現代社会においては、国民全てが平等でなければならないため、いわゆる、『格差』
なるものは、極力排除しなければなりません。 この『格差』には、経済的なもの、
地域的なもの、性別的な事、年代的な事、学歴的な事、さまざまな要素が含まれて
いるのだが、それを可視化してしまうと、国民に不満が残るため、何もなかった事に
しなければ、社会は円満には回らない。

50年ぐらい前までであれば、お金持ちは良い服を着ており、貧乏人は、みすぼらしい
服装をしていたため、見た目ですぐに、どちらなのか見分けがついたのだが、
ブラック企業花盛りの昨今では、『ユニクロ』なる企業が社会で幅を利かせており、
安価な洋服を日本各地の地方都市でも気軽に販売をしているため、その見分けが
つかなくなった。 都市部に至っては、駅の中でこのような安価な洋服を大量に
販売しているため、多少洋服が雨に濡れた程度で、新しい服を購入するという
時代となった。
 
この『ユニクロ』には、郊外型の『しまむら』なる強力な同業他社が存在して
いるのだが、こちらは、いわゆる、おばさま向けのババシャツがメインとなっている
ため、業界的には、きっちりと住み分けが出来ている。 これを先ほどの『格差』に
あてはめると、地域的な事、性別的な事、年代的な事がこの両社の間に存在します。
日本全国が、ユニクロ化してしまった現在では、食事にも事欠く貧困層の子供で
すら、ユニクロを着ているため、貧困が全く見えなくなった。 その結果として、
隣人が困っていようが、分からなければ、それで良しという社会になった。

関東では、余りにも貧困過ぎて、就職活動に来て行くスーツすら持っていない
という学生も存在しているのだが、それは、全て、今時の日本企業の面接に
行ったところで、絶対に受からないという現実を如実に表している。
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元々、学校の制服は、この経済的な格差を見えなくするために導入されたもの。
全員同じ格好であれば、皆平等だから。 同じ1,980円の洋服を購入するにしても、
1千万円の貯金を持っている人が、この服を購入するのと、貯金額0円の人が、
それを購入するのとでは、その価値が全く異なる。 食糧自給率40%未満のこの国の
コンビニや、スーパー等では、連日食品が廃棄され、日本国内の農家や漁業関係者は
完全無視されているにも関わらず、どんどん海外から気軽に食糧を輸入しては、
それを捨てている。 以前までは、日本の食品であれば、かなり安心感があった
のだが、今では、それもなくなり、一部の悪徳食品会社に至っては、中国とさほど
違いのない安全性となっている。 これは、安全性よりも、価格の安さばかりを
追求した結果として、こうなったもの。
 
20年以上もデフレ不況が吹き荒れた日本国内では、物が売れるのはドンキホーテや、
100円ショップの激安ショップばかり。 高級志向のデパートには、50代以上の
人たちしか居ない。 貧困層の年齢は、年々上昇を続け、現在その一番上の年代は、
45歳前後。 これ以上の年代は、いわゆる、『バブル世代』となるため、金銭感覚が
それ以下の世代とは、決定的に異なる。 よって、後10~15年も経過すると、
購買層がどんどん死亡するため、日本各地のデパートは、軒並み倒産するであろう。
デパ地下には、既にその波が押し寄せており、格差社会の現実をまざまざと見せ
つけられる場と化している。 この傾向は、この先も、ますます強まると思う。
 
日本の選挙は、高齢になればなるほど、投票率が上がるため、必然的に、高齢者
向けの政治となっている。 有り余るほどの貯金を持ちながら、それでも、将来が
不安と口にする現在の高齢者と、全く生活に余裕がないまま、この国で今後の余生を
おくらなければならない40代前半以下の世代とでは、生涯年収がケタ違いで違い
過ぎる。 税金や保険料も非常に高く、税金を納めるために働いているのかと
言いたくなるぐらい。 社会におけるセイフティーネットも全く機能していない
この国では、こんな生活から抜け出す必殺技と言えば、自殺ぐらい。 女性の
場合は、元々、社会には出ないものとして扱われており、給与が低く、生きる
ための手段として、既に体を売って食い繋いでいる人も存在する。
 
さまざまな格差が各地で猛威をふるっているにも関わらず、政府家たちは特に
何もせず、全て放置状態。 既に、統治能力も、自浄能力も持ち合わせてはい
ないが、それは、全て、隣国のせいなので、偽りの愛国者と、自称生活に余裕が
ない高齢者たちが、むしろ、この国を潰している。

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