2011年3月11日夕、東北の震災被災地では広い範囲で雪が降った。 津波で
ずぶ濡れになった人、建物の屋上で救助を待つ人…。 暖が取れない状況の
下で、冷たい雪は多くの人の目に『非情の雪』と映った。 天候は夜には
回復し、満天の星空が広がったが、それもまた『無情の星空』。 放射冷却で
翌朝にかけて厳しく冷え込み、多くの命を苦境へと追い込んだ。

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津波の後、雪が降り積もった被災地。寒さに奪われた命も少なくない
2011年3月11日午後4時ごろ、宮城県南三陸町

その時 何が 非情の雪、無情の星空(宮城・南三陸町)
出典:河北新報

皆、寒さでガタガタと震えていた。 唇は紫色で顔面は蒼白。 外は雪。
低体温症の症状だった。 『震えがひどく、自分で思うように動けない人もいた。
3人がかりで着替えさせた』 宮城県南三陸町の公立志津川病院の看護師
佐藤のり子さん(52)は、目の当たりにした低体温症の怖さを思い起こす。

海岸から距離約400メートルに位置する同病院は津波に襲われ、水は4階まで
達した。 全身ずぶぬれになったり、横たわったまま水に漬かって半身が
泥まみれになったりした患者も多かった。

浸水を免れた西棟5階会議室には、入院患者42人と病院スタッフ約80人、
駆け込んだ近隣住民約120人の計約240人がいた。 看護師らは5階の限られた
物資で、患者の体温を保つ工夫を重ねた。 濡れた衣服を脱がせてタオルで
包み、新聞紙を体に巻いた。 ゴム手袋もはめさせた。 床には段ボールを
敷き、体を寄せ合うように寝かせた。 毛布代わりに介護用おむつと、外した
カーテンを掛けた。

『体を温めてあげたくても電気も火もない。 ありったけの物で、できる
限りのことはしたんですが…』と佐藤さん。 必死の措置もむなしく、12日
午後に救出ヘリが来るまでに、患者7人が低体温症等で息を引き取った。

宮城県石巻市大街道小でも、女性1人が低体温症とみられる症状で亡くなった。
東松島市野蒜小でも多くの人が濡れた服のまま避難。 割れた窓から吹き込む
冷気が体温を奪い、お年寄りらが次々と低体温症で死亡した。

宮城県警が震災から1カ月後にまとめた県内犠牲者8,015人の死因によると、
低体温症を含む『その他』が58人いた。 あの日の冷え込み、その後の停電や
燃料難による暖房の欠如…。 過酷な寒さが地震や津波から取り留めた命を死の
ふちに追いやったのも、この震災の特徴だ。

仙台管区気象台によると、東北太平洋側各地の気象データは震災後、津波被害や
停電の影響で入手できなくなった。 宮城県内で唯一切れ目なくデータが残る
仙台は11日午後、断続的に雪を観測。 第1波襲来後の午後4時半前後は見通しが
利かないほどの強さになった。

多くの証言によると、宮城県沿岸の各地は同日夕、雪に見舞われた。 夜は西から
高気圧が張り出し、東北は広い範囲で晴れた。 気象台は当時の天気図から
『12日朝は放射冷却で津波被災地は軒並み氷点下2~3度。 被災者には
厳しい気象条件だった』と推測する。

志津川病院の看護師畠山啓子さん(53)には二つの『もし』が交錯する。
『もし、もう少し暖かかったら助かった人もいたかもしれない。 でも、もし
阪神大震災のような真冬だったら、もっと大変なことになっていた』

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