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    タグ:東日本大震災

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    東日本大震災。 2011年3月11日、世界最大級マグニチュード(M)9.0のエネルギーが
    東北の大地を突き上げ、大津波が太平洋沿岸をことごとく破壊した。

    復興に立ち向かうために、あの日の事実、今の現実を後世に伝えなければならない。
    出典:河北新報

    『仙台空港ターミナルビルに1,300人が孤立』。 2011年3月13日夕に発行された号外は、
    宮城県や県警などの情報として、こう報じた。 国内8都市、海外7都市と結ぶ東北の
    空の玄関口は、滑走路などが津波に襲われ水没。 周囲は無数の自動車やがれき、
    小型飛行機が浮かぶ中で、空港ビルは『孤島』と化していた。

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    ◎仙台空港水没(岩沼市、名取市)
    仙台空港の上空は、どんよりとした低い雲が垂れ込めていた。 3月11日午後2時40分、
    中国国際航空924便が、乗客61人を乗せ、中国・大連に向けて離陸した。 激しい揺れが
    襲ったのは、わずか6分後だ。 実は、地震の1分前、2時45分に大阪(伊丹)発の
    日本航空2209便が着陸するはずだった。 天候不良で到着が遅れていた。

    仙台空港であの日、発着を予定したのは国内線約80便、国際線8便に上る。 空港で
    旅客機の駐機がゼロになるのは1日3、4回、それも、それぞれ数分から20分程度に
    すぎない。 地震発生時、大阪便の遅れで、奇跡的に滑走路に旅客機はなかった。
    空港関係者が『不幸中の幸い』と胸をなで下ろしたのは、だが、わずかな時間だけだった。

    午後4時ごろ、車やがれきをのみ込みながら、巨大津波が襲来する。 宮城県岩沼市
    下野郷の特別養護老人ホーム『赤井江マリンホーム』は、目と鼻の先に太平洋が広がる。
    津波が来るとラジオが告げた。 事務長の鈴木信宏さん(53)は、避難先を約1キロ北の
    仙台空港ターミナルビルに決めた。

    職員は利用者96人を9台の車でピストン輸送した。 職員を含む144人全員が避難を
    終えたのは、津波が襲来する直前、午後3時53分だった。 空港ビルは、宮城県名取市と
    岩沼市の指定避難所だ。 地域の住民約250人が続々と集まった。 岩沼市議会議長の
    沼田健一さん(61)=同市下野郷=も身を寄せた。



    津波が滑走路を水の底に沈め、到着ロビーなどがある空港ビル1階にがれきや車などを
    押し込んだ。 停電、断水、通信不能。 旅客や地域住民、航空会社やビル、関連施設の
    職員ら1,600人が孤立した。 目の前の惨状に、沼田さんは『1週間は脱出できないと
    覚悟した』。

    1,600人は2階、3階に分かれ、土産品などを食べた。 空港に食料と水は十分にあった。
    孤島のビルに最初にたどり着いたのは、富山県高岡市高岡消防署の特別救助隊員
    だった。 夜通し車両を走らせ、12日早朝から救助に入った。 空港の約1キロ手前で
    道路は冠水。 ボートで接近を試みたが、がれきに阻まれ船外機もオールも使えない。
    隊員が交代で、胸まで水に漬かってボートを押した。 午前10時22分、ようやく空港ビルに
    着いた。

    救助隊長の小原政和さん(35)は、避難者たちの安堵の表情を見て、『全員を助け出さ
    なければならないと強く思った』と振り返る。

    『滑走路伝いに西側ゲートから陸路が使える』。 救助隊から連絡を受けた名取市消防
    本部が、がれきを撤去し、午後4時ごろ、車1台分の通路を確保した。 地震発生から
    25時間。 空港の孤立状態が解消された。

    マリンホームの利用者と職員は12日夕方、空港職員らは13日にバスや徒歩で脱出を
    開始した。 最後の住民約100人が空港を後に
    したのは3月16日だった。

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    東日本大震災。 2011年3月11日、世界最大級マグニチュード(M)9.0のエネルギーが
    東北の大地を突き上げ、大津波が太平洋沿岸をことごとく破壊した。

    復興に立ち向かうために、あの日の事実、今の現実を後世に伝えなければならない。
    『ドキュメント大震災』。 シリーズ第1弾『その時何が』では、震災直後の混乱の中で
    断片的な情報だけが入り、詳細が不明のままとなっていた出来事を掘り下げる。

    出典:河北新報

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    ◎その時何が(1) 屋上のSOS(石巻)

    2011年3月13日の朝刊に、宮城県石巻市の学校を上空から撮影した写真が載った。
    屋上に『SOS』の白い文字が浮かんでいる。 小さな人影が両手を大きく広げ、助けを
    求めていた。

    その学校は大街道小学校だった。 石巻工業港から北へ約1キロ。 3月11日の津波で
    1階が水没し、学校の周辺も海水に沈んだ。 2、3階に避難した住民や教員、児童ら
    約600人が孤立状態に陥っていた。 甲斐好子さん(36)は地震後、首まで水に漬かり
    ながら、近所のお年寄りや赤ちゃんを救助。 ずぶぬれになって、母親(69)と学校に
    たどり着いた。

    恐怖と不安の一夜。 上空に非常事態を象徴するヘリコプターの爆音がとどろいていた。
    夜明けが近づくと、爆音が交錯し始める。 12日朝、何機ものヘリが、上空を飛び交って
    いた。 甲斐さんら数人が屋上へ駆け上がった。 ヘリを見上げる。 『気付いて』。
    救助を求めようとの声が挙がった。 誰が発案したか甲斐さんは覚えていないが、
    教員らがB4判のコピー用紙を持ってきて、並べ始めた。 『SOS』。 風で飛ばされぬよう、
    ウレタンの破片を重りにした。



    甲斐さんはヘリに向かって必死に手を振った。 『何か物資を落としてくれないか、誰か
    降りてくれないかって…。でも、みんな飛び去ってしまった』

    約600人を飢えが襲った。 備蓄食糧はなかった。 避難者のうち子どもが約400人。
    わずかな食べ物でも、子ども達を優先した。 11日は放課後児童クラブの菓子を
    児童らに分けた。 12日、水が止まる。 住民らはスティック袋に入った砂糖をなめた。

    北村統教頭(49)は『先生方や大人は2、3日間、ほとんど食べるものがない状態。 我慢
    するしかなかった』と言う。

    水が徐々に引き始めた12日、自宅などから逃げ遅れた住民らが水に漬かりながら、
    続々と校舎に来た。 避難者は1,300人まで膨れ上がった。

    近所の中華料理店が炊き出しをしたのは14日だ。 紙コップ半分ぐらいの野菜スープを
    皆ですすった。 だが、周囲にガソリンやガスの臭いが漂い、炊き出しは中止せざるを
    得なかった。

    差し入れや買い出しで調達したわずかな食料を分け合った。 自衛隊員が19日、
    おにぎりとお湯を運んで来た。 拍手が湧き上がった。 『ごつごつした、いかにも
    男の人が握ったおにぎりだった』。 甲斐さんはその味が忘れられない。



    校舎の中では、懸命な救命、医療活動も続いていた。 石巻市立病院の看護師
    中里珠丹さん(36)は12日早朝、教員の叫ぶ声を聞いた。 『誰か看護師さんはいま
    せんか』。 1階の保健室へ行くと、ベッドに女性が横たわっている。 低体温症だった。
    毛布はない。 カーテンを体に巻き付けた。

    もう一人いた看護師と心臓マッサージを施したが、女性は間もなく、静かに息を引き取った。
    十分な治療設備はない。

    ピンセットは、ライターであぶって消毒した。 急ごしらえの救護室には昼夜を問わず、
    行列ができた。 中里さんは10日間、ほとんど寝る時間もなく、応急処置などに忙殺
    された。

    日赤の緊急医療チームがやって来たのは震災1週間後だった、と記憶する。
    『精神的にも肉体的にも、もう限界だった』



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    2011年の東日本大震災依頼、行方不明者の捜索が続けられているが、福島県では
    2015年1月18日に、最後の身元不明者の遺体引き渡しが行われた。 これにより、
    福島県での身元不明者の全ての遺体の引き渡しが完了したこととなる。

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    但し、警視庁の基準では、頭蓋骨のある遺体のみが死者と認定しているため、実際は、
    頭蓋骨のない部分遺体は、まだあるものとみられる。 震災からほぼ5年が経過し、
    頭蓋骨のない遺体どころか、部分遺体ですら見つからない状況が続いている沿岸部の
    被災地では、毎月11日の月命日に、集中捜索が続けられているが、手掛かりすら
    見つからない状況が続いている。

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    出典:福島民報 2016年1月20日
    東日本大震災から3日後の2011年3月14日、福島県いわき市久之浜のがれきの
    中で見つかった遺体と火葬後の遺骨を県警本部が調べた結果、津波と火災で
    行方不明になった、いわき市久之浜町久之浜字北町72、大工鈴木秀勝さん
    =当時(60)=と判明した。 福島県警本部災害警備本部が2016年1月19日
    発表した。 1月19日現在の県警集計の死者1,613人のうち唯一、不明だった
    身元が判明した。
     
    岩手、宮城両県には震災で犠牲になり身元が分かっていない遺体があり、全ての
    身元不明が判明したのは被災3県で初めて。

    同本部によると、遺体は震災のがれきを重機で撤去しようとした作業員が発見し、
    いわき中央署に届けた。 入れ歯や着衣、病院に残っていた生前のレントゲン
    写真との照合、発見場所などから総合的に身元を特定した。

    震災当時、鈴木さんは自宅か自宅近くにいて津波と火災に巻き込まれたとみられる。
    死因は特定出来ていない。 市が保管していた遺骨は震災から4年10カ月ぶりに
    18日、鈴木さんの遺族に届けられた。

    福島県警は警察庁の基準に従い、頭蓋骨のある遺体を死者と認定しており、
    福島県の死者数集計とは人数が異なる。 ただ、県内では依然、197人の
    行方不明者がおり、県警は引き続き捜索を進める。
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    2015年12月6日に仙台市営地下鉄東西線が開業した。 仙台市内では、3本目の
    地下鉄となり、この東西線と地下部分で並走しているJR仙石線は、実は、日本で
    初めて地下を鉄道が通った路線となっており、東京メトロ浅草線よりも、仙石線の
    方が先に開業している。 但し、現在その部分は、廃止されており、現在の地下
    部分は、2000年に再度地下化したもの。


    東西線の工事は、東日本大震災発生後にも遅れずに、予定通り2015年の開業と
    なっている。 東西線は、リニアモーター方式を採用しているため、仙石線との相互
    乗り入れは出来ない。

    東西線は、計画当初、モノレールでの建設が検討されましたが、その後、仙石線の
    延伸へと変更され、最終的には、その仙石線とは乗り入れない形で、リニア方式が
    採用されたもの。

    車両とホームとの隙間が、かつて見たことがないぐらいに、ピッタリと作り上げられて
    いたのが非常に印象的。 地下鉄仙台駅は、JRあおば通駅と同じで、JR仙台駅とは
    違うのだが、東西線が出来て、その定義が崩れたため、どっちに行ったら良いのか
    分からなくなりました。 仙台では、来年の3月に北海道新幹線も開業します♪



    同じ12月6日からは、地下鉄の開業に合わせて、『仙台光のページェント』が始まったが、
    この光のページェントは、日本で初めて樹木にイルミネーションを取り付けたイベント
    としても有名で、今年で30周年目の記念の年となっている☆ 仙台のイルミネーションは、
    ケヤキ並木が完全にトンネルになっており、その真中を歩く事が出来るため、他の地域の
    イルミネーションとは、迫力がまるで違います。

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    東日本大震災で当時6歳だった仲の良い姉を亡くした宮城県石巻市の小学2年生の
    佐藤珠莉(じゅり)ちゃん(8)が、2人の人形を『世界旅行させてください』と願う
    手紙をサンタクロース宛てに書いた。 いつか海外に行くことを夢見ていた姉と
    自分の代わりに人形が世界中を旅出来るようにと、サンタクロースにお願いをした。

    『あいり姉ちゃんとたくさんりょこうしたかったので、わたしのゆめをかなえて
    ください。 たびをしたときの人形のしゃしんをいっぱいとってきて、きねんに
    ほしいです』
     
    914293006323

    珠莉ちゃんの姉の愛梨ちゃんは、石巻市内にある私立『日和幼稚園』に通い、
    震災後に幼稚園の送迎バスで自宅に帰される途中、津波と火災に巻き込まれて
    命を落とした。



    当時3歳の珠莉ちゃんは、いつも一緒に遊んだ姉を突然失い、喪失感を抱えたまま
    成長した。 クリスマスや七夕などの度に帰ってくるよう願ったが、叶わなかった。

    昨年夏、珠莉ちゃんは、あるテレビ番組にくぎ付けになった。 病気の子に似せた
    人形を世界中を旅する人々に持ち歩いてもらい、名所を背景に写真を撮ってもらう
    企画。 番組では後日、その子にたくさんの写真が届いた。

    『愛梨もこうしてもらえないかな』その年のサンタへの手紙で、姉妹の人形を
    お願いした。 母親の美香さんが、復興支援団体を通じて人形を作れる人に製作を
    頼み、クリスマスに姉妹に似た編みぐるみが届いた。 珠莉ちゃんは大喜びで
    お礼の手紙を書き、今年は人形の世界旅行の願いを綴った。
     
    311648733673

    父親の文貴さんが家族旅行を計画し、美香さんが人形も持って行くことを提案
    したが『サンタさんに連れて行ってもらう』と珠莉ちゃん。 美香さんは
    『姉と自分を人形に投影し、自分の中に2人の世界があるのでしょう』と
    推測する。

    愛梨ちゃんの死後、事態の真相究明に奔走する両親を珠莉ちゃんはおとなしく
    見守った。 美香さんは『甘えたい盛りに我慢ばかりさせた』と悔やみ、
    『姉に対する思いの深さは親も驚くほど。 サンタの存在を信じる純粋な心を
    大切にしてあげたい』と思いやる。

    両親は、海外に行く用事があり『人形を持って行ってもいい』と申し出てくれる
    人がいれば、サンタの代役をお願いしてみようかと考えている。

    愛梨&珠莉人形 世界旅

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    91240959
    914293006323

    現在Facebook上には、『愛梨&珠莉人形 世界旅』 というページが制作され、
    あいり&じゅり姉妹は、世界中を飛び回っている。 サンタクロースになって、
    2人を海外へ連れて行っても良いという方は、こちらのフォームから問い合わせ
    お願いします。

    【EN】
    A girl who has lost her older sister (at the time she was 6 years old) by
    the tsunami in 2011, she dreams her dolls to travel around the world with
    her lost sister.

    【DE】
    Das Mädchen, das ihre ältere Schwester(zu der Zeit war sie 6 Jahre alt)
    vom Tsunami im Jahr 2011 verloren hat, träumt ihre Puppen, wie sie,
    um die Weltreisen mit ihrer verlorenen Schwester zu machen.

    【FR】
    La jeune fille qui a perdu sa sœur aînée (au moment elle avait 6 ans)
    per le tsunami en 2011, elle rêve des poupées comme ils voyagent à travers
    le monde avec sa sœur perdue.

    【RU】
    Девочка, которая потеряла свою старшую сестру(в то время ей было
    6 лет) в результате цунами в 2011 году, очень мечтает о том, что
    куклы похожие на них путешествуют по всему миру вместе со своей
    потерявшей сестрой.

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    東日本大震災から、もうすぐ5年が経過しようとしているが、死者、行方不明者の数は、
    2万人近くを数え、未だに2,563名の遺体が見つかってはいない。 毎月、月命日である
    11日には、それぞれの県警や海上保安庁による集中捜索が行われており、遺族が
    見守る中、不明者の手掛かりを探しているのだが、5年近くも経過すると、既に白骨化も
    終わっており、『完全な姿』での発見が非常に難しく、手掛かりさえ見つけられないのが
    現状となっている。

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    ボランティアらによる水中捜索も行われているが、状況は変わらない。 被災地以外では、
    既に何もなかったことにされてしまっているのだが、これが、被災地の辛い現実。
    警察庁によると、頭蓋骨がある『完全遺体』は、被災3県で計1万5,820体が収容されて
    おり、そのうち、1万5,786体(99.8%)は、震災1年以内に発見された。



    3年目以降に収容されたのは、福島の2体のみ。 宮城では1年以上、岩手では2年
    以上に渡って実績ゼロが続く。 骨片などの『部分遺体』の発見も同様に厳しい状況と
    なっており、宮城県警は、これまで計200個(172人分)を見つけているが、昨年は
    骨片1個に留まった。
     
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    災害対策基本法は、不明者捜索の終了の判断を市町村に委ねている。 17人が死亡、
    6人が行方不明になった2008年6月の岩手・宮城内陸地震では、地元の栗原市が
    『捜索を尽くした』として、2年2カ月後に終結を決めた。

    深刻な津波被害をもたらした東日本大震災では、捜索範囲が東北の太平洋岸に広がる。
    捜査関係者の一人は、自治体が終了時期を判断するのは極めて難しいだろうと推測する。

    岩手、宮城、福島の3県警は、体制縮小などはせず、2016年度もこれまで通り捜索を
    継続する方針を固めている。

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    警察庁によると、東日本大震災で亡くなり、岩手、宮城、福島の被災3県で検視を終えた
    1万5,820人のうち、2015年2月末時点で0.5%に当たる83人の身元が分かっていない。
    内訳は岩手64人、宮城18人、福島1人。

    東日本大震災発生から58回目の月命日(警察庁まとめ)
    死者 行方不明者
    宮城県 9,541人 1,237人
    岩手県 4,673人 1,124人
    福島県 1,613人 198人
    全国  15,894人 2,563人
     
    全国避難者数 18万2千人
    全国47都道府県1,145の市区町村に所在

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    石井啓一国土交通相は2015年1月12日に記者会見を開き、2015年度に日本を
    訪れた外国人旅行者の消費額が3兆円台半ばになるとの見通しを明らかにした。

    過去最高であった2014年の2兆278億円を大幅に更新した。 訪日観光客が
    順調に増える中、外国人向けの消費税免税の拡大が後押ししており、政府目標の
    年間4兆円の達成も視野に入って来た。

    2015年の訪日観光客数は、2014年の1,341万人から大幅に増え、1,900万人台
    後半となる見込みで、これに伴い、消費額も順調に伸びている。 政府は2014年に
    免税対象を食品などの消耗品にも拡大しており、中国人の『爆買い』に象徴される
    旺盛な消費行動に繋がった形。 尚、ロシア政府は、日本とのビザなし協定を視野に
    入れているため、今後は、ロシア方面からの観光客が増加するかも知れない。


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    但し、東日本大震災により多大な被害を被った東北への外国人観光客数は、震災前の
    6割程度に留まっており、外国人観光客で賑わう、京都とは対照的となっている。 これを
    受けて、宮城県は、数年前からフリーWi-Fiの整備事業を進めてはいるものの、Wi-Fi
    設置に対して、手を挙げる業者が少ないと言う。

    海外では、『フクシマ』が完全に一人歩きしており、風評被害に対する観光地等への対策も
    政府には十分に考慮して欲しいところ。

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    東日本大震災の復興支援を目的としたフィギュアスケートのアイスショー

    『NHK杯スペシャルエキシビション』が2016年1月9日、盛岡市アイスアリーナで
    行われ、
    昨年12月のグランプリ(GP)ファイナルで男子の歴代世界最高得点を
    マークして3連覇した
    羽生結弦(ANA)、女子の浅田真央(中京大)らが演技した。







    今年最初の演技となった羽生は、エキシビションのプログラム『天と地のレクイエム』で
    荘厳な滑りを披露。 『まだまだ僕たちが力になれることがある。 頑張って行きたい』
    とあいさつした。



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    浅田は『踊るリッツの夜』でシルクハットとステッキを手にコミカルに演技。 終盤に
    再登場して震災のあった2011年にエキシビションで使用した『ジュピター』を滑った。

    幕あいでは、休養していた昨年に被災地を訪問した際のエピソードを披露し、
    『また復帰して』と言われ、逆に(被災者から)元気をもらった。 これからも少しでも
    元気をあげられたらと思」と話した。

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    【ウェブ署名は、こちらからお願い致します】




    東日本大震災では、これまでに経験をした事がない大地震が起こり、その直後に
    大津波が宮城県女川町を襲いました。

    七十七銀行女川支店は、津波常習地域の
    三陸海岸にある女川湾から、わずか100
    メートルの位置に立地しており、元々、
    海を埋め立てた場所にあったため、津波が非常に来やすい場所に立地していました。

    周囲には、ゆっくり歩いても3分程度しか
    離れていない堀切山があったのにも関わらず、
    地震発生後、支店長の指示に従い、
    行員全員が、わずか10メートルの高さしかない
    銀行の屋上へと避難をしたため、
    奇跡的に救出された1名を除き、12名の社員が
    津波の犠牲となり、8名の遺体は、
    未だ見つかってはいません。



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    一方、直ぐ目の前にある堀切山には、約650名の住民たちが避難をしていましたが、
    こちらはほぼ全員が命を守り切りました。 仙台銀行や石巻信用金庫の行員たちは、
    この堀切山に避難をして全員助かりました。

    七十七銀行女川支店は、地震と津波が
    日常的に発生する事でも有名な三陸に立地していながら、東日本大震災が起きる
    ほんの数年前に、堀切山と並列の避難
    場所として、10メートルほどの支店の屋上を
    避難場所として加えましたが、東日本大震災は、30年以内に99%の確率で起きると
    かなり前から予想されていた災害です。

    【専修大学公開講座 津波と裁判】



    本件は、企業側の防災対策の是非と、従業員の安全に対して、最大限配慮する
    義務を負う企業として、津波に際しては、出来るだけ早く出来るだけ高いところへ
    避難をするという鉄則に反し、より低くより危険な支店屋上を堀切山と並列の避難
    場所として追加した判断の是非に重点を置いています。

    歩いて3分足らずの場所に
    安全な避難場所があるにも関わらず、企業側は、安全
    配慮義務を怠り、社員を
    死に至らしめたものとして、企業側の安全配慮義務反を
    問うものです。

    また、銀行側には、その真実に向き合い、反省して再発防止に
    努めて頂きたいと
    切に願っています。

    これまでに、仙台地方裁判所、並びに、仙台高等裁判所では、
    二度に渡り、裁判
    自体が棄却されましたが、どうして、七十七銀行だけが、屋上
    避難だったのか?
    助かるはずの命であったと今でも強くそう思っています。

    仙台高等裁判所での
    上告に向けて、現在署名活動を行っていますので、ご協力の
    ほど、何卒よろしく
    お願い致します。

    七十七銀行女川支店 津波訴訟 2審も遺族側の訴え退ける判決



    【ウェブ署名は、こちらからお願い致します】



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    【rfcラジオ福島】
     息子はなぜ死ななければならなかったのか?




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    被災地通信 に参加中!

    宮城県石巻市にある小高い日和山。 ここから見える場所だけで、約3,000名が
    津波の犠牲となった。 この地に、約1,200軒もあった家は、ほぼ全て津波で
    流された。 鉄筋コンクリート建てであった、市民病院や石巻文化センターも
    全て取り壊されてなくなった。



    石巻は、津波災害後に、流出した重油により、海が燃えたため、この辺り周辺
    では、大規模火災が起きて、数日間燃え続けた。 被災直後に、この場所に
    『探しています』と貼り出されていたのは、物ではなく人であった。 東日本
    大震災で最も酷い被災地をひとつだけ挙げるとすれば、この石巻の門脇地区周辺。

    日和山は、約50メートルほどの標高であるため、この地域周辺を見渡すことが
    出来るが、それと同時に、被災状況も目の当たりにすることとなる。 遠くには、
    牡鹿半島も望むことが出来るため、石巻随一の観光スポットであったが、今では、
    その観光客もまばらで、時折、津波災害の被災現場を見に来る人たちばかり。 

    【日和山からの景色】
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    以下の画像は、被災前と被災後の石巻の比較画像。 被災前の石巻の画像は、
    ウェブ上にもYoutubeにも殆ど残ってはいない。 この画像で比較すると、河口
    付近が津波で何もなくなったのが、良く分かる。 このような被災前の画像は、
    非常に貴重であるため、なかなか見ることが出来ないのだが、『がんばろう!石巻』
    の看板のすぐ隣に新しく出来た、『震災伝承』つなぐ館では、被災時の様々な
    資料が展示してあり、係員が常駐しているため、更に詳しい話を聞くことも出来る。

    【被災前後の石巻】
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    石巻は、仙台藩唯一の港町として栄え、港湾設備の規模では、東洋一とも言われて
    いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
    見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
    新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
    変化は特にない。

    新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
    ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
    にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。 

    日和幼稚園
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    日和幼稚園』ご遺族で、語り部をされている佐藤さんに、送迎バスの資料を
    見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
    見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
    見えなかったそうです。
     
    現在、この場所は、道路工事の工事現場となってしまっている。 
    『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
    助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
    既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
    謝罪すらしていない状況となっている。

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    がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
    なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
    この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
    続く。

     

    【新蛇田周辺】
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    新しく街開きをした新蛇田地区。 街開きとは『集団移転先』という意味。
    沿岸部の人達は、今後順次この場所へと移り住む事となるのだが、これで
    街開きをした言われても、一切何もない。 遠くに見えているのが、災害復興住宅。
    来年の3月に石巻めぐみ野駅が開業するため、駅が出来れば、多少なりとも活気が
    出るのかも知れないが、山側へ移転した仙石線の野蒜駅を見ても、期待は出来ない
    であろう。 この場所は、東松島市との境界線上にあるため、石巻西高校の
    高校生も利用する駅となる。 最後の2枚の画像は、先日X JAPANがライブを
    行った『石巻ブルーレジスタンス』。

    石ノ森萬画館

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    石巻編の最後は、『石ノ森萬画館』。 この漫画館自体も、川の中州にあるため、
    一時完全に孤立して、避難者が生活を共にしていた場所。 今では、すっかり
    リニューアルされて、その面影すらないが、こういう記憶は、大事にしたいところ。

    漫画館の前に建っているシージェッター海斗像は、津波で流され、後日瓦礫の
    中から発見されたのだが、破損度合いが酷過ぎて、東京の制作会社からキカイダー
    01の像共々石巻市に贈られたもの。 ご当地ヒーローで街興しをしている街は
    多々あるが、その先駆けが、石巻となっている。



    【お勧めの一冊】


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    3.11東日本大震災 に参加中!

    東北電力女川原発は、リアス式海岸の山中に立地しており、陸上からは、全く
    見えない。 よって、地元の人間でも、この画像以上の全貌は見た事がない。
    そもそも、この原発は、撮影禁止なのだが、撮影されたら困るような施設をこんな
    場所に作るなと言いたいところ。

    周囲は、津波災害により、全て消滅したのだが、この原発施設だけが残った。
    よって、津波が押し寄せた際には、この周辺の地域住民は、皆この原発へと
    避難をし、最大で
    364名が約3ヶ月間にも渡り、原発内の体育館で避難生活を
    おくっていた

    【東北電力女川原発 原子力PRセンター】
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    3月11日の本震以降、4月7日にも余震があったのだが、その際に、女川原発は、
    非常用
    電源回路5つあるうちの4つまで消失したため、後1本消失していたら、福島と
    完全に同じ運命
    であったというのは、地元では有名な話。 但し、女川原発の
    場合は、被災前まで、避難区域が、半径5キロ圏内に限定されていたため、直線
    距離で7.5キロ離れた女川の町は、避難区域ではなかった
    。 これらの情報は、
    下記の動画でもハッキリと述べている
    のだが、何故か、関東へは一切伝わっては
    いない。

    東日本大震災で最大の死者を出した石巻市は、この女川原発の立地自治体で、
    直線距離で15キロ程度しか離れていないが、テレビでは、その事を一切触れ
    なかった。 この女川原発の全貌を見たければ、女川から遊覧船に乗って、
    金華山に行くと目の前に見える。



    東北電力女川原発にある原子力PRセンター。 映像ホールは、好きな動画を好きな
    だけ見れるという、大変太っ腹な場所であるため、お言葉に甘えて、3本も動画を
    見てしまった。 尚、東北電力管内にある7つの原発(建設中を含む)のうち、
    東北電力の施設は、2つだけで、残りの5つは、全て東京電力と関東のための施設。

    東北電力女川原発 原子力PRセンター
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    特に、福島第一、第二原発は、100%関東へ送電をするためだけにあるための
    施設であるため、本来、そこから放出された放射性物質は、関東で処理すべき
    もの
    。 それを全て東北に押し付けているため、理不尽極まりない。 福島に
    あるその他の火力、水力発電所も、ほぼ全て関東へと送電をしている
    ため、
    非常時に、関東からは送電をする事が出来ずに、事故へと繋がった。


     
    元々、福島県、岩手県、山形県へは、宮城県から送電をしているため、宮城県が
    大規模被災をすると、この周辺の県も全て停電するという歪な送電関係にある
    ため、
    被災後に多少改善してとは言え、根本的な部分が解決されていないため、東京
    電力は、東北からは出て行くべき。 福島第一原発へ最終的に送電を行ったのは、
    東北電力ですが、仙台でも大規模停電をしていた時期に、関東のために送電を
    続けた東北電力は、関東から感謝されて当然だと思いますが、その事すら、関東
    では一切報道しておりません。 因みに、映像ホールの動画は、撮影OKですが、
    原発の写真だけは、何故か禁止となっている。



    【お勧めの一冊】


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    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災の最大の被災地、宮城県女川町の現在の姿。 余りにも変わり果てており、
    大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れなくなっていました。 現在、
    女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川
    方向に戻るしかありません。



    現在、堀切山から望む女川の中心部には、建物のひとつすらありません。 女川に押し
    寄せた津波の高さは、この堀切山をも超え、25メートル前後と言われています。 但し、
    この堀切山は、階段で更に上に登れるのと、山上にある女川町地域医療センターの
    建物が4階建てであるため、そこへ登って、多くの人達が命を守り切りました。

    【堀切山から望む女川の中心部】

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    女川は、死亡率で見ると、住民の10人に1人が死亡した、東日本大震災最大の被災地
    ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では全く伝え
    られてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』のご遺族の田村さん
    ご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせをしてからこの献花台へと
    向かいました。 共に、語り部をされていますので、女川、石巻へお越しの際は、お話を
    聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?



    まずは、田村さんご夫婦に、『七十七銀行女川支店』の被災状況を伺いました。 田村さん
    ご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度訪れてお話を聞くだけの
    価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅である女川駅からも、さほど遠くあり
    ませんが、行く度に道路が変更になるため、若干分かりづらいかも知れません。
     
    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
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    石巻や女川の人達は、『かつてない地震』とは言うものの、『宮城県連続地震』の被災地
    から見れば、東日本大震災の地震の方が、地震災害としては、相当ましだったため、
    東日本大震災を未曾有の大地震と言うのには、かなりの疑問が残ります。

    【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】

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    献花台の前で語り部活動中の田村さんご夫妻。 この日は、新聞社の方が取材をして
    いました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。 医療センターが
    ある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで来た人達でも、
    この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
     
    七十七銀行女川支店は、海のすぐそばにありましたが、海側にあった4階建てのマリンパル
    女川の建物が完全に邪魔をして、津波が来たのが銀行の屋上からは、全く見えなかった
    そうです。 仙台銀行、石巻信用金庫の行員達は、全員堀切山に避難をして助かって
    います
    。 企業側の防災に対する意識の違いひとつだけで、明暗が完全に分かれた事案と
    言えます。

    【2015年12月24日に新しく街開きした女川駅前】

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    2015年の3月に移転再開したJR石巻線女川駅。 200メートルほど内陸側に移転
    しましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の駅前は、
    若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、津波で全て消滅した
    場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、ひとたまりもないでしょう。
     
    この女川だけは、津波の威力が余りにも凄過ぎて、女川駅のホームに留めてあった
    気動車が山の上にまで流されて横転していたり、4階の屋根の上に車が刺さっていたり、
    山の上に家屋の屋根だけが流されていたりしました。 更に、鉄筋コンクリートの建物が
    横転したのも女川だけ。

    現在女川駅は、無人駅になりました。 駅の中には、温泉施設の『ゆぽっぽ』と無料の
    足湯がありますが、これは、絶対に原発マネーで掘り当てたものだと前々から思って
    います。 ここは、女川原発からは、直線距離で7.5キロしか離れていません。

    ゆぽっぽの入湯料は500円なので、関東の感覚だと安いと思います。 津波で流される
    前の足湯には、屋根があったのですが、今の足湯には、屋根がないので、雨が降った
    時には傘が必要です。

    IMG_1004

    女川で唯一残った倒壊した建物。 3つあった倒壊した震災遺構は、その2つが既に
    取り壊されたため、女川派出所のみが女川駅前に残りました。 新しい町と倒壊した
    建物、両極端な組み合わせですが、ほんの2年程前まで、この場所は、山のように
    高い瓦礫置き場でした。

    【お勧めの一冊】


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