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    タグ:山本五十六

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    第二次世界大戦末期、大日本帝国海軍の切り札として、航空機を使った
    『特別攻撃隊』が組織されたが、この『特攻隊』とは、生きて帰還出来る望みが
    非常に低い決死の攻撃、あるいは、最初から戦死を前提とする、正に決死の攻撃を
    行う戦術を表していた。 『十死零生』とも呼ばれ、作戦の成功は、すなわち、
    100%死を意味していた。

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    特攻は、基本的に志願制であったものの、実際のところは、特攻への志願を問われた
    場合、その場の雰囲気からして、到底拒否出来るようなものではなく、例え、特攻を
    拒否したとしても、死罪が課せられたため、特攻を受けれても拒否しても、いずれに
    しても、死が待っていたという、非常に過酷な作戦であった。
     
    日本陸軍は日露戦争において、白襷隊といった決死隊を臨時に編成したことは
    あったが、これは決して生還を許さない任務ではなく、決死の覚悟で極めて困難で
    危険な任務を果たすというものであったため、生還の可能性が全くない訳では
    なかった。
     
    日本海軍の航空機による体当たり戦術は、太平洋戦争、および、神風特攻隊の創設
    以前に、日本海軍航空隊の草分けである山本五十六が既に言及していた。 1931年
    (昭和6年)12月1日、城英一郎少佐が、海軍大学校卒業時の作業答案を山本五十六
    少将(海軍航空本部技術部長)に提示したが、この時に2人は『最後の手は、肉弾
    体当たり、操縦者のみにて爆弾搭載射出』として、航空機の体当たり戦術を検討した。
     
    1934年(昭和9年)、第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉に参加した山本五十六
    少将は、新聞記者に対し『僕が海軍にいる間は、飛行機の体当たり戦術を断行する』
    『艦長が艦と運命を共にするなら、飛行機も同じだ』と語ったという。
     
    1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争勃発後、ミッドウェー海戦やガダルカナル
    島の戦いを経て戦況は悪化、山本五十六大将(連合艦隊司令長官)も1943年
    (昭和18年)4月18日の海軍甲事件で戦死した。

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    特別攻撃隊の中でも最も有名なのが、神風特攻隊であり、1944年10月20日に最初の
    編成があり、1945年8月15日の終戦まで続けられた。 『しんぷう』が正式な読み方
    であるが、戦後は訓読みの『かみかぜ』が定着している。 アメリカなどでは、
    大日本帝国陸軍航空隊による特攻を含む特攻全般を含めて『カミカゼ』と称される
    こともある。 神風特攻隊は、機体に約2トンの爆弾を搭載しており、機体には
    車輪もまともには付いていなかったため、生還は絶対に許されなかった。

    神風特攻隊の初出撃は、1944年10月21日のフィリピン海戦で、敷島隊・大和隊・
    朝日隊・山桜隊の計24機が出撃したが、同日は悪天候などに阻まれて、ほぼ全機が
    帰還したものの、大和隊隊長・久納好孚中尉が未帰還となった。 そのため、
    『特攻第1号』は敷島隊隊長・関行男ではなく、大和隊隊長・久納中尉を未確認
    ながら第一号とする主張も戦後現れた。

    各隊は出撃を連日繰り返すも全て空振りに終わり、同月23日には大和隊・佐藤馨上
    飛曹が未帰還となる。 そして同月10月25日午前10時49分、敷島隊指揮官の関
    (戦死後中佐)以下6機が護衛空母セント・ローを撃沈し、初戦果を挙げて活路を
    開いたが、この思わぬ大成功が、その後の特攻を更に酷いものにした。



    特攻隊は、当初は確かに戦果を挙げた。 米軍を初めとする連合軍は、爆弾を
    積んだ飛行機が飛行機もろとも自分たちに突っ込んでくる行為が、継続的かつ
    組織的に行われることを予想していなかった。 このため日本軍の特攻への
    対処が遅れ、被害が拡大した。 特攻隊が、敷島隊のような戦果を挙げ続けて
    いたのであれば、第二次世界大戦の流れは変わっていたかも知れない。 しかし、
    現実は異なっていた。
     
    米軍は、特攻の意図を知り、対処を進めた。 特攻機の第一目標は航空母艦で
    あった。 しかし、空母は、レーダーを駆使し、空母群と特攻隊の進路の間に
    護衛機や戦艦なども多数配置していたため、特攻隊は、目標に体当たりする
    どころか、対空砲火により、近づくことさえ困難となった。
     
    特攻隊員は、実際に特攻を行う際に、自分が死ぬ瞬間まで、本当に敵に突撃したか
    どうかを本部へ知らせるため、自分でボタンを押し続けて、モールス信号を発した。
    『ツー』という、モールス信号の音が長ければ、敵艦に突撃したと判断され、
    短ければ、対空砲火で撃墜されたと言う意味。 モールス信号が途切れた瞬間が
    死の瞬間。

    【泣ける】涙なしでは見られない…特攻隊員の想いがたくさんつまった遺書

    大日本帝国では、敗戦まで特攻が続けられたが、特攻による戦死者は、海軍
    2,431人、陸軍1,417人となっており、計3,830人の命が奪われた。 その一方、
    実際に敵艦を撃沈した戦果は以下の通りとなっている。

    正規空母 0
    護衛空母 3
    戦艦 0
    巡洋艦 0
    駆逐艦 撃沈13
    その他(輸送船、上陸艇など)撃沈 31

    敵艦撃沈数は47隻で、1隻沈めるために、81人もの兵士が死ななければなら
    なかった。 但し、この戦果の殆んどは、米軍にとっては、余り影響の少ない
    小艦艇ばかりだった。

    【お勧めの一冊】


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    明治17年(1884年)、儒学者の家系に生まれた高野五十六は、聡明で、中学の
    頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど、広い視野を持って
    いた。

    五十六の名前は、当時の父親の年齢から採ったもので、母親も45歳と高齢であった。
    旧長岡藩家老、山本帯刀家を継ぎ、旧会津藩士族の娘と結婚。 文武両道、
    質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神に磨きが掛かる一方、石油や航空に早くから
    注目していた。 リンドバーグの大西洋横断にも触発され、特に航空の重要性を
    力説した。 太平洋戦争開戦時、その先見性を世界に実証した。

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    当時、仮想敵国であったアメリカを視察した山本は、アメリカとの開戦には、
    あくまでも反対であった。 『この身滅ぼすべし、この志奪うべからず』と、
    わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し、
    郷土を愛し、慈悲の心を強く保っていたからこそである。



    だが、その意に反して、連合艦隊司令長官として未曾有の大戦争の指揮を執った。
    長岡空襲は、山本の故郷という理由で行われた。 TVで米国マスコミ取材に当時の
    軍関係者が、山本五十六の故郷だから国民の戦意喪失のために空襲をしたと
    語っている。(ただし、当時の長岡市には、理化学研究所(理研)の研究施設が
    あり、この理研の施設を攻撃することが目的であったとも言われている。

    昭和18年(1943年)ブーゲンビル島で戦死。 最終階級は元帥海軍大将。 激動の
    世紀に、しなやかかつ、力強い心で生きた山本五十六の人生は、故郷長岡市の
    山本五十六記念館で今でも語り継がれている。

    【お勧めの一枚】


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