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    タグ:徳川家康

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    司馬遼太郎原作、岡田准一主演、役所広司、有村架純ら豪華キャストで描く
    大型歴史ドラマ。 これまでにない、石田三成目線での関が原の戦いの歴史を
    新たに描き出す。 総時間2時間40分。



    幼い頃に豊臣秀吉にその才能を見出され、家来として召抱えられた石田三成
    (岡田准一)は、秀吉の死後、豊臣家への忠義を貫く余り、天下取りの野望に
    燃える徳川家康(役所広司)と徐々に対立を深めて行く。 そして、1600年
    10月21日、戦国時代に終止符を打った歴史的合戦「関ヶ原の戦い」は、
    小早川秀秋(東出昌大)の裏切りにより、一気に決着がついた。

    豊臣秀次の一族を根絶やしにするため、京都三条河原で30名もの側室子女らが
    処刑となったが、その中には、まだ秀次とのお目通りも済んでいない最上家の
    駒姫の姿もあった。 駒姫は幼いながらも斬首に列せられることとなったが、
    その際、駒姫を守るためにその侍女(有村架純)が周囲に戦いを挑み、姉と
    2人だけ生き残った。 

    その侍女は、その後、三成に召抱えられ、忍びとなり、いつしか、お互いに
    恋心を抱く仲へ。 かつてない切り口で歴史を紐解く感動スペクタクル。
    歴史は勝者によって作られるものなり。



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    慶長遣欧使節団に同行したソテロの『覚書』が残されているが、それには、
    『日本との通商はイスパニア(現在のスペイン)に利益をもたらすであろう 』
    とか、『通商が成れば、イスパニア系のフランシスコ会派は言うまでもなく、
    キリスト教宣教師を幕府が厚遇するであろう』と書かれていた。

    これだけであれば、通商が目的ということで別に問題はないが、更に驚くべき
    ことが書かれていたのである。 要約すると、『政宗は時期皇帝になるべき最強の
    実力者であり、家康の信頼もあつく、今回の使節派遣は家康の不快とするもの
    ではない』というものである。

    ここで注目されるのは、家康のキリスト教に対する姿勢である。 周知のように、
    家康は慶長17年にキリスト教を禁止している。 ただ、家康は『キリスト教は
    好ましくないが、貿易は推奨したい』と考えていた。 特に、ルソン(現在の
    フィリピン)とノビイスパニア(現在のメキシコ)は、当時、世界有数の産銀国で、
    その技術を導入したいと考えていたようである。

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    そのルソンは、ノビイスパニア副王の支配下にあり、ノビイスパニアは、
    イスパニア国王の下にあった。 だから、ルソンやノビイスパニアとの交渉が
    必要だったのである。 交渉のためには、好意を持っていないキリスト教宣教師
    とも接触を保っていなければならなかった。 家康が慶長18年までバテレン
    追放令を出さなかったのには、そうした背景があったのである。

    家康がはっきりキリスト教禁止を打ち出している状況の下で、政宗は何を考えて
    いたのだろうか。 ここに、政宗が天下を狙うという可能性を垣間見ることが
    出来る。 というのは、使節一行がマドリードからローマに行く時、マドリード
    から一行に従い、渉外係、兼通訳として同行したシピアーネ・アマチが
    『伊達政宗遣使録』というものを遣わしていて、そこにびっくりするようなことが
    書かれていたのである。

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    支倉常長がイスパニア国王フィリップ三世の前で次のように演説したという。

    わが君、奥州王は、陛下の強大なることと、その保護を請う者に対して、寛仁
    なることを聞き、予を派遣し、その位と領土とを陛下に献じ、大国と親交を結ば
    しむ。 今後、いつにても陛下の望みに応じ、喜びて、その全力を用いんとする。

    ここに、『位と領土とを陛下に献じ』とあることに注目したい。 政宗自身を
    『奥州王』と言っていることも興味深いが、これは、仙台領、別な言い方をすれば、
    奥州国を植民地として、イスパニアに献上し、イスパニア無敵艦隊の力を借りて、
    倒幕に立ち上がり、日本全土を自分のものにしてしまおうという意図があった
    ということになる。 ただ、この時の政宗の策略は、不発に終わっている。

    【お勧めの一冊】


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    1600年、オランダのリーフデ号が大分県に漂着した。 日本とオランダの
    交流は、この時から始まる。 徳川家康は、リーフデ号の乗組員を熱くもてなし、
    船長に貿易の許可を与え、オランダは、平戸に商館を設立した。 これが後に
    長崎の出島に移され、以後、オランダは、そこを拠点に貿易を幕末まで続けた。

    リーフデ号の乗組員ウィリアム・アダムズは、日本に帰化し、三浦按針と名乗り、
    徳川家康の外交顧問として仕えた。 出島は、鎖国時代の約200年間、日本の
    世界へのただ一つの窓だった。 ヨーロッパの文化や学問(蘭学)は、出島を
    通して日本へともたらされた。

    19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があったが、
    明治時代になり、鎖国が解かれ、オランダ一国との貿易が終わると、出島は
    忘れ去られ、周囲の埋め立てにより、消えて行った。 その後、今から60年ほど
    前から始まった復元工事により、一部では、往年の雰囲気を取り戻した。

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    【日本語になったオランダ語】

    『おてんば』
    オランダ語の『ontembaar』は、『飼い馴らせない』とか、『野生の』という
    意味で、これが日本語に入って『おてんば』になったと言われている。
     
    『やんちゃ』
    オランダ語で、『男の子』のことを『ヤンチェ』と言うが、日本語の
    『やんちゃ』は、ここから来ていると言われている。

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    『ドロップ』
    オランダ語でも『ドロップ』は、飴を意味するが、オランダのドロップは、
    漢方薬のような味がする。

    『半ドン』
    日曜日を意味する『ゾンダッハ』の『ゾン』が『ドン』へと変わった。
    土曜日は、休みが半分という意味で、『半ドン』という日本語になった。

    【お勧めの一冊】


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