日本が長い鎖国の眠りから解き放たれ、海外渡航禁止令が解かれたのは1866年。
これは、大政奉還が行われる前年に、御免の印章と呼ばれる、現在のパスポートが
初めて発行されたのが、その始まり。 それ以降、100年以上にも渡り、日本人は、
海外へと移民をしていた。 ハワイ王国のサトウキビ畑で働く労働者として、
1885年から10年間で、約2万9千人の日本人がハワイへと渡った。 これを
官約移民と呼ぶ。

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その後、ハワイ王国が、アメリカ合衆国の一部となると、ハワイからアメリカ本土、
並びに、日本からアメリカ本土、カナダへの移民が増えて行った。 しかし、
当時のアメリカには、日本人移民を受け入れない動きが強くなっていたため、
1899年にはペルー、1908年にはブラジルへの移民が始まった。

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ブラジルに渡った日本人は、主にコーヒー農場の労働者として働いた。 当初は、
海外で働いてお金を貯め、日本に戻る事を考えていた人が殆どであったが、次第に
移住した国に定住する人が多くなった。 そして、1924年にアメリカで日本人の
入国が禁止されると、大きな流れが北米から南米へと移って行った。 その結果、
第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人の日本人が海外へ移住
している。

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第二次世界大戦が起こると、アメリカやカナダでは、日本人とその子孫である
日系人は、敵とみなされた。 そのため、多くの人たちが土地や家を奪われたり、
強制収容所へ入れられたりした。 南米でも、住む場所が規制されたり、日本人が
経営する店が壊されたり、日本人学校が閉鎖されたりと、日本人移住者たちは、
それまでと同じ暮らしが出来なくなった。

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戦争が終った後も、北米や南米では、日系人に対する偏見や差別がなくなら
なかったが、そのような状況でも、日系人は、日本に救援物資を送る運動を
起こし、毛布や粉ミルク等沢山の生活物資を日本へと送った。 これらの品々は、
『LARA物資』と呼ばれ、日本人の6人に1人がその恩恵を受けた。

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戦後、日本人の移民が再開すると、多くの日本人が南米へと渡って行った。
しかし、1960年以降は、その数も次第に減って行った。 そして、1993年には、
国の方針として、移住者を海外へ送る事が中止された。

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ここ十数年、かつて日本人が移住した国々、特に南米から、日系人とその家族を
合わせて約30万人の人たちが就労や勉学の目的で来日している。 こうした
経緯から、日本人の海外移住の歴史、そして移住者とその子孫である日系人に
ついて、広く理解を深める事を目的として、JICA横浜に海外移住資料館が開設
される事となった。



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