日本では、『和』を重視した社会であるため、ひとたび、誰かが不平、不満、
あるいは、マイナスな事柄を言い出すと、その対処方法として、その中間を取って
何もしないがまかり通る。 民主主義社会では、様々な意見が出てくるのが当たり前
なのだが、余りにも多数の意見を取り入れ過ぎると、『妥協策』というものが一切
見出せず、なにもかもがうやむやになることが多々ある。

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折角、誰かが何らかの問題提起を行ったとしても、必ず要りもしない事柄を述べて
来る輩がどこからともなく現れるため、話が一向に先に進まなくなる。  むしろ、
仲間割れが起きてしまった場合、仲間なのか、それとも、敵なのか、全く分からなる
こともしばしば。

このような場合、余り多数決などには頼らずに、ある程度、答えを導き出してから
全体に問わないと、折角の良い提案も、水の泡と化する可能性が非常に高い。
特に、心配性な性格の持ち主などは、あれやこれやと勝手な妄想を膨らませては、
現実を完全に無視して話を勝手に進めて来るため、始末に終えない。 しかも、
このような人間の場合は、こちらが言いもしていないことまで、勝手にでっち
上げて来たりするため、要注意。

概して、日本では、討論や議論を重ねて、皆で答えを導き出すということを学校で
全く習わないまま、社会に出ているため、このような惨事になるのだが、何も分から
ないが、自分の勝手な意見だけはしっかりと述べるタイプの人間が、実は、かなり
多いため、ある程度無駄だと分かった時点で、切り捨てるのも、ありかも知れない。
そうしなければ、永遠に話がまとまらなかったり、誹謗中傷の言った言わないの
水掛け論に終始してしまうため、時間の無駄としか言いようがない。

特に注意を要するのは、同じような知識や背景を全く持ち合わせていない人たちと
議論をする時で、こちらの意図する方向と全く別の方向に解釈をされてしまう
可能性が非常に高く、あらぬ濡れ衣を着せられて、終いには意に沿わぬ謝罪まで
させられることも現実にはあり得る。

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総じて、言葉と言うものは、最初から全く理解をする気にがない人間に対しては、
全くの無力であり、『馬の耳に念仏』や、『猫に小判』などに代表される、日本
古来のありがたい諺にもあるように、物事の対象は、自ら選ばないと、何を
やろうが無駄となるのがオチだったりするため、付き合う人間には、くれぐれも
選びたい。 逆に、これが出来ない人間は、無駄な人間関係で一生悩むこととなる。
断捨離は、物ではなく、人間関係にこそ必要。

【お勧めの一冊】


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