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    タグ:日和幼稚園

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    ◎日和幼稚園訴訟(下)悲劇の伝承

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    <現場で語り部に>
    東日本大震災の津波で子どもを亡くした私立日和幼稚園(宮城県石巻市、休園中)の
    遺族4人が9月30日、園の周辺で、修学旅行で訪れた香川県丸亀高の2年生約90人を
    案内した。

    園児を乗せた送迎バスが炎上した現場付近にたたずむ。 遺族にとって、つらい
    けれど大切な場所だ。 次女明日香ちゃん=当時(6)=を失った佐々木めぐみさん
    (36)が、わが子の遺体を見つけた際の様子を静かに振り返った。

    「体を触るとポロポロと崩れてしまい、抱きしめることができませんでした。
    もっと長生きしてほしかった。 皆さんは家に帰ったら『ただいま』と言って
    ください」

    耳を傾けていた丸亀高の生徒が手で涙を拭った。 小中学生のきょうだい2人が
    いる大麻悠香さん(17)は「胸が苦しくなったけれど、遺族の話を聞いて良かった」
    としみじみ思う。 「香川県は南海トラフ巨大地震の被害が想定されている。
    ちゃんと避難訓練をする必要があると痛感した」。 教訓を持ち帰り生かしたい
    という。



    遺族は訴訟の和解から5カ月後のことし5月、男鹿市の海岸へ足を運んだ。
    その地では1983年5月、日本海中部地震の津波で、遠足中の旧合川南小
    (北秋田市)の児童13人が犠牲になった。

    佐々木さんの夫純さん(36)が、初対面した日本海中部地震の遺族に自分の
    苦しみを重ねて尋ねた。 「32年間、どのようにして子どもたちの死と向き
    合ってきたのかが知りたい」

    小学4年だった長女=当時(9)=を失った福岡史恵さん(65)が答える。
    『ただいま』という言葉がないまま、32年前の姿のままに供養しています」。
    悲劇を語り継いでいくことが、風化の防止につながるとも助言した。

    <苦悩抱えながら>
    震災から間もなく4年9カ月。 早世した園児のきょうだいは、少しずつ成長
    している。 西城春音ちゃん=当時(6)=の仏壇がある石巻市の自宅の座敷で
    11月中旬、姉の楓音(かざね)さん(13)が震災後初めて、妹と一緒に遊んで
    いた形見のおもちゃを広げた。

    女児に人気のリカちゃんの家とシルバニアファミリー。 弟の靖汰君(7)、
    春汰ちゃん(2)が夢中になって遊んだ。 母江津子さん(40)は、何も
    言わず黙って見守っていた。 楓音さんの気持ちを想像してみる。

    「妹が亡くなり、一人でどうやって遊んでいいのか、分からなくなっていた
    と思う。 でも中学生になり、抱え切れなかった思いを少し抱えられるように
    なったのかもしれない」

    江津子さんも、愛するわが子を失った悲しみを抱えながら、命の大切さを
    伝えていくつもりだ。

    >>【日和幼稚園】~救えなかった命~

    >>【津波訴訟和解1年】「心から」の思い見えず

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    ◎日和幼稚園訴訟(上)謝罪の意味
    東日本大震災の津波で園児5人が亡くなった宮城県石巻市の私立日和幼稚園
    (休園中)の訴訟で、園児4人の遺族側と園側が和解してから2015年12月3日で
    1年となる。 園側からいまだに直接的な謝罪はなく、遺族側は一層、苦悩を
    深める。 遺族らは園側に血の通った対話を求める一方、語り部として命の
    大切さを伝える。 和解後の遺族の日々を追った。

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    <拒否された手紙>
    長女愛梨ちゃん=当時(6)=を失った佐藤美香さん(40)の自宅に11月中旬、
    園側の関係者に出した手紙が返送されてきた。 未開封の封筒には、直筆の
    文字があった。 「受取拒否」 佐藤さんがしたためた手紙はA4判1枚。
    「園側が法的責任を認め、心からの謝罪をする」という訴訟の協議内容を胸に
    納め、和解を決心したいきさつを記した。 和解成立後、園側から連絡がなく、
    手紙を送らざるを得なかった心境もつづった。

    佐藤さんは感情を押し殺して語る。 「法的なしがらみはありません。
    園側には一人の人間として、私たちと向き合ってほしいだけです。 せめて、
    未来を奪われた愛梨たちに真実を伝え、心から謝ってほしい」

    2014年12月3日、仙台高裁。 津波犠牲者をめぐり、初の賠償命令が出た
    訴訟は提訴から3年4カ月で幕を閉じた。

    和解調書は「園側は被災園児らと遺族側を含む家族に心から謝罪する」との
    文言を明記する。 園側は「司法の勧告を厳粛に受け止め、幼くして失われた
    尊い命に思いを致し、冥福を祈る」との談話を出した。

    今年3月と夏、一部の遺族宅に花が郵送された。 差出人は園側の関係者。
    手紙や文書は添えられておらず、遺族は真意を測りかねた。



    <踏み出せぬまま>
    遺族は9月、文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議のヒアリングに
    臨んだ。 次女春音ちゃん=当時(6)=を亡くした西城靖之さん(47)が
    研究者ら委10人に訴えた。

    「判決では園側の謝罪を得られないだろうと考えて和解を選んだ。 裁判の
    出口は出たけれど、そこから一歩を踏み出せずにいる」。 いまだに心の
    整理がつかない真情を吐露した。

    被告が原告の遺族に面会し、直接謝罪する。 日和幼稚園の遺族が対話の
    一歩として望むことが、震災関連の犠牲者をめぐる別の訴訟では実現した。
    その遺族は匿名を条件に胸の内を明かす。

    「訴訟で一番求めていたのは謝罪です。 亡くなった家族は帰ってこない
    けれど、位牌(いはい)の前で手を合わせ、頭を下げてもらったことには
    納得している。 人として最低限のことはしてもらいました」

    民事訴訟の和解に詳しい東北の元裁判官は「日和幼稚園のケースは気持ちの
    面で解決を望む遺族と、法的な問題を解決する裁判との間に大きな落差がある」
    と指摘する。

    「心からの謝罪」は目に見えない。 どうすれば、それがなされたといえるのか。
    元裁判官は「捉え方は難しい。 和解項目は任意であって強制執行はできない。
    園側が亡くなった園児や遺族とどう向き合うかが社会的、倫理的に問われている」
    と話す。

    [日和幼稚園訴訟]東日本大震災の津波で亡くなった園児4人の遺族が2011年8月、
    園側は安全配慮義務を怠ったとして、園側に損害賠償を求め仙台地裁に提訴。
    地裁は2013年9月、法的な責任を認め、園側に賠償を命令。 園側が仙台高裁に
    控訴し、訴審では園側が和解金計6,000万円を支払うことなどで和解した。
    訴えによると、園児を乗せた送迎バスは2011年3月11日午後3時ごろ、園のある
    高台から海側の低地に向けて出発。 約45分後に津波に巻き込まれ、提訴した
    遺族の子ども4人を含む園児5人が死亡した。

    >>【日和幼稚園】~救えなかった命~
    >>津波訴訟和解1年>わが子の命思い語る

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    東日本大震災の津波で犠牲となった家族の勤務先や行政を相手取った
    5件の津波裁判の原告遺族らが2016年3月5日、仙台市に集まり、震災の教訓を
    語り合うフォーラムを開いた。 そろって公開の場で討論するのは初めてで、
    『企業や組織は人命を最優先に行動してほしい』などと組織防災の必要性を
    訴えた。

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    フォーラムは七十七銀行女川支店(宮城県女川町)訴訟=最高裁で敗訴確定=の
    原告の呼び掛けで実現した。 行員だった長男健太さん(当時25歳)を亡くした
    田村孝行さん(55)は『連携して大切な命について語り続け、有事が起きた際の
    企業や組織の仕組みづくりを訴えていきたい』と話した。

    同県山元町立東保育所で長男将宏君(当時6歳)を亡くした鈴木あけみさん
    (50)は提訴した理由を『お金のためではなく、町に謝罪して本当のことを
    語ってほしかったから。 最高裁で門前払いになったが、上告せずに後悔する
    よりは良かった』と説明。 同県石巻市の日和(ひより)幼稚園訴訟で和解に
    応じた西城靖之(やすし)さん(47)は『絞り込まれた争点だけ争う裁判の
    仕組みに限界を感じた。 どうしたら子どもの命を守れるかを模索しながら、
    国や自治体に働きかけていきたい』と語った。

    係争中の石巻市立大川小学校訴訟、常磐山元自動車学校(山元町)訴訟の原告
    遺族も参加した。

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    東日本大震災から5年を迎えるにあたり、宮城県内の5つの津波訴訟の原告の遺族や
    家族が、企業や組織の防災のあり方について議論する公開討論会を3月5日に仙台
    市内で開く。 企業や学校、保育現場など、異なる施設管理下での津波犠牲者の
    原告たちが一堂に会して議論する会合は初めてとなる。

    討論会を企画しているのは、七十七銀行女川支店で働く従業員を亡くした遺族と行方
    不明者家族でつくる家族会と、その訴訟弁護団。他に、石巻市立大川小学校、私立
    日和幼稚園(石巻市)、山元町立東保育所、常磐山元自動車学校(山元町)の管理下で
    津波の犠牲になった遺族らに呼びかけて、開催が決まった。

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    第1部では、七十七銀行女川支店の家族会がこれまでの5年間の歩みを振り返り、また、
    岩手県内の企業が震災時の対応について報告をする。 第2部では、企業や組織は
    従業員等の関係者の命をどのように守るべきなのかを、各原告の遺族同士が登壇し、
    議論する予定だ。

    討論会の呼びかけ人のひとりである田村弘美さんは、女川支店で勤務中だった長男
    健太さん(当時25歳)を亡くした。 同支店の行員は、発災後に支店長の指示で支店
    ビルの屋上に避難したが、巨大津波に襲われて4人が死亡、支店長を含む8名が行方
    不明となった。

    企業防災のあり方問い続ける七十七銀行の従業員遺族
    田村さんら3遺族・家族が原告となり、銀行側に安全配慮義務違反があったとして計約
    2億3千万円の損害賠償を求めた裁判は、現在最高裁で争われている。

    遺族側は、津波の浸水予測域にありながら実効性のある避難訓練を行っていなかった
    同支店の防災体制や、支店から徒歩で約3分の場所にある町の指定避難場所の高台
    ではなく、より低く津波避難ビルでない支店屋上に避難させた対応などを問題視した。
    一方銀行側は、「ビルを飲み込むほどの巨大津波は予見できなかった」と主張した。

    仙台地裁(斉木教朗裁判長)は2014年2月の判決で支店ビルの適格性を認めたうえ、
    屋上への避難を「経済合理性があった」と認めて、遺族側の訴えを退けた。 仙台高裁
    (中山顕裕裁判長)も、2015年4月の判決で一審を支持。遺族側は翌5月に上告した。

    銀行側の不十分な防災体制を問題としない判決が出されたことに、遺族は危機感を
    募らせている。 田村さんらは討論会で、経済合理性や事業継続性が優先され、防災
    計画が軽視される傾向にある企業防災のあり方について、議論を深めたいとしている。

    遺族からの接触拒む日和幼稚園
    送迎中の園バスが、高台から海辺に降りて津波と火災に巻き込まれ、5人の園児と
    職員1人が犠牲になった石巻市の私立日和幼稚園(休園中)の事故。 園側が安全
    配慮を怠っていたために事故が起きたとして、4人の園児の遺族が2011年8月、計約
    2億6700万円の損害賠償を求めて運営母体と当時の園長を相手に提訴した。

    裁判では、保育士らが防災マニュアルが置いてある場所や内容を知らないなど、
    ずさんな管理体制も明らかになった。裁判は2014年12月に、園側が和解金計6000
    万円を支払うことで、仙台高裁(中西茂裁判長)での和解が成立している。

    和解条項には、「(園側が)一審判決で認められた法的責任を認めるともに、被災園児ら
    と家族に対し、心から謝罪する」などの文言も盛り込まれた。 しかし、遺族によれば、
    和解成立から1年以上が経つ今も園側からの直接的な謝罪はなく、園側は遺族が
    送った手紙を受け取り拒否で返送するなど、接触すら拒み続けている。

    事故で長女愛梨ちゃん(当時6歳)を亡くした佐藤美香さんは、「裁判が終わっても、
    遺族がこうして二重三重に苦しめられ続ける状態はなんとかならないかと思っている」と、
    苦悩を打ち明ける。討論会では、和解の枠組みの課題のほか、事故後の園側の対応の
    問題、保育現場の防災や安全管理の体制についても共有したいという。

    1遺族が上告中の東保育所
    保育管理下での津波被災は、県南でも2件起きている。 そのうちのひとつ、山元町に
    ある町立東保育所では、3人の園児が犠牲になった。

    地震発生直後、園は町役場の指示で、1時間ほど園庭に園児らを待機させた。 津波を
    目撃した保育士の言葉をきっかけに、園長の指示で居合わせた保護者の複数台の車に
    乗り込み逃げたが、最後尾の車が津波にのまれた。

    2人の園児の遺族が2011年11月、「町は防災無線やラジオで適切な情報収集をせず、
    園庭に待機し続けるという誤った指示をした」として、町に計8800万円の損害賠償を
    求めて提訴。 仙台地裁(山田真紀裁判長)は2014年3月の判決で、情報収集の適切性
    については「疑問が残る」としつつも、保育所まで到達する津波は「予見できなかった」と、
    請求を棄却した。 仙台高裁(中西茂裁判長)では、町が和解金300万円を支払うことで
    1遺族が和解に応じたものの、一審判決を支持した判決を不服として、1遺族が上告した。

    公開討論会には、裁判を続ける遺族が参加する。

    役員の責任認定求めて控訴した教習所遺族
    同じく山元町の常磐山元自動車学校では、亡くなった教習生25人の全遺族とアルバイト
    従業員1人の遺族が、適切な避難指示が行われなかったとしてそれぞれ学校側を相手
    取り裁判を続けている。

    仙台地裁(高宮健二裁判長)は2014年3月、遺族側の訴えを認めて請求のほぼ満額と
    なる計約19億1千万円の損害賠償を命じる判決を出した。 しかし、被告の自動車学校側
    だけでなく、教習生側の一部の遺族と従業員側の遺族は、役員個人の責任が認められ
    なかったことを不服として控訴。 仙台高裁(中西茂裁判長)での審理はほぼ終了し、
    現在和解の可能性を検討する段階となっている。

    討論会には、従業員側の原告が参加し、企業の従業員も含めた安全管理のあり方を
    訴える予定だ。

    大川小裁判は4月に証人尋問
    約50分間の校庭待機後に津波に襲われて74人の児童と10人の教職員が亡くなった、
    石巻市の市立大川小学校。 児童19家族が、学校の安全配慮義務違反を訴え市を相手
    取った裁判は、仙台地裁(高宮健二裁判長)で佳境を迎えている。 校庭の目撃者や
    関係者の証人尋問が4月に決まったところだ。

    遺族側が、事故後に学校や教育委員会側から適切な対応が受けられなかったことを
    問題としているのもこの裁判の特徴だ。 文部科学省も大川小の事故をきっかけに、
    学校事故後の調査や遺族への対応に問題が多いことを認め、調査と対応の指針作りに
    乗り出している。

    組織防災の現場に生の声をどう伝えていくか
    田村弘美さんは、「東日本大震災では組織管理下で大切な命が失われた 。裁判をして
    何がわかったのか。 次にどうすれば防げるのか。 教訓として引き継ぐには組織は
    どうあるべきか。家族として思うことをそれぞれに話す場にしたい」と話す。

    津波犠牲者の遺族が起こした裁判で、原告たちに共通するのは、「適切な対応をすれば
    助かる命だった」という思いだ。 裁判やこれまでの活動を通じて得られた知識や情報を、
    企業や学校などの安全管理の現場に当事者の生の声としてどう伝えるのか。 遺族
    たちが、自ら探り出す活動が始まる。

    フォーラム「東日本大震災から学ぶべきもの≪大切な命を守る企業防災・組織防災を
    一緒に考えましょう

    日時:3月5日(土)13時から17時まで 

    場所:仙台弁護士会館4階大会議室 

    申し込み不要。無料。 

    詳細は、同家族会のFacebookページにてに掲載される。 

    主催:七十七銀行女川支店被災者家族会 

    問い合わせ:電話 022-262-1901(一番町法律事務所 北見弁護士)

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    東日本大震災で当時6歳だった仲の良い姉を亡くした宮城県石巻市の小学2年生の
    佐藤珠莉(じゅり)ちゃん(8)が、2人の人形を『世界旅行させてください』と願う
    手紙をサンタクロース宛てに書いた。 いつか海外に行くことを夢見ていた姉と
    自分の代わりに人形が世界中を旅出来るようにと、サンタクロースにお願いをした。

    『あいり姉ちゃんとたくさんりょこうしたかったので、わたしのゆめをかなえて
    ください。 たびをしたときの人形のしゃしんをいっぱいとってきて、きねんに
    ほしいです』
     
    914293006323

    珠莉ちゃんの姉の愛梨ちゃんは、石巻市内にある私立『日和幼稚園』に通い、
    震災後に幼稚園の送迎バスで自宅に帰される途中、津波と火災に巻き込まれて
    命を落とした。



    当時3歳の珠莉ちゃんは、いつも一緒に遊んだ姉を突然失い、喪失感を抱えたまま
    成長した。 クリスマスや七夕などの度に帰ってくるよう願ったが、叶わなかった。

    昨年夏、珠莉ちゃんは、あるテレビ番組にくぎ付けになった。 病気の子に似せた
    人形を世界中を旅する人々に持ち歩いてもらい、名所を背景に写真を撮ってもらう
    企画。 番組では後日、その子にたくさんの写真が届いた。

    『愛梨もこうしてもらえないかな』その年のサンタへの手紙で、姉妹の人形を
    お願いした。 母親の美香さんが、復興支援団体を通じて人形を作れる人に製作を
    頼み、クリスマスに姉妹に似た編みぐるみが届いた。 珠莉ちゃんは大喜びで
    お礼の手紙を書き、今年は人形の世界旅行の願いを綴った。
     
    311648733673

    父親の文貴さんが家族旅行を計画し、美香さんが人形も持って行くことを提案
    したが『サンタさんに連れて行ってもらう』と珠莉ちゃん。 美香さんは
    『姉と自分を人形に投影し、自分の中に2人の世界があるのでしょう』と
    推測する。

    愛梨ちゃんの死後、事態の真相究明に奔走する両親を珠莉ちゃんはおとなしく
    見守った。 美香さんは『甘えたい盛りに我慢ばかりさせた』と悔やみ、
    『姉に対する思いの深さは親も驚くほど。 サンタの存在を信じる純粋な心を
    大切にしてあげたい』と思いやる。

    両親は、海外に行く用事があり『人形を持って行ってもいい』と申し出てくれる
    人がいれば、サンタの代役をお願いしてみようかと考えている。

    愛梨&珠莉人形 世界旅

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    現在Facebook上には、『愛梨&珠莉人形 世界旅』 というページが制作され、
    あいり&じゅり姉妹は、世界中を飛び回っている。 サンタクロースになって、
    2人を海外へ連れて行っても良いという方は、こちらのフォームから問い合わせ
    お願いします。

    【EN】
    A girl who has lost her older sister (at the time she was 6 years old) by
    the tsunami in 2011, she dreams her dolls to travel around the world with
    her lost sister.

    【DE】
    Das Mädchen, das ihre ältere Schwester(zu der Zeit war sie 6 Jahre alt)
    vom Tsunami im Jahr 2011 verloren hat, träumt ihre Puppen, wie sie,
    um die Weltreisen mit ihrer verlorenen Schwester zu machen.

    【FR】
    La jeune fille qui a perdu sa sœur aînée (au moment elle avait 6 ans)
    per le tsunami en 2011, elle rêve des poupées comme ils voyagent à travers
    le monde avec sa sœur perdue.

    【RU】
    Девочка, которая потеряла свою старшую сестру(в то время ей было
    6 лет) в результате цунами в 2011 году, очень мечтает о том, что
    куклы похожие на них путешествуют по всему миру вместе со своей
    потерявшей сестрой.

    【お勧めの一冊】


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    宮城県石巻市にある小高い日和山。 ここから見える場所だけで、約3,000名が
    津波の犠牲となった。 この地に、約1,200軒もあった家は、ほぼ全て津波で
    流された。 鉄筋コンクリート建てであった、市民病院や石巻文化センターも
    全て取り壊されてなくなった。



    石巻は、津波災害後に、流出した重油により、海が燃えたため、この辺り周辺
    では、大規模火災が起きて、数日間燃え続けた。 被災直後に、この場所に
    『探しています』と貼り出されていたのは、物ではなく人であった。 東日本
    大震災で最も酷い被災地をひとつだけ挙げるとすれば、この石巻の門脇地区周辺。

    日和山は、約50メートルほどの標高であるため、この地域周辺を見渡すことが
    出来るが、それと同時に、被災状況も目の当たりにすることとなる。 遠くには、
    牡鹿半島も望むことが出来るため、石巻随一の観光スポットであったが、今では、
    その観光客もまばらで、時折、津波災害の被災現場を見に来る人たちばかり。 

    【日和山からの景色】
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    以下の画像は、被災前と被災後の石巻の比較画像。 被災前の石巻の画像は、
    ウェブ上にもYoutubeにも殆ど残ってはいない。 この画像で比較すると、河口
    付近が津波で何もなくなったのが、良く分かる。 このような被災前の画像は、
    非常に貴重であるため、なかなか見ることが出来ないのだが、『がんばろう!石巻』
    の看板のすぐ隣に新しく出来た、『震災伝承』つなぐ館では、被災時の様々な
    資料が展示してあり、係員が常駐しているため、更に詳しい話を聞くことも出来る。

    【被災前後の石巻】
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    石巻は、仙台藩唯一の港町として栄え、港湾設備の規模では、東洋一とも言われて
    いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
    見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
    新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
    変化は特にない。

    新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
    ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
    にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。 

    日和幼稚園
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    日和幼稚園』ご遺族で、語り部をされている佐藤さんに、送迎バスの資料を
    見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
    見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
    見えなかったそうです。
     
    現在、この場所は、道路工事の工事現場となってしまっている。 
    『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
    助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
    既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
    謝罪すらしていない状況となっている。

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    がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
    なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
    この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
    続く。

     

    【新蛇田周辺】
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    新しく街開きをした新蛇田地区。 街開きとは『集団移転先』という意味。
    沿岸部の人達は、今後順次この場所へと移り住む事となるのだが、これで
    街開きをした言われても、一切何もない。 遠くに見えているのが、災害復興住宅。
    来年の3月に石巻めぐみ野駅が開業するため、駅が出来れば、多少なりとも活気が
    出るのかも知れないが、山側へ移転した仙石線の野蒜駅を見ても、期待は出来ない
    であろう。 この場所は、東松島市との境界線上にあるため、石巻西高校の
    高校生も利用する駅となる。 最後の2枚の画像は、先日X JAPANがライブを
    行った『石巻ブルーレジスタンス』。

    石ノ森萬画館

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    石巻編の最後は、『石ノ森萬画館』。 この漫画館自体も、川の中州にあるため、
    一時完全に孤立して、避難者が生活を共にしていた場所。 今では、すっかり
    リニューアルされて、その面影すらないが、こういう記憶は、大事にしたいところ。

    漫画館の前に建っているシージェッター海斗像は、津波で流され、後日瓦礫の
    中から発見されたのだが、破損度合いが酷過ぎて、東京の制作会社からキカイダー
    01の像共々石巻市に贈られたもの。 ご当地ヒーローで街興しをしている街は
    多々あるが、その先駆けが、石巻となっている。



    【お勧めの一冊】


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    東日本大震災により、数々の悲劇が起きた宮城県石巻市。 その中でも、
    約1,700世帯を超える住宅地が、津波で丸ごと消滅した門脇(かどのわき)
    地区は、この地域だけで、死者数約3,000名を超える最大の被災地。
    震災直後、この地区では生死が隣り合わせとなった惨劇が繰り広げられていた。

    4
    被災直後の門脇小学校前 10日後に、瓦礫の下から、生存者が見つかったのもこの付近。

    門脇小学校は、その焼け爛れた姿で、度々全国メディアでも取り上げられる
    事があったが、その裏山である、日和山にある『日和幼稚園』の地獄絵図の
    ような惨劇は、余りメディアには取り上げられなかった。



    この時に、亡くなったのは、4~6歳の男児1人、女児4人。 3月11日の地震
    発生直後、亡くなった5人を含む12人を乗せワゴン車が園を出発した。
    門脇町や南浜町方面に住む7人を門脇小学校前で降ろした後、大津波警報に
    気づき、園に引き返す途中、津波に巻き込まれた。
     
    園児は14日、変わり果てた姿でワゴン車の周囲で見つかった。 保護者は、
    焼け残った衣服などで子どもの身元を確認した。 男性運転手は一命を取り
    留めた。 同乗していた女性職員は今も行方不明(実際は遺体の受取拒否
    により、行方不明とされた)。 門脇小で降りた7人は無事が確認された。

    hiyori_bus_map

    バスを運転していた運転手は、津波に飲まれた際に、車外に放り出され、
    一旦は、園長のところへと戻り、園長と2人で、津波に飲まれたバスの様子を
    見に来たが、余りの出来事に、気が動転して、その場を立ち去ったという。
    その後、その付近からは、一晩中、子供達の助けを求める声が聞こえたと
    周辺住民は話しているが、そのような惨状は、保護者達には、知らされ
    なかった。 

    犠牲になった5人は、日和山からは、若干離れた、大街道地区や蛇田地区に
    住んでいた。 いつもは、津波が直撃した南浜町、門脇町を通らないルートで
    送迎されていた。

    photo_6

    【送迎バスの最後】

    上へ、上へ。 住民が安全な場所を求めて、日和山へ急ぐさなか、1台の
    ワゴン車が、日和山から門脇町、南浜町地区へと降りて行った。 日和幼稚園の
    園児12人を乗せた送迎バス。 地震直後に園を出発し、南浜町などを回り、
    5人の子どもを降ろした後、避難者でごった返す門脇小校庭に停車した。
     
    『バスを戻せ』。 当時の園長の指示を受け、幼稚園から教員2人が小学校脇の
    階段を駆け下りた。 バスに追いついたが、園児を連れ戻す事はなかった。

    バスは再び出発した。 途中、迎えに来た母親に園児2人を引き渡した。
    日和山に通じる坂の上り口で、バスは津波に飲まれ、流された家に押し
    つぶされた。 門脇町・南浜町地区一帯はすっかり炎に包まれ、13日午後6時頃
    まで燃え続けた。

    14日、バスに乗っていた5人の園児は変わり果てた姿で見つかった。



    【訴訟】
    園児5人が死亡した事故で、4遺族は10日、園側の対応に問題があったとして、
    園を運営する学校法人『長谷川学院』と当時の園長に対し、計2億6,690万円の
    損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。 被災地では、避難誘導などに
    問題があったとして、学校側の責任を問う動きが広がっていた。

    【和解】
    2014年12月3日、提訴から3年4ヶ月を経て、園側と4遺族は、ようやく和解した
    ものの、園側からの謝罪は、未だ行われていない。

    【仙台高等裁判所からの和解条項】
    『被災園児らの犠牲が、教訓として長く記憶にとどめられ、後世の防災対策に
    生かされるべき』
     
    続きはこちらへ

    <津波訴訟和解1年>「心から」の思い見えず
    <津波訴訟和解1年>わが子の命思い語る

    言葉もありません。 ご冥福をお祈り致しますだけでは、決して済まされない、
    後世に語り継ぐべき大きな教訓だと思います。

    日和幼稚園ご遺族の方による『語り部』をお願いしたい方は、こちらからお願いします。
    場所:宮城県石巻市

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    日和幼稚園遺族有志の会 子どもの安全を考える



    >>愛梨 & 珠莉人形 世界旅行記

    【日和幼稚園のその後が本になりました】


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