急速な成長を遂げた時代で、スウェーデンとノルウェーは1814年以来の連合関係を
維持していた。 しかし、ノルウェーの場合は、スウェーデンに比べて、議会が
王室よりも遥かに大きな権力を持つようになり、そうした政治的な違いのため、
両国間の連合関係は機能しなくなって来た。 そして1905年、スウェーデンの
オスカル王はノルウェーの王冠を捨て、連合は平和的に解体した。 1900年代、
大半の国民は生活が貧しく、大きな都市ではスラムの住民が多く見られた。
工業化が進むに連れ、労働者の生活条件は悪くなる一方だった。

1907年、グスタフ5世は、改革を求める圧力が高まったため、委員会を作って
社会福祉の法整備の必要性を検討した。 1909年、24歳以上の全ての男性に
投票権が与えられ、議員選出のための1人1票制度が実施された。 女性の投票権は
1919年から認められた。 社会問題の解決に対する政府の関心が高まり、1913年に
政府は初めて、老齢年金を引き上げ、犯罪に対する罰則を改正し、商店の営業
時間を規制した。

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【世界大戦】
第一次世界大戦(1914年~1918年)がヨーロッパで勃発すると、スウェーデンは、
ノルウェーやデンマークと同じように、中立を宣言した。 当初は、戦争のお陰で
スウェーデンの産業は刺激を受け、戦争当事国への製品の輸出が大いに伸びたが、
戦争が終わらないうちにスウェーデンは食糧不足になり、経済困難に陥った。

社会主義者で労働界のリーダーであるヒャルマール・ブランティングが、戦後の
実力者として政界に登場、平和的、かつ段階的な社会改革を主張して、一部の
政治家グループが求める急激な変革に反対した。 1920年代初めには、経済も
急速に回復を見せ、国は非常に繁栄した。

ところが、1930年代には、世界的な不況の煽りでスウェーデンの経済も痛手を
受けた。 そうした社会条件の悪化に反応して国民は始めて社会民主労働党の
政府を選び、Pハンソンの指導の下に政権が誕生した。 ハンソンは、農民や
労働者代表の議員達の支持を受け、生活改善のための福祉政策を実施した。

しかし、幅広い福祉改革が実施されないうちに、第二次世界大戦(1939年~
1945年)がヨーロッパで始まり、スウェーデンは再び中立を宣言した。 お陰で
隣国のデンマークやノルウェーとは違って、戦争中のスウェーデンは侵略を免れ、
紛争の部外者としての立場を維持出来たのである。

戦時中は資源を有効に使うためスウェーデン政府は、民営産業の統制、管理を
強化した。 スウェーデンはまた、人道的な努力の一環として、戦争犠牲者の
難民受け入れにもひと役買い、ユダヤ人をはじめ、ノルウェー人、デンマーク人、
フィンランド人、その他、バルト海の近くに住む人達に援助の手を差し伸べた。
ナチの処刑室から2万人のハンガリー系ユダヤ人を救い出したスウェーデンの外交官
Rワーレンベルイの話は有名である。 戦争が終わると、スウェーデンは
ノルウェーとデンマークになかりの経済援助を与えた。

【お勧めの一冊】


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