多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳 Samurai Global』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:戦争

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ウクライナの英雄という大嘘
    2019年5月第6代ウクライナ大統領就任~2022年4月(現在3年間
    国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が「パナマ文書」を発表し明らかになった
    ことがある。 パナマ文書とは、世界の政治家や経営者らによる租税回避地
    (タックスヘイブン)の利用実態を明らかにしたもの。

    この他、2021年に「パンドラ文書」により国外のタックスヘイブン(資産隠し)も
    明らかになった。 この中にゼレンスキー大統領の名前があり、大統領選挙の直前に
    国外のタックスヘイブンに会社を作り、秘密銀行口座、プライベートジェット、ヨット、
    大邸宅、高価な絵画などの資産を隠していた。 
    これらの資産はアメリカが渡した
    資金の他、スポンサーのイーホル・コロモスキー氏が渡したものと考えられる。

    ロシア侵攻により国土は破壊され、多くの国民が血を流し死者が続出し550万人が
    国外に逃れ500万人が国内に避難し難民となるなか、ゼレンスキーはアメリカに守られ
    安全な所で私腹を肥やしている。

    国民のしもべ(ゼレンスキー主演のプロパガンダドラマ)

    アシュラフ・ガニ傀儡政権(アフガニスタン)
    2014年9月大統領就任~2021年8月国外に亡命(7年間)
    ロシアの報道機関によると、昨年8月にアメリカ軍が撤退し逃亡する際に私物を含め
    多額の現金など自動車3台分を積み込み、アメリカが用意した飛行機で亡命した。
    これらはアメリカが渡した資金の他、公金を横領したものと考えられる。
    アメリカが作った傀儡の大統領は、このように金で動いている。

    9041177

    イーホル・コロモイスキー
    ウクライナの陰の大物実力者、総資産1,400億円を所有する新興財閥でゼレンスキーの
    スポンサー。 石油、ガス、金融、航空、鉄鋼、投資、メディア、エネルギー等の
    分野に進出。 
    ウクライナのTV局「1+1」のオーナーで、ゼレンスキーがコメディアン
    時代に出演させ、
    連続ドラマ「国民のしもべ」で大統領役をやらせ人気番組だった。
    ゼレンスキーの
    タニマチとして支援した。 このイーホル・コロモイスキーは民兵で
    過激派グループ
    「アゾフ大隊」もバックアップし支援していた。 この民兵アゾフを
    アメリカも
    支援していたが、ロシア系住民殺害など暴力がひどくて、アメリカの議会が
    支援を
    中断した過去がある。

    また2022年1月にアメリカ政府系シンクタンク「ランド研究所」が「ロシア系住民を
    殺害している反乱軍はウクライナの民兵だ」と報告している。 ところが2月に
    ウクライナ戦争が始まると、ウクライナ民兵(アゾフ大隊)のロシア系住民殺害を
    否定している。 
    そのウクライナ民兵の軍事訓練をしていたのが、イラク戦争で活躍した
    アメリカの民間軍事会社ブラックウオーター(今は改名してアカデミ)だ。

    イーホル・コモロイスキーと繫がりの深い人物
    ゼレンスキーを芸人時代から支援していたコモロイスキーは、ロシアとウクライナを
    戦争へと誘導した下記の人物とつながっていた。

    ・ジョージ・ソロス(投資家、ウクライナの親ロ政権転覆を支援)
    ・バイデン一家(次男が自社の天然ガス会社の役員)
    ・ジョン・マケイン元上院議員(故人)
    ・ビクトリア・ヌーランド国務省次官補

    ゼレンスキーの選挙公約
    ・ロシアのプーチン大統領と対話します。
    ・ロシアとの緊張関係を平和にして、安心して暮らせるようにします →ロシア語を禁止
    ・暴力的な民兵をすべて一掃します →当選すると真逆の政治を行った

    ゼレンスキーの独裁制
    ・ゼレンスキーは「すべての野党の活動を禁止する大統領令」を出した。
    ・すべてのテレビ局を統合して管理し、情報統制した。
    ・ウクライナでは国民は偏った情報しか知らず、野党の反対意見も封じられている。
    ・ドンバス住民をテロリスト扱いし、対話にも応じない。

    20220425171320

    この他、コカインを常習しているため、時々ろれつが回らないことがある。

    >>
    トップページに戻る

    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    世界を操る支配者の正体
    81BdI9Wl5pL

    馬渕睦夫が語る虐殺とウクライナ問題の真実

    【シナリオ1】
    ウクライナ南東部において、ロシア系住民を虐殺する。
    そうなれば、自国民保護という国際法上の大義の下に、
    ロシアが南東部に限定的にしろ、軍事介入する。

    そこで、世界世論を侵略者プーチンの抗議行動へと誘導して、
    プーチン大統領を国際社会で孤立させる。

    このような国際社会の動向に呼応して、ロシア国内で
    親欧米NGOの指導の下に、反プーチン・デモを躍動する。

    デモ隊の中にテロリストを潜入させ、流血の混乱を引き起こし、
    その責任をロシア治安当局に押し付けて、最終的にプーチンを失脚させる。
    プーチンが失脚すれば、欧米はロシアの「民主化」を称賛し、
    新政権への支持を表明するでしょうが、プーチン後のロシア政権は
    内外政策について、国際金融資本家たちの意向を無視することは
    出来ないでしょう。

    【シナリオ2】
    ロシアが実際に軍事介入しなくても、親露派を軍事支援しているとの口実で、
    一層経済制裁を強化して、ロシア経済に大打撃を与える。

    やがてロシアで金融危機が発生し、ロシア政府にIMFに対する支援を
    求めざるを得なくさせる。
     

    ウクライナ東部での殺戮を報道する西側メディア



    ウクライでの惨状を訴えるドンバスの住民


    ドンバスで殺された子供たちの紹介

    ウクライナ東部ドンバスの状況

    ウクライナのネオナチ教育

    ドイツメディアのウソを暴露するウド・ウルフコット氏


    ドイツのフリージャーナリストの報告

    ウクライナは捨て駒 バイデンの仕業

    ウクライナ・オン・ファイアー



    10854306_n

    昔の戦争の画像を使いまわし
    72808814

    >>トップページに戻る


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ロシア軍が原発を攻撃?
    2022年3月4日午前2時頃、ウクライナ南東部にある欧州最大のザポリージャ原発
    火災が発生し、「ロシア軍が原発に砲撃を加えた」との衝撃的なニュースが
    世界を駆け巡った。 ウクライナのドミトロ・クレバ外相は、ロシア軍が
    ザポリージャ原発に向けて「全方位から砲撃している」とした。 

    ウクライナ当局によると、その日の午後には同原発はロシア軍によって制圧されたと
    なっているが、その後、この原発からの危機的な情報は一切入っていない。 一方、
    イギリスのロイター紙は、「ウクライナ軍による攻撃」とし、ウクライナを
    全面的に非難した。



    ソ連時代の原発
    この原発は元々、ソ連時代の1980年ごろから建設が開始され、1985年~1996年に
    掛けて、順次稼働が始まった原発であるため、1号機~5号機までは、ロシアの
    援助により建設されたことになるのだが、実は、この原発への攻撃は、ウクライナの
    工作員がロシア軍の服を着て火を放ったことが、その後の調査で明らかになって
    いるが、日本の偏向報道は、その事実を一切報道しなかったばかりか、訂正すら
    しなかった。

    ロシア軍はチェルノブイリ原発も既に鎮圧
    ロシア軍は、ザポリージャ原発の他にも、1986年4月に大規模事故を引き起こした
    チェルノブイリ原発も既に制圧しているが、そちらでも特に何の問題も起きていない
    どころか、慢性的な財政難により、全く何もしていないウクライナ政府がこのまま
    大規模原発を管理出来るとも思えないため、元々の建設者であるロシア軍がこれらの
    原発を守ってくれた方が、より安全と言える。

    94115026

    虚偽の報道を行った場合の刑罰
    ロシア議会では、「虚偽の報道を行った場合は禁錮刑」という法案が可決され
    たため、これまでは、数々のロシアに対する偏向報道を行って来たロイターも
    いよいよ本当のことを言わざるを得なくなった模様。

    世界中のメディアが、虚偽の報道が出来なくなれば、ロシア軍やプーチン大統領が
    行っているウクライナの極右勢力のネオナチを狙い撃ちした「特別軍事作戦」が
    正しく世界へ報道される日がやって来るかも知れない。

    いずれにしても、一切何も考えない「脳死」の状態でウクライナを一方的に
    支持すべきではない。

    ウクライナ反戦デモにはためく「ネオナチ」の旗
    971094981

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    情報戦真っ只中のウクライナ。 戦争中の割には、かなり平和なのは、
    口喧嘩レベルのバーチャル戦争だから。 ロシアの戦車も全く現れず。

    首都のキエフ
     

    第二の都市ハリコフ


    オデッサ、リヴォフ、スミー他


    >>トップページに戻る


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    アメリカが一方的に言うウクライナ侵攻
    「ロシアは明日にでもウクライナに侵攻して来る」というウクライナ危機は、
    日々厳しさを増しているとのことだが、2014年2月にアメリカがウクライナ危機を
    初めて叫び始めてから、かれこれ丸8年が既に経過しているものの、ロシアは
    一向にウクライナに侵攻する気配すらない。 毎年恒例のロシアとベラルーシによる
    ウクライナ国境付近での軍事演習を「ウクライナ侵攻」へと勝手にでっち上げを
    行っているアメリカとしては、延々と8年以上もロシアが一向に侵攻して
    来ないため、正直、気が気ではない。 全く何の証拠すら出さないアメリカの
    口先介入は、子供のケンカに等しい。

    Ukraine1024

    そんな中、2022年2月17日にロシアが国連に対して「ウクライナ当局が住民を大量
    虐殺している」とする報告書を提出していたことが明らかとなった。 ウクライナ
    東部では、ウクライナ国籍を持つロシア人の一般市民に対する殺戮が日々繰り
    返されているが、西側では、このような不都合は事実は、一切報道されていない。

    ドネツク人民共和国&ルガンスク人民共和国
    ウクライナ東部地域では、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が
    ウクライナからの完全な独立を果たしており、ウクライナ政府による支配を
    一切受けていないのだが、これらの地域に住むロシア系住民に対する攻撃が
    日々常習化しているため、国連に対して、このような公式な主張が初めて
    行われた。 この申し立ては、安全保障理事会メンバーに宛てて、ウクライナの
    戦争犯罪を申し立てた内容となっている。 ウクライナ国内では、2014年以降、
    ウクライナ軍が学校や病院などを爆撃し、数万人が既に死傷したとされている。

    西側では、全く報道されなかったウクライナ東部ドネツクでの空爆の様子

    この報告を受け、2022年2月17日の安保理会合では、アメリカのブリンケン
    国務長官が「ロシアが侵攻に向けた口実づくりをしている」と批判を行って
    いるが、これと言ったエビデンスすら提出していないため、今回もまた、
    単なる口先だけのその場限りの言い訳と思われる。 アメリカのオオカミ少年
    ぶりは、まだまだ続くようだ。 いい加減、世界がアメリカを見捨て始めて
    いるが、アメリカは自分たちの過ちには一向に気づいていないようだ。

    適当な発言でお茶を濁すブリンケン
    20210914120001

    >>トップページに戻る


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ブダペスト覚書
    ブダペスト覚書(英:Budapest Memorandum on Security Assurances)とは、
    1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催された欧州安全保障協力機構
    (OSCE)会議で署名された政治協定書で、ベラルーシ、カザフスタン、
    ウクライナが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国がこの3国に
    安全保障を提供するという内容で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの
    核保有3カ国がこの覚書に署名。 また、中国とフランスは別々の書面で
    若干の個別保障をしているものだが、最近の「ロシアによるウクライナ侵攻」を
    名目に、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、この覚書からは脱退することを
    表明、ウクライナは今後、核武装を行う可能性が出て来た。

    ブダペスト覚書からの脱退を表明するウクライナ大統領


    ドンバス戦争
    2014年ウクライナ騒乱、および、ユーロマイダン運動により、親ロシア路線であった
    ヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、2014年3月初旬にウクライナ随一の大富豪とも言われて
    いる新興財閥オリガルヒのペトロ・ポロシェンコが大統領に就任したが、ポロシェンコは
    ロシアとは決別し、親米路線を選択したため、大統領就任当日からウクライナ国内に
    住むロシア系住民(日本では「武装した親露派」と偏向報道)への攻撃を大々的に開始。
    同国ドネツク州とルガンスク州(一般に「ドンバス」と総称される地域)は、
    ウクライナで突如武力によって誕生したクーデター政権からの独立を宣言した。 
    このドンバスの独立運動は、旧ロシア領であったウクライナ南部と東部の広域な地域で
    展開され、一時は、ウクライナ第2の都市であるハリコフもウクライナから独立を
    宣言するほど激化、親米路線の新ウクライナ政府と激しく対立した。更に、これが
    激化してハリコフ人民共和国、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国とウクライナ
    政府側との武力衝突に発展した。 当初の抗議行動は主にウクライナ新政府に対する
    ロシア系住民らによる国内不満を表明するものだったが、この戦いでは、幾度も
    停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されており、2022年時点でも
    紛争終結の見込みは立っていない。

    尚、ドンバス地域は、現在ウクライナ政府の支配は一切受けてはおらず、ウクライナ側
    からの入国は不可となっているため、ロシア側から入国するしかない。

    ドンバスからロシアへの大量難民を報道するメディア

    上記のドンバス戦争とブダペスト覚書からのウクライナの脱退を受けて、ドンバス
    地域に住むロシア系住民のロシアへの大量移動が始まった。 以下の動画を見ても
    分かる通り、ドンバスから緊急避難をして来たロシア系住民は、着の身着のままの
    状態で、長期間に渡る避難生活を余儀なくされているが、長引く戦争により、
    再度自宅に帰宅出来る目途は全く立っていない。 避難民の主な行先は、主に
    ロシアのロストフ州だと言われているが、この地域は、ユーロマイダン運動によって
    ウクライナを追われたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領の亡命先とも
    なっている。

    >>トップページに戻る


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ロシアとウクライナは、元々は同一民族、同一国家
    テレビでは連日、ロシアが明日にでもウクライナに侵攻すると報道がなされて
    いるが、ロシアにとってウクライナは、ロシア発祥の地、ロシア帝国の一部、
    ソ連の一部、過去には最大の友好国家と非常に共通点多く、ウクライナで
    一般的に話されている言語はロシア語、民族的には、同じ東スラブ人、
    同じルーシ人(大ロシア人がロシア人、小ロシア人がウクライナ人)で、
    見た目も両者完全に同じと、むしろ、これと言ったハッキリとした境界線がない。

    7245034

    同じルーシ人でありながら、別々の民族に分かれたのは、支配者が異なった
    からで、モンゴル・タタール軍にルーシの首都キエフ(現在のウクライナの
    首都)を徹底的に破壊され尽くされ、その後、ルーシの中心地は、北の
    モスクワ公国へと移り、モスクワが完全にルーシの後継者となったのだが、
    当時のキエフは、モンゴル・タタール軍による破壊度合いが凄まじ過ぎたため、
    街として復活することは叶わず、そのまま、ポーランドとリトアニアの支配地と
    なった。 逆に、ロシアは、そのままモンゴル・タタールの支配下となった
    のだが、先にモンゴルの支配から脱した同じ正教国家のモスクワ公国に自ら
    助けを求めたのがウクライナであり、ウクライナの大半の領土は、そのまま
    モスクワ公国へと吸収され、ルーシの真の後継国家となったモスクワは、
    「ルーシ国」という意味のロシアへと国名を変更した。

    よって、ウクライナは、ロシアにとっては、完全に自国内ということになるのだが、
    アメリカの一方的な報道によれば、ロシアとウクライナは、戦争を起こす程、
    非常に仲が悪いらしい。 元々、アメリカの学校には、大学を含めて、歴史の
    授業が存在しないため、自国の歴史を含めて、過去の出来事を何も知らない
    人間が大多数となっている。 また、アメリカは、言わずと知れた世界一の
    差別大国であるが、教育水準が非常に低い国としても有名で、この教育水準の
    低さが理解力低下を招き、差別へと繋がっていることは、明白な事実である。

    00011w640

    ウクライナ危機はバーチャル情報戦
    現在のアメリカ大統領であるバイデンは、前々大統領のオバマの時代は、
    副大統領を務めていたのだが、ここで忘れてはならないのは、オバマは、
    ウクライナを攻撃しており、その時、直接指揮を執ったのがバイデンだと
    言われている。 アメリカの政治は、民主党と共和党の二大政党が常に議席を
    争っているが、オバマとバイデンは同じ民主党、トランプは共和党である。

    尚、アメリカは、特に民主党が政権を握っている時は、非常に活発的に世界中で
    戦争を引き起こしており、死の商売よろしく、武器を大量に輸出して毎回
    ぼろ儲けしている。 例えば、旧ユーゴスラビアで戦争を起こしたのは、
    民主党のクリントン、イラン・イラクで戦争を引き起こしたのは共和党の
    ブッシュ、ウクライナで戦争を引き起こしたのはオバマ(副大統領はバイデン)、
    シリアで戦争を引き起こしたのはトランプ、再度ウクライナで戦争を引き起こそうと
    しているのがバイデンである。

    アメリカに利用されるばかりのオリンピック
    ちょうど8年前の2月にロシアのソチで冬季オリンピックが開催されたが、
    その開催期間にウクライナの首都キエフでは、「ユーロマイダン」と呼ばれる
    政治クデーターが突然起こり、親ロシア派大統領であったヤヌコヴィチがロシアへと
    亡命、親アメリカ派大統領であるポロシェンコへと電撃的に交代した。
    この時は、金銭の横領が非常に多かったヤヌコヴィチに対して、市民が自ら
    立ち上がった政変と報道されたが、実際は、アメリカによって操られた
    キエフ市民が、一方的に親ロシア勢力を一掃しただけであった。 この時から
    ウクライナ・クデーター政府は、ウクライナ国内に住んでいるロシア人の殺戮を
    開始したが、海外メディアは、ウクライナ国内に住んでいるロシア人のことを
    「武装した親露派」として大々的にうその報道を行なった。

    アメリカは、大会前までは、北京オリンピックをボイコットすると言っていたのが、
    近年では、オリンピック自体が大々的に政治利用、商業利用されており、特に
    冬季オリンピックは、近年において、3回連続で政治利用されている。 競技を
    行なうアスリートを二の次にした金儲け第一主義のオリンピックなのであれば、
    廃止も考えてしかるべき。

    06139560

    クリミアは元々はロシアの領土
    これと時を同じくして、ウクライナ南部のクリミアでは、少数派のウクライナ人に
    よる乱暴狼藉に耐えかねたロシア系住人の自主的なウクライナからの独立を問う
    住民投票が行なわれ、圧倒的な支持を得て、ウクライナから一旦独立の後、
    クリミア住民(大多数はロシア人)の意思に従って、ウクライナからロシアへと
    返還された。 但し、日本やアメリカでは、「ロシアが一方的に編入したクリミア」
    と枕詞が常に付いた。 尚、第二次世界大戦終結後は、アメリカ、イギリス、
    ロシアによる3者会談がクリミアのヤルタで秘密裏に開かれたが、この時の
    クリミアの帰属は、実はロシアであった。 クリミアはその後、ウクライナ人の
    フルシチョフによって、「ロシアとウクライナの友好の証し」として、
    ウクライナへと移管されたのだが、この時は、ロシアもウクライナもソ連邦で
    あったため、両国に国境は存在したものの、日本で言うところの「県境」程度の
    認識でしかなく、当然国境を越える際には、パスポートやビザなどは必要なかった。
    尚、ウクライナ軍は、クリミアから撤退する際に、2つあった橋を共に破壊して
    おり、その後、クリミアは数ヶ月間に渡り孤立したが、それを助けたのは
    ロシアであり、ロシア側から橋を建設して同胞の保護に努めた。

    ロシアから見たウクライナ、ウクライナから見たロシア
    ロシアから見たウクライナとは、常に様々な問題を引き起こしては、全てロシアの
    せいにして来る非常に厄介な国であり、天文学的な赤字を常に抱えた破綻国家で
    ある。 ウクライナは、むしろ、ロシアにとっては、足手まといでしかなく、
    かつは同盟国でったため、寛大な気持ちを持ってロシアがウクライナを許して
    いるだけだが、実は、アメリカがある北米大陸には、100年程前~スターリンの
    時代に新天地へと移民をして行ったウクライナ人が大量に住んでいる。 これらの
    ウクライナ人は、今では3~4世の世代となっているものの、飢餓と粛清によって
    国を追われた当時の恨みが逆に倍増されており、ウクライナ人がロシア人を恨む
    根本的な原因となっている。 ロシア国内の民族構成は、ロシア人が最も多い
    のだが、2番目はタタール人、3番目は実はウクライナ人である。 また、
    ウクライナ国内にもロシア人が大量に居住しており、ロシア人とウクライナ人は、
    かなりの広範囲で混在しているのである。

    冷戦からドイツ再統一へ
    冷戦時代、ウクライナとロシアは同じソ連邦であったため、当然、同一国家で
    あった。 当時は、ロシアを中心としたワルシャワ条約機構とアメリカを中心
    とした北大西洋条約機構が激しく対立し、両陣営の間には「鉄のカーテン」なる
    ものが存在した。

    1990年10月3日、東西に分裂していたドイツは、念願の再統一を果たすが、この時、
    この再統一を許したのが、当時のソ連大統領のゴルバチョフであった。
    ゴルバチョフは、ワルシャワ条約機構に駐留をしていたソ連軍を撤退させる
    条件として、北大西洋条約機構と欧州共同体の東方への拡大を禁じたが、現在、
    元ワルシャワ条約機構加盟国のほぼ全てが北大西洋条約機構とヨーロッパ連合に
    参加をしている。 ゴルバチョフの約束は全く守られなかったのである。

    967956591

    アメリカの異常なまでな執着心
    アメリカがここまでウクライナに執着心を持つ理由は、複数考えられるが、先に
    述べたように、ウクライナの現政権は、アメリカの傀儡政権であり、完全に
    アメリカの操り人形として使える現政権が倒れると、同国への影響力が大幅に
    低下するからに他ならない。 アメリカには、米英の軍事基地をウクライナに置く
    長期的な目標があり、ここでロシアにやられてしまうと、あらゆる意味で今までの
    活動が水泡に帰しかねないため、積極的にウクライナに介入を行おうとしている
    のである。 アメリカにとっては、世界のどこかで紛争や戦争が起これば良い
    だけで、第二次世界大戦後を見ても分かるように、必ず世界のどこかで戦争を
    仕掛けており、戦争が起きなければ、アメリカは金づるを失うのである。

    ウクライナとは陸続きではないアメリカとイギリスは、必死でロシアとウクライナ
    を戦争に巻き込みたがっているが、この状況は、日本&韓国&北朝鮮、並びに、
    中国&香港&台湾の状況と全く同じで、日本人はウクライナの状況を良く見ておく
    べきである。

    ドイツとフランスの後悔
    EUの中心国家、ドイツとフランスは、西側とは経済格差が大きいルーマニアと
    ブルガリアをEUに入れてしまったことを死ぬほど後悔してり、当初EUは、
    この2カ国に対して、加入後7年間はEU内への移動を禁じたが、その後、この
    「東のEU市民」が大量に列挙してやって来てしまったため、困り果てている
    のである。 ウクライナがNATOとEUに加盟すると言ったら、ドイツは、イギリス
    同様、NATOとEUから脱退するであろう。 実は、ドイツ人もフランス人も
    ウクライナが非常に嫌いなため、ルーマニアやブルガリアよりも遥かに貧困な
    ウクライナをわざわざNATOとEUに加入させ、自らの首を絞めるようなバカげた
    事は一切考えていないのである。

    日本とウクライナの意外な共通点
    ウクライナは、自らの選択でロシアとは袂を分かち、ヨーロッパ最貧国にまで
    落ちぶれ果てたが、それまでは、ロシアが散々支援を行なっており、ウクライナは、
    最大支援国のロシアを失ったため、経済的に立ち行かなくなったところをアメリカに
    拾われた格好となったが、日本がアメリカと一緒にいる限り、日本の未来は、
    ウクライナと全く同じと考えて間違いない。 アメリカの典型的な手口とは、まず、
    国民をテレビ等で白痴化し、うそを大量に流した上で思考回路を奪い、極右勢力を
    使い愛国心と恐怖心を煽り、それを利用して隣国(日本の場合は、韓国、北朝鮮、
    中国、ロシア)と戦争を引き起こさせるのである。

    日本のロシア系の記事は、アメリカからのうその情報を直訳した眉唾な内容が
    ばかりで、デマ、でっち上げ、ウソ、憶測が大半となっており、確信を付いて
    いる記事が1つたりとも見当たらない。

    >>トップページに戻る

    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    2020年9月27日の朝、アゼルバイジャンとアルメニアの係争地となっている
    アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ共和国)を巡り、ナゴルノ・カラバフ
    境界沿いで軍事衝突が勃発した。 アゼルバイジャンとアルメニア双方共に
    相手国が先に攻撃したと主張しているが、この衝突はトルコからの影の支持を
    取り付けたアゼルバイジャンによって開始された可能性が高く、主要攻撃目標は
    山岳地帯の少ないナゴルノ・カラバフ南部とされた。

    アゼルバイジャン側の発表によれば、11月8日にナゴルノ・カラバフ南部要衝の地
    であり、第2の都市であるシュシャが陥落した。 折りしも11月9日は、
    アゼルバイジャン国旗の日であるため、アゼルバイジャン軍が集中的に南部を
    砲撃したと見られる。 下記の停戦合意により、シュシャは、今後は
    アゼルバイジャン領となる。

    【3分割されたナゴルノ・カラバフ】
    amhkfdof

    元々この地は、スターリンの時代に、隣国同士を反目させるために、わざと
    中央アジア諸国間の国境線を複雑にした歴史的な経緯があり、長年に渡り、民族間の
    対立や散発的な小競り合いが絶えなかった。 国連や多数の国々がこの軍事衝突を
    強く非難し、停戦交渉を再開するよう双方に求めた一方、アフガニスタン、
    パキスタン、イスラエル、トルコはアゼルバイジャンへの支持を表明した。 また、
    フランスがアルメニアへの支持を表明し、イランもアルメニアを支持したが、
    地域の安定化を求める声を無視しての支持だとして非難されている。 尚、
    サウジアラビアとアラブ首長国連邦は、アルメニアを支援したと考えられている。

    c4b11b4a260

    【停戦合意と平和維持活動】

    欧州安全協力機構ミンスクグループの仲介により、アルメニアと
    アゼルバイジャンは、2020年10月10日正午からの停戦と協議開始で合意したが、
    停戦合意後も戦闘は続き、10月17日には軍事衝突の鎮静化を図るため、10月18日
    0時から2度目の停戦で合意した。 しかし、停戦が履行される気配はなく、
    10月25日にはアメリカ合衆国の仲介によって10月26日8時から3度目の停戦で
    合意したが、合意後も戦闘が続き、4回目の停戦合意はロシアのプーチン大統領の
    仲介により、両当事国が停戦協定に調印、モスクワ時間11月10日午前零時
    (日本時間同日午前6時)に発効した。 今回の紛争の実態は、
    アゼルバイジャン軍の勝利、アルメニア軍の敗北(降伏)となっている。

    ロシアは、今後5年間、ナゴルノ・カラバフでの平和維持活動に当たり、同国
    西部のウリヤノフスク・ボストーチヌイ空港から、配備に必要な1,960人の
    要員と軍用車両、更に、戦闘ヘリコプターなどを大型輸送機で移送した。
    平和維持軍は、ナゴルノ・カラバフに展開する両軍の最前線と、アルメニアから
    ナゴルノ・カラバフに通じる「ラチン回廊」に沿って監視所を設置する予定で、
    司令部は首都のステパナケルトに置かれる。

    ナゴルノ・カラバフは、アゼルバイジャン西部、ウクライナの国境から50キロ
    程度に位置し、1994年の戦争終結以降、アルメニアが実効支配して来た。
    今回の戦争では、約3,000人が犠牲になったと見られている。 但し、
    アルメニア軍は自軍戦死者数を毎日発表しており、11月9日現在の累計
    戦死者数は1,221人となっているが、アゼルバイジャン軍は戦争開始以来、
    1度も自軍戦死者数を発表していないため、戦死者数が、大幅に上回っている
    可能性も否定出来ない。

    d25dc861dc5

    【ナゴルノ・カラバフ戦争停戦に関する声明文】
    アゼルバイジャン・アリエフ大統領、アルメニア・パシニャン首相、ロシア・
    プーチン大統領

    我々は、ナゴルノ・カラバフ戦争停戦で合意、下記声明を発表する。

    1. ナゴルノ・カラバフ紛争地域における全面的停戦と戦闘行為中止をモスクワ時間
    2020年11月10日午前零時に実施する。 アゼルバイジャン共和国とアルメニア
    共和国、(以後“当事国”)は確保した現在の位置に留まる。

    2. アグダム地区とアルメニア側が確保しているアゼルバイジャン共和国ガザフ
    地区は、2020年11月20日までにアゼルバイジャン側に返還する。

    3. ナゴルノ・カラバフの境界線とラチン回廊沿線に、1,960人のロシア平和
    維持軍が展開する。 平和維持軍の装備は90輌の装甲車、380台の車両と
    特殊機材車とする。

    4. ロシア平和維持軍は、アルメニア軍の撤収と並行して、5年間の期間で駐留する。
    もし、双方が半年前までに反対を表明しない場合、平和維持軍の駐留期間は
    自動的に5年間延長される。

    5. 停戦合意事項の管理を効率的に実施すべく、平和維持センターを設置する。

    6. アルメニア共和国は2020年11月15日までにケルバジャル地区を、12月1日までに
    ラチン地区をアゼルバイジャン共和国に返還する。 但し、ラチン地区に
    関しては、アルメニアとナゴルノ・カラバフを接続する幅5キロの回廊を保証する。

    7. 国内の避難民と難民は国連難民高等弁務官事務所管理の下、ナゴルノ・カラバフ、
    および、その周辺地区に帰還する。

    8. 捕虜、拘束者、遺体の交換を行う。

    9. アルメニア共和国は、アゼルバイジャン西部と(アゼルバイジャンの飛び地)
    ナヒチェヴァン自治共和国を接続する輸送路建設を保証する。 輸送路管理は、
    露連邦保安庁傘下の国境警備隊が行う。

    >>トップページに戻る

    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    サラエヴォの旧市街から3番トラムに乗車して、トンネル博物館へと向かいます。
    その道すがら、通称『スナイパー通り』を通りました。 この通りでは、内戦時、
    女子供老人を含む、動く者全ての人間が射殺されました。 ボスニア側の説明に
    よると、セルビア連邦軍が射殺したとの説明でありましたたが、セルビア連邦軍で
    なくとも、そこまでやる必要性があったのか、いくら戦争とは言え、他の民族を
    手当たり次第に殺戮しまくった旧ユーゴにおける内戦は、アメリカが介入して
    来なければ、『民族浄化』まではエスカレートすることはなかったと思います。

    【ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦】
    IMG_1863

    【サラエヴォ包囲網】
    IMG_1864

    上記の図は、サラエヴォ包囲の図と、肌色っぽい場所は、現在のスルプスカ
    共和国の国土を表しています。 旧ユーゴでの内戦中、サラエヴォは、セルビア
    連邦軍に完全に包囲されたため、サラエヴォ空港の真下にトンネルを掘り、物資を
    輸送して、皆何とか生き延びました。 そのため、別名『希望のトンネル』と
    呼ばれています。 このトンネルは、空港のすぐ隣にあるのではなく、空港
    滑走路の真下にあり、そのうち25mのみが一般公開されています。

    IMG_1860
    IMG_1861
    IMG_1862
    IMG_1865
    IMG_1866
    IMG_1867
    IMG_1869
    IMG_1870
    IMG_1876

    元々、ユーゴスラヴィアでは、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人、
    スロヴェニア人、マケドニア人、アルバニア人、ハンガリー人が共存して
    いましたが、北部にある経済力のあるクロアチアとスロヴェニアが、南部にある
    マケドニアやボスニアとの経済格差に対して、不公平感の是正を求めて独立を
    宣言しましたがが、これが戦争の始まりでした。 その後、セルビア連邦軍が
    介入し、更に、アメリカを中心としたNATO軍が介入し、クロアチアと
    スロヴェニアでは、内戦はそこまでは泥沼化しなかったものの、ここ
    ボスニア・ヘルツェゴビナでは、宗教が全く異なる3民族が共存していたため、
    内戦が泥沼化し、最終的には、セルビア人の共和国であるスルプスカ共和国が
    ボスニア連邦からは完全に分離し、停戦となりました。 今でも、火種は
    あるものの、今のところは、3民族が完全に住み分けを行うことで、平和が
    保たれている状況です。

    希望のトンネルとそこにある展示品は、実際に戦争で使われた物ばかり。
    希望のトンネルは、現在は埋め立てられており、この25mのみが一般公開されて
    います。 空港滑走路の真下を通っているため、恐らく、安全上の理由により、
    埋め立てられたのだと思いますが、緊急物資を運ぶためとは言え、短期間で
    この様なトンネルを掘るのは、至難の技だと思います。 しかも、天井が非常に
    低いため、相当屈まないと頭がぶつかります。

    IMG_1871
    IMG_1872
    IMG_1873
    IMG_1874
    IMG_1875
    IMG_1878
    IMG_1879
    IMG_1880
    IMG_1881

    壁の銃弾は、当時のまま。 旧ユーゴの時代は、民族や宗教の違いを超えた
    理想郷の様に言われていたサラエボも、最終的には、こんな有様になりました。
    余りにも違い過ぎる場合は、諦めが付いて許せるものの、民族的に非常に似ていて、
    かつ、思考回路が全く違うため、血みどろの戦争へと突入しました。 アメリカが
    介入して来なければ、ここまで大規模な戦争にはならなかったと思います。
    アメリカを中心とするNATO軍に対して、セルビアを身を挺して守ったのは、同じ
    スラブの兄弟国家であるロシアだけでした。

    サラエヴォ・トンネル博物館は、サラエボ空港の真下にあるため、帰りは空港を
    見ながら、歩いて路面電車の駅へ行きました。 正確に言うと、ボスニア・
    マルカの手持ちがゼロになったため、バスに乗れませんでしたw よって、帰り道の
    ショッピングモールにあった、ロシアのズベルバンクでユーロからマルカへと
    両替をしました。 旧ユーゴ諸国で一番メジャーな銀行は、ズベルバンクだと
    思います。 尚、セルビア人のスルプスカ共和国は、サラエボに大きく食い込んで
    いるため、この山を越えた向こう側はもうスルプスカ共和国です。

    IMG_1882
    IMG_1883
    IMG_1886
    IMG_1885
    IMG_1887
    IMG_1888
    IMG_1889
    IMG_1890
    IMG_1891

    再度、スナイパー通りを抜け、途中、西側報道陣が内戦時に最後の最後まで
    立て篭って報道を続けたという『いわく付き』のホテルでおトイレを借りましたw
    サラエボでは、セルビア連邦軍のことを余り良くは語られてはいませんでしたが、
    私の場合は、セルビアやスルプスカ共和国側の状況を先に見て来てからボスニアに
    やって来たため、一切その様には感じませんでした。 『真実はひとつだけ』と
    良く語られているものの、見方によっては、真実はひとつだけではないため、
    多角的に物事を見るべきです。 ムスリム人やクロアチア人から見た場合はそう
    なのかも知れませんが、セルビア人から見た場合は、全く違うと思います。

    この施設は、サラエヴォ市内からは、合計2時間近く掛かる施設ですが、
    サラエヴォを訪れた際には、1回は絶対に見ておくべき施設です。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    第二次世界大戦の歴史を展示している『大祖国戦争博物館』は、ミンスクを
    中心としたベラルーシにおける戦争の歴史を分かりやすく展示した博物館で、
    ミンスクを理解するためには、是非訪れて欲しい観光スポット。

    この博物館では、武器や写真、ジオラマ等による展示が行われており、
    ベラルーシでは『大祖国戦争』と呼ばれている『第二次世界大戦』の歴史を
    伝えている。 当時ミンスク郊外には、アウシュビッツ等に次ぐ第3のナチスの
    収容所があり、20万人が虐殺されたとも言われている。 その収容所の様子を
    伝える展示もあり、他の国では見る機会が非常に少ない貴重な戦争の博物館で
    あるため、改めて平和について考えさせられるミンスクのおすすめ観光スポット。

    IMG_0984
    IMG_0985
    IMG_0986
    IMG_0987
    IMG_0988
    IMG_0989
    IMG_0990
    IMG_0991
    IMG_0992

    ロシア語では、『第二次世界大戦』のことを『大祖国戦争』と呼ぶが、それは、
    対独戦で100万人以上にも及ぶ多大な戦死者を出したためこう呼ばれている。
    ミンスクの街は、ドイツ軍によって徹底的に破壊され、その後、社会主義経済に
    則り、復興されたため、ミンスク市内は旧ソ連式の大規模な建物が多い。

    戦争とは、幾ら語り継いだとしても、正確には伝わらないため、このような
    目で見て直接確かめることが出来る展示型の博物館が最も効果的。 米軍により
    爆撃を受けた仙台にも『戦災復興記念館』なるものがあるが、館内の展示品が
    少ないため、余り実際の戦争を想像出来ないのだが、この巨大な戦争博物館では、
    様々な展示品を用いて、かなり忠実に戦争を再現している。

    IMG_0994
    IMG_0995
    IMG_0996
    IMG_0997
    IMG_0999
    IMG_1000
    IMG_1004
    IMG_1005
    IMG_1006

    大祖国戦争博物館は、地下鉄の駅からは若干離れており、全ての展示を見て周る
    ためには、半日程度は必要。 但し、この日は、列車が出るまでの時間が少なかった
    たため、45分程度の駆け足での見学となってしまったが、もっとゆっくりと時間を
    翔けて、色々な事を考えながら見たい設備であった。

    案内に展示していある展示物は、実際に戦争で使用された物も多く、非常に
    生々しく、蝋人形を交えて、更に細かく説明をしているため、非常に分かりやすい
    設備であった。

    IMG_1012
    IMG_1013
    IMG_1016
    IMG_1018
    IMG_1030
    IMG_1035
    IMG_1048
    IMG_1064
    IMG_1066

    その後、ミンスク駅の1番線の一番奥にある21番線からビリニュス行きの電車に
    乗り、リトアニアの首都であるヴィリニュスへと旅立った。 ロシアから
    ベラルーシへ入国し、リトアニアへ抜ける場合、ベラルーシのビザが絶対に必要
    となる
    。 ビザをを所持していない場合、ここからリトアニアとの国境までは
    行けるものの、そこでビザがないことが判明すると、またミンスクまで強制的に
    連れ戻されるため要注意。

    べラルーシの国境が、実際のロシアとEUとの国境となるため、世界でも出入国
    審査が非常に厳しい場所となっている。 元々は、同じソビエト連邦という国
    だったのだが、体制が急激に変わったため、色々と面倒な手続きが増えた。

    >>トップページに戻る



    【お勧めの一冊】


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    急速な成長を遂げた時代で、スウェーデンとノルウェーは1814年以来の連合関係を
    維持していた。 しかし、ノルウェーの場合は、スウェーデンに比べて、議会が
    王室よりも遥かに大きな権力を持つようになり、そうした政治的な違いのため、
    両国間の連合関係は機能しなくなって来た。 そして1905年、スウェーデンの
    オスカル王はノルウェーの王冠を捨て、連合は平和的に解体した。 1900年代、
    大半の国民は生活が貧しく、大きな都市ではスラムの住民が多く見られた。
    工業化が進むに連れ、労働者の生活条件は悪くなる一方だった。

    1907年、グスタフ5世は、改革を求める圧力が高まったため、委員会を作って
    社会福祉の法整備の必要性を検討した。 1909年、24歳以上の全ての男性に
    投票権が与えられ、議員選出のための1人1票制度が実施された。 女性の投票権は
    1919年から認められた。 社会問題の解決に対する政府の関心が高まり、1913年に
    政府は初めて、老齢年金を引き上げ、犯罪に対する罰則を改正し、商店の営業
    時間を規制した。

    8e871

    【世界大戦】
    第一次世界大戦(1914年~1918年)がヨーロッパで勃発すると、スウェーデンは、
    ノルウェーやデンマークと同じように、中立を宣言した。 当初は、戦争のお陰で
    スウェーデンの産業は刺激を受け、戦争当事国への製品の輸出が大いに伸びたが、
    戦争が終わらないうちにスウェーデンは食糧不足になり、経済困難に陥った。

    社会主義者で労働界のリーダーであるヒャルマール・ブランティングが、戦後の
    実力者として政界に登場、平和的、かつ段階的な社会改革を主張して、一部の
    政治家グループが求める急激な変革に反対した。 1920年代初めには、経済も
    急速に回復を見せ、国は非常に繁栄した。

    ところが、1930年代には、世界的な不況の煽りでスウェーデンの経済も痛手を
    受けた。 そうした社会条件の悪化に反応して国民は始めて社会民主労働党の
    政府を選び、Pハンソンの指導の下に政権が誕生した。 ハンソンは、農民や
    労働者代表の議員達の支持を受け、生活改善のための福祉政策を実施した。

    しかし、幅広い福祉改革が実施されないうちに、第二次世界大戦(1939年~
    1945年)がヨーロッパで始まり、スウェーデンは再び中立を宣言した。 お陰で
    隣国のデンマークやノルウェーとは違って、戦争中のスウェーデンは侵略を免れ、
    紛争の部外者としての立場を維持出来たのである。

    戦時中は資源を有効に使うためスウェーデン政府は、民営産業の統制、管理を
    強化した。 スウェーデンはまた、人道的な努力の一環として、戦争犠牲者の
    難民受け入れにもひと役買い、ユダヤ人をはじめ、ノルウェー人、デンマーク人、
    フィンランド人、その他、バルト海の近くに住む人達に援助の手を差し伸べた。
    ナチの処刑室から2万人のハンガリー系ユダヤ人を救い出したスウェーデンの外交官
    Rワーレンベルイの話は有名である。 戦争が終わると、スウェーデンは
    ノルウェーとデンマークになかりの経済援助を与えた。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    近代化に伴ってヨーロッパでは、領土や貿易をめぐる対立が激化していた。
    この対立が戦争になりかねないことを見て取ったヴェルヘルム2世は、1888年、
    権力の座に就くと、強力、かつ、近代的な海軍の組織作りを命じた。 既に、
    ドイツ、オーストリア、イタリアは三国同盟を結んでおり、戦争になれば協力する
    ことで合意していた。 また、ドイツの戦力を恐れたロシア、フランス、イギリスは
    後に三国協商を結成、この2つの対立するブロックは、それぞれ軍隊を整備し、
    全ヨーロッパを巻き込む戦争に備えた。

    147222110

    1914年6月、オーストリア皇太子が、ヨーロッパ南東のセルビアで暗殺されるという
    事件が起きる。 これに対してオーストリアは、セルビアに宣戦布告をした。
    一方、セルビアはロシアの同盟国であったので、三国協商の国々はセルビア救済の
    ために軍隊を終結した。 ドイツもオーストリアとの同盟の下、戦時体制を敷き、
    8月、ヴィルヘルム2世はフランスへの進軍を命じた。 こうしてヨーロッパの
    国々の対立は、第一次世界大戦(1914~1918年)へと広がって行った。

    ドイツは東部戦線でロシアを破るなど、初めは優勢であった。 ところが、
    1917年にはアメリカがイギリスなど連合国側に参加する。 また、北フランスでも
    ドイツはイギリス、フランス、アメリカとにらみ合っていたが、海上封鎖を受け、
    ヴィルヘルム2世下の軍隊にとって、次第に形勢は不利になって行った。 こうして
    1918年11月、ドイツは遂に降伏した。

    これに対し政府の政策や上官の命令に不満を抱いていたドイツの労働者や軍人達は、
    国中で暴動を引き起こした。 このためヴィルヘルム2世は退位を迫られ、
    社会民主党は新しい民主的な政府の設立を宣言することになる。 ヴェルサイユ条約
    (第一次世界大戦後の講和条約)の下、ドイツはアルザス・ロレーヌをフランスに
    返還、プロイセンの大部分をポーランドに割譲することを余儀なくされた。 また、
    連合国はドイツに多額の賠償金を要求し、ラインラントとザール地方を占領し、
    産業を摂取した。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ