度なのですが、その
    変わり果てた景色は、東日本大震災の被災地の中でも、最も景色が変わり果てた
    場所のひとつ。 この付近で死亡した人達の数は約500名。 旧野蒜駅の遥か山側に
    新しい野蒜駅のホームが見えています。 防潮林があった場所には、3年の長きに渡り
    瓦礫が置かれ、現在では、15メートル程度の新しい防波堤が建設中。 野蒜地区は
    5月30日に山の上に集団移転をして街開きを行うため、この付近が住宅地に戻る事は
    もうない。

    【旧野蒜駅前と野蒜海岸】
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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸には、日本の開国直後に『明治三大築港』と
    呼ばれる大規模港湾が建設されましたが、数年後にこの地を襲った台風により、
    港湾施設が破壊され、その後、この地に港は戻らず、新たに横浜に港が開かれ
    ました。 この付近は、本州で最もアメリカ大陸に近い場所であり、港として最適で
    あったため、港が建設されたもの。

    その築港跡を世界遺産に推す動きもありましたが、その築港跡も津波で流出した
    ため、現在では、全て幻と化している。 野蒜海岸と宮戸島は『奥松島』とも呼ばれる
    風光明媚な観光地でしたが、今ではその面影すらない。 新旧防波堤の間を県道が
    走っているが、その周囲には一切何も残っていない。 もう一本内側の道路は、
    現在では工事車両のみで、一般車両の通行が出来なくなった。 海側にある防波堤は、
    25年ぐらい前に2メートル程嵩上げして5メートル程度まで高くしたものだったのだが、
    全く役には立たなかった。
     
    野蒜海岸をそのまま進むと日本三大渓谷のひとつ『嵯峨渓』があり、遊覧船に
    乗る事が出来る。 元々は別の場所に桟橋があり、津波災害後に宮戸島に
    移転したもの。 但し、嵯峨渓は、松島から遊覧船に乗った方が1,000円程度
    安くなるのと、松島の方が遥かに交通の便が良いため、そちらから乗船した方が楽。
    この付近は、地盤沈下により、3年以上にも渡って海に沈んでいたのだが、安倍首相は
    何度東松島に来ても、その場所を訪れる事はない。

    これまでに訪れた場所は、既に復興が完了した航空自衛隊と既に完成した災害復興
    住宅他。 東松島は、国道45号線や三陸自動車道も通っているものの、皆石巻へ
    行く際に素通りしてしまうため、殆どの人達が、その被災度合いに気付かない。
    東松島の被災地は、国道や高速道路からは見えない。 大高森にある展望台は、
    松島四大観のひとつ『壮観』。

    【大高森からの奥松島の景色】
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    遥か遠くに野蒜海岸付近が見えるが、津波で何もかもなくったのが、ここからは良く
    見える。 松島の島は、八〇八島とも言われているが、実際の島の数は、約260程度。
    この付近は、砂が白いため、海は松島よりも、奥松島の方が綺麗。
     
    IMG_2805

    お寺があった場所に新たに設置された地蔵。 後世に津波災害の恐ろしさを伝える
    ために設置されたもの。 ここにあったお寺は、境内ごと津波で流されて、直ぐ目の
    前の川に落ちていたのだが、現在では、その川も埋め立てられて、何もなくなった。
    元々観光桟橋であった場所は、1メートル近く嵩上げされて、何もなくなった。 現在
    沿岸部各地では、防波堤が建設されているため、景色が一変し、どこからも海は
    見えなくなった。

    仙石線が営業再開を果たしたので、是非被災地を訪れて直接自分の目で見て欲しい。

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    ある一人の少年の想いから発足した『青い鯉のぼりプロジェクト』は、東日本
    大震災で亡くなったこども達の為に、3月11日から5月5日のこどもの日まで、
    津波の心配のない青空に『青い鯉のぼり』を掲揚する鎮魂プロジェクト。
     
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    宮城県東松島市大曲浜で東日本大震災以降、毎年開催されており、初年度は、
    約200匹程度の青い鯉のぼりであったが、2015年度の今年は、約700匹まで
    増えた。 来年度からは、大曲地区でのかさ上げ工事が本格化するため、
    来年度からは、別の場所に移動しての開催が予定されている。



    東松島市内で震災により亡くなった人達の数は、約1,100人。 すぐ隣の石巻市と
    比較すると、街の規模が一回り小さいため、東松島の被災は見過されがちだが、
    市域の約6割以上が津波で浸水したため、その被災度合いは、かなり深刻と
    なっている。 自分の地元なので、被災前から大曲は時々通っていたものの、
    被災度合いが激し過ぎるため、昔の景色を全く思い出せない程。



    仙台方面から石巻へ向かう途中で、東松島市を通過するものの、三陸道や国道
    45号線からは、東松島市内の被災度合いが全く見えないため、そのまま通過
    されてしまいがちだが、このプロジェクトを見るためだけに東松島を訪れて
    見るのも被災地を考える切っ掛けとしては良いのかも知れない。

    大曲地区のすぐ隣には、航空自衛隊松島基地があり、週に3~4日程度、
    ブルーインパルスの展示飛行を無料で見る事が出来る。 また、1ヶ月前までに
    予約をすれば、直接松島基地内に入る事も出来る。



    東松島市観光PRソング


    青い鯉のぼりプロジェクト各種グッズ

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    宮城県東松島市にある東北最大の海水浴場、野蒜海岸。 目の前に見えて
    いるのは、石巻湾。 本州で最もアメリカ大陸に近い場所で、外洋に開けて
    いるため、明治時代には、「明治三大築港」として、野蒜港がこの地に建設
    されたが、その数年後に、大型の台風が発生し、港湾設備がことごとく破壊
    されてしまった。

    その後、関東にある横浜に新たに港が開かれたため、この地に港が戻る事は
    なかった。 よって、野蒜が消滅したのは、歴史上これで二回目。 開港前
    までの横浜は、単なるひなびた漁村に過ぎなかったが、その後大きく発展し、
    今では日本第二位の都市にまで成長しているが、何とも皮肉な話である。 

    尚、この場所は、3年4ヶ月もの間、地盤沈下により、海に沈んでいた場所で、
    被災直後、暫くは、山のような瓦礫置場となっていた。 2013年の夏に
    入ってから、かさ上げ工事が本格化したため、ようやく、この場所は、3年4ヶ月
    ぶりに陸地に戻った。

    被災直後の東松島市野蒜付近

    東松島市は、市全域の60%強が、津波被害を受け、内陸側7キロまで、津波が
    押し寄せた。 明治三大築港であった、野蒜築港跡を世界遺産にという話も
    あったのだが、津波により、それすら流された。 松島の海岸は、砂が黒く、
    海の色が、深緑色で、余り綺麗ではないのだが、野蒜の砂は、白いため、
    海の色は、青ではなく青緑色。 別名奥松島。 日本三大渓谷のひとつ、
    嵯峨渓があるのもこの場所。


    被災直後のJR仙石線野蒜駅前

    この海岸では、500名以上が津波により犠牲となった。 現在不通となっている
    仙石線の電車は、下り列車は、地元の乗客の判断により、丁度高台地点に
    停車したため、乗客は、一昼夜その場所に留まったのだが、翌日には、救助隊が
    助けに来たため、全員無事だった。

    一方、同時刻に野蒜駅を発車した上り列車は、被災当初、乗客全員が死亡したと
    報じられた。 実際は、直ぐ近所にある、野蒜小学校に全員が避難したのだが、
    そこの小学校の校長が、学校の校舎に鍵を掛けてしまったため、折角電車から
    降りてわざわざ小学校の体育館まで避難をしたものの、最後は、津波に飲み
    込まれて、数名が亡くなった。
     
    被災時の野蒜小学校

    被災後、宮城県内の海岸では、4年近くを経ても、4ヶ所しか海開きを行って
    いない。 この野蒜海岸も、この先、いつ海開きが出来るのかすら分からない
    状況となっている。 10年後、この海岸で泳げる日は来るのだろうか? 石巻の
    被災状況は、時々ニュースでも取り上げられるのだが、東松島は、殆ど報道
    される事はなかった。

    この場所には、ユースホステルがあり、かんぽの宿もあり、民宿も沢山あった場所。
    今は、何もかもなくなった。 野蒜には、建物は、一つたりとも残ってはおらず、
    元々、この場所は、うっそうとした松林だった。 その松林も95%以上が流出
    したため、今では何もなくなった。 防潮林だった筈の松林は、津波の激流に
    押し流れ、最後は、人や建物を襲うための凶器と化した。


    燃料が足りず、火葬が追いつかなかったため、遺体は一旦土葬にされました

    この海岸には、約5メートルほどの防波堤があったにも関わらず、津波の高さが
    余りにも高過ぎて、何の役にも立たなかった。 それでも、25年ぐらい前に、
    2メートルほどかさ上げ工事をして、高くした場所。 何もかもなくなって
    しまったため、もう昔の景色すら思い出せない。

    福島の人たちは、避難生活が長引いて、苦しんでいるとは言うものの、それは、
    宮城県でも同じこと。 福島の場合は、特に景色は変わってはいないが、宮城県の
    場合は、何も残ってはいないため、この地に何があったのかは、自分の記憶に
    頼るしかない。 まさか、何もかもなくなるとは思っていなかったため、写真の
    1枚すら手元には残ってはいない。

    復興が進んでいるとは、名ばかりで、一番復興が遅れているのは、野蒜なのでは
    ないだろうか? こんなに綺麗で穏やかな海なのに、どうして、この場所で500人
    以上も死ななければならなかったのか、かなり疑問だらけ。
     
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    2011年12月末に撤去された、仙石線の下り電車

    すぐそばにある、航空自衛隊松島基地は、津波で水没し、被災後の数日間は、
    全く機能しなかった。 よって、この地で真っ先に救助活動をしたのは、
    アメリカ軍。 被災後は、この付近の住民たちは、美里町と松島町に分かれて、
    半年から1年近くも寒い体育館での寝泊りを余儀なくされた。


    長渕剛 松島基地 自衛隊員激励ライブ

    【お勧めの一品】


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    宮城県美里町を中心に活動を行っている、M's Japan Orchestra。 先日、稲城市で開催
    されたライブに行って来た。 なかなかの美男美女揃いです (^0^)/ 自分の地元の町内の
    人たちの筈なのですが、自分の町の中心部の小牛田とは余り共通点がないため、私は
    100%仙台弁のみで喋ったのですが、全て標準語で返されましたw 最近の若い者は、
    方言を余り喋れませぬ。。 『あ、今度合併で一緒になった・・・』と言われたのですが、
    そんな程度の繋がりしかありませんので、市町村合併の弊害がここでも見られましたw
    私の実家は、小牛田よりも、東松島と石巻の方が近いのであった・・

    馴れ馴れしく、話しかけたところ(←仙台では、これが当たり前w)、メンバーは、小牛田、
    古川、仙台出身と言っておりました。 そのうちのお一人が、三味線の全国大会で、日本一
    になったとか☆ 別ユニットでも活動を行っており、その際の名前は、『族 -yakara-』と
    『閃雷(せんらい)』。



    美里町は、すぐお隣の東松島市の災害援助活動を行っているため、『青い鯉のぼりプロジェクト
    の手ぬぐいも会場で購入致しました。 1枚1,000円の売り上げがそのまま寄付となり、
    東松島市の子供たちに夢と希望を与えるプロジェクトの活動資金となります。 実は、
    この東松島市を助けているのは、同じ被災地の美里町と松島町だけで、東松島市の
    避難所は、美里町内に今でも2ヶ所あります。 東松島、松島共に大量に瓦礫が発生した
    ため、一番助けに行ったのは、実は美里町。 松島町は、被災地の中では、一番まし
    レベルの被災度合いですが、それでも、本調子ではないため、やはり、美里町が全面的に
    東松島を援助するしかありません。

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