民主主義の国、フランスにおいては、かなり過激な発言を行ったとしても、『言論の自由』が
保障され、首都であるパリの人口をも大幅に上回るデモ参加者で広場が溢れかえるが、
その対極を行く、極東のみずほの国においては、かなり控えめな表現で自己主張をした
としても、全て発信者側の責任として処理され、受け取り手側には一切何の責任も生じない
どころか、むしろ、クレームを言った者が全て『勝者』とされるため、モンスター・クレーマー
だらけの歪な社会となっている。
みずほの国での賢い生き抜き方としては、人前で、自分の考えを一切述べない、または、
更に進んで、自分の考えを一切持たない事が最善の策なのだが、その反動なのか、
晩年に権力、並びに、財力を得てからの社会でのふんぞり返り方は、世界でも類を見ない
ぐらいに酷いものとなっており、今となっては、お金さえ所持していれば、情報規制も
お手の物。 財力に物を言わせて、大手メディアを買収してしまえば、何をどうしようが、
国民からは文句のひとつも言われない(正確に言うと、言わせない)ため、何でもやりたい
放題となっている。 正に、地獄の沙汰も金次第となっている。
民主主義国家においては、個人が様々な意見を出し合い、相手を尊重しつつ、お互いが
共存する方法を模索するのが、社会のルールであるにも関わらず、絶対権力の支配下に
置かれている、みずほの国では、既に、お互いを監視し、意見すら全く言わせない
『恐怖支配社会』にまで落ちぶれ果てている。 自分の意見を人前で発表するのは、
『非国民』であるとされるのは、大昔からのみずほの国のしきたりであるため、古式ゆかしき
伝統に則り、グー音も出ない程に感情にものを言わせた、『わび・さび』とやらをを無意味に
振りかざしては、自分の絶対支配下に相手を置かないと気が済まないのが、この国の民。
これらに対する賢い対処方法としては、一切相手にしないのが、寛容かと存じます。
フランスとみずほの国を足して2で割ると、世界でも稀に見る理想的な国家が誕生するの
かも知れない。
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