ハイドパークは、ヘンリー8世が鹿狩りのためにウェストミンスター寺院から
入手したものであり、その最古の一角は、イーバリー卿の荘園跡であった。
この荘園は、広さが当時の土地の単位で1ハイドであったことから、これが公園の
名の由来となったと言われている。

ハイドパークは、ウェスト・キャリッジ・ドライブと呼ばれる道路1本を隔てて
ケンジントンガーデンはと一続きになって、ロンドンの真ん中に広大な緑地を
提供している。 ケンジントンガーデンは、元々、ハイドパークの一部であった
ものを1689年にウィリアム3世と王妃メアリとがケンジントン宮殿に移り住んだ
際に、ハイドパークから分離して造ったものである。

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ハイドパークはまた、1851年には万国博覧会が開催された事でも良く知られて
いるが、とりわけ有名なのは、公園の北東角のマーブルアーチとスピーカーズ
コーナーである。 現在、マーブルアーチの建っている近くには、18世紀まで
タイバーンの処刑場があり、見せしめのために残酷な処刑が行われたが、人々は
あたかも見世物でも見物するかのようにそうし絞首刑を見に行った。

19世紀半ば頃からハイドパークは、労働者たちの集会の場所となっていたが、
そのような中デスピーカーズコーナーは自由な演説と集会の保証された場所と
考えられるようになり、イギリスの言論の自由を体現した象徴的な場所であると
考えられた。 かつては、マルクスやレーニンといった革命家やジョージ・
オーウェルなどのジャーナリストなどもスピーカーズコーナーで演説をした事が
あるが、現在では、日曜日に脚立や木箱を演台にして色々な人が好き勝手な
話をしており、それを観光客がとりまいて面白がっている光景が見られる。

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