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    タグ:東日本大震災

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    日本の政治 に参加中!

    常に黒い噂が絶えない政治家と言えば、民主党議員の辻元清美。 元ピースボート
    主催者で、在学中にこのピースボートを立ち上げたが、その後、社民党の土井たか子に
    請われて、政界入りを果たした筈が、その社民党をもいとも簡単に簡単に見限った。

    東日本大震災が起きた際に、宮城県には、重機がなかなか入って来なかったため、
    家屋に押し潰された遺体は、そのまま約4ヶ月もの間、放置された。 その重機を
    被災地に入れるのを阻止していた政治家と言われているのが、この辻本清美。

    139988185

    辻本清美が創設したピースボートは、東日本大震災の最大の被災地である
    石巻にやって来て、ボランティアから、宿泊費込とは言え、6,000円前後の金額を
    善意で訪れたボランティアから参加費用としてふんだくっており、今でも石巻に
    平然と居座っている。



    辻本清美は、人の顔を被ったエテ公ならぬ、人間にすらなれなかった猿そのもの
    なので、まともな生き物とは言えない。 公式サイトは、色々なデマに対する
    言い訳が述べられているが、被災地で大金を稼いだ事実は消えない。

    東日本大震災でやらかした人まとめWiki

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    3.11東日本大震災 に参加中!

    宮城県では、6月12日が防災の日とされており、毎年大規模な避難訓練を行っているため、
    震度6強程度の地震が起きたとしても、死者はほぼゼロに近い。 地震で死亡する人自体、
    かなり稀であるが、他県の感覚からすると、震度5程度でもかなり怖いらしい。

    tssop

    尚、宮城県は、過去に震度6強に6回も見舞われておりますが、死者は過去においても、
    かなり少ない。 他県でも大規模な避難訓練をしているのかと思いきや、そうでもないと、
    つい最近になって知った。 最近では、首都圏でも避難訓練が義務付けられているが、
    私の目から見た首都圏の避難訓練は、参加するだけバカバカしいと感じる単なるお遊び
    レベルであるため、実際に災害が起きた場合は、かなりの人数が死亡すると思う。

    earthquake1

    福島、山形、岩手の各県は、宮城県から送電を行っているため、宮城県が大規模災害に
    遭遇すると、全ての県で電気が止まるという弱点があったが、被災後に若干改善された
    ため、少しはましになった筈。

    11914

    首都圏直下型地震も、前々から起きると言われつつ、なかなk起こらないが、災害は
    忘れた頃にやって来るので、非常用持ち出しリュック程度は用意しておいた方が無難。

    小笠原沖の深発地震がきっかけで起こる巨大地震はココ

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    3.11東日本大震災 に参加中!

    東日本大震災における犠牲者は、死者・行方不明者合わせて約2万人の人々が
    犠牲になった。 だが、そのうち未だに身元が分からない人の数は、2,500人
    以上にものぼる。 つまり、津波災害での犠牲者のうち、8人に1人は未だに
    見つかってはいない。

    東日本大震災発生から、4年以上が経過し、メディアやマスコミも一時期ほど
    震災について語らなくなっており、一部では、完全に風化している。 但し、
    このような状況とは裏腹に、数千体にも及ぶ身元不明者や、発見されても身元が
    分かっていない遺体は、今はどうなっているのだろうか。

    tsunamia

    遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)。 この本は、岩手県
    釜石市における震災直後の遺体安置所や遺体捜索の状況を克明に記録した
    ノンフィクションであり、『遺体 ~明日への十日間~』として映画化された。
    この映画は、300円の有料ではあるが、youtubeでも見る事が出来る。 

    岩手県釜石市では、震災の翌朝から廃校になった中学校が遺体安置所となり、
    毎日何十体もの遺体が運び込まれていた。 市の職員による遺体搬送、地元の
    医師による死体検案、歯科医による歯型確認などが行われ、身元が分かった
    順番に遺族に遺体が引き渡された。



    市内中心部にあった遺体安置所は、約2カ月で閉鎖される事となった。 遺体の
    発見数が減った事で、後の作業は警察に任されることになったのである。
    津波による遺体は、医師免許を持った者が死体検案を行って死因を解明した後で
    なければ火葬を行う事が出来ない。

    震災の直後に、遺体安置所には、多くの遺体が運ばれて来たが、その大半は、
    窒息で亡くなっていたため、体に傷が余りなかった。 しかし、夏以降に
    見つかった遺体は、瓦礫や海の底から発見されてくるため、かなり傷んでおり、
    腐敗が相当進んでいる事もあった。 海に流された遺体は、魚に食われたり、
    ガスがたまったりして傷みが激しい。 また、津波と共に流れて来る瓦礫に
    巻き込まれているうちに、バラバラになってしまう事もある。

    しかし、年末から年始に掛けて見つかった遺体は、遺体全部が残っている事が
    少なく、特に海底から発見されたものは、手だけとか足だけ、あるいは頭だけという
    部分遺体が大半となった。 部分遺体の身元が明らかになる事は多くはないため、
    「身元不明遺体」となって、お寺など、一カ所に預けられる事になる。
     
    遺体の損傷が激しくなると、DNA鑑定が有効ではなくなる。 鑑定結果の数値が
    80%を超えると身元が確実になるが、最近見つかる部分遺体は、60%前後が
    多い。 こうした遺体は、部分遺体のまま火葬され、部分遺骨となって、番号を
    ふって安置する。 しかし、部分遺体でも、稀に後で身元が分かる事があるという。

    マスコミは部分遺体については、ほとんど報じないが、こうした悲しい出来事は
    今でも続いている。 そして、部分遺体は、少しずつ増えている。

    東日本大震災最大の被災地である石巻市門脇地区では、2015年5月31日に、
    被災直後以来、4年3ヶ月もの年月が経過して、初めての遺体捜索がようやく
    行われた。 門脇地区では、今でも147名が行方不明のままとなっている。


    【2015年6月10日、警察庁発表】
      死者 行方不明者
    宮城県 9,540人 1,242人
    岩手県 4,673人 1,129人
    福島県 1,612人 201人
    全国 15,892人 2,576人

    震災関連死者数 3,194人
    全国避難者数 21万2千人

    東北を忘れない・・・

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    3.11東日本大震災 に参加中!

    JR仙石線の線路移設区間と高台への集団移転問題。 現状、野蒜、東名、両駅の
    駅前は、街開きを行ったばかりであるため、人家が1軒もない。 これは、JR石巻線の
    女川駅も同じ。 よって、現状、夜間の警備が問題となっている。 野蒜地区の災害
    復興住宅の完成予定は、2年後の2017年。 駅だけ先に開業しても、誰も住んで
    いないため、この先の利用客も全く不透明な状況。 但し、仙石線の場合は、仙台⇔
    石巻の2大都市を結ぶ幹線であるため、ここを通過する乗客は幾らでも居る。

    この区間は、前財務大臣であった安住氏が、是が非でも複線で再開しなければなら
    ないと陳情したものの、無視された。

    img_3

    仙石線の運行が遅いのは、直流電化区間であるのと、約半分が単線区間であるため、
    列車のすれ違いが多く、その度に5分程度列車交換時間が発生するため。 仙石線と
    並走している三陸自動車道は、現在全区間で4車線化を進めているため、仙石線も
    せめて野蒜⇔陸前小野間は複線にすべき。

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    仙石線は、内陸側に線路を移設したため、運転距離が数百メートル短くなり、仙台⇔
    矢本駅間であれば、運賃が数十円程度安くなった。 被災地で工事を請け負ったのは、
    どこもマンモスゼネコンの『鹿島』ばかりで、地元の建設会社は殆どが無視された。

    資本がある企業ばかりが儲けを出すのは、資本主義の定めとは言え、ここまで鹿島
    ばかりだと、賄賂絡みなのかと疑りたくなるぐらい。

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    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災で569名(2014年1月31日現在)が死亡した宮城県牡鹿郡女川町。
    被災時に、町内にあった七十七銀行女川支店の行員は支店の屋上に避難したものの、
    屋上を超える20メートルの津波に対して、銀行側が安全配慮義務を怠ったとして、
    遺族は損害賠償請求の訴訟を起こしたが、2014年2月25日の一審判決、並びに、
    2015年4月22日の二審判決でも原告である遺族側の請求が退けられた。



    原告側の訴状によると、地震発生後、職員は支店長の指示で高さ約10メートルの
    屋上に避難したが、津波に流された。 近くに銀行が避難場所と決めていた高台が
    あり、遺族側は『津波が予想出来たのに、安全な所に避難させる義務を怠った』と
    主張した。

    震災当日、女川支店には、14人の行員らが出勤。地震の約10分後の14時55分頃、
    支店長が外出先から戻った。 既に6メートルの大津波警報が出ていた事から、
    支店長は15時前、高さ約10メートルの2階屋上への避難を指示した。

    その後、子供を心配した派遣スタッフの1人は帰宅。 残りの行員ら13人が屋上へ
    避難していたが、約30分後の15時25分頃、行員らのいた屋上は津波にの飲み
    込まれて、全員が流された。 結局、津波に飲まれて生還出来たのは、行員
    1人のみ。 4人が死亡し、8人が行方不明のままになっている。
     
    IMG_2438

    銀行側は『震災前も発生当時も、支店屋上を超える津波は予想できなかった』と反論
    していた。 一審・仙台地裁は、支店長が屋上を超す高さの津波の予想は困難だった
    として、銀行の安全配慮義務違反を否定した。 遺族は控訴したが、被告側にあたる
    銀行側の主張との溝は埋まらない。
     
    IMG_2442

    職場で働いている間に、万が一の事が起きた場合、従業員の命よりも、経済合理性の
    方が優先されるのか?  銀行管理下に置かれている銀行員が、支店長の指示を
    無視してまで、ひとりだけで高台に逃げる事は可能なのか? 1000年に1度の大震災
    とは、体のいい言い訳であり、この地は、大昔からの津波襲来地であるため、神社や
    石碑が過去の教訓として残されている。
     
    IMG_2444

    天災と人災は、明らかに違う。 この付近には、七十七銀行以外にも、
    石巻信用金庫、並びに、仙台銀行があったが、両行の行員たちは、すぐ
    目の前にある高台に逃れて全員が無事だった。 それぞれの支店長の判断が
    異なっただけで、生死が分かれたのである。

    1000年に1度の大災害は、誰にも予想出来なかったとされているが、宮城県では、
    30年以内に99%の確立で、大地震が起こると再三言われていたにも関わらず、
    七十七銀行では、まともな防災対策を取らなかった。 被災時、支店長の指示
    により、屋上では、行員数名による津波の監視が行われたが、すぐ隣にあった
    4階建ての『マリンパル女川』の影に隠れて、前方の視界が遮られ、外洋から
    押し寄せる津波が全く見えなかったのである。
     
    IMG_2488

    すぐ目の前にある高台までは、ゆっくり歩いても3分程度。 その高台には、
    付近の住民たちが、皆既に避難をしていたが、七十七銀行の行員達が急に
    ひょっこり屋上に現れたため、皆ビックリしたそうであるが、時既に遅しで、
    流されまいと必死に円陣を組んでいた行員達が、屋上から流されていくのをなす
    すべもなく見守るしかなかった。 七十七銀行の建物が取り壊されたのは、
    被災1年が経過した頃であるが、裁判所がこの地を実際に見に来たのは、被災から
    1年半後であり、建物が既に取り壊された後であるため、実際の様子は、見る事が
    出来なかった。

    IMG_2440

    女川支店は、1973年に建築された2階建て鉄筋コンクリート造りで、2階屋上の
    一部にある3階電気室屋上までの高さが13・35メートルあった。 2009年には、
    災害対応プランを改正。 『屋上等の安全な場所」も追加して、避難場所の
    選択肢を増やしたとされる。 被告は『宮城県地震被害想定調査で予想された
    女川町の津波の最大高さが5.3~5.9メートルだったことなどから、女川支店が
    津波避難ビルとしての適格性を有するもの』と判断したという。

    但し、内閣府の津波避難ビルガイドラインでは、『津波避難ビル等の選定に
    あたっては、想定される浸水深が2mの場合は、3階建て以上(想定される
    浸水深が1m以下であれば2階建てでも可)、3mの場合は4階建て以上のRC
    またはSRC構造の施設を候補とするが、津波の進行方向の奥行きも十分に
    考慮しておく』と記されている。

    IMG_2437

    災害対応プラン策定時に、『女川町の津波の最大高さが5.3~5.9メートルで
    あったこと』などを挙げていながら、『支店付近の浸水度は1~2メートルと
    予測されていた事が判明した』という被告の主張を引用するなど、裁判長は
    ガイドラインに合わせるかのように、女川支店を『津波避難ビルであった』と
    推認している事が分かる。

    『各支店の立地状況や、津波到達予想時刻までの時間的余裕の有無等の具体的
    状況に応じて、人命最優先の観点から、一時的・臨時的な避難場所として迅速に
    避難し得る支店屋上をも避難場所として追加したというのは、合理性を有する
    ものであったと言えるから、災害対応プランにおいて、屋上を避難場所の1つ
    として追加したこと自体が安全配慮義務違反に当たるとはいえない』として、
    支店屋上を避難場所に追加した事も“肯定”している。



    未曾有の大震災に見舞われ、家族を失った家族の気持ちは如何ばかりのものなのか
    察するに余り有る。 企業側の責任すら問えない「臭いものにフタ」をする社会は、
    そろそろ終わりにした方が良いのではないだろうか。

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    ある一人の少年の想いから発足した『青い鯉のぼりプロジェクト』は、東日本
    大震災で亡くなったこども達の為に、3月11日から5月5日のこどもの日まで、
    津波の心配のない青空に『青い鯉のぼり』を掲揚する鎮魂プロジェクト。
     
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    宮城県東松島市大曲浜で東日本大震災以降、毎年開催されており、初年度は、
    約200匹程度の青い鯉のぼりであったが、2015年度の今年は、約700匹まで
    増えた。 来年度からは、大曲地区でのかさ上げ工事が本格化するため、
    来年度からは、別の場所に移動しての開催が予定されている。



    東松島市内で震災により亡くなった人達の数は、約1,100人。 すぐ隣の石巻市と
    比較すると、街の規模が一回り小さいため、東松島の被災は見過されがちだが、
    市域の約6割以上が津波で浸水したため、その被災度合いは、かなり深刻と
    なっている。 自分の地元なので、被災前から大曲は時々通っていたものの、
    被災度合いが激し過ぎるため、昔の景色を全く思い出せない程。



    仙台方面から石巻へ向かう途中で、東松島市を通過するものの、三陸道や国道
    45号線からは、東松島市内の被災度合いが全く見えないため、そのまま通過
    されてしまいがちだが、このプロジェクトを見るためだけに東松島を訪れて
    見るのも被災地を考える切っ掛けとしては良いのかも知れない。

    大曲地区のすぐ隣には、航空自衛隊松島基地があり、週に3~4日程度、
    ブルーインパルスの展示飛行を無料で見る事が出来る。 また、1ヶ月前までに
    予約をすれば、直接松島基地内に入る事も出来る。



    東松島市観光PRソング


    青い鯉のぼりプロジェクト各種グッズ

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    国連防災世界会議は、10年に1度開催される国際的な防災戦略を策定する国連主催の
    国際会議。 第1回世界会議は1994年に横浜市で、第2回世界会議は2005年に兵庫県
    神戸市で開催され、国際的な防災の取組指針である『兵庫行動枠組(HFA)』が策定
    された。

    第3回世界会議は2015年以降の新たな国際防災の枠組を策定するため、東日本大震災
    の被災地である仙台で2015年3月14日~18日まで開催されている。 今回の参加国は、
    186ヶ国で、それぞれの国の代表が出席して、今後、各国が取り組むべき防災や減災
    対策の指針について話し合った。
     
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    開会式には、天皇皇后両陛下をはじめ、各国の首脳級や閣僚級など1,000人余りが
    出席し、この中で国連のパン・ギムン(潘基文)事務総長は『私たちは東日本大震災
    から4年がたった被災地に集った。 ここで扱うのは、世界の人々が現実に直面して
    いる問題で、交渉を通じて、人々の要望に応えなければならない』と述べ、会議への
    強い期待を示した。

    また、安倍総理大臣は東日本大震災への各国からの支援に感謝の意を述べた上で、
    発展途上国などの防災・減災対策の充実に向けて、今後4年間で、総額40億ドルの
    協力を実施する他、各国の防災や災害後の復興を担う人材を合わせて4万人育成する
    などとした行動計画を発表した。
     
    会議では、各国の代表らによる意見の表明が行われ、発展途上国からは、防災対策への
    継続的な支援を求める意見が相次いだ。 このうち、13日夜、大型のサイクロンが
    直撃した南太平洋の島国、バヌアツのロンズデール大統領は、『サイクロンが、一夜に
    して何年にも渡る開発の成果を消し去り、人々を貧困におとしめた。 災害の被害を
    軽減する方法を見つけて欲しい』と述べ、各国に継続的な支援を訴えた。

    また、午後からは政府関係者や専門家、それにNGOなども参加して、テーマごとの
    議論が始まった。 このうち、災害の産業施設への影響について話し合う会合では、
    内閣府の防災担当者が、東京電力・福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、事故が
    起きないという安全神話から決別して事故を想定した対策を進めることが重要だと述べた。

    国連防災会議は、最終日に各国が連携して取り組むべき具体的な対策を盛り込んだ
    指針を採択し、終了する予定。

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    本日3月11日で、東日本大震災発生から丸4年が経過した。 被災した沿岸部では、深刻な
    人口流出が続いており、この4年間だけで、被災前と比較して、人口が約30%程度減少し、
    20~30年分の過疎化が一気に進んだ。 その数は合計13万6490人。 但し、この数は、
    住民票を移した人達の数であるため、実際は、住民票を移さずに、他の自治体へと転居を
    余儀なくされている人たちが多いため、正確な数字は未だ把握されてはいない。

    2015年度までの復興予算は26兆円を超えたが、その大半は、先日全線開通した常磐
    自動車道や、防潮堤整備に象徴される社会基盤の復旧、整備に注がれた。 復興需要は、
    このような公共事業を中心として動いているが、その一方で、被災者からは暮らしが
    上向いたという声は聞こえて来ない。 むしろ、時が経つにつれて、右肩上がりの復興
    計画の進行状況と住民の復興感の落差は広がるばかり。

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    被災地の主力産業である、農業と水産業は、人手不足と高齢化により、将来の展望すら
    描けない。 より賃金の高い公共土木事業へと求職者が流れ、地元の基幹産業には
    人材がなかなか集まらない。 災害公営住宅の整備が徐々に進む半面、応急仮設住宅
    団地で築いたコミュニティーは崩壊が進む。 仮設住宅に住み続ける人は、集約に伴う
    転居の不安が常に付きまとう。 個々の被災者が復興を実感できず、若い世代ほど
    住まいと仕事を求めて都市部へと移る。 残されるのは、経済的な理由により、仮設住宅
    からなかなか出る事が出来ない高齢者ばかり。 その仮設住宅は、公共交通機関等全く
    整備されていない場所に立地しているため、高齢者の足の確保もままならない。

    竹下亘復興相は、集中復興期間を2015年度で終わらせる方針を示したが、実際に
    被災者のために役立つのかすら疑わしいインフラ整備ばかりを優先し、中身を伴って
    来なかった。 阪神淡路大震災の被災地である、神戸市長田区では、同様の集中的な
    復興が行われたが、今ではその場所は、一部ゴーストタウンと化しているため、住民の
    意思を無視した行政主導の復興には、疑問しか残らない。 何でもやれば良いのではなく、
    10年後、20年後の将来への計画性を持って復興を進めて貰いたい。

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    シンディ・ローパーが2012年3月5日(月)、東日本大震災で津波の被害を受けた
    宮城県石巻市立大街道小学校を訪れ、子どもたちに桜の苗木10本と元気を贈った。
    震災が発生した2011年3月11日に、日本公演のために日本へ向けて飛行中だった
    シンディは、我々日本人と一緒に震災を目の当たりにした。 災害発生により、
    7時間も遅れて、横田基地へと着陸したものの、多くの外国人が日本を離れる
    中にあって、彼女は『こういう時こそ音楽で力を与えたい』と帰国せずに、
    公演と募金活動を行ってくれた。



    震災から1年が経過し、シンディは再びツアーのために日本を訪れ、過密な
    スケジュールの中の唯一のオフを返上し、作詞家の湯川れい子と共に石巻市へと
    向かった。 今回訪れた石巻市立大街道小学校は、震災時に津波で校舎の1階が
    水没し、児童や近隣からの避難民500人が屋上に孤立してSOSの文字を掲げて
    救出を待った場所である。

    シンディは151人の児童が待つ体育館に両手を振りながら現れ、大きな手拍子に
    合わせて『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』の生歌を披露した。
    シンディは、生徒一人一人とサインや握手を行い、温かい心のこもった交流を
    行った。 また、シンディは、子どもたちに『寄付金ではなく形に残るものを』と
    桜の苗木(1.5m)10本を手渡し、復興のシンボルとしての願いをこめた。



    子どもたちは『もとの石巻に戻って、桜をみんなで見られるように、育てて
    いきたいです』と話した。 また、同小学校の校長先生は『世界的スターである
    シンディ・ローパーが来校するというご提案を頂いて、大変驚きましたが、
    何よりも、直接子供たちに声を掛けて頂ける事が励みになります。 震災以来、
    世界中からメッセージは頂いたのですが、ご本人がいらっしゃるという事は
    ないので、日本に来てくれて言葉を掛けて頂ける事が本当にありがたいです』
    と語った。



    『今回、湯川れい子さんのサポート、コーディネートでこの訪問が実現した。
    木を植える、育てるという事は、復興、再生という意味があります。 瓦礫を
    集めて片付けて、そこに土を入れて木を植えて育て、そこに高い防波堤を
    作れば、再び災難が起こらないように次の予防にする。 災難に備える事にも
    繋がります。 私が有名であるという事を使って世界からこの地が注目され、
    忘れられないでさらに支援が集まれば、まさに私がここに来た意味があります。
    子供たちには、私たちが本当にみな子供たちの事を思っているという事を
    分かって欲しい』とシンディ・ローパーは語った。

    震災からちょうど1年となる2012年3月11日には、東京・Bunkamura
    オーチャードホールでコンサートを開催し、このコンサートの模様は全国
    14ヶ所の劇場で同時生中継された。 被災地の宮城・石巻市、名取市、岩手・
    北上市、福島・福島市の4館では、無料でのライブ中継も行われた。 被災県
    以外の会場での収益金は、日本赤十字社を通じて、被災地に全額寄付された。
    帰国後の 再来日を誓ったシンディの約束は果たされた。 シンディが日本の
    復興にかける想いは、今もなお変わらない。



    その後、シンディは、津波によって波を被ってしまった『被災ピアノ』を修理の後、
    3台を石巻市に寄贈した。 2台は市内の小学校に寄付されたが、残りの1台は、
    石巻駅前にある市立病院ロビーに展示してある。

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    今から30年以上も前から、99%の確立で起こるであろうと予想されていた
    東日本大震災。 その最大の被災地である宮城県石巻市で、唯一患者の最後の
    砦として機能し続けたのが、石巻赤十字病院。



    市内にある他の病院は、津波災害により、電源の確保出来ずに、ほぼ全ての
    機能が麻痺したが、石巻赤十字病院だけは、緊急時用の自家発電装置を備えて
    おり、かつ、独自の免震構造により、被害を最小限に抑える事に成功した。
    これだけの大災害であったにも関わらず、石巻地域では、唯一の救護施設
    となり続け、最大で約2万人の患者を受け入れた。 このような事例は、他の
    地域では前例がなく、震災の教訓として、被災後に石巻赤十字病院を訪れる
    医療機関は少なくない。



    常に大災害を想定して、避難訓練等を行っていたため、病院内が大きな混乱に
    巻き込まれる事もなかった。 但し、1日に数千名の患者を受け入れ続けたため、
    病室は全て埋まり、廊下やロビーにまで、患者の他にも、家を流された人々が
    溢れかえった。

    現在、被災地の沿岸部では、医師や医療機関が不足しており、医療空白地帯とも
    呼ばれている。 これからの高齢化を考えると、地方にこそ、充実した医療
    機関が必要だが、予算等に問題により、それもままならず、今後も起こるで
    あろう大規模災害に対しても大きな課題を残したままとなっている。

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    東日本大震災で、津波による甚大な被害を受けた航空自衛隊松島基地では、
    1ヶ月前までに申し込みを行えば、誰でも基地中に入る事が出来ます。 午前中の
    コースに申し込むと、11時ちょうどのブルーインパルスが飛び立つところから、
    アクロバット飛行、並びに、着陸するところまで、全て広報用の特等席で存分に
    楽しめるため、非常にお勧め♪ しかも、ブルーインパルスの広報用グッズまで
    お土産として貰えます。 松島基地内でしか取り扱っていないグッズも多数
    販売しているため、航空機好きには、たまらない場所のひとつ。

     

    ブルーインパルス専用格納庫は、長渕剛が被災直後に自衛隊員激励ライブを
    行った場所。 松島基地は、約1.7メートルほど津波の浸水被害を受けたため、
    被災後に、約3.5メートルのかさ上げ工事を行った
    。 基地内にあった、戦闘機や
    ヘリコプターは、ほぼ全て津波で流されてしまったものの、ブルーインパルス
    だけは、3月14日の九州新幹線開業イベントで、九州へと出張をしていたため、
    難を逃れた。 松島基地は、津波災害で完全に機能を停止したが、隊員らの
    活躍により、わずか4日で基地としての機能を取り戻した。

     

    被災後、本拠地を失ってしまったブルーインパルスは、暫く九州で訓練を行って
    いたが、被災から2年を経て、東松島の空へと再び帰って来た。 現在は、週に
    2~3回ほど、松島基地上空の石巻湾では、展示飛行の訓練が行われている。
    午前11時に松島基地を飛び立ち、11時半には着陸をするため、早めに松島基地に
    行けば、基地内に入らなくても、矢本の街から、普通にブルーインパルスを見る
    事が出来る。 JR仙石線の矢本駅からは車で5分程。

    尚、震災により、中止となっていた松島基地の航空際は、2016年8月28日に
    事前公募9,000名と特別招待1,000名の計1万名に限定した「復興感謝イベント」
    として、6年ぶりに復活し、翌年からは、通常の航空際に戻った。



    東日本大震災後、日本の中央メディアは、自衛隊員の活動を積極的には報道
    しなかった
    。 どのような意図があって報道をしなかったのかは分からないが、
    死に物狂いで瓦礫の処理や、遺体捜索の救援活動を行った自衛隊員に敬意を
    払わなかったのは、この国を守る使命を担っている隊員たちに対して、非常に
    失礼になるのでは?

    入間基地での展示飛行の様子





    航空自衛隊松島基地では、週に3回程度、ブルーインパルス展示飛行の訓練を
    行っているため、午前11時~11時半の間に矢本近辺へ行くと、ブルーインパルスの
    雄姿を見ることが出来ます。 詳しい日程は、航空自衛隊松島基地HPを参照の
    こと。

    2020年3月20日には、東京オリンピック2020のギリシャからのオリンピック聖火
    到着式が強風中で行われたが、新型コロナウイルスの影響により、地元市民や
    子供たちの招待は中止となった。



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    宮城県石巻市は、市中心部の高台を除く、ほぼ全域が津波に襲われた事で、
    このエリアだけで2,038人が死亡し、377人の行方不明者を出すという東日本
    大震災で最大の被害を受けた。 この動画に出て来る『捜索済み』とは、
    この瓦礫の下には、遺体はないという意味である。

     

    石巻市はこの地区の他にも、雄勝、牡鹿、河北、北上でも大きな被害を被り、
    全体(全人口約16万2千人)では、何と死者数3,282名、不明者699人という
    甚大な被害状況となっている。 これだけの人的被害を受けた各地域共に、
    建物の基礎だけが残る壊滅地帯が広がっている。

    被災直後、市内の体育館は、全て避難所、または、遺体安置所となった。
    市内の掲示板にあった『探しています』の張り紙は、全て『人』に関する
    ものばかりで、死者が余りにも多過ぎたため、火葬が間に合わず、土葬による
    仮埋葬を行ったのも、主に石巻地区である。



    被災後、石巻の人口は、約2~3万人程度減少したと言われているが、正確な
    数字は分かってはおらず、誰がどこに行ったのかすら分かっていないため、
    町内会での話し会ですらままならず、復興に関する話し合いが遅々として
    進まない。

    被災から10年が経過しようとしていますが、この状況は、あれから、さほど
    変わってはいない。

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