東日本大震災から6年。 被災当時、かなり頻繁に使われていた『絆(きずな)』
とは、本来は、犬、馬、鷹などの家畜を通りがかりの立木につないでおくための綱を
表しており、しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。 人と人との結び付き、
支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。

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SNSなどでは、プロフィール画像にも頻繁にこの『絆』が強調されていたりもした
のだが、実際は、被災地などには関心が薄い人が多く、単に『自分は良い人』を
アピールするために使われていたのも事実。 これさえ付けておけば、自分も
善良な日本人的な安易な発想から、好んで使っていた人も多かったのだが、
被災から6年以上が経過し、風化を通り越して、既に災害が一切なかったことに
なっている現在では、被災地以外では、既に完全に死語と化している。

そもそも、熱しやすく冷めやすい国民性であるため、ものの数ヶ月で見事に
この『絆』自体が風化してしまったのだが、単なる『友情』よりも強い結び付きを
表している筈の『絆』は、元々、そこまで硬く結び付いてはいなかった。 結果
として、単なる言葉の安売りになってしまったため、本来の言葉の意味が薄れて
しまったとも言える。

硬い友情で結ばれた『絆』とは、互いの価値を認め合い、相手のために出来ることを
しようとすることを意味しているのだが、『脱原発』に見られるような、単なる
一方的な思想の押し売りもこの『絆』に含めてしまったため、最終的には、収拾が
付かなくなって消滅した。



心から信頼し合える本当の友達を見つけるのも非常に大変なのに、そこまで硬く
結ばれた友情など、おいそれとは存在しない。 SNSの発達により、世界中の
人たちとは『友達』になれる時代になったが、SNS内の友人たちは、『友達』など
ではなく、単なる『知り合い』に過ぎないことを忘れてはならない。

被災時の海外からの支援に対する感謝の気持ちを日本人として当たり前と大々的に
述べている人を多く見掛けるものの、実際は、義捐金のネコババが横行している
ため、その支援は、被災地にはほとんど届かなかった。 義捐金は、被災者に
届いてこそ、義捐金なのであり、思い通りの額を懐に入れて良いものでは決して
ない。 阪神淡路大震災の頃からずっと言われ続けている義捐金の中抜きだが、
一向に改善の兆しは見られない。 

『絆』はお金で買えるものではなく、自分から一方的に求めるだけでも得られる
ものではないが、一時の硬い結び付きよりも、緩く長い付き合いの方がまだまし
なのではないだろうか。

【お勧めの一冊】


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