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共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:東日本大震災

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    3.11東日本大震災 に参加中!

    東北電力女川原発は、リアス式海岸の山中に立地しており、陸上からは、全く
    見えない。 よって、地元の人間でも、この画像以上の全貌は見た事がない。
    そもそも、この原発は、撮影禁止なのだが、撮影されたら困るような施設をこんな
    場所に作るなと言いたいところ。



    周囲は、津波災害により、全て消滅したのだが、この原発施設だけが残った。
    よって、津波が押し寄せた際には、この周辺の地域住民は、皆この原発へと
    避難をし、最大で
    364名が約3ヶ月間にも渡り、原発内の体育館で避難生活を
    おくっていた


    【東北電力女川原発 原子力PRセンター】
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    3月11日の本震以降、4月7日にも余震があったのだが、その際に、女川原発は、
    非常用
    電源回路5つあるうちの4つまで消失したため、後1本消失していたら、福島と
    完全に同じ運命
    であったというのは、地元では有名な話。 但し、女川原発の
    場合は、被災前まで、避難区域が、半径5キロ圏内に限定されていたため、直線
    距離で7.5キロ離れた女川の町は、避難区域ではなかった
    。 これらの情報は、
    下記の動画でもハッキリと述べている
    のだが、何故か、関東へは一切伝わっては
    いない。

    東日本大震災で最大の死者を出した石巻市は、この女川原発の立地自治体で、
    直線距離で15キロ程度しか離れていないが、テレビでは、その事を一切触れ
    なかった。 この女川原発の全貌を見たければ、女川から遊覧船に乗って、
    金華山に行くと目の前に見える。



    東北電力女川原発にある原子力PRセンター。 映像ホールは、好きな動画を好きな
    だけ見れるという、大変太っ腹な場所であるため、お言葉に甘えて、3本も動画を
    見てしまった。 尚、東北電力管内にある7つの原発(建設中を含む)のうち、
    東北電力の施設は、2つだけで、残りの5つは、全て東京電力と関東のための施設。

    東北電力女川原発 原子力PRセンター
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    特に、福島第一、第二原発は、100%関東へ送電をするためだけにあるための
    施設であるため、本来、そこから放出された放射性物質は、関東で処理すべき
    もの
    。 それを全て東北に押し付けているため、理不尽極まりない。 福島に
    あるその他の火力、水力発電所も、ほぼ全て関東へと送電をしている
    ため、
    非常時に、関東からは送電をする事が出来ずに、事故へと繋がった。


     
    元々、福島県、岩手県、山形県へは、宮城県から送電をしているため、宮城県が
    大規模被災をすると、この周辺の県も全て停電するという歪な送電関係にある
    ため、
    被災後に多少改善してとは言え、根本的な部分が解決されていないため、東京
    電力は、東北からは出て行くべき。 福島第一原発へ最終的に送電を行ったのは、
    東北電力ですが、仙台でも大規模停電をしていた時期に、関東のために送電を
    続けた東北電力は、関東から感謝されて当然だと思いますが、その事すら、関東
    では一切報道しておりません。 因みに、映像ホールの動画は、撮影OKですが、
    原発の写真だけは、何故か禁止となっている。



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    東日本大震災の最大の被災地、宮城県女川町の現在の姿。 余りにも変わり
    果てており、大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れ
    なくなっていました。 現在、女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、
    コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川方向に戻るしかありません。



    現在、堀切山から望む女川の中心部には、建物のひとつすらありません。
    女川に押し寄せた津波の高さは、この堀切山をも超え、25メートル前後と
    言われています。 但し、この堀切山は、階段で更に上に登れるのと、
    山上にある女川町地域医療センターの建物が4階建てであるため、そこへ
    登って、多くの人達が命を守り切りました。

    【堀切山から望む女川の中心部】

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    女川は、死亡率で見ると、住民の10人に1人が死亡した、東日本大震災最大の
    被災地ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では
    全く伝えられてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』の
    ご遺族の田村さんご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせを
    してからこの献花台へと向かいました。 共に、語り部をされていますので、
    女川、石巻へお越しの際は、お話を聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?



    まずは、田村さんご夫婦に、『七十七銀行女川支店』の被災状況を伺いました。
    田村さんご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度
    訪れてお話を聞くだけの価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅で
    ある女川駅からも、さほど遠くありませんが、行く度に道路が変更になるため、
    若干分かりづらいかも知れません。
     
    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
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    石巻や女川の人達は、『かつてない地震』とは言うものの、『宮城県連続地震』の
    被災地から見れば、東日本大震災の地震の方が、地震災害としては、相当まし
    だったため、東日本大震災を未曾有の大地震と言うのには、かなりの疑問が
    残ります。

    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】

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    献花台の前で語り部活動中の田村さんご夫妻。 この日は、新聞社の方が
    取材をしていました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。
    医療センターがある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで
    来た人達でも、この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
     
    七十七銀行女川支店は、海のすぐそばにありましたが、海側にあった4階建ての
    マリンパル女川の建物が完全に邪魔をして、津波が来たのが銀行の屋上からは、
    全く見えなかったそうです。 仙台銀行、石巻信用金庫の行員達は、全員堀切山に
    避難をして助かっています
    。 企業側の防災に対する意識の違いひとつだけで、
    明暗が完全に分かれた事案と言えます。

    【2015年12月24日に新しく街開きした女川駅前】

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    2015年の3月に移転再開したJR石巻線女川駅。 200メートルほど内陸側に移転
    しましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の
    駅前は、若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、
    津波で全て消滅した場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、
    ひとたまりもないでしょう。
     
    この女川だけは、津波の威力が余りにも凄過ぎて、女川駅のホームに留めて
    あった気動車が山の上にまで流されて横転していたり、4階の屋根の上に車が
    刺さっていたり、山の上に家屋の屋根だけが流されていたりしました。 更に、
    鉄筋コンクリートの建物が横転したのも女川だけ。

    現在女川駅は、無人駅になりました。 駅の中には、温泉施設の『ゆぽっぽ』と
    無料の足湯がありますが、これは、絶対に原発マネーで掘り当てたものだと
    前々から思っています。 ここは、女川原発からは、直線距離で7.5キロしか
    離れていません。

    ゆぽっぽの入湯料は500円なので、関東の感覚だと安いと思います。 津波で
    流される前の足湯には、屋根があったのですが、今の足湯には、屋根がないので、
    雨が降った時には傘が必要です。

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    女川で唯一残った倒壊した建物。 3つあった倒壊した震災遺構は、その2つが
    既に取り壊されたため、女川派出所のみが女川駅前に残りました。 新しい町と
    倒壊した建物、両極端な組み合わせですが、ほんの2年程前まで、この場所は、
    山のように高い瓦礫置き場でした。

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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸から、車で更に10分弱走ると、宮戸島と呼ばれる
    風光明媚な『奥松島』に到着します。 その宮戸島にあるのが、大高森。 松島四大観の
    中でも、最も美しいとされる『壮観』と呼ばれています。 登山道入り口から、山頂までは
    徒歩で15程度。 山頂からは、360度の大パノラマから見えるが、そこから見えるのは、
    被災した場所ばかり。 特に、野蒜地区は、上から見ると、何もかもなくなったのが
    よく分かる。



    この地は、日本三大渓の『嵯峨渓』がある場所としても有名で、女性的な曲線的な美しさが
    特徴の松島と比べると、荒削りな男性的な美しさを持つのが、この嵯峨渓となっている。
    大高森山頂からは、その嵯峨渓と石巻の町を望む事が出来る。 煙が出ている場所が、
    石巻市門脇地区。 大高森から出ている遊覧船は、3,000円も掛かるため、松島から
    出ている2,000円の遊覧船(見る場所はほぼ同じ)をお勧めします。

    【大高森】

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    宮戸島への入り口付近にあった観光桟橋は、津波で完全に破壊されたため、この宮戸島の
    大高森登山道の入り口へと移転した。 東松島市の名前の由来は、この『奥松島』と
    航空自衛隊『松島基地』があるためで、どうしても『松島』という単語を入れたいという理由で
    こうなったのだが、地元では殆ど誰も使わないという、無意味な名前となっている。

    【野蒜海岸付近】
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    野蒜から奥松島の宮戸島へ行く途中の道。 津波で何もかもなくなり、この場所は、
    地盤沈下により、3年以上に渡り、水没していた。 つい最近になって、ようやく防波堤の
    工事が始まったため、高さ15メートル程の防波堤が出来たが、その前までは、この高さと
    同じぐらいの瓦礫置き場だった。 単なる荒れ地にしか見えないこの場所には、被災前
    までは、観光客が宿泊する「奥松島ユースホステル」があった。 建物も松林も、電柱の
    一本すら残らなかった野蒜の復興は、まだ始まってもいない。

    この付近に到達した津波の高さは、約10メートルで、この場所にある防波堤は、25年ぐらい
    前に、2メートルほどかさ上げしたものだが、それでも、何の役にも立たなかった。 この
    場所は、東北最大の海水浴場であるのと同時に、奥松島という観光地であるため、
    かつては、民宿街と松林だったのだが、松林も10本程度を残して、全て流出した。

    【月浜海岸】
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    かつて民宿街であった月浜海岸。 野蒜海岸は、外洋にあるため、波が高いのと、
    海水浴客で混み合うため、地元の人間は、大体、この宮戸島で海水浴をしていた。
    むしろ、こちらの方が、観光客が余り来ないため、ほぼプライベートビーチ状態だったの
    だが、その民宿街も津波によって全て流されたため、現在は、その場所には、仮設住宅が
    立ち並んでいる。 当然、観光客は、ひとりも来ないため、非常に閑散としている。
    この場所は、夏になると、海水浴客から、車の駐車料金を500円も取るという殿様商売を
    してたが、その面影は、一切残ってはいない。

    今年に入ってからは、海岸の防波堤の工事が本格的に始まったため、砂浜には入れなく
    なった。 工事関係者の話によると、春ぐらいまでには、工事を完了させたいとの事
    であった。 東松島市は、市域の60%以上が津波で水没しているため、津波が再度
    襲った場合は、このような仮設住宅は、ひとたまりもないが、高台が多くないため、
    仕方がない。

    【観光桟橋跡】
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    宮戸島入り口にあった観光桟橋跡。 その観光桟橋からは、石巻の街がもう見えて
    います。 この付近には、航空自衛隊松島基地があるため、ブルーインパルスが通常
    訓練を行っているのも、この海上付近。 ブルーインパルスは、展示飛行のために
    日本全国でアクロバット飛行をしているのだが、その本拠地の状況が、このような有様
    だとは、一言たりとも言わないが、元々、自衛隊の宣伝のためだけにある
    ブルーインパルスなので、被災地の事などどうでも良いのであろう。

    先日行った、入間基地での航空祭においても、『航空自衛隊松島基地所属』と言ったのは、
    一度きりで、被災地の事には一切触れず。 国立競技場で展示飛行を行った際にも
    同様で、マスコミの偏向報道には、騙されないようにした方が良いと思います。 尚、
    野蒜海岸の入り口には、このお地蔵様があるが、石巻の門脇小学校の脇にあった、
    同じお地蔵様は、道路工事のため、どこかへと移設されてしまった。



    【お勧めの一冊】


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    美里編で紹介した堤防を海側へ約15キロほど下ると、野蒜海岸へと出ます。
    2015年5月30日に約4年ぶりに営業再開を果たした、JR仙石線の野蒜駅は、
    山側へと移転し、新たに街開きを行ったため、駅前には、未だ一切何もない。

    【新しく移転した野蒜駅前】
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    工事関係者の人達の話によると、来年の5月までにこの場所を宅地造成して、
    個人に引き渡すそうです。 どの場所を誰に引き渡すかは、既に決まっていて、
    後は宅地造成するばかり。 野蒜に限らず、『街開き』した筈の新しい町には、
    道路の1本すらまだなく、単なる荒れ地を切り開いただけの状態となっています。

    この場所に災害復興住宅が完成するのは、2年後と言われており、工事が遅れて
    いるため、再来年の3月に仮設住宅が全て廃止されるまでに間に合うのかすら
    分からない状況です。 この後紹介する、石巻の新蛇田地区は、街開きしたにも
    関わらず、ここよりも酷く、道の一本すらまだない。 

    【津波で廃止となった旧仙石線跡】
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    津波災害により、廃止となったJR仙石線跡。 1枚目は、新しくなった仙石線。
    この付近は、20年ほど前にも、強風時に安全に運転を行えるよう、陸前小野⇔
    野蒜駅間で若干ルート変更をしたため、その時の旧線も残っているのだが、現在、
    ファミリーマートになっている、旧野蒜駅は、その時に新しくした駅であるため、
    仙石線の駅の中では、比較的新しい駅舎だった。

    このすぐそばにある野蒜小学校では、折角仙石線の電車から乗客が避難をして来た
    のにも関わらず、校長が校舎に鍵を掛けてしまったため、体育館に避難をしていた
    人達数名が津波の犠牲となった場所。 東日本大震災発生時に、電車が津波で折れ
    曲がって倒れていたのを覚えている人も多いと思うのだが、それがこの場所。

    下り列車は、乗客の判断により、ちょうど高台部分で停車したため、翌日に乗客
    たちは、全員助けられたが、その車両自体は、2011年の12月末まで、その場に
    放置された。 

    【津波で廃止となった旧野蒜駅】

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    津波災害で残った旧野蒜駅は、今後、『津波伝承館』として整備される事が
    決まっている。 この元駅舎には、観光案内所もあり、東日本大震災で被災した
    時のパネルが展示されている。 この付近も『宮城県連続地震』の被災地である
    ため、観光局の人達に、その時の地震災害の情報も展示して下さいとお願い
    して来た。

    『東日本大震災』の時よりも、『宮城県連続地震』の時の地震の方が、地震災害
    としては、凄まじかったのだが、その事を覚えている人は、東松島周辺にしか
    居ない。

    尚、『宮城県連続地震』で被害を受けた場所は、『東日本大震災』では、ほぼ
    無傷だったのだが、その理由は、そんな程度の地震で倒壊する家屋やブロック塀は、
    その時に既に全て倒壊して無くなっていたのと、その後、地震に対する災害強化を
    更に行ったため。

     

    野蒜駅前に到達した津波の高さは、3.7メートルとなっており、町と共に、
    うっそうとした松林もほぼ全てが流出したため、一切何もなくなった。
    工事関係者に尋ねたところ、この場所は何になるのか分からないとの事だった。
    このすぐ先が野蒜海岸なのだが、工事中であったため、海側へは一切入れなく
    なった。 尚、この付近での死亡者の数は、約500名。
     
    福島県と東電によれば、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、15メートル
    だそうだが、その津波の高さは、実は、『遡上高』であった事を住民らの追求
    により、東電と福島県が既に認めています。 3.7メートルの高さの津波で、この
    有様なので、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、明らかに2メートル以下。
    その証拠に、福島の建物は、ほぼ全て残っている。

    【新しくなった東名駅】
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    野蒜駅と同じく、5月30日に4年ぶりに営業を再開したJR仙石線の東名駅。
    高台に移転したため、その高台への入口側から見ると、野蒜駅とほぼ同じような
    位置となった。

    内陸側へ移転し、その入り口部分がほぼ同じであるため、地域住民にとっては、
    かなり使いづらい駅になった。 周囲に建物は、まだひとつもない。 この付近は、
    潮干狩りで有名な場所だったのだが、現在、潮干狩りは出来ない。



    JR仙石線の陸前小野駅前にある『空の駅』。 ここでは、仮設住宅に住むお母
    さんたち手作り、ソックモンキーの『おのくん』を購入する事が出来る。
    どれでも1体1,000円となっており、通信販売での場合は、1年半待ちの大人気
    商品となっている。 但し、この『空の駅』まで来れば、その場で購入する
    事が出来る。

    【空の駅】
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    『空の駅』とは、東松島市内にある『航空自衛隊松島基地』の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっています。

    『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募っている。 より
    正確に言うと、1年半後には、仮設住宅が全てなくなるため、それまでにこの
    『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなるという意味。

    ここには、『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れない。 

    【小野駅前応急仮設住宅】

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    JR仙石線の陸前小野駅前にある『おのくん』を販売している仮設住宅。
    陸前小野駅からは、線路沿いに歩いて10分程度掛かる。 仮設住宅を入ると、
    まず、ブルーインパルスが目に飛び込んで来る。 『おのくん』は、宮城県
    東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつずつ手縫いで作っている、
    サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみのソックモンキー。 東日本大震災
    からの復興への願いがこめられている。 『めんどくしぇ』が合い言葉。

    【お勧めの一冊】


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    宮城県美里町は、12年前の「宮城県連続地震」の最大の被災地。 この付近を
    流れる鳴瀬川は、白鳥の越冬地としても有名で、冬になると、白鳥が大量に
    飛来する。

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    2003年7月26日、1週間も降り続いた長雨の直後に震度6強連続3回という地震が
    発生したため、この周辺は、液状化現象を起こして、概ね地盤沈下した。
    その際に、堤防も決壊し掛けたのだが、元々、この付近には、この堤防以外に
    高い場所が一切ないため、堤防が切れてしまうと、一巻の終わり。 先日の
    集中豪雨で堤防が決壊した大崎市の渋井川は、実は、この川の15キロ上流にある。



    但し、この堤防は、12年前の連続地震が起きた後に、丸2年間もの歳月を掛けて
    (一部の家屋は、別の場所へ移転)、堤防の厚さを3倍強に補強し、更に、昨年
    再度堤防を補強したため、このような頑丈な厚さの堤防となった。 砂利道の
    部分が、被災後に付け足した部分で、それ以前は、このサイクリングロード
    として舗装されている部分の厚さしかなかった。

    【3倍強の厚さに補強された堤防】
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    宮城県連続地震」が発生した際に、最も被害が酷かったのは、墓地付近で、
    概ね50センチ~1メートルほど、墓石が沈下した。 お寺と神社も完全に倒壊した
    ため、その後、5年間に渡り、それぞれ、年間で5万円づつ檀家料を徴収された。

    この付近だけは、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定からも
    外されたため、瓦礫の処理は自腹だった。 町が瓦礫の処理の費用を半分負担
    したため、若干ましにはなったものの、それでも、東北の家屋は、全て大きいため、
    それぞれの家庭で、60万円~200万円程度の費用が掛かった。 その際に、税金を
    一部免除されたのだが、その金額は、何と1,000円。

    家を失い、住む場所すらなくなった人達に対する免除額が1,000円とは何とも
    情けない話し。

    美里町は、2016年1月で合併10周年なのだが、10年経過した今でも、ハッキリ
    言って小牛田と仲が悪いのは、その当時、小牛田が被災しなかったため。
    当時は、震度4強程度の揺れだったらしい。 よって、小牛田の人達は、この
    事実を覚えてはいない。

    この付近は、家屋がもれなく倒壊したため、田舎町なのに、新しい家屋だらけ
    なのだが、家を建てられなかった人達は、町から出て行ったため、その後、
    人口が劇減りした。 すぐ近所の小学校にあった仮設住宅は、2年キッカリで
    撤廃された。 東日本大震災では、東松島市の仮設住宅がその小学校のすぐ裏に
    建設されたのだが、そちらは、2015年の3月まで、丸3年間あった。 連続地震の
    すぐ後に、市町村合併の話が持ち上がったため、予算を使い果たした町には、
    既に合併を拒否出来るだけの力は残ってはいなかった。
     
    【復旧が完了した墓地と石巻から移転して来た工場】
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    この周辺は、市町村合併前までは、町の中心部だったのだが、合併後は、
    何もかも小牛田に持って行かれてしまったため、何もなくなった。 この
    付近の住民は、元々、小牛田方面へは行かないため、2015年の4月からは、
    バスすらなくなった。 バスの終点は、元々は、小牛田などではなく、涌谷
    だったのだが、市町村合併後に、強引にルートを変えられたもの。 

    この場所は、東北最大の海岸である野蒜からは、15キロ地点にあるのだが、
    東日本大震災が発生した際に、この川を伝って、津波が遡上して来たため、
    堤防内にあった木が殆どなくなった。 東日本大震災の際には、家屋の倒壊は
    1軒もなかった。 その理由は、倒れそうな家屋は、12年前に全て倒壊したため。
    美里町は、石巻からも至近距離にあるため、被災後は、石巻港から2つの工場が
    移転して来た。



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    東日本大震災、津波被災地への旅。 まずは、東北自動車道経由の高速バスに乗って、
    新宿バスターミナルを出発するところから♪



    【新宿バスターミナル】
    東京みやげは、『雷おこし』が一番有名ですが、貰って困るおみやげのかなり上位に
    食い込んでいる思います。 このような貰って困るものは避けて、おみやげは、せんべい
    とか、万人受けする無難なおみやげにしたいところ。 東京(新宿)⇔仙台間の高速バスの
    料金は、2,500円~あるので、是非お試しあれ。 再来年からは、仙台空港が、格安
    LCC航空会社のピーチ・アヴィエーションの拠点空港となるため、成田⇔仙台間の
    航空運賃は、3,000~8,000円程度になるものと思われ、高速バスの料金は、更に下がる
    かも知れません。

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    【羽生サービスエリア(埼玉)】
    今回は、JRバス東北での高速バスの旅ということで、最初の休憩場所は、埼玉県最北の
    パーキングエリアである、羽生PAです。 羽生PAは、下り線は余り大したことがないの
    ですが、上り線のPAは、時代劇のような設備となっており、東北道を利用する際には、
    必見の場所となっています。 高速バスの休憩箇所は、そのバス会社によっても異なるの
    ですが、2ヶ所の場合は、この羽生SAと、福島の安達太良SAの場合が多いです。

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    【那須高原サービスエリア(栃木)】
    栃木県北部にある、那須高原サービスエリア。 このサービスエリアで販売されている
    商品は、どれも美味しい☆ 他では販売していないような商品が多いため、東北道の
    旅では、欠かせない場所となっています。 栃木は、低迷が続く北関東の中でも、
    『都道府県魅力度ランキング』において、頭一つ抜け出ているのですが、その結果は、
    このおみやげに完全に現れています。 東北道を北上する上で、最もお勧めの休憩
    場所は、この那須高原SAとなっています。

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    【国見ービスエリア(福島)】

    福島最北端、宮城県境に隣接する、国見サービスエリア。 被災当初は、かなり線量が
    高かったが、最近では、かなり落ち着きました。 線量が高い時期でも、野外で野菜や
    果物を販売していたのには閉口しましたが、福島では、今のところ、特に影響は出ていない
    そうです。 この辺りまで来ると、ご当地キャラクターが豊富になり、何を買おうか目移り
    します。

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    【終点 仙台駅】
    高速バスの終点は、仙台駅東口駅前にあります。 一部、広瀬通に到着するバス会社も
    ありますが、その殆どは、東口に到着します。 仙台駅東口は、現在、大規模再開発中で、
    2年後の完成を目指して、着々と工事が進められています。 以前は、仙台駅に阻まれて、
    駅東西の発展度合いが著しく異なっていたのですが、最近では、東口周辺が、大規模
    再開発されたため、東口の方が綺麗になりました。

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    東日本大震災で多大な被害を受けた、宮城県名取市閖上地区で、旧閖上中学校の解体
    工事が始まった。 周囲には、高台等はなく、この中学校が唯一の高い建物だったが、
    多くの命を救った中学校の解体は、大津波により、ほぼ更地となった閖上地区の安全面
    にも不安を残す結果となった。

    yuriagechu

    閖上地区の大震災前の人口は、5,612人だった。 しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて
    活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。 名取市の犠牲者数は1,027人
    (不明者は119人:2011年6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中
    している。 9月末の人口は2,410人となり、犠牲者だけでなく、多くの住民が閖上から姿を
    消したことを物語っている。

    多くの人が犠牲になった主因は、他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの
    思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が
    大渋滞に巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。



    2階に留まれば助かった公民館から津波が来る直前に強引に中学校に移動を指示した。
    公民館から一斉に避難を始めた車が渋滞に拍車を掛けた。 仙台方面への大動脈である
    閖上大橋上で事故があり通行止めになったため仙台方面への車がどんどん溜まり、
    たちまち身動きがとれなくなった。
     
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    河北新報 <閖上中>悲しさ悔しさ…感謝 校舎と惜別
    宮城県名取市閖上地区で2015年12月24日、旧閖上中校舎の解体工事が
    本格化した。 関係者は複雑な思いで作業を見守り、校舎との別れを惜しんだ。

    校舎は1980年の完成。市は11月に正面の時計を取り外して以降、内装の解体や
    照明・備品の撤去を進めてきた。 この日から建物本体の解体を始めた。

    震災時は津波で1階部分が水没した。 周囲には高い建物がなく、3階や屋上などに
    住民らが800人以上避難して命をつないだ。

    同校に2年まで通った東北学院大1年菊地雄也さん(19)は、母訓子(のりこ)さん(52)と
    作業を見つめた。 「心のよりどころとして校舎を残してほしいという思いがあった。
    悲しさと悔しさが入り交じっている」と揺れる胸中を明かした。

    閖上で語り部の活動を続ける訓子さんは、義理の両親が避難して助かった校舎への
    感謝をにじませた。 「ここに素晴らしい学校があったことをしっかり語り継いでいく」
    と話した。

    市は早ければ本年度中に旧閖上小校舎の解体にも着手する。 同地区には新たに
    小中一貫校を建設する計画で、2018年春の開校を目指す。
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    東松島市は、2003年の『宮城県北部連続地震』でも大規模被災をしているが、
    その当時、野蒜地区は、余り被災しなかったのだが、その隣の小野、大塩地区は、
    震源地の真上にあったために、大規模被災し、かなりの家屋が被害を受けた。

    過去に東日本大震災よりも大規模な地震に遭遇しているため、、野蒜小学校
    校長の証言にも『地震は予知出来なかった』とは出ていないのだが、野蒜
    小学校は、海から、ものの数百メートル程度しか離れていないため、津波が
    予想出来なかったというのは、教育者としても余りにも甘い考え方。

    付近を走っていたJR仙石線の乗客達も、地震発生直後に全員野蒜小学校の
    体育館へと避難をしたが、校長が校舎への入り口の鍵を掛けてしまったため、
    その一部は、津波に飲み込まれて死亡した。



    <野蒜小津波訴訟>校長『津波到達予想できず』
    東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難し、津波で死亡した住民と
    児童計3人の遺族が市に計約5,300万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が
    2015年10月22日、仙台地裁であり、当時の女性校長が『学校に津波が到達する
    とは予想できなかった』と証言した。

    校長は理由として、市防災マップで学校が避難区域外だったことや停電などで
    情報収集ができなかった点を挙げた。 津波情報の収集は『教頭に任せていた』
    と証言したが、学校に電池式のラジオがなく、情報収集ができなかったという。

    訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民らは市の地域防災
    計画で避難所に指定された野蒜小に避難し、校長らに体育館へ誘導されたとして
    いる。 校長は『児童は体育館に避難させたが、住民の避難は各自の判断
    だった』と反論した。

    死亡した3人のうち、児童1人は担任の女性教諭が同級生の親に引き渡し、
    学校より海側の自宅付近で津波にのまれた。 校長は『保護者に引き渡すのが
    あるべき姿だ』と認めつつ、『震災下では一つの判断。 引き渡し後の安全
    確保は同級生の親に委ねていた』と語った。

    児童を引き渡した担任は『(県教委の指針に)違反したかもしれないが、
    児童を早く安心させてあげたい一心だった』と当時の心境を語った。

    市の調査によると、体育館では住民ら計13人が死亡したとされる。


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    「日本国の借金」、過去最大の1024兆円に… 増税で日本国民から吸い上げた
    税金を海外に湯水のごとくばらまく安倍政権へ、今日本国民の不満が募っている。

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    • 中東・北アフリカ地域に対し新たに総額22億ドル=2,160億円規模の支援を発表
    • 安倍首相、シリアの女性支援にODA3,000億円表明 国連演説
    • シリア難民に59億円追加支援、安倍首相が国連演説
    • ASEANに5年間で2兆円規模の 政府開発援助(ODA)拠出を発表
    • 「ラオスに円借款90億円」 安倍首相、供与を表明
    • モザンビークに支援表明 700億円のODAを供与
    • アメリカでリニア構想、日本政府が融資提案 5,000億円規模
    • インドへ円借款2,000億円 首脳会談
    • バングラデシュに6,000億円支援=政府
    • ウクライナに最大1,500億円支援 日本
    • 日本政府 中国へODAに年間300億円
    • アフリカへ3兆円支援「着実に実施」 岸田外相
    • 安倍首相パプアニューギニアに今後3年間で200億円規模のODAを供与すると表明
    • チェルノブイリ支援に3.5億円=安倍首相表明、ウクライナで署名式
    • インドに5年で3兆5,000億円の官民投融資、日本政府が約束
    • 日・スリランカ首脳会談、日本がアンテナ塔などの施設整備に約137億円の円借款を供与表明
    • 日本政府、1兆7400億円の途上国支援決定
    • 安倍首相、エボラ対策として、国連などに43億円の追加支援を表明
    • ミャンマーに円借款260億円供与 安倍首相、大統領に表明
    • エジプトに円借款400億円超 首相、中東訪問で表明へ
    • 難民支援でヨルダンに147億円 首脳会談で安倍首相表明
    • 政府:アジアのインフラ投資支援に約13兆円を提供
    • 中国の緑化、日本政府が100億円拠出へ
    • 首相、総額2兆円の事業に協力 トルクメン大統領と会談
    散財した総額は、ざっと見ただけでも2年間で約70兆円・・・



    逆に、東日本大震災で多大な被害を被った被災地への支援は十分とは言えず、震災
    孤児や津波被災地、並びに、福島の原発被災地への補償も決して十分とは言えない
    状況下で、このようなバラマキ政策は、国民の首を締めるだけ。 軽減税率などと
    国民を騙してまで税率を上げたところで、このような無駄遣いを止めない限り、
    国民の不満はなくならない。

    現在、日本の貧困率は、16%超となっており、6人に1人が貧困層に数えられる国で、
    この様な有様は決して許されない。 海外協力を止めろとは言わないが、その額が
    余りにも巨額過ぎるため、国民一人一人がもっとしっかりとして、言うべき事は
    言い、怒るべきところは、怒るべき。

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    東北電力女川原発は、津波災害での事故は免れたものの、これまでに、度々地震での
    運転停止や、非常用電源回路の喪失事故を起こしているため、実際に事故が起きた際の
    具体的な避難場所を含めてのより実践的な訓練が必要。 特に、原発立地自治体の石巻は、
    市の全域が全て30キロ圏内に入るため、30キロ圏内の自治体だけでは、全住民の
    受け入れは不可能となっており、どの自治体が、どの程度の数の避難者を受け入れるのか、
    具体的な数値を決めなければならない。

    女川原発の体育館には、最大で364名が3ヶ月以上にも渡り、避難生活をしていましたが、
    大手メディアは、その事実を一切報じませんでした。 また、女川原発は、4月7日に起きた
    余震により、5本ある非常用電源回路の内、4本までもが消失し、後もう1本電源回路が
    消失していたら、福島と同じ運命でしたが、その事もこのビデオではハッキリと言っている
    ため、必見です。

    >>七十七銀行津波訴訟署名活動にご協力お願いします



    有事の際には、原発からギリギリ30キロ圏外にある涌谷町、美里町が、その受け入れ先の
    最前線になります。 原発のすぐそばに、航空自衛隊があるのは、全国でも石巻のみ。
    実は、女川原発は、撮影禁止のため、これ以上の画像はありません。
    IMG_1015
    日本で唯一のアクロバット展示飛行が出来る「ブルーインパルス」の本拠地は、石巻地区
    なので、全国の航空祭等でも、被災地の状況や、原発問題等もハッキリと言うべき。
    入間基地や百里基地まで、ブルーインパルスを見に行った際には、「ブルーインパルスは、
    被災地からやって来た」とは1度しか言わなかった。

    こちらの動画では、石巻市長面・尾崎地区には、震災後2年5ヶ月間も電気がなかったと
    ハッキリと言っています。 尚、この両地区に水道が開通したのは、東日本大震災から
    4年8ヶ月後の2015年11月。

     

    出典:河北新報
    東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の重大事故に備え、県と原発から
    30キロ圏にある女川町など7市町は2015年10月30日、本年度の県原子力
    防災訓練を実施した。 自治体や自衛隊など70機関と住民約2万8000人が参加し、
    非常事態での対応や避難手順などを確認した。

    訓練は宮城県沖で地震が発生し、運転中の2号機が自動停止後に全交流電源と
    原子炉冷却機能が喪失。 炉心が損傷し、外部に放射性物質が放出された
    との想定で行われた。
     
    現地災害対策本部が置かれた仙台市宮城野区の暫定事故対応拠点
    (オフサイトセンター)では、国や県、7市町と参加機関の担当者が情報収集や
    住民への避難指示といった対応の確認に追われた。 村井嘉浩知事や7市町の
    首長らがテレビ会議を通じて状況を報告し、国に支援を要請した。

    7市町では住民も参加し、バス、自家用車での避難や屋内待避、ヘリコプター
    でのけが人搬送などに取り組んだ。 原発事故に備える避難計画策定後初の
    訓練となった東松島市は、30キロ圏の住民に防災無線やエリアメールで屋内
    待避を指示し、小中学校12校の屋内待避状況を確認するなどした。

    登米市豊里町から同市米山町の中津山公民館に避難した無職酒井和義さんは
    「訓練はスムーズに終わったが、本当の事故の場合は大変な渋滞になる
    恐れがある。 狭い道もあり、大型バスでは進みにくいかもしれない」と指摘した。
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    東京電力福島第1原発事故によって、全町避難となった福島県富岡町では、
    事故当時の町の対応や避難過程などを収録した『東日本大震災・原子力災害の
    記憶と記録』を発刊した。 原子力災害への無力感や避難所運営の苦労、
    再生への希望が、町職員らの率直な言葉で語られ、原子力施設を抱える他の
    自治体への教訓になる一冊とも言えそうだ。

    町民が一斉に川内村を目指して動き始めたが、道は県道小野富岡線1本だけで
    あるため、たちまち渋滞し、流れは止まった。 全町避難を強いられた
    富岡町では、原発事故直後の大移動の混乱が記録されている。 国道は寸断、
    大渋滞、避難用バスの確保は難航。 人口1万6,000の町が丸ごと避難する
    難しさを、証言が裏付ける。

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    福島第1原発から8キロの町が避難を決断したのは3月12日朝。 北には
    第1原発があり、南への避難も国道6号の崩落などで断念。 西側の川内村へ
    移動を決めた。 全町避難は、防災計画で想定していない。 ある職員は
    自問せざるを得なかった。

    『全町避難?-今まで屋内退避や町内の体育館への避難訓練しか経験の
    ない町民に、突然『町外への避難』を呼び掛けるのはきつすぎるとの
    思いが湧いた』

    実際の避難では、川内村へ繋がる狭い県道に車がなだれ込んだ。 到着まで
    通常なら30分。 それが4時間以上を要した。

    【福島県富岡町の現在の様子】


    移動手段がない高齢者らの避難はさらに困難を極めた。 バスをかき集め
    ようとするが上手く行かない。 当時の企画課長で災害対策本部に詰めて
    いた田中司郎さん(65)が証言する。

    『手配し始めてすぐ、ほとんどのバスが押さえられていることが分かった
    (後に国によって調達されていたことが判明)』 町が保有するマイクロ
    バスは、わずか数台。 建設会社などにも協力を要請したが、運転手が
    避難しか動かせないケースもあったという。 事故の拡大を受け、3月16日、
    町は川内村からさらに内陸部の郡山市への避難開始を決めた。

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    またしても、バスの手配がつかなかった。 『バスがあっても運転手が
    行かない、バスを動かせない』という。 公用バスでは1日では終わらない」

    結局、友好市の埼玉県杉戸町からバス7台の派遣を受け、窮地を脱した。
    職員たちは悪化する原発からの風向きに神経をとがらせながら、移動手段の
    確保に常に苦しんでいた。

    >>「そこだけ時間が止まっていた」福島第一原発周辺を外国人カメラマンが撮影

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    東日本大震災以降、仙台では、やさしい日本語、英語、中国語、韓国語、
    モンゴル語、ポルトガル語、タガログ語他での多言語災害情報を提供して
    います。 これは、災害発生時等の緊急時に、日本語のみでの情報発信に
    危機感を感じた外国人のために始められた新たなサービス。

    大災害を何もかも人事にしている首都圏では、このようなものはなく、企業の
    避難訓練ひとつを取ってみても、全く危機感がないため、実際に災害が起きた
    場合には、何の役にも立たないでしょう。 災害は、忘れた頃にやって来る。
    この言葉は、全くその通りで、普段から、防災、減災意識を高めなければ、
    助かる命も助かりません。

    防災訓練等は、国が率先して行うものではないため、普段から、災害発生時には、
    どこへどのように避難すべきなのか、心の準備をしておきましょう。 備え
    あれば、憂いなしとは、先人の知恵です。

    地震が発生したら、まず、戸を空けて、屋外に逃げましょう。 家の中に
    留まる場合は、机の下よりは、トイレか、風呂場に逃げるのが、一番安全です。

     



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