多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳 Samurai Global』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:東日本大震災

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    世間では、相変わらず、福島のことばかりが大袈裟に語られているが、大袈裟な報道
    ばかりを好む、いわゆる、『放射脳』の許せない点は、震災孤児や、被災地の事実を
    完全に無視して、自分に都合の良い事柄しか言わないところに尽きる。 特に、被災地
    から離れれば離れる程、その傾向が強くなるのは、助け合いの精神すら、この国には
    まともに根付いていない証拠とも言える。



    東日本大震災の後、特に、海外のメディアでは、実際の被災地を無視して、福島の事
    ばかりが大袈裟に語られたが、間違いやウソが多く、その情報が、そのまま現在まで
    残っている事が多々見受けられるため、事実とはかけ離れている事が多い。 このような
    際にも、必ず、自分達が住んでいる場所は、度外視して語られる事が多い点にも注目
    して頂きたい。

    >>放射脳によるフクシマの偏向報道

    そもそも、日本には、自分さえ良ければ、それで良しとする人間が非常に多いのと、事実
    無根の情報であったとしても、それを鵜呑みにして、右から左に流す際に、更に、尾ひれ
    足ひれが付いて、ウソと事実の見極めが非常に困難になっているため、常に事実と向き
    合って現実を知ろうとしない限り、騙されてしまう事が多くなっている。

    f6152b6f

    津波災害が本当に酷かった宮城県と岩手県には、両親や片親を失った子供も少なく
    ないが、そのような事実が公の場で語られる事は、これまで、殆どなかった。 
    被災から、既に4年半以上が経過したが、未だ、その心の傷は癒えてはいない。



    一方、福島では、2014年6月16日に中間貯蔵施設問題に関して、石原環境大臣が、
    『最後は金目でしょ?』との問題発言をしたが、この問題は、早急に解決をしなければ、
    除染した土を満載したフレコンバッグが野ざらしにされているため、 問題が多いのも
    事実。 よって、福島は、被災地の中でも、優先的に語られる事が多いのだが、ウソの
    情報が非常に多いため、それが問題を更に複雑にしており、宮城、岩手よりも、復興が
    遅れている原因となっている。 

    >>福島と鼻血 

    人間とは、非常時にこそ、その人間の人と成りが完全に出る事を理解しなければ
    ならないのと、常に、相手の話を聞く姿勢を大事にしなければ、何も知り得ないままで
    終わってしまう。

    被災地で起きた数々の出来事は、正しい情報を持った人間が、正しく後世に伝えて、
    この出来事を教訓としなければならない。

    >>東北の子どもたちのために今できること

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    建物がほぼ全てなくなった、南三陸町の中心地、志津川地区。 約10メートル強
    嵩上げ工事を行ったため、風景が一変し、更には、道路自体が大幅に変わって
    しまったため、昔の面影は、一切残らず。 唯一残った防災庁舎も、周囲の嵩上げ
    工事により、この建物だけが谷のように残ったため、不自然感が否めず。 海の
    すぐ目の前に20メートル程度の防波堤を建設したため、この周辺では、海が一切
    見えなくなった。

    【南三陸町中心部】
    IMG_6440
    IMG_6434
    IMG_6439
    IMG_6433
    IMG_6432
    IMG_6429

    震災遺構として、2031年まで宮城県が管理(保存)することとなった、南三陸町
    旧防災対策庁舎。 当初は、6mという津波予想であったため、庁舎に留まり避難
    しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となった。 2階に危機管理課があり、
    町災害対策本部が置かれた。 本庁舎では津波来襲の15時25分頃まで、防災無線
    放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。 本庁舎から発信された
    約30分間の防災無線の放送音声は全て録音されている。 危機管理課の女性職員は
    繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という
    放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。 音声は、放送を続け
    ようとする女性職員の声を遮るように「上へ上がって 未希ちゃん 上がって」
    という周囲の制止の声を最後に放送が途切れている。
     
    職員約30人は屋上に避難したが、屋上の床上約2メートルの高さまで津波が
    押し寄せ、度重なる津波によって庁舎は骨組みだけとなった。 アンテナに
    しがみつくなどして波に耐えた佐藤仁町長ら11名は生還したものの、庁舎に
    詰めていた他の職員や住民は津波で流され犠牲になった。 屋上で写真を撮影
    していた職員(この職員は津波に飲まれ気絶したが、副町長が腕を掴み続けて
    いたので、無事生還している)のデジタルカメラの本体は壊れてしまっていたが、
    データは無事で、津波が来る前の様子から、屋上が水没する瞬間までを捉えた
    様子が写っており、写真の一部は南三陸町のホームページに掲載された。

     

    最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の行動は、
    『多くの命を救った命懸けのアナウンス』と大きく評価され、埼玉県の公立学校で
    2012年の4月から使われる道徳の教材に掲載された。 また、堅牢な建物であり
    2階の電算室で各種行政システムを管理していたが、サーバ及びバックアップ
    テープも滅失した。

    2012年3月6日には、佐藤仁町長が高台へ避難させず、庁舎に留まらせたのが
    原因で町職員ら43人が犠牲になったとして、町職員の2遺族により業務上過失
    致死容疑にて宮城県警南三陸署に告訴状が提出された。 尚、この付近に
    押し寄せた津波の高さは、最終的には、約15.5mであった。

    >>町民を救った天使の声 

    【岩井崎】
    IMG_6404
    IMG_6408
    IMG_6411
    IMG_6406
    C01959
    IMG_6415


    津波による甚大な被害を受けた気仙沼市内にある風光明媚な岬で、岩の隙間から
    波が打ち寄せる潮吹岩が有名。 横綱秀ノ山雷五郎像は、津波に流されずに、
    そのまま残ったが、復興のシンボルと言われていた龍の形をした『龍の松』は、
    現在、保存に向けて、撤去されている。 三陸地域の津波被害が甚大だったのは、
    リアス式海岸の間を波が遡って来たためで、山の間を津波が遡上して来たため、
    その分、数倍に波がせり上がったためで、平野部での津波災害とは、被災状況も
    異なる。

    【歌津駅跡(上)と清水浜駅跡(下)】
    IMG_6417
    IMG_6420
    IMG_6421
    IMG_6422
    IMG_6423
    IMG_6424
     
    旧JR気仙沼線の歌津駅と清水浜駅付近。 歌津駅の下には、復興商店街があるが、
    付近に民家がないため、かなり閑散としている。 この付近は、鉄道が、残ったり
    撤去されたりしているため、かなり寂しい風景が広がっている。 嵩上げ工事が
    本格化したとは言え、被災から丸4年を経ても、周囲は、瓦礫がなくなっただけで、
    特に何も変わってはいない。

    【神割崎】
    IMG_6447
    IMG_6449
    IMG_6457
    IMG_6460
    IMG_6448
    IMG_6454

    石巻市と南三陸町の境界線上にある神割崎。 付近には、キャンピング場もあり、
    テントを持ち込めば、900円程度で宿泊可能。 ロッジでの宿泊は、一泊5,000円
    程度。 すぐ目の前には、仮設住宅が今でも残されている。

    【石巻市立大川小学校】
    IMG_6477
    IMG_6478
    IMG_6481
    IMG_6484
    IMG_6522
    IMG_6523
     
    宮城県石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロの川沿いに位置する大川小学校は、
    3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明と
    なった。 教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。 東日本
    大震災で起きた数々の悲劇の中でも、最も悲劇的な場所とされる所以である。

    地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。
    教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り、全員の安否を確認した後に、避難先に
    ついて議論を始めた。 学校南側の裏山は有力な避難先であったが、急斜面で
    足場が悪い事から、児童らが登って避難するには問題があるとされていた。
    約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋の三角地帯も
    避難先候補となり、裏山へ逃げるという意見と、老人も含まれている事を
    考慮して三角地帯にするべきという意見が教職員の間で対立し、最終的に
    三角地帯に避難する事になり、移動を開始した。

    その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方から飲み込んだ。
    列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて、裏山を駆け上がり、一部は
    助かったが、迫り来る津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難
    出来ない児童も居た。

    家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は助かった。 避難先として
    選定した三角地帯も標高不足で津波に呑み込まれており、避難が完了して
    いたとしても、被害は避けられなかった。 校庭には、スクールバスも停車
    していたが、その運転手も、津波に飲み込まれて、死亡した。

    >>悲劇の大川小学校

    >>【被災地巡り】気仙沼線編

    【お勧めの一品】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    3.11東日本大震災 に参加中!

    被災地巡りの気仙沼編です。 出発地点は、JR気仙沼線の分岐駅、石巻市にある
    前谷地駅から。 なるべく気仙沼線に沿って気仙沼まで行く小旅行です。 今年の
    6月から気仙沼線のBRTが、この前谷地駅まで乗り入れを開始したため、駅前に
    BRT専用のバス乗り場が出来ました。 この付近は、12年前の宮城県北部連続
    地震でかなり破壊されましたが、今では、概ね復興は終わっております。

    【前谷地駅前】
    IMG_6335
    IMG_6334
    IMG_6336
    IMG_6337
    IMG_6332
    IMG_6333

    気仙沼線に沿って進む筈が、途中の県道に道路標識が全くないため、気仙沼線
    からは、若干外れますが、登米に来てみました。 登米市登米と書いて
    『とめし とよま』と読むという、嫌がらせのような地名です。 登米は、
    『宮城の明治村』とも呼ばれており、旧水沢県の県庁所在地だった街。 その後、
    水沢県は、明治政府により、南北に2等分され、北は、現在の岩手県へと割譲、
    南半分だけ宮城県に留まりました。 その宮城県という名前も、明治政府に
    よって無理やり変えさせられた名前であるため、ハッキリ言って、この県名が
    嫌いな人が多い。 よって、宮城県出身者は、その殆どが『仙台出身です』と
    言う事になっております。

    【宮城の明治村 登米】
    IMG_6338
    IMG_6339
    IMG_6340
    IMG_6343
    IMG_6344
    img_000

    登米は、これまた、明治政府によって、鉄路を大きく外されてしまったため、
    その後一切発展する事すらなく、現在に至っております。 昔の県庁所在地で、
    最終的に単独で市に昇格出来なかったのは、この登米ぐらいだと思います。
    現在の登米市が、「とめし」と読むのは、『とよま』ではないためで、登米市の
    中心部は、登米ではなく、佐沼となっております。

    北上川の開運によって隆盛を極めた登米の面影は、現在では、一切残ってはおらず、
    今では、鉄道すら通ってはおりません。 よって、明治政府の残忍非道な愚行が
    そこかしこに見え隠れしているのが登米となっております。 しかも、こちらは、
    県の名前を仙台から宮城に無理やり変えられても、領土を割譲させられても、
    150年間謝罪の言葉すらなく、そのまま放置。

    【本吉駅跡】
    IMG_6345
    IMG_6346
    IMG_6347
    IMG_6348
    IMG_6352
    IMG_6355

    今月正式に廃止、並びに、BRTへの転換が決定されたJR気仙沼線の本吉駅跡。
    気仙沼線は、津波で破壊された区間が長過ぎるため、薄々復旧は不可能である事は
    前々から分かっていましたが、実際に廃止が決定されると、やはり寂しいものが
    あります。 運行本数的には、バスの方が鉄道よりも圧倒的に多いのですが、
    地方路線であるがゆえに、国からの補助により、復旧を果たした三陸鉄道とは、
    好対照となっています。

    JR東日本は、発足当初、仙台と東京で本社を巡る熱い戦いを繰り広げた結果、
    仙台と東京に2つの本社を置く事でその問題を解決しましたが、その後、JR
    東日本東北は、単なる『仙台支社』に格下げとなったため、JR東日本の路線は、
    田舎の路線でも地方鉄道程の予算が下りずに、結局は、大船渡線共々廃止に
    なりました。 元々は鉄路であった専用路線を走行するため、通常のバスよりも
    遅れが少ないものの、やはり、バスなので、正確な時間が読めません。

    【小金沢駅跡】

    IMG_6356
    IMG_6357
    IMG_6358
    IMG_6360
    IMG_6364
    IMG_6362

    JR気仙沼線、小金沢駅跡。 気仙沼線は、その殆どを津波によって流されて
    しまったため、このような残骸が各地に残っています。 海のすぐ隣に駅が
    あるため、土台が流されて、このような状態が残されています。 専用BRTも、
    この駅の付近は、国道45号線を走行するため、駅舎自体ももうありません。
    ホームも半分近くが流されてしまったため、見る陰もありません。

    【大谷海岸駅跡】
    IMG_6365
    IMG_6366
    IMG_6367
    IMG_6369
    IMG_6370
    IMG_6365

    JR気仙沼線、大谷海岸駅跡。 道の駅も併設されていたため、被災前までは、
    マンボウの展示も行っていましたが、今では駅舎自体が無くなったため、
    マンボウもいなくなりました。 日本で最も海水浴場に近い駅というキャッチ
    フレーズを使っていましたが、今では、その海水浴場では、ひとりも泳いでは
    おりません。 土嚢で波よけをしているものの、再度津波が襲った場合は、何の
    役にも立たないでしょう。BRTは、斜め向かいの国道に到着します。

    気仙沼に行く度に、必ず寄るのは、イオン気仙沼。 街の入口にあるため、
    何かと便利。 こちらのお店に到達した津波の高さは、2.8mとなっており、
    1階部分がほぼ全て浸水。 被災当初は、瓦礫に埋もれて、グチャグチャに
    なっていましたが、今では、その瓦礫もなくなり、この付近は、かなり殺風景に
    なりました。

    【イオン気仙沼】

    IMG_6375
    IMG_6374
    IMG_6373
    IMG_6372
    IMG_6376
    IMG_6377

    東日本大震災で被災した気仙沼市の観光施設。 震災から3年4ヶ月ぶりに全面
    復旧を終え、昨年7月19日に本格的な営業を再開しました。 「海の市」は、
    震災前、年間100万人の来場者で賑わった観光施設。 2014年4月に施設2階と
    3階の復旧を終え、『シャークミュージアム』と『気仙沼市観光サービスセンター』
    が運営を開始、その後、1階で飲食店1店舗が営業を再開していました。

    昨年の7月に、グランドオープンを果たしたものの、被災前と比較すると、
    おみやげ屋の数も減り、2階にある世界で唯一のサメの博物館、
    『シャークミュージアム』は復活したものの、1階にあった『氷の水族館』は、
    未だ閉鎖されたまま。 現在復旧に向けて、全力で取り組んでいるそうですが、
    その復活時期は、全くもって未定。 施設としての『氷の水族館』は、気仙沼が
    全国でも唯一だったとか。 気仙沼のサメの水揚げ高は、世界一で、中国で食べ
    られているフカヒレのほとんどが、ここ気仙沼産。 この施設を真っ直ぐ南に
    向かった突き当りが、南気仙沼駅でしたが、今では、その残骸すら残ってはいない
    ため、そこに駅があったのかすらもう分かりません。

    【気仙沼市観光サービスセンター】
    IMG_6380
    IMG_6381
    IMG_6383
    IMG_6384
    IMG_6385
    IMG_6387

    気仙沼港から、大島行きのフェリーが出ています。 大島は、人が住んでいる
    有人の島ですが、被災時に、一時完全に孤立しました。 観光が盛んな島
    でしたが、今でも、観光客は、元のレベルには戻ってはいません。 この周辺の
    復興は、遅々として進まず、このような殺風景な風景ばかりが広がっています。
    このすぐ裏には、JR大船渡線が走っていましたが、気仙沼線共々、廃止とBRT
    への転換が正式に決定されたため、鉄路として戻る事はもうありません。
    内陸に大型の船が打ち寄せられていたのは、ここからもう少し先の場所です。

    【気仙沼港】
    IMG_6393
    IMG_6394
    IMG_6396
    IMG_6400
    IMG_6401
    IMG_6414

    気仙沼港のすぐ隣には、今でも仮設復興商店街があります。 JR気仙沼線は、
    一部では鉄路が残ってはいるものの、その殆どを津波で土台ごと流されて
    しまったのと、多くの場所で、バス専用路線として、道路に転換してしまった
    ため、今では、このような鉄路が残っている方が珍しくなっています。 よって、
    気仙沼に鉄道で行くためには、宮城県側からは行けず、岩手県の一関から
    大船渡線に乗るしかなくなりました。

    【お勧めの一品】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆ 
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災から、4年半以上が経過し、一部では、既に大災害の風化すら終わって
    いるが、3,500名以上の死者を出した、最大の被災地である、宮城県石巻市では、
    未だ、震災以降に関する意見がまとまってはいない。 子供を失った遺族の間でも、
    意見が分かれ、話がまとまらないためだ。

    石巻市は、今月の28日にも、市民に対して、門脇小学校と大川小学校の両校舎を震災
    遺構として、存続を問うためのアンケートを送付するが、未だ意見は容易にはまとまり
    そうにない。

    石巻市は、12年ほど前の宮城県連続地震でも被災したが、その時の震災遺構は、
    何一つとして残さなかったため、既に記憶の彼方に消え去っている。 同じような
    誤ちを繰り返さないためにも、震災遺構は、必要なものだが、市民の納得は、容易に
    得られそうもない。

    【石巻市立大川小学校付近】


    <震災遺構>亡きわが子と会うため通い続ける
    東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の
    児童遺族が、悲しみを抱きながら被災校舎に通い続けている。 震災から4年7カ月
    たった今も教室などで、わが子に思いをはせる。 大川小と門脇小を震災遺構候補に
    挙げる市は28日にも、両校舎の保存の賛否などを問う市民アンケートを送るが、
    遺族からは「遺構としての意義をじっくり考える過程が必要だ」と異論もある。

    「ここに来ると娘がいるなという気持ちになり、心が落ち着く」。 只野英昭さん
    (44)は20日、校舎を訪れ、3年生だった長女未捺さん=当時(9)=が学んだ
    教室を丹念に掃除した。 市の相談員や臨床心理士と合流し、校舎を歩きながら
    震災前の様子などを語る。 市震災心の支援室が2014年度から、市立小児童
    遺族ら約150世帯を対象にした支援の一環だ。 只野さんは相談員ら2人に
    現在の心境を打ち明けた。 「校舎を残したい遺族や壊したい遺族が本音を
    話し合い、理解を深めるプロセスが大事。アンケートの実施は尚早だ」

    大川小の児童遺族は54家族に上る。学校との関わり方は一様ではない。花壇の
    花植え、慰霊碑の清掃、行方不明者の捜索…。
    一方、「同じ悲劇を繰り返してほしくない」との思いは多くの遺族に通じる。
    6年生だった次女真衣さん=当時(12)=を失った鈴木典行さん(50)は9月、
    文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議ヒアリングに出席した後、記者会見で
    訴えた。 「遺族の気持ちに近づかなければ絶対に良い事故対応指針はできない。
    想像してください。 なぜ、亡くなったわが子を抱きしめなければいけないのか」
    鈴木さんは校舎の外にあるプールを修復し、17年夏に水を張る構想を描く。
    14年夏に校舎を訪れた際、土砂の積もったプールが目に留まった。 
    「子どもたちが楽しみ、笑顔があふれていた場所。きれいにしたい」。 1人で
    土砂を取り除く活動を始めた。 理解を示したボランティアや遺族ら十数人が
    加わり、約2カ月かけて除去した。
     
    亀山紘市長はアンケートなどを踏まえ、年度内に保存の是非を判断する方針。
    神奈川県の高校2年生50人が研修旅行で26日、大川小を訪れ、6年生だった
    次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(52)の話を聞く。
    佐藤さんは「悲しみは校舎がなくなっても消えるものではない。 悲しみを
    多くの方に伝えることで命の大切さを深く考えることにつながると思う」と
    訴える。 
    shibousyamap

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    1945年7月10日、米軍のB-29爆撃機が2時間に渡って約13,000発の焼夷弾を
    仙台市中心部に投下したため、仙台市中心部分は、ほぼ全て消失。 この時の
    死者数は1,000名を超え、東北地方で最大の被害をもたらした。 この時、惜しくも、
    国宝であった、瑞鳳殿と仙台城大手門は消失した。 その後、瑞鳳殿は市民らの
    手によって再建されたが、大手門は、その後も再建される事なく、現在に至っている。

    仙台市内の道路が、城下町にしては珍しく、片側5車線もあるのは、戦時に街の
    中心部を全て焼き払われたためで、将来を見越して、かなりゆとりのある街づくりを
    した結果。



    『杜の都』の呼び名は、藩政時代からあったものだが、この時の仙台大空襲によって、
    全ての杜が失われたため、現在のけやき並木は、戦後になってから全て新しく
    植えたもの。 戦時中は、学生も総動員されたが、教育は二の次で、竹槍での戦闘
    方法等、戦争の実践の方が重要視された時代であった。

    仙台七夕は、藩政時代から続くお祭りではあるものの、戦中は、数年間に渡って、
    開催が中止された。 現在の仙台七夕祭りが復活したのは、戦後間もなく。 よって、
    今年で第70回目の七夕祭り。 仙台は、別名『杜の都』として有名だが、戊辰戦争で
    敗れた仙台藩には、戦後、すぐに、仙台城二の丸に軍隊が置かれた。 これが
    『帝国陸軍第二師団』。 その後、歩兵第4連隊も置かれたため、戦前の仙台は、
    日本屈指の『軍都』として栄えた。

    IMG_5993
    IMG_5995
    IMG_5997
    IMG_6008
    IMG_5984
    IMG_5986
    IMG_5990
    IMG_5991
    IMG_5973

    戊辰戦争で町を焼き払われ、太平洋戦争で町を破壊され、東日本大震災でも沿岸部が
    消滅した仙台には、『仙台の町はフェニックス』という言葉がある通り、戦後70年を掛けて
    徐々に復興を果たしたものの、現在の仙台城三の丸には、戦後に50年間の約束で
    仙台市が市民に提供した土地があるが、現在でもその場所では、出て行け出て行かないの
    押し問答が繰り返されているため、沿岸部の津波被災地での集団移転には、この時の
    二の舞いにならないように、しっかりとした復興計画が必要。 仙台市戦災復興記念館
    では、戦争体験者等による語り部活動が続けられているが、既に80代後半以上とかなり
    高齢化しているため、正しい戦争の記憶を次の世代へと引き継ぐための資料作りが
    急がれている。



    宮城県は、戦前まで、帝国陸軍第二師団が置かれていたため、仙台市のみならず、
    全土で空爆された。 特に、航空自衛隊松島基地は、5回に渡って空爆をされており、
    山本太郎がキチガイのように騒いでいる、原発のすぐそばに自衛隊がある。

    仙台に帝国陸軍が置かれたのは、戊辰戦争で負けてしまった見せしめで、その後、
    宮城県は帝国陸軍の基地に、福島県は東電の原発の基地になった。 戊辰戦争は、
    会津ばかりが出て来るが、一番重罪を課せられたのは、仙台藩の方。

    動画の中で『戦争は、温かい心が無くなった時に起きる』と言っているが、全くもって、
    その通り。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    毎年7月31日と8月1日に開催されている『石巻川開き祭り』は、北上川の流れを変えて、
    石巻に港を開いた川村孫兵衛を称えるお祭り。 東日本大震災で、被災するまでは、
    川に灯籠を流す灯篭流しはなかった。

    宮城県内の河川は、沼地を開拓して、水田を開墾するために、江戸時代にその
    流れを変えたものばかりであるため、天然の河川は殆どない。 河川の流れを
    変える事によって、仙台藩は、その石高を元の約4倍まで引き上げたため、実際の
    仙台藩の石高は、約250万石とも言われており、伊達家は、最終的には、徳川宗家に
    次ぐ第二勢力にまでのし上がった。



    その中心地が、この石巻で、江戸時代までは、仙台藩唯一の港街として、体外的な貿易を
    一手に引き受けていたため、仙台よりも石巻の方が新しい物が入って来るスピードが早く、
    石巻の方が発展していると言われたほど。 その後、戊辰戦争に敗北し、明治政府の
    愚策により、幹線鉄道からは完全に外されてしまったため、現在に至るまで、石巻が
    発展する事はなかった。

     

    石巻川開きは、元々は、8月1日と2日に開催されていたが、恐らく、古川祭と1日被るため、
    日程が変更され、例年固定開催となっている。 被災直後は、東京ディズニーランドからも
    ミッキーとミニーマウスが来石して、話題になったが、最近は、被災の風化が進んだため、
    若干注目度が落ちている。



    マンガで街興しをしている町らしく、お祭りの期間中は、コスプレーヤーも登場するが、
    航空自衛隊アクロバット飛行隊の本拠地らしく、ブルーインパルスが展示飛行を行う
    という地方のお祭りとしては、かなり珍しい出し物もあるが、東北最大級とも言われて
    いた、花火大会が、予算不足のために、規模を縮小して開催しているため、真の意味
    での復興はまだまだ遠いと言えるのかも知れない。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    被災地で始まった、新しい試みのひとつとして、『語り部タクシー』なるものがあるが、個人的な
    意見を忌憚なく述べると、これは、かなり難しいと思う。 首都圏では、未だブラック企業が
    猛威を振るっているため、まともな給与はこの先も期待出来ず、自分が生きて行くだけで
    精一杯の状態であるため、正直、被災地に関心がある人は、極端に少ない。 そもそも、
    わざわざ被災地まで行く人間が、かなり少ないのと、例え、被災地まで足を運んだとしても、
    高額なタクシーに気軽に乗れるのは、バブル世代以上のプラチナ世代程度にほぼ限定される。
    kataribe_taxi_021
    もし、自分が、語り部タクシーに乗るか?と言われたなら、恐らく、乗らないだろうし、被災地に
    多少は興味はあるが、そこまでする気はない人たちのために、「語り部タクシー」に変わる、
    『語り部Skype』、あるいは、『語り部Youtube』を考えてみた。 この2つは、場所さえ
    あれば、どちらも無料で出来るし、これであれば、被災地の人たちとその他の地域の
    人たちをいつでもどこでも簡単に結ぶ事が出来る。 最近の会議では、Skypeを使った
    会議が通常化しているが、それを被災地に応用したもの。 首都圏では、既に、災害の
    風化すらも終わり、何も無かった事になっているが、それは、そもそも、中央メディアが、
    まともに被災地を報道していないため。

    一番良いのは、当然、被災地まで足を運んでもらって、お土産を買うなり、食事をするなりして、
    現地に多少なりもお金を落として貰うのが一番だが、首都圏にそんな余裕はない。 余裕は
    ないが、何もかも無かった事にされるのも、何の進歩もないのと、首都圏でも、多少なりとも、
    被災地に関心がある人は居るため、その中間を取ってみたが、如何なものであろうか?

    >>トップページに戻る


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    2015年5月末に約4年3ヶ月ぶりにJR仙石線が営業を再開し、それに合せて新たに
    街開きを行った野蒜駅前。 駅前には何もないという話は聞いてはいたものの、
    余りにも工事が進んでいなかったため、絶句。。 現状、野蒜駅前には、この駅舎
    以外、一切何もなく、建物がひとつもない。 線路を山側に移設した新野蒜駅の
    ホームからは、旧野蒜駅、現在のファミリーマートが見えているが、新駅舎に登る
    ための階段がないため、道路を使って旧野蒜駅まで行こうとすると、坂道を下って
    約1キロ程度の道のりとなる。

    野蒜地区は、約10mの高さの津波が襲い、何もかも流されてなくなったため、
    山側のこの場所への集団移転が決まっているものの、移転工事がかなり遅れている
    ため、災害復興住宅が完成するまでには、これから2年程度掛かる。 野蒜地区、
    宮戸地区の被災者の一部は、東松島市と災害協定を結んでいる美里町に建設された
    仮設住宅で丸4年間生活をしていたが、その仮設住宅も、今年の3月で全てなく
    なった。

    新たに建設された新野蒜駅付近
    IMG_9672
    野蒜駅
    IMG_9674
    野蒜駅
    IMG_9671
    野蒜地区入口
    IMG_9677
    野蒜駅ホーム
    IMG_9686
    野蒜駅前
    IMG_9687
    野蒜駅前
    IMG_9698
    野蒜海岸(石巻方向)
    IMG_9702
    野蒜海岸(松島方向)
    IMG_9712
    東名駅

    福島の自主避難者に関しては、メディアでも色々と伝えているものの、野蒜や
    石巻の被災者の事は何も伝わってはいない。 宮城県の被災状況は、関東を
    はじめとする、その他の地域には、情報が5%も伝わってはいない。 よって、
    関東方面からわざわざ被災地まで行っている人達は、全てネットから情報を得て
    いる。 写真だけだと余り伝わらないと思うが、360度何もないこのような景色
    ばかりが続く。

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、約500名が津波の犠牲となったため、
    震災から丸4年経過した今でも海開きをしていない。 これから先、10年後に
    海開きが出来るのかすらも分からない状況となっている。 現在、この海岸
    部分では、約15mほどの新たな防波堤の建設が行われており、3年程ほど前
    までは、それと同じ高さの瓦礫が同じ場所に積み上げられていた。

    この場所は、本州では、最もアメリカ大陸に近い場所であり、元々津波が到達
    しやすい場所であるため、25年ほど前にも、防波堤のかさ上げ工事を行ったが、
    そのかさ上げした5m程度の防波堤は、一切何の役にも立たなかった。
    被災後に宮城県内で海開きを行った海水浴場は、5ヶ所のみとなっている。

    旧野蒜駅付近
    IMG_2545
    陸前大塚駅
    IMG_2546
    陸前大塚駅
    IMG_2547
    陸前大塚駅
    IMG_2736
    廃止された仙石線跡
    IMG_2739
    廃止された野蒜駅跡
    IMG_2743
    廃止された野蒜駅跡
    IMG_2748
    津波災害後の野蒜駅前
    IMG_2772
    仮設住宅
    IMG_2805
    新たに新設された慰霊地蔵

    東松島市内の復興状況は、他の被災地を比べると、恐らく、一番遅れており、
    この場所は地盤沈下により、3年4ヶ月もの間、海水に沈んでいたため、
    陸地に戻って、まだ1年も経過してはいないが、それでも中央メディアでは、
    全く報道されないため、東松島に来る人は、かなり稀。

    元々、野蒜港は、「明治3大築港」と呼ばれ、明治初期に建設された、日本でも
    指折りの港だったが、開港から数年後に台風によって破壊されたため、その
    代わりに、横浜に港が開かれた。 よって、横浜開港◯◯周年は、野蒜港が
    消滅して◯◯周年と言っているのとほぼ同じ。

    東名駅前も、野蒜駅前同様、5月末に路線を山側へと移転し、新しい街を
    建設中だが、やはり周辺には、1軒たりとも建物がない。 旧東名駅からは、
    歩いて10分以上も掛かる坂道の上にあるため、ここに街を移転しても、それを
    嫌がる人が出るかも知れない。 わざわざ新しく建設した筈の道路も、かなり
    遠回りとなるため、高齢者には非常に住みづらい新しい街が建設されている。
    被災前の東名では、潮干狩りが非常に有名だったが、津波災害後は、いつ
    潮干狩りが再開するのかすら分からない。



    【野蒜小避難訴訟】 仙台地裁、現地調査へ 時期や範囲を協議 2015.07.17
    東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童
    計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5,300万円の
    国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年7月16日、仙台地裁であった。

    弁論では、遺族側が裁判所に現地調査を求めていることが分かった。 地裁は、
    現地調査を実施する意向で、実施時期や範囲について現在協議を進めている
    という。

    訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は野蒜小体育館に避難
    した後、津波で犠牲になった。 もう1人は同校児童で下校後にいったん
    体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で
    車を降りた後に津波で亡くなったとしている。

    【瑞巌寺の塩害】
    06971726125600_n

    国宝にも指定されている瑞巌寺は、伊達家の菩提寺であり、伊達政宗の正室、
    陽徳院愛姫が祀られているが、その瑞巌寺の景色が一変していて、絶句。。
    樹齢400年を超える杉の木林が、塩害により概ねなくなった。 松島は、津波
    被災地の中では、一番ましな被災度合いであったものの、この付近は、1メートル
    程度の津波を被ってしまったため、日本三景松島のお土産屋も長期に渡って
    休業を余儀なくされた。

    その後の復興は順調であったが、塩害の被害は、かなり深刻。 毎年夏の
    灯篭祭りの時期には、この杉林の下でろうそくを灯して、幻想的な景色を見る
    事が出来たが、今では、こんな寂しい景色になった。 瑞巌寺では、過去の
    観光客を呼び戻そうと、これまで非公開であった陽徳院愛姫の廟所を期間
    限定で公開している。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る

    クリックをお願いします☆

    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    心が求める音楽・曲等。 に参加中!

    2015年8月10日に活動開始から10周年を迎えた閃雷。 津軽三味線と和太鼓を
    現代風にアレンジし、バンドスタイルでみちのくの伝統民謡等を中心に、音楽活動を
    行っている。 新しいのに、何故か懐かしい感じがするそのメロディーは、どの世代が
    聞いても、新鮮な音として楽しめる。

    9314007

    メンバーは、和太鼓奏者の三浦公規、石田陽祐、千葉響の3名と津軽三味線の
    高橋勇弥で構成されており、東日本大震災以降は、東松島市や南三陸町を中心に、
    被災地他での活動も精力的に行っている。

    【閃雷 生誕10周年ツアー2015】

    8月10日(月)仙台darwin
    8月23日(日) 北海道北斗市総合文化センターかなで〜る
    9月17日(木)福井県あわら温泉みのや泰平閣
    9月18日(金)名古屋CLUB ZION
    9月19日(土)大阪LIVE HOUSE D'
    9月20日(日)三重県津市河芸公民館
    9月21日 (祝)静岡県 浜松市 浜松市福祉交流センター 
    10月14日(木)東京Shibuya WWW
    12月6日(日) 宮城県美里町文化会館

    氏名、連絡先、券種、枚数を記入して
    live@wadaiko.info
    にメールを送信!!





    IMG_6313
    IMG_5568
    IMG_6309
    IMG_6315
    IMG_6303
    IMG_5891
    IMG_5945
    IMG_6301
    IMG_6271

    東北以外での活動も行っており、今年度は、活動10周年を記念した全国ツアーの他にも、
    東日本大震災で故郷を失った子供たちとエイズで親を亡くした子供たちがひとつの舞台で
    家族になるという「At Home in the World 世界がわが家」のアメリカ公演にも出演した。



    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    東北電力女川原発の避難区域は、福島第一原発で事故が起きる前までは、
    5キロ圏内のみに限定されており、津波浸水高で25.8m、遡上高で43mを記録
    した女川では、住民の10人に1人以上が死亡しており、東日本大震災において、
    死亡率から見た最大の被災地であるにも関わらず、女川原発があるために、
    情報が完全に隠蔽されている。

    現状、首都圏で、女川の事を知っている人は、極々稀で、テレビでは一切報道
    しないため、その情報源は、インターネットのみに限定されている。

    6161716797

    女川原発は、名前が女川なだけであり、実際は、女川町と石巻市との境界
    線上にあり、大手メディアでは、石巻の事を東日本大震災最大の被災地とは
    言うものの、女川の被災状況は、完全に無視している。

    女川原発周辺は、周辺集落のみならず、町の中心部までもが全て津波で消滅
    したため、原発内にある体育館には、約350名が長期間に渡って避難をして
    いたが、その間、4月上旬に起きた余震により、非常用電源回線5回線のうち、
    4つまでもが消失するという事故が起きたにも関わらず、その事を中央メディア
    では、一切報道しなかった。 よって、この事実を知っているのは、地元の人間
    以外、殆どいない。

    女川駅前には、東北電力女川原発原子力保安委員会の鉄筋製の建物が
    あったが、津波で大破したため、真っ先に瓦礫として処理され、現在、この地では
    放射線量を計測する事が出来ず、約70キロ離れた仙台市内で放射線量を管理
    している。

    78999884815285087

    福島第一原発付近に押し寄せた津波の約5倍程度の高さの津波に襲われ
    ながら、女川原発で事故が起こらなかった理由は、30年も前から、大地震が
    来る事が予想されていたため。 元々、女川原発は、福島第一原発よりも、
    約15m程高い場所にある。

    福島第一原発も、元々は、山だった場所を、わざわざ切り崩して低い場所に
    原発を建設したのと、そもそも、津波対策を完全に怠っていたため、実際は、
    5mにも満たないような津波で原発事故を起こしてしまった訳だが、福島県と
    東電は、原発付近には、15mもの津波が押し寄せたため、事故は仕方が
    なかったと言い張っているが、女川付近を襲った津波の高さと比較すると、
    福島の津波は、全く話にならない。 両原発付近の町の破壊度合いを実際に
    比較すると、一発で福島に押し寄せた津波の低さが分かる。

    920957038078

    実際に事故を起こした福島第一原発への送電を最後まで続けたのは、東電
    とは全く関係がない東北電力だが、その事実も関東ではまともに報じていない。

    その理由は、福島第一原発が、100%東北電力管内にあるためで、福島の
    人達は、この原発の電力を一切使用していない。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ

    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    日本の政治 に参加中!

    常に黒い噂が絶えない政治家と言えば、民主党議員の辻元清美。 元ピースボート
    主催者で、在学中にこのピースボートを立ち上げたが、その後、社民党の土井たか子に
    請われて、政界入りを果たした筈が、その社民党をもいとも簡単に簡単に見限った。

    東日本大震災が起きた際に、宮城県には、重機がなかなか入って来なかったため、
    家屋に押し潰された遺体は、そのまま約4ヶ月もの間、放置された。 その重機を
    被災地に入れるのを阻止していた政治家と言われているのが、この辻本清美。

    139988185

    辻本清美が創設したピースボートは、東日本大震災の最大の被災地である
    石巻にやって来て、ボランティアから、宿泊費込とは言え、6,000円前後の金額を
    善意で訪れたボランティアから参加費用としてふんだくっており、今でも石巻に
    平然と居座っている。



    辻本清美は、人の顔を被ったエテ公ならぬ、人間にすらなれなかった猿そのもの
    なので、まともな生き物とは言えない。 公式サイトは、色々なデマに対する
    言い訳が述べられているが、被災地で大金を稼いだ事実は消えない。

    東日本大震災でやらかした人まとめWiki

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    3.11東日本大震災 に参加中!

    宮城県では、6月12日が防災の日とされており、毎年大規模な避難訓練を行っているため、
    震度6強程度の地震が起きたとしても、死者はほぼゼロに近い。 地震で死亡する人自体、
    かなり稀であるが、他県の感覚からすると、震度5程度でもかなり怖いらしい。

    tssop

    尚、宮城県は、過去に震度6強に6回も見舞われておりますが、死者は過去においても、
    かなり少ない。 他県でも大規模な避難訓練をしているのかと思いきや、そうでもないと、
    つい最近になって知った。 最近では、首都圏でも避難訓練が義務付けられているが、
    私の目から見た首都圏の避難訓練は、参加するだけバカバカしいと感じる単なるお遊び
    レベルであるため、実際に災害が起きた場合は、かなりの人数が死亡すると思う。

    earthquake1

    福島、山形、岩手の各県は、宮城県から送電を行っているため、宮城県が大規模災害に
    遭遇すると、全ての県で電気が止まるという弱点があったが、被災後に若干改善された
    ため、少しはましになった筈。

    11914

    首都圏直下型地震も、前々から起きると言われつつ、なかなk起こらないが、災害は
    忘れた頃にやって来るので、非常用持ち出しリュック程度は用意しておいた方が無難。

    小笠原沖の深発地震がきっかけで起こる巨大地震はココ

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ