多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:東日本大震災

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    【東日本大震災の発生】
    2011年度のフィギュアスケート世界選手権は、本来は東京の国立代々木競技場
    第一体育館)での開催だったのだが、2011年3月11日に発生した未曾有の大震災
    「東日本大震災」により、開催不能となったが、そのため、1か月遅れで
    ロシアでの開催となった。 この世界選手権で、代替え開催国となったロシアは、
    わずか1か月と言う準備期間にも関わらず、あらゆる面で、日本に多大な配慮を
    してくれている。 それに対して、この時、ウクライナが支援してくれたのは、
    毛布4枚のみとなっている。

    開会を宣言するロシアのプーチン大統領
    6825derr

    自国開催を楽しみにしていた日本国民が、テレビで中継を楽しめるようにと、
    日本時間のゴールデンタイムに合わせて開会した。 その開会式では、日本を、
    そして、被災地を応援する演出を行い、そして、フィナーレでは、日本選手
    (小塚崇彦、髙橋大輔、織田信成、安藤美姫、浅田真央、村上佳菜子)を
    中心に、日の丸を描いて各国の選手が輪になって、日本を励ます
    パフォーマンスを行った。

    選手たちも、随所に日本へのメッセージを伝えてくれた。 フランス代表
    であったブラジル出身のフローラン・アモディオ選手は、原点対象となる
    ボーカル入りの曲をあえて使用。 「これは日本の人達へのささやかな
    歌のプレゼントだ」と述べた。 たくさんの選手たちが、応援席の観客が、
    日本への応援をくれた。 エキシビジョンに祈りを込めた選手たちもいた。

    アモディオ選手
    85012279

    しかし、このようなロシアからの温かなメッセージは、日本には届かなかった。
    最も問題なのが、ロシアの日本を勇気づけるための素晴らしいセレモニーが
    日本の地上波では全く放送されなかったた。 この時に世界選手権を報道した
    のは、フジテレビであったが、この頃から、日本のマスコミの劣化、
    真逆報道が始まったと言える。

    ロシアがせっかく日本のゴールデンタイムに合わせて開会式を行ってくれた
    のに、フジテレビの放送は、19時に始まり、最初の1時間以上は、ひたすら
    前日の振り返りばかりで、更には、キム・ヨナの特集を放送していた。


    【この時のプーチン大統領のあいさつ】
    みなさま、今日、数百万人のフィギュアスケートファンの方々にとって、
    世界選手権の開幕と言う素晴らしい日を迎えました。 この大会は、日本で
    行われる筈でしたが、もうご存じの通り、日本は未曾有の災害に見舞われました。
    地震、津波、そして、原子力施設の事故です。 原子力施設での災害というのが、
    如何に凄いものであるか、ここロシアの我々ほど知っている人はいません。

    日本の国民、政府はこの険しい道のりを勇敢に進んで全ての問題を解決して
    くれると信じています。 日本では残念ながら、大会を開催することは出来
    ませんから、この大会を行うために、モスクワが名乗りを上げました。

    我々は、チンクアンタ氏、国際スケート連盟全ての人たちに、モスクワを
    選んでくれたことを感謝しています。 この大会が極めて高いレベルで
    開催されるように、我々の出来ること全てを行います。 この大会が、まさに
    ここ、ロシアで行われるのは、特記すべきことです。 何故なら、115年間
    1896年に最初のフィギュアスケート選手権が、まさに、ここロシアのサンクト・
    ペテルブルグで行われたからです。

    あの時から、多くのものが変わりました。 技術も装備も素材も、変わらない
    ものは、このスポーツの力だけです。 信じられないぐらいの造形性、そして、
    このスポーツが観客の感情に訴える効果も。

    ソ連、ロシアのフィギュア選手は、フィギュアスケートの発展に多大なる
    貢献をし、完成させ、芸術の域まで高めました。 数日間、このスケート
    会場の氷上に、40か国以上、のべ200人以上の選手たちが登場します。
    皆さまの成功をお祈り致します。

    世界フィギュア選手権2011 モスクワ大会の開催を宣言します。

    日本を応援する各国の選手たち
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    【ロシア・フィギュアスケート連盟からのメッセージ】
    地球が痛みでうめき声を発した。 自然の強さに、全世界がショックを受け、
    あらゆる物を水は深海に流した。 しかし、何があっても、太陽は東から
    昇る。 地震と津波は、光に勝てない。 我々の神様が地球のみんなの命を
    守ってくれることを祈る。 桜が咲く公園は、たくさんあることを、白樺が
    咲く公園は、たくさんあることを、鳥が春の歌を歌えることを、旗が勝利の
    祝いで上げられることを祈る。 子供たちが、大人たちへと願う、友のみなさん、
    手をつないで、我々が、この地球において、ひとつの家族になっていることを
    忘れないで欲しい。

    日本選手を中心に、各国の選手が、日本を励ますパフォーマンスを行った
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    東京電力福島第一原発事故によって、古里での平穏な生活が失われたとして、
    福島県民ら約3,600人が国と東電に約215億円の損害賠償などを求めた訴訟の
    控訴審判決が2020年9月30日、仙台高裁であった。



    上田哲裁判長は、1審・福島地裁判決と同様に国と東電の責任を認め、両者に
    賠償を命じた。

    全国で約30ある同種訴訟では最大規模の訴訟で、国、東電の双方を被告とした
    訴訟としては初の高裁判断。



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    東日本大震災の津波で行員ら12人が犠牲となった七十七銀行女川支店が
    2017年9月4日、JR女川駅前に再建した新店舗で営業を始めた。 2011年
    3月の震災発生から約6年半を経た新店舗での再出発だが、慰霊碑などの
    モニュメント設置やセレモニーの開催は見送られた。

    慰霊碑について同行は『設置時期や場所を検討中』とし、セレモニーの
    見合わせは『取引先企業の多くが再建途上にあることを考慮した』と
    説明している。

    【七十七銀行鎮魂の花壇に刻まれた文字】
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    七十七銀行女川支店は、20メートルを超える巨大津波に襲われ、高さ約10
    メートルの屋上に避難した行員13名が津波に流され、そのうち、1名が奇跡的に
    近くを通り掛った船に助けられた以外を除き、12名が犠牲となり、8名は
    懸命な捜索活動にも関わらず、今でも遺体が見つかってはいない。

    被災後の銀行側の対応は、あくまでも『死亡退職』であり、その後、死亡した
    行員の墓参りに訪れる事も遺族側に寄り添う姿勢も示さなかった。 銀行側の
    余りの対応に、遺族らの不信感は高まり、訴訟を起こして、最高裁まで争ったが、
    司法は津波を予想することは出来なかったと結論付け、遺族側の敗訴が確定した。
    2階建ての旧支店は、震災から1年半も経たないうちに取り壊され、現在は、
    かさ上げ工事のため、更地となっている。 裁判官が実際に現地を訪れた際には、
    既に旧支店は取り壊された後だった。

    新店舗は、被災した旧店舗の跡地から約350メートル北側にあるJR女川駅前の
    商業エリアに建てられたが、鉄骨2階建てで屋上はない。 店舗内3カ所には、
    町が指定した避難場所として高台にある女川小学校を示す看板が設置されている。
    七十七銀行女川支店は、2011年12月から女川町内の仮設商店街で営業をしていた。

    【現在の七十七銀行女川支店跡】
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    七十七銀行は、東北最大の地方銀行であり、地域のリーダーとして、今後の明確な
    指針を示さなければならない立場なのにも関わらず、このような無責任な態度を
    取り続け、未だ遺族らには、何ら謝罪の言葉すら掛けてはいない。

    2003年に石巻地区では『宮城県北部連続地震』が発生し、大規模被災したが、
    その後、七十七銀行女川支店は、避難マニュアルを高台から屋上へと下方修正した。
    その時の事を教訓にしていれば、こうはならなかった筈。 震度5強~6程度の
    地震は、石巻周辺ではしょっちゅうあるにも関わらず、その事を全て無かった事に
    しています。 『宮城県北部連続地震』の被災地では、地震災害のせいで人口が
    5,000人以上も減った。

    再度津波が来た際には、企業としてどう対応するつもりなのか、ハッキリと説明を
    する義務が七十七銀行側にはあると思います。 それが出来ないのであれば、
    七十七銀行が女川に支店など持つ資格などない。

    七十七銀行鎮魂の花壇』は、JR石巻線女川駅から徒歩約10分弱の旧支店を
    見下ろす堀切山にある。


    【お勧めの一冊】


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    宮城県第2の都市である石巻のソウルフードと言えば、牛乳をベースにした
    スープが特徴の牧場ラーメンを挙げることが出来る。 この牧場ラーメンは、
    2000年頃までは、JR石巻駅前の牧場ビル1階にあったものだが、その後閉店し、
    東日本大震災後に一旦陸前山下駅付近の自動車学校を改装した場所で復活し、
    その後、更に、現在の場所へと再移転したもの。

    【牧場ラーメン】宮城県石巻市新成2-1-7 TEL: 0225-92-4649


    牧場ラーメンでは、麺を通常のものと唐辛子を使用した多少ピリ辛のものから
    選ぶことが出来るのだが、この独特な牛乳スープがなくなり次第、閉店と
    なるため、土日は午後5時以降に来店すると、閉店していることの方が多く、
    特に注意が必要となっている。 心配な場合は、以前に電話連絡を入れてから
    行くのが確実。 JR石巻線の渡波駅からは、歩いて10分弱で行くことが出来るが、
    石巻線は極端に列車の本数が少ないため、やはり、車で行くのが無難。 駐車場は
    4台分ぐらいあるため、恐らく大丈夫であろう。

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    牧場ラーメンでのお勧めはやはり、店名にもなっている『牧場ラーメン』であろう。
    牛乳味の独特なスープは、こくがあり、非常にまろやかな味がします。 多少
    ラー油等で辛目の味付けにしても、牛乳がまろやかな味に変えてくれるため、
    例え、唐辛子入りの麺を注文したとしても、特に辛さは感じない。

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    どうしてこの牧場ラーメンが石巻のソウルフードと呼ばれようになったのか
    に関しては、元々は、石巻駅前にお店があり、石巻の高校生御用達の
    ラーメン屋であったため、こう呼ばれるなったもの。 約20年ぶりに食した
    独特なラーメンは、懐かしいと言うよりも、変な味と言った方が分かりやすいw
    味覚とは年齢と共に変化するものです。 中高生の頃は、これを美味しいと
    思って食べていたww

    ともあれ、一旦閉店したお店が復活したことは、非常にめでたいため、石巻を
    訪れた際には、一度は牧場ラーメンを食べに行くことをお勧め致します。

    【お勧めの一品】



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    東日本大震災の最大の被災地、宮城県石巻市門脇町・南浜町地区では、震災から
    6年半が経過したが、復興が進んでいる場所とそうではない場所との『落差』が
    目立ち始めている。

    石巻市全体での死者数は3,282名となっており、行方不明者は699人となって
    いるが、この地区は、津波とその後に発生した火災により完全に廃墟と化した。
    被災前までは、約1,700世帯が住んでいた住宅街であったのだが、被災前までの
    名残は一切残ってはいない。

    【被災から6年半が経過した石巻市門脇地区
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    一部では、住宅地が復興したが、一部は道路となり、現在では、あちらこちらで
    工事中だらけとなっており、度々移転を繰り返している『がんばろう石巻』の
    看板のある場所にたどり着くのでさえ、ままならない。 基本的に右折が出来ない
    個所ばかりであるため、車での移動も非常に難しくなった。

    この地区には、災害復興住宅が建設されたが、この地区を襲った津波の高さは、
    約6.9メートルであるため、再度津波が襲った際には、また同じ過ちを繰り返すので
    あろう。 日和山へと登る階段の麓には、1つだけ商店が出来たが、住民がまばらで
    あるため、売り上げ増も期待出来ない。

     

    被災直後に炎に包まれた門脇小学校は、現在では廃校となり、この先、のこ地区での
    人口増が全く望めないという理由により、石巻小学校と統合された。 2012年の
    紅白歌合戦で、長渕剛がライブ中継を行った校庭には、その面影すら残っては
    いない。

    最近では、テレビ等でも全く報道されなくなった東日本大震災最大の被災地は、
    復興もままならないままの状態で、人気も無くひっそりと静まり返っていた。

    【お勧めの一冊】



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    宮城県石巻市牡鹿半島突端の沖合いに浮かぶ金華山は、島全体が黄金山神社の
    神域とされており、古くから信仰の対象として、青森の恐山、山形の出羽三山と
    並ぶ『奥州三霊場』にも数えられている人口わずか6名の島。 神の使いとして
    保護されている多数の鹿が生息している。

    特に、商売繁盛や開運招福を願う弁財天が有名であり、地元では『三年続けて
    お参りすれば一生お金に困ることはない』という言い伝えがある。 離島にも
    関わらず、多くの参拝客を集めていたが、2011年の東日本大震災発生後は、
    震源地から最寄地点ということもあり、金華山へと向かう船は、女川港、
    鮎川港共に、日曜日にそれぞれ1往復のみの運行となっている。 天候不良の
    場合には、船が運航しないため、更にその有り難味が増した。

    港から徒歩20分程度、あるいは、島内にある無料の送迎車で5分の場所にある
    黄金山神社は、広島県の厳島神社等と共に日本の『五弁天』の1つにも数え
    られており、黄金山神社から徒歩約1時間の金華山山頂には奥ノ院が鎮座している。
    島内には、奈良時代の産金伝説も残っている。

    2000年には、航空自衛隊松島基地所属のブルーインパルス2機が金華山にほど近い
    牡鹿半島の光山に墜落、パイロット3名が死亡する事故があった。

    【金華山黄金山神社】
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    【金華山航路】
    金華山へは、石巻市牡鹿地区の鮎川と、女川町の2ヵ所の港から船が出る。
    鮎川航路は、金華山航路事業協同組合(☎0225-44-1850)への予約により、
    片道約20分、往復料金2500円~。 女川航路は、潮プランニング
    (☎0225-98-9038、☎090-4639-9038)への予約により、片道約35分、
    往復料金3100円~。
     
    【金華山パワースポット巡り便】
    女川からは、予約によって「おすすめ金華山パワースポットめぐり便」が運航。
    島内で黄金山神社周辺のパワースポット巡りが出来る。 金運開運の銭洗場や、
    体の痛みがとれる『こぶの木』、子宝に恵まれる子安地蔵など不思議な金華山の
    魅力が楽しめる。 予約すれば宿坊に宿泊することも出来る。 問い合わせは
    上記の潮プランニングまで。

    【お勧めの一品】


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    日本社会が危機的だと痛感するのは、前復興大臣の数々の暴言を見ても分かる通り、
    専門を完全に無視して、ある日突然『鶴の一声』により、何もかも仕事を丸投げ
    されるところ。 元々、経験どころか、興味すらない人間にその仕事が勤まる筈も
    なく、そのような人間ばかりがこの日本社会を支配しているため、当然、労働生産性
    など上がる訳がない。

    問題は、あくまでも他人事で済ませている政治家が多いところで、単に指名された
    からと言って、やっつけ仕事的な感覚で、大臣やら政治家をやってもらっては困る。
    知らない、あるいは、興味がないのであれば、最初から辞退すべき話。 そもそも、
    政治家の給料は税金なので、国民の方を向いていない政治家は必要ない。

    このような国にしてしまったのは、元々は、国民の責任で、ひとりひとりがこの国に
    対して責任を持っているという自覚を持たない限り、この国は何も変わらない。
    誰も一切責任を取らない無責任社会が招いた末路。 そもそも、何も責任を取らない
    のであれば、何も言うべきではないが、バカは自分が何を言っているのかすら分から
    ないらしい。 元々、思ってすらいないことを口にする筈がないため、素養の問題。
    日本は、適材適所に人員を配置するという基本的なことが全く出来てはいない。

    所詮、関東や他地域の人間の殆んどは、被災地などには全く関心がないのだが、
    今回の件は、単に自民党の本音が出ただけで、自らの過ちを認めるどころか、それを
    擁護する時点で、自民党の腐り具合が良く分かる。 このまま自民党に政権を任せて
    いると、被災地どころか、国民全員が見殺しにされてしまう。 『自己責任』とは、
    自分では絶対に責任を取らない人間の捨て台詞でしかない。

    前復興大臣が放った、『東北で良かった』という一言は、当然酷いのだが、関東の
    老害のレベルは、大体あんな程度か、それ以下で、不都合な質問をすると、
    たちどころにぶち切れて、周囲が空気を読んで全て前もって対処なければならない。
    そのような事ばかりを日々繰り返しているため、嗜め役がおらず、日本はブラック
    企業ばかりの社会となった。

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    東北の小学校の社会の授業では、『福島の原発は、東電のもので100%関東に送電を
    しているため、福島の住民達は、原発の電力を一切使えず、更に、福島は東北電力の
    管轄なので、宮城県内に原発を造って福島にも送電しなければならない』と教えて
    いるが、関東では『原発はクリーンなエネルギー』としか教えていない。

    約150年前の戊辰戦争での敗北後、福島は関東の電力供給のための植民地に
    されたが、仙台は軍事基地にされた。 戦前の仙台は、日本でも指折りの軍事都市。
    そのお陰で、太平洋戦争でも宮城県は全土に渡り、何度も空爆された。 米軍
    基地は、いつかなくなるかも知れないが、自衛隊は未来永劫なくならない。



    東北・北海道は、日本からは独立すべきで、そうしなければ、東北から関東のための
    原発と送電施設は未来永劫なくならない。 福島に東電とJパワーの発電所が
    集中的にあるのは、関東への被害を最小限にするためのもので、福島以外にも、
    青森の大間、東通、新潟の柏崎刈羽原発も関東に送電するための施設。 関東は、
    今でも福島の火力発電所と水力発電所から送電を受けている。

    このまま劣化した人材の宝庫、東京と一緒に居たところで、利用されるだけ利用
    されて、特に利点はない。 電力の搾取は今に始まった話ではないが、原発が安全
    だと言い張るのであれば、東京都内に原発を造るべき。

    先日初めて首相官邸前デモを見に行ったが、『被災者守れ!』と言っている被災者
    とは、100%福島の原発被災者限定で、津波被災者は一切含まれていない。 自分の
    思想のために、被災地を利用するのは止めるべき。 元々、『脱原発』は、言って
    いる内容が利己的過ぎるため、主張している内容が、全体的におかしい。
    そもそも、自分の主張を受け入れて欲しいのであれば、相手の話も聞くべき。
    物事は、多角的に見てこそ、真実を見極めることが出来るのだが、一方的なもの
    の見方しか出来ない人間に、真実は見極められない。

    【お勧めの一品】


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    東日本大震災から6年。 被災当時、かなり頻繁に使われていた『絆(きずな)』
    とは、本来は、犬、馬、鷹などの家畜を通りがかりの立木につないでおくための綱を
    表しており、しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。 人と人との結び付き、
    支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。

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    SNSなどでは、プロフィール画像にも頻繁にこの『絆』が強調されていたりもした
    のだが、実際は、被災地などには関心が薄い人が多く、単に『自分は良い人』を
    アピールするために使われていたのも事実。 これさえ付けておけば、自分も
    善良な日本人的な安易な発想から、好んで使っていた人も多かったのだが、
    被災から6年以上が経過し、風化を通り越して、既に災害が一切なかったことに
    なっている現在では、被災地以外では、既に完全に死語と化している。

    そもそも、熱しやすく冷めやすい国民性であるため、ものの数ヶ月で見事に
    この『絆』自体が風化してしまったのだが、単なる『友情』よりも強い結び付きを
    表している筈の『絆』は、元々、そこまで硬く結び付いてはいなかった。 結果
    として、単なる言葉の安売りになってしまったため、本来の言葉の意味が薄れて
    しまったとも言える。

    硬い友情で結ばれた『絆』とは、互いの価値を認め合い、相手のために出来ることを
    しようとすることを意味しているのだが、『脱原発』に見られるような、単なる
    一方的な思想の押し売りもこの『絆』に含めてしまったため、最終的には、収拾が
    付かなくなって消滅した。



    心から信頼し合える本当の友達を見つけるのも非常に大変なのに、そこまで硬く
    結ばれた友情など、おいそれとは存在しない。 SNSの発達により、世界中の
    人たちとは『友達』になれる時代になったが、SNS内の友人たちは、『友達』など
    ではなく、単なる『知り合い』に過ぎないことを忘れてはならない。

    被災時の海外からの支援に対する感謝の気持ちを日本人として当たり前と大々的に
    述べている人を多く見掛けるものの、実際は、義捐金のネコババが横行している
    ため、その支援は、被災地にはほとんど届かなかった。 義捐金は、被災者に
    届いてこそ、義捐金なのであり、思い通りの額を懐に入れて良いものでは決して
    ない。 阪神淡路大震災の頃からずっと言われ続けている義捐金の中抜きだが、
    一向に改善の兆しは見られない。 

    『絆』はお金で買えるものではなく、自分から一方的に求めるだけでも得られる
    ものではないが、一時の硬い結び付きよりも、緩く長い付き合いの方がまだまし
    なのではないだろうか。

    【お勧めの一冊】


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    東日本大震災から丸8年が経過したが、津波で消滅した沿岸部では、未だ復興など
    というものは全く進んではいない。 ようやく、防潮堤の工事がようやく始まった
    程度なのだが、2017年の政府主催の東日本大震災追悼式では、安倍首相が、
    『被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て、復興は着実に進展していることを
    実感します』などと絵空事ばかりを述べたが、実際に、被災地に足を運んだことが
    ある人間は、そのようなことは一切実感しない。

     

    安倍首相は、元々、復興が完了した場所にしか足を運ばず、悲惨な場所には、
    殆んど行ってはいない。 政府が率先してこのようなウソばかりを述べ立てるため、
    被災地に行ったことすらない人たちの場合は、まんまと騙されてしまうのだが、
    最近では、まともに被災地の報道すらされなくなったため、『災害の風化』
    どころか、既に何もなかったことにされてしまっている。 『災害の美化』と
    でも言うべきなのだろうか。

    hagken

    元々、関東他の直接被害を受けていない地域での東日本大震災に対する関心は、
    非常に薄かったのだが、被災から6年を経て、あれほど『絆』と言っていたあの
    騒ぎは一体何だったのかと首をひねるばかり。 何もかもが他人事で、地元の
    人間でも沿岸部の人間以外は、余り復興などというものには関心がないため、
    既に記憶の片隅からも消え去っている。

    現状、沿岸部では、ようやくかさ上げ工事が終了し、防潮堤の建設が始まった
    ばかりであるが、その防潮堤が高過ぎるため、海が一切見えなくなった。 有事の
    際には、むしろ、海が全く見えないため、危険なのではとさえ感じる。  しかも、
    その工事を請け負っているのは、地元の建設業者ではなく、大手ゼネコンばかり。

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    実際に、防潮堤の工事現場に足を運ぶと、被災地を食い物にしているとしか
    思えないぐらいに同じ名前の建設会社ばかりが並んでいるのだが、逆に、
    被災時に地元のために歯を食いしばって頑張った地元の建設会社は、むしろ、
    防潮堤の建設には選ばれなかった。

    『他人の不幸は蜜の味』という言葉があるが、『他人の不幸はカネになる』が
    正しい日本語なのかも知れない。 実際には、災害によって、むしろ、金持ちに
    なった人たちは少なからずいるのだが、瓦礫の処理もカネ儲け、防潮堤も
    カネ儲けでは、世知辛いを通り越して、それこそ、世の終わりを感じるばかり。

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    東日本大震災から丸8年が経過した。 関東に避難をしている東日本大震災の
    避難者は、9割以上が福島からの避難者だが、福島の場合は、原発事故という
    特殊な災害であったため、全員ではないが、東電から補償金が出ており、
    関東に残る事も出来たのだが、宮城、岩手からの津波被災者は、何の補償すら
    なく、更に、関東では仕事がみつからないため、地元に帰るしかなかった。
    この状況は、福島の津波被災者も同様で、原発被災者と津波被災者との間で
    非常に大きな摩擦となっている。

    避難者同士の格差は、被災当初からあったのだが、それでも、行政的な線引き
    だけでその後の運命までをも変えられてしまうのには、矛盾しか感じない。
    原発被災者の場合、ひとりに付き、月額で10~20万円もの補償金が東電から
    出ているため、既に埼玉等で新築の家を購入していたりもする。

    2016年3月末で、仮設住宅への入居期間が終了するため、今でも仮設住宅へ
    避難をしている人たちは、どこかへ引越しをしなければならず、かつ、そこから
    先は、家賃が発生することとなる。 原発被災者の場合は、その引越し代すら
    東電に請求が出来るが、津波被災者の場合は、特に何も補償はされない。

    津波被災者の場合は、住居が津波によって流されているだけではなく、家族、
    親類縁者、友人等が死亡、あるいは、行方不明なのにも関わらず、義捐金も
    ろくに届かず、何もかもを自然災害として処理されてしまったため、国からも
    完全に捨て置かれた状態。 自然災害による弱者に対する社会的なセイフティー
    ネットは、生活保護ぐらいしかないのが現実なのだが、その生活保護は、
    行政によるハードルが非常に高過ぎるため、おいそれとは貰うことが出来ない。

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    東日本大震災は、津波災害と原発災害と言う、いわば、二重の災害であったため、
    事実が正確には伝わらず、遠くへ行けば行くほど、情報が完全に歪んでいるのだが、
    その原因は、情報伝達方法に問題があると言える。 その理由として考えられる
    のは、間接的な情報伝達方法により、書き手側の主観が完全に入ってしまうため、
    情報が正確には伝わらない。 かつ、大袈裟な海外メディアや海外在住者らによる
    海外からの歪んだ先入観や情報が更に風評被害を拡大させた。

    特に、自分の事だけを述べたい人の場合は、勝手に途中で情報を自分好みの情報に
    書き換えるため、話があらぬ方向へと進んで、途中で話が全くの別物になっている
    こともしばしば。 しかも、そのような人間に限って、自分の過ちには気付かない
    ため、始末に終えない。

    『宮城県沖では99%の確立で大地震が起きる』という話は、30年以上も前から
    あった話で、東日本大震災の8年前にも、石巻付近では『宮城県連続地震』が
    起きたが、その際にも、東北大学は、『この先も更に大きな地震が起きるので、
    注意を怠らないように』と言っていた。 よって、東日本大震災に対する準備を
    怠っていたのは、明らかな人災。 福島第一原発でも、津波防止のための防波堤の
    建設を住民側は切望していたが、当時の福島県知事によって無視された。

    津波災害は仕方のない自然災害、原発災害は人災であるため補償せよでは、
    おちおち安心して被災も出来ない。


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    もうすぐ3月11日がやって来る。 最大被災地出身の関東在住者にとっては、
    心中穏やかではない。 過去に類を見ない未曾有の大震災が起きた時、被災地からは
    遠く離れた場所に居た。 但し、その場所は、子供の頃から慣れ親しんだ土地である
    ため、テレビに次々に映し出される映像は、どこも見覚えのある場所ばかり。

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    最初に目に飛び込んで来たのは、仙台空港が津波に飲まれて、水没するところ
    だった。 次に見たのは、仙台市内が津波に飲まれるところ。 仙台市内には、
    一ヶ所だけ海水浴場があるが、その付近は、道が狭く、しかも、一本道しかない
    ので、道路事情が悪いことも知っていた。 次々と津波に流される車や家を見て、
    早く逃げて欲しい気持ちと、あの場所に居たら、もう助からないことも同時に
    分かってしまう自分が居た。

    東日本大震災は、かなり昔から、『30年以内に99%の確立で必ず起こる大地震』
    として、東北大学が予想していた大地震。 よって、例え、震度7(マグニチュード
    9.0)であったとしても、津波さえ来なければ、ここまで被害が拡大することも
    なかった。 地震がかなりの頻度で起こる地域であるため、地震慣れし過ぎて、
    避難しない人が多いことも知っていた。

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    次に目に入ってきたのは、東松島市の惨状。 正に自分の地元。 JR仙石線が
    行方不明になったというニュースだった。 津波が襲った後、仙石線の電車は、
    一方が津波に飲まれて大破、もう一方は、高台に緊急停車して助かったが、
    当初は、どちらも乗客は全員死亡と伝えられた。 学校の屋上では、『SOS』を
    掲げた人たちが映し出されたが、すぐ近所に航空自衛隊があるため、何とかなる
    だろうと思っていたが、その航空自衛隊ですら、津波に飲まれて、完全に機能が
    停止したため、屋上などに取り残される人たちが続出した。

    地震が発生した翌日には、福島第一原発で事故が発生したため、福島県全体が
    完全に通れなくなった。 東日本大震災が発生した翌日、最大被災地で自分の
    地元である石巻で、取材のための通訳の依頼が入ったのだが、この原発事故の
    影響により、結局は行けなくなった。 当初は、米軍と共に行けば、何とか
    石巻まで行けるとの話だったのだが、結局のところ、余りの被災度合いのため、
    最終的には、行けないこととなった。

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    その後もテレビでは、連日、東日本大震災のことばかり伝えたが、関東の方では
    輪番による、計画停電が始まった。 福島での原発事故による影響が関東でも
    如実に現れた形が、この計画停電だった。

    被災当時、さいたま市大宮区に住んでいたのだが、大宮区は、埼玉県の経済の
    中心であるため、大宮区全体での停電は避けなければならないという理由により、
    大宮駅を境に、東口と西口とが別々の時間帯で計画停電が実施された。 この時
    には、関東全域が同じような計画停電を実施しているのだと思い込んでいたのだが、
    実際に計画停電を行った地域は、半分にも満たず、横浜市、川崎市、千葉市等
    では計画停電は実施されなかった。

    計画停電初日、大宮区東口地域は、午後7時から午後10時までの時間帯で計画
    停電が実施されたため、会社から帰宅した時には、電気がなかった。 帰宅前に、
    近所のスーパーにも寄ったのだが、停電により、閉店していた。 近所の
    コンビニなどでは、被災当初こそ計画停電中は営業を停止していたものの、
    数日も経たない頃には、ろうそくや懐中電灯のようなものを使って、停電中でも
    営業が再開された。 カップラーメンやパンなどの食料品には、『各自〇〇個まで』
    のような購入制限が付けられた。 これは、流通事情が極端に悪くなったため、
    一時的に、食料の入荷が滞ったためであった。

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    東日本大震災が発生した翌日、変わらず出勤となったのだが、誰一人として、
    被災地を心配する人間は居なかった。 むしろ、原発事故の話ばかりで、
    津波被災地は、完全に無視された。 自分の実家付近が被災地となったため、
    会社側にとりあえず実家に帰りたい旨を伝えたところ、仕事を辞めてから行く
    ように言われた。 この時点でも、かなり愕然としたのだが、関東は関東で大変
    なので、仕方がないと自分に言い聞かせた。

    その後も、原発事故の影響により、東北道、東北新幹線共に、完全に通行止めと
    なったため、実家に帰れる目処すら立たなかった。 東日本大震災から1ヶ月
    ぐらい経過してようやく、高速バスが極一部だけ復活したのだが、その運賃は、
    仙台まで片道6,000円超の通常よりも割高な運賃だけだった。 これ以外の
    交通手段は、緊急処置として羽田空港から仙台空港まで飛んでいた飛行機
    のみだった。 車で仙台に行く場合も、福島が通れないため、新潟と山形を
    経由して被災地入りする人たちが続出した。

    いつでも帰れる場所だと思っていた自分の地元は、いつ帰れるのかすら分からない
    遠い場所になった。 実際に、自分の地元である石巻に帰れたのは、新幹線が
    ようやく福島まで再開したゴールデンウィークになったからだった。 被災当時、
    親が携帯を所持していなかったため、連絡が一切とれない状況がゴールデンウィーク
    まで続いた。 実家に何度電話しても電話は通じなかったが、後で知ったところに
    よると、母親は隣町にある姉の家に避難をしていた。

    テレビで何度も映し出されていた自分の地元は、変わり果てていた。 変わり果てた
    と言うよりも、地獄絵図そのものであった。 大宮駅に到着して、最初に掛けられた
    声は、『カラオケ如何ですか?』だった。 新幹線でものの2時間程度の場所
    なのに、余りにも違過ぎる現実を目の当たりにして、悔しいや悲しいを通り
    越して、呆然とした。 

    海外でも、フクシマの原発事故の事は、大々的に報道されたが、使われていた
    画像は、どれもこれも津波被災地の宮城県のものだった。 報道されている内容
    自体が、ウソだとすぐに分かった。 大袈裟な噂ばかりが一人歩きを始めた。

    東日本大震災では、福島の事ばかりが語られるが、実際は津波被災地の方が凄惨な
    状況であるため、津波被災地にももっと目を向けて欲しい。

    【被災当初の宮城県の様子】


    2016年2月10日現在、警察庁がまとめたところによると、東日本大震災による
    一連の余震での死者も含め、死者15,894人(宮城県9,541人、岩手県4,673人、
    福島県1,613人、茨城県24人、千葉県21人、東京都7人、栃木県4人、神奈川県4人、
    青森県3人、山形県2人、群馬県1人、北海道1人)、行方不明者2,562人と
    なっている。

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    東日本大震災から間もなく6年を迎える中、東北の被災3県では東京電力
    福島第1原発事故の自主避難者を含めて3万3748世帯、7万1113人がいまだに
    仮設住宅での生活を余儀なくされている。 岩手、宮城両県は住宅再建で
    仮設からの退去が進んでいるが、福島県は原発事故の影響で先行きを
    見通せずにいる。

    出典:河北新報 

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    【仮設住宅での暮らし】生活圏縮小や体力低下のリスク大

    3県で仮設住宅に入居する戸数の推移はグラフの通り。 1月末時点と、震災発生
    1年後の2012年3月の比較では、2~4割台に減少。 福島は公営住宅、民間賃貸に
    入居する自主避難者は含まれていないため、実際の世帯数と人数はさらに多い。

    【岩手県】
    入居戸数はピーク時の35.6%。 退去後の対応について、昨年12月時点で96.7%の
    世帯について自宅の建て替えや災害公営住宅への入居といった再建方針を確認
    できた。 県は方針が定まらない世帯の転居先確保を支援する。

    被害の大きかった釜石、大船渡、陸前高田、山田、大槌の5市町は仮設の供与
    期間が一律に7年目まで延長され、宮古市は事情のある世帯にのみ許可。 8年目の
    延長について、県生活再建課の担当者は「復興状況を踏まえ、各市町の意向を確認
    して国と協議する」と話す。

    【宮城県】
    戸数はピーク時の2割まで減った。退去後の住宅再建方針が未定だったり把握
    できていなかったりするのは1月末で133世帯。 県は秋に3カ所目となる被災者
    転居支援センターを石巻市に開設し、新たな暮らしの場を求める被災者を
    後押しする。

    仮設の供与期間は石巻、名取、女川の3市町で一律7年目まで延長。 県震災
    援護室は「17年度末までに災害公営住宅の99%が完成する。 8年目延長は特別な
    事情のある世帯に限らざるを得ない」とし、20年度に仮設住宅の解消を見込む。

    【福島県】
    県の昨年10月のまとめによると、原発の避難指示区域外からの自主避難者を
    含めた仮設への入居戸数は2万7806世帯、6万1617人に上る。 県生活拠点課は
    「自主避難者は実態把握が難しく、ピーク時がどれぐらいだったかを把握できて
    いない」と説明する。

    自主避難者への仮設供与が3月末で終わるため、県は1万2239世帯を対象に意向
    調査を実施。 92.5%の1万1321世帯は方針が決まったか、既に移転済みだった。
    残る918世帯ははっきりしておらず、実態把握などを続ける。

    避難指示区域の9市町について、同課の担当者は「避難指示が解除される見通しが
    立たないうちは、仮設入居の期限を設けることは難しい」と語った。

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