多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:宮城県

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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    世間では、相変わらず、福島のことばかりが大袈裟に語られているが、大袈裟な報道
    ばかりを好む、いわゆる、『放射脳』の許せない点は、震災孤児や、被災地の事実を
    完全に無視して、自分に都合の良い事柄しか言わないところに尽きる。 特に、被災地
    から離れれば離れる程、その傾向が強くなるのは、助け合いの精神すら、この国には
    まともに根付いていない証拠とも言える。



    東日本大震災の後、特に、海外のメディアでは、実際の被災地を無視して、福島の事
    ばかりが大袈裟に語られたが、間違いやウソが多く、その情報が、そのまま現在まで
    残っている事が多々見受けられるため、事実とはかけ離れている事が多い。 このような
    際にも、必ず、自分達が住んでいる場所は、度外視して語られる事が多い点にも注目
    して頂きたい。

    >>放射脳によるフクシマの偏向報道

    そもそも、日本には、自分さえ良ければ、それで良しとする人間が非常に多いのと、事実
    無根の情報であったとしても、それを鵜呑みにして、右から左に流す際に、更に、尾ひれ
    足ひれが付いて、ウソと事実の見極めが非常に困難になっているため、常に事実と向き
    合って現実を知ろうとしない限り、騙されてしまう事が多くなっている。

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    津波災害が本当に酷かった宮城県と岩手県には、両親や片親を失った子供も少なく
    ないが、そのような事実が公の場で語られる事は、これまで、殆どなかった。 
    被災から、既に4年半以上が経過したが、未だ、その心の傷は癒えてはいない。



    一方、福島では、2014年6月16日に中間貯蔵施設問題に関して、石原環境大臣が、
    『最後は金目でしょ?』との問題発言をしたが、この問題は、早急に解決をしなければ、
    除染した土を満載したフレコンバッグが野ざらしにされているため、 問題が多いのも
    事実。 よって、福島は、被災地の中でも、優先的に語られる事が多いのだが、ウソの
    情報が非常に多いため、それが問題を更に複雑にしており、宮城、岩手よりも、復興が
    遅れている原因となっている。 

    >>福島と鼻血 

    人間とは、非常時にこそ、その人間の人と成りが完全に出る事を理解しなければ
    ならないのと、常に、相手の話を聞く姿勢を大事にしなければ、何も知り得ないままで
    終わってしまう。

    被災地で起きた数々の出来事は、正しい情報を持った人間が、正しく後世に伝えて、
    この出来事を教訓としなければならない。

    >>東北の子どもたちのために今できること

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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災の犠牲者を一時的に土葬した『仮埋葬』の跡地の大半が、当時の
    形跡すらない状態になっている。 宮城県内6市町の15カ所は、復興工事の
    作業場や更地になり、伝承碑などは設けられていない。 荼毘に付して弔う
    こともできないほど過酷だった震災の現場をどう語り継ぐのか、課題を指摘
    する声も出ている。

    宮城県内で仮埋葬がなされた場所は図の通り。 石巻市が最多の7カ所で、
    亘理町3カ所、気仙沼市3カ所、東松島市と女川町、山元町各1カ所だった。
    各地とも犠牲者の多さに火葬の処理能力が追い付かず、震災後の2011年6月
    までに計2,108人の遺体を一旦土葬した。 その後、掘り起こされ、同11月
    19日までにようやく全て荼毘に付された。

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    埋葬地には公園や墓地などが選ばれた。 石巻市のうち雄勝地区では、公園脇の
    市有地で52人を仮埋葬した。 現地にはいま、被災した岸壁工事の業者向けの
    作業小屋が立つ。 門脇地区の広場は、12年秋に人工芝を敷き、早期に復旧した。
    市内の他の5カ所も当時の状況を伝えるものはない。 市の担当者は『家族
    としては受け入れ難い緊急避難措置だった。 そうした感情を考えれば残す
    選択はそぐわない』と語る。



    亘理町の観音院は仮埋葬地を提供。 跡地には砂利を入れ、駐車場として
    使えるように整備した。 既におはらいの法要が執り行われた。 和尚の
    本郷正繁さん(73)は『たとえ慰霊碑を建てるにしても誰がやるのか』と
    戸惑う。 仮埋葬地をめぐっては12年、宮城県内外の有識者でつくる
    『3.11震災伝承研究会』が15カ所を震災遺構の保存候補に挙げたが、機運は
    高まらなかった。 研究会座長で減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎
    理事長は、『災害のスケールの大きさを物語る場所で、個人的には残念に思う。
    仮埋葬があった現実を伝える看板などの設置をどこか1カ所でも考えても
    いいのではないか』と話す。

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    ブログネタ
    田舎暮らしの@ひとりごと に参加中!

    支店経済の街、仙台で暮らす上でのローカールルールは数あれど、最も身近で、目に
    見えて分かるルールと言えば、エスカレーターの立ち位置。 仙台のエスカレーターの
    立ち位置は、本来は右側ですが、東北新幹線開業後、知らぬ間に、左側へと変わりました。
    これは、宮城県外から移り住む人が余りにも多いためこうなったのですが、地下鉄の駅では、
    県外からの来客が多い仙台駅を除いて、今でも全て右側となっている。
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    一部では、右側と左側の立ち位置が混在しているため、どちらにも立てないという状況が
    生まれるが、これは、元々の宮城県出身者とそうではない人達のせめぎ合いとも言える。
    最近では、その中間を取って、エスカレーターの立ち位置は、前の人に合わせるという
    ローカルルールが基準となっているのが、他の街にはない非常に珍しい特徴となっている。
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    大昔、初めて東京に行った際に、皆「左側」に立っている事に対して、非常に違和感を
    感じたものだが、今では自分の地元でそれを味わう事になりました。 仙台に来た際は、
    エスカレーターは右側に立ちませう。 尚、仙台の本当の中心地は、現在の仙台駅前
    などではなく、勾当台公園駅付近。 現在の仙台駅は、戊辰戦争で負けた見せしめに、
    二度と仙台が発展しないようにわざと街の外れに建設されましたが、今では、押しも
    押されぬ、東北の中心地となっている。

    仙台ルールの本は、書店でも発売されており、冒頭の方で画像で紹介した仙台ルールの
    本の表紙には、「瓢箪揚げ」が描かれているが、そのケチャップの掛け方で、宮城県
    出身者かどうかも完全に判断出来るため、食べ物の食べ方ひとつで、県外出身者が
    編集した本である事が丸分かりという、非常に興味深い本となっているw

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    ブログネタ
    3.11東日本大震災 に参加中!

    今回は、2003年7月26日に発生した『宮城県北部連続地震』の最大の被災地、
    宮城県美里町をレポート致します。 石巻の中心部からは、車で約20分程度、
    東松島市の中心部からは10分程度、大崎市との境界線付近の場所になります。
    この場所は、10年程前までは、南郷町という自治体だったのですが、隣町の
    小牛田町と合併をしてしまったため、町の名前が美里町へと変更されました。
    元々は町の中心部であったものの、市町村合併により、何もかも全て町の
    中心地である小牛田へと持って行かれてしまったため、今では、何もなくなり
    ました。

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    当時は、周辺全ての家屋が合計4回もの大規模な連続地震により、倒壊、または、
    半壊したのですが、それでも、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定
    からは外されました。 よって、瓦礫の処理は自腹。 地震発生から数ヶ月以内で
    あれば、町がその費用の一部を負担するという話だったのですが、この周辺の
    家屋は、農家が多いため、非常に大きい家屋が多く、納屋や牛小屋等も付いて
    いるのが当たり前であるため、瓦礫処理の費用は、1軒に付き、最低でも60~
    200万円程度でした。 その当時も、災害義援金をあちらこちらで募集していた
    ものの、実際は、びた一文足りとも現地には届かず、仮設住宅も丸2年で撤去
    されてしまったため、瓦礫の処理だけで預金を使い果たした人達は、どこかへと
    引っ越して行ってしまいました。 よって、この周辺は空き地だらけ。

    この地区の特徴としては、地震が極端に多いため、その後ブロック塀や瓦屋根の
    再建を断念した家屋が殆どであるため、ブロック塀と瓦屋根が殆どないのが
    最大の特徴と言えるかも知れません。 また、余りにも地震が多過ぎるため、
    電柱が1本たりとも真っ直ぐには立っておりません。 現在、河川工事により、
    堤防の補強が行われておりますが、この付近は、堤防以外、坂道が一切ないため、
    この堤防が切れてしまうと、逃げる場所がありません。 よって、地域住民に
    とっては、この堤防が命綱となっています。

    元々町の中心部であったため、その昔、地方創生予算を利用して、このような
    取って付けたようなログハウスがあるのですが、一体こんな田んぼのド真ん中に
    誰が宿泊するものやら?と言いたくなるほど。 このログハウスのすぐ隣には、
    東松島市の仮設住宅が丸4年間もあったのですが、つい先日撤去されました。
    旧南郷町と旧矢本町、旧鳴瀬町(現在の東松島市)との間には、12年前の同じ
    被災地という理由により、災害協定が結ばれていたため、野蒜・宮戸地区の
    避難者たちは、このすぐ近所にある体育館に長期間避難をしていました。
    木の柵のようなものは、元々は、ブロック塀だった場所で、多い時には、体に
    感じない地震を含めると、1日に約300回程度もの地震が起こるため、この付近の
    住民は、震度5強程度であれば、特に話題にはしません。

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    ここからさほど遠くない場所には、町営施設である『花野果市場』があり、朝採れた
    ばかりの新鮮な野菜が、100円程度で手に入ります。 国道356号線沿いにあり、
    道の駅でもないのに、かなりの売上高を誇っております。 三陸自動車道の
    松島北インターチェンジからは車で15分で来る事が出来るため、日本三景松島で
    魚を購入した後は、美里まで足を運んでみては。 ここでは、1,000円もあれば、
    野菜、果物、花が、沢山購入出来ます。

    美里町のバラの生産は、30年ぐらい前から始まったものなのですが、その理由は、
    減反政策により、米が思うように作る事が出来ずに、休耕地が多かったため、
    その農地を転用したのが始まり。 国が押し進めた減反政策に従うと、余剰米の
    調整のために、米が思うように作れなくなるものの、その見返りは特にないため、
    遊休地をそのまま遊ばせて置くと、単なる税金の無駄使いとなるため、近所の農家
    同士が話し合い、バラの生産を始め、現在のバラの生産高は、東北1位となっています。

    また、この付近では、イチゴの生産が盛んに行われており、『仙台イチゴ』として
    出荷されています。 宮城県産イチゴのオリジナルのブランドは、『もういっこ』と
    なっており、『花野果市場』で販売して生産品は、全て付近の農家で生産したもの
    ばかりなので、地産地消の代表格となっております。

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    その他、美里町内には、『黄金澤』の酒蔵があり、市町村合併をする前までは、
    米の生産高が、宮城県内で第二位であったため、日本酒の製造も盛んです。
    ひとめぼれ、ササニシキ、まなむすめ、全て宮城県オリジナルの一等米となって
    います。

    鯨大和煮の缶詰は、被災後に石巻港から工場が移転して来たため、石巻産として
    販売をしている鯨の缶詰は、全て美里産となっております。 中に入っている野菜は、
    工場移転の際の美里町との協定により、全て美里産の野菜を使っております。
    尚、その移転してきた工場は、女川原発から30キロ圏内にあるため、実際に原発で
    事故が起きた際には、再度移転しなければならないでしょう。

    こちらの農家レストラン『はなやか亭』では、美里町の郷土料理、『すっぽこ汁』を
    堪能出来ますが、すっぽこ汁は、他地域では、『おくずがけ』と言い、法事の際の
    定番料理となっています。



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    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    2011年の3月11日に発生した東日本大震災により、JR石巻線は、一時石巻⇔
    女川駅間が不通となったが、その後、順次営業を再開して行き、被災から丸4年が
    経過した2015年3月21日に津波で流出した女川駅が、内陸側へと数百メートル
    程移転され、営業を再開した。

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    これにより、石巻線は、全線での営業を果たした。 かつて女川駅の隣にあった
    温泉施設『ゆぽっぽ』は、新しい女川駅の2階部分に新たに建設され、同じく、
    駅前にあった無料の足湯も復活した。

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    津波で流出する前の女川駅は、有人駅であったのだが、現在駅周辺は、津波で
    全て流出したため、街の建設が急ピッチで進められてはいるものの、まだ街開きを
    して間もないため、誰も住んではいない。

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    かつて女川駅のすぐそばには、女川原発原子力保安委員会の建物があったのだが、
    津波災害により、破壊されたため、被災直後にいち早く取り壊されて、瓦礫として
    処理された。 現在、女川原発の放射線量は、約70キロも離れた仙台市宮城野区で
    計測をしている。

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    女川原発があるためなのか、東日本大震災により、住民の10人に1人以上が
    死亡した最大の被災地である女川の情報が宮城県外で報道される事は、かなり
    稀で、遡上高で43メートルの大津波により、原発付近の全ての集落が消滅した
    ため、女川原発内に350名もの避難者が長期間避難をしていた事実を知るものは、
    かなり少ない。

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    この他にも、女川原発は、2011年4月上旬に非常用電源の電源消失事故を
    起こしているため、あわや福島の二の舞いであったのだが、そのような不都合な
    事実は全く報道しないのが、現在の日本のマスコミ。

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    原発内の体育館に350名もの避難者が長期間避難をしていた事実にもかなり
    驚かされるが、女川の実情を全く報道しない中央メディアには、疑問を禁じ得ない。
    宮城県内のメディアでは、かなり報じているものの、それが全く東京には伝わって
    いない。

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    女川原発

    女川原発原子力保安委員会
    消え行く「震災遺構」
    女川原発30キロ圏内安全協定案合意
    反日感情を変えた「女川町の奇跡」 ~佐藤充さん~
    七十七銀行女川支店 津波訴訟 2審も遺族側の訴え退ける判決

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    ある一人の少年の想いから発足した『青い鯉のぼりプロジェクト』は、東日本
    大震災で亡くなったこども達の為に、3月11日から5月5日のこどもの日まで、
    津波の心配のない青空に『青い鯉のぼり』を掲揚する鎮魂プロジェクト。
     
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    宮城県東松島市大曲浜で東日本大震災以降、毎年開催されており、初年度は、
    約200匹程度の青い鯉のぼりであったが、2015年度の今年は、約700匹まで
    増えた。 来年度からは、大曲地区でのかさ上げ工事が本格化するため、
    来年度からは、別の場所に移動しての開催が予定されている。



    東松島市内で震災により亡くなった人達の数は、約1,100人。 すぐ隣の石巻市と
    比較すると、街の規模が一回り小さいため、東松島の被災は見過されがちだが、
    市域の約6割以上が津波で浸水したため、その被災度合いは、かなり深刻と
    なっている。 自分の地元なので、被災前から大曲は時々通っていたものの、
    被災度合いが激し過ぎるため、昔の景色を全く思い出せない程。 このすぐ
    近所には、海浜公園と砂浜があったが、津波により松林の殆どが流出したため、
    その公園はなくなった。



    仙台方面から石巻へ向かう途中で、東松島市を通過するものの、三陸道や国道
    45号線からは、東松島市内の被災度合いが全く見えないため、そのまま通過
    されてしまいがちだが、このプロジェクトを見るためだけに東松島を訪れて
    見るのも被災地を考える切っ掛けとしては良いのかも知れない。

    大曲地区のすぐ隣には、航空自衛隊松島基地があり、週に3~4日程度、
    ブルーインパルスの展示飛行を無料で見る事が出来る。 また、1ヶ月前までに
    予約をすれば、直接松島基地内に入る事も出来る。



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    宮城県東松島市にある東北最大の海水浴場、野蒜海岸。 目の前に見えて
    いるのは、石巻湾。 本州で最もアメリカ大陸に近い場所で、外洋に開けて
    いるため、明治時代には、「明治三大築港」として、野蒜港がこの地に建設
    されたが、その数年後に、大型の台風が発生し、港湾設備がことごとく破壊
    されてしまった。

    その後、関東にある横浜に新たに港が開かれたため、この地に港が戻る事は
    なかった。 よって、野蒜が消滅したのは、歴史上これで二回目。 開港前
    までの横浜は、単なるひなびた漁村に過ぎなかったが、その後大きく発展し、
    今では日本第二位の都市にまで成長しているが、何とも皮肉な話である。 

    尚、この場所は、3年4ヶ月もの間、地盤沈下により、海に沈んでいた場所で、
    被災直後、暫くは、山のような瓦礫置場となっていた。 2013年の夏に
    入ってから、かさ上げ工事が本格化したため、ようやく、この場所は、3年4ヶ月
    ぶりに陸地に戻った。

    被災直後の東松島市野蒜付近

    東松島市は、市全域の60%強が、津波被害を受け、内陸側7キロまで、津波が
    押し寄せた。 明治三大築港であった、野蒜築港跡を世界遺産にという話も
    あったのだが、津波により、それすら流された。 松島の海岸は、砂が黒く、
    海の色が、深緑色で、余り綺麗ではないのだが、野蒜の砂は、白いため、
    海の色は、青ではなく青緑色。 別名奥松島。 日本三大渓谷のひとつ、
    嵯峨渓があるのもこの場所。


    被災直後のJR仙石線野蒜駅前

    この海岸では、500名以上が津波により犠牲となった。 現在不通となっている
    仙石線の電車は、下り列車は、地元の乗客の判断により、丁度高台地点に
    停車したため、乗客は、一昼夜その場所に留まったのだが、翌日には、救助隊が
    助けに来たため、全員無事だった。

    一方、同時刻に野蒜駅を発車した上り列車は、被災当初、乗客全員が死亡したと
    報じられた。 実際は、直ぐ近所にある、野蒜小学校に全員が避難したのだが、
    そこの小学校の校長が、学校の校舎に鍵を掛けてしまったため、折角電車から
    降りてわざわざ小学校の体育館まで避難をしたものの、最後は、津波に飲み
    込まれて、数名が亡くなった。
     
    被災時の野蒜小学校

    被災後、宮城県内の海岸では、4年近くを経ても、4ヶ所しか海開きを行って
    いない。 この野蒜海岸も、この先、いつ海開きが出来るのかすら分からない
    状況となっている。 10年後、この海岸で泳げる日は来るのだろうか? 石巻の
    被災状況は、時々ニュースでも取り上げられるのだが、東松島は、殆ど報道
    される事はなかった。

    この場所には、ユースホステルがあり、かんぽの宿もあり、民宿も沢山あった場所。
    今は、何もかもなくなった。 野蒜には、建物は、一つたりとも残ってはおらず、
    元々、この場所は、うっそうとした松林だった。 その松林も95%以上が流出
    したため、今では何もなくなった。 防潮林だった筈の松林は、津波の激流に
    押し流れ、最後は、人や建物を襲うための凶器と化した。


    燃料が足りず、火葬が追いつかなかったため、遺体は一旦土葬にされました

    この海岸には、約5メートルほどの防波堤があったにも関わらず、津波の高さが
    余りにも高過ぎて、何の役にも立たなかった。 それでも、25年ぐらい前に、
    2メートルほどかさ上げ工事をして、高くした場所。 何もかもなくなって
    しまったため、もう昔の景色すら思い出せない。

    福島の人たちは、避難生活が長引いて、苦しんでいるとは言うものの、それは、
    宮城県でも同じこと。 福島の場合は、特に景色は変わってはいないが、宮城県の
    場合は、何も残ってはいないため、この地に何があったのかは、自分の記憶に
    頼るしかない。 まさか、何もかもなくなるとは思っていなかったため、写真の
    1枚すら手元には残ってはいない。

    復興が進んでいるとは、名ばかりで、一番復興が遅れているのは、野蒜なのでは
    ないだろうか? こんなに綺麗で穏やかな海なのに、どうして、この場所で500人
    以上も死ななければならなかったのか、かなり疑問だらけ。
     
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    2011年12月末に撤去された、仙石線の下り電車

    すぐそばにある、航空自衛隊松島基地は、津波で水没し、被災後の数日間は、
    全く機能しなかった。 よって、この地で真っ先に救助活動をしたのは、
    アメリカ軍。 被災後は、この付近の住民たちは、美里町と松島町に分かれて、
    半年から1年近くも寒い体育館での寝泊りを余儀なくされた。


    長渕剛 松島基地 自衛隊員激励ライブ

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    どんな初夢見ましたか? に参加中!

    どんと祭は、宮城県を中心に呼ばれる祭りの呼称である。 他地域では、
    左義長やドント焼きなどと呼ばれる祭りと類似しており、神社の境内などで
    正月飾りを焼き、御神火にあたる事で、一年の無病息災・家内安全を祈願する。
    特に宮城県内各地の神社で盛んに行われており、仙台市にある国宝
    大崎八幡宮の『松焚祭』(まつたきまつり)が宮城県最大規模である。

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    宮城県内の場所によっては、裸参りを行うところと、行わない場所がある。
    多くの地域では、小正月の前日の1月14日夕方から行われるが、岩手県の
    盛岡八幡宮では1月15日に行われ、福島県の西根神社では、『うそかえ祭』
    と一緒になって数日間開催される。 また、宮城県石巻市では1月7日に
    行われる。 石巻の場合は、新生活運動により1970年代に前倒しが定着した
    ものとされる。

    松の内(門松を飾っている期間)が終わると漁が始まるため、石巻漁港
    (1973年(昭和48年)に特定第三種漁港に指定)を擁する同市では、
    新生活運動が謳う「合理的民主的な生活慣習の確立」に従って松の内を
    県内他地域より短縮した。

    donto

    参拝者の一部は裸参りを実施している。 宮城県内各地の裸参りは大崎八幡宮
    における裸参りとおおむね同様の装束・方式で実施しているが、同県登米市
    迫町・津島神社の『佐沼どんと祭裸参り』では提灯ではなく松明を持って
    参拝し、同県角田市の『かくだどんと祭り裸参り』では、鳥追い棒を持って
    『ヤー、ホイホイホイ』の掛け声とともに町中を練り歩き、盛岡八幡宮では、
    紙のハサミを持って特徴的な振りをしながら行進するなど、地域によって
    一部違いがある。 

    神社で行われるのが一般的だが、神仏混淆の中山鳥瀧不動尊、あるいは、
    定義如来や仙台大観音などの寺でも行われており、白山神社の別当寺の立場に
    ある陸奥国分寺では、裸参りも実施される。 また、岩手県奥州市江刺区では
    大通り公園で、釜石市大渡では、甲子川河川敷で開催するなど、神社・寺以外
    での開催例もある。 さらに、宮城県登米市では石越総合運動公園で
    『石越どんと祭冬の花火大会』が実施されており、イベント性が高い。



    【松焚祭】
    仙台市都心部北側の北山丘陵西部にある大崎八幡宮で行われる年中行事で、
    300年の歴史があるとされ、2005年(平成17年)に仙台市の無形民俗文化財に
    指定された。 市内各地から当社を目指して歩く、裸参りが特に有名である。
    例年約10万人の人出で賑わい、神社前の国道48号と接続道路は交通規制が
    なされ、バスやタクシー以外の進入が出来なくなる。 また、市内各地から、
    参拝用のバスの特別運行がなされる(仙台市電があった頃は市電の特別運行
    もあった)。
     
    以前は20万人程度の人出があったとされるが、仙台都市圏の拡大や郊外
    居住者の増大により、人ごみを嫌った参拝客が他の最寄の神社のどんと祭に
    流れるようになった事と、また、成人の日が1月15日ではなくなった事により、
    その前夜のお祭りの意味もあったどんと祭に参拝しづらくなったため、
    大崎八幡宮への参拝客は減ってきた。

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    東日本大震災により、町が壊滅状態となった宮城県南三陸町。

    そこには、想像を遥かに超える大津波が何度も押し寄せたが、南三陸町危機管理課
    広報担当の遠藤未希さん(当時24歳)は、町民の命を守るために、自分が避難を
    促される最後の最後まで、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けました。
     
    miki_endo_body_found

    自らをも省みず、避難を呼び掛け続ける声は、いつしか、『天使の声』と呼ばれる
    ようになり、埼玉県にある、公立高校の道徳の教材になりました。 遠藤未希さんの
    最後の声は、町民の心に深く刻まれています。 多くの人々が、この声に後押し
    されて、高台を目指し、命を救われました。

    只今、津波が襲来しています。
    高台へ避難して下さい。
    海岸付近へは、絶対に近づかないで下さい。



    【遠藤未希さんの最後の声】
    高台に避難してください
    ただいま、宮城県内に10m以上の津波が・・・



    多くの町民は、『あの声を聞いて、逃げなければと思った... あの声に救われた
    人が大勢いると思う...』と述べています。

    結婚したばかりのご主人は、『逃げて欲しかった... そして、生きて欲しかった...
    他の人に何と言われようとも...』とブログに綴っています。

    また、お母さんは『最期まで頑張ったって、いろんな方に言って頂いたけど...
    親とすれば、やはり助かって欲しかった... 私たちは、未希から守られたと思って
    います。 本当にいい子でした。』と仰っていました。



    防災庁舎を襲う大津波。 津波の高さは屋上をも遥かに超えた。

    親を心配させたくないと、仙台の専門学校を卒業し、地元の南三陸町の職員に
    なった遠藤未希さんは、被災の1年前から、町の防災課で働いていました。
    地震発生当時、防災庁舎には、30名の職員が残っていましたが、3階建ての防災
    庁舎の屋上を2メートルも上回る大津波が襲い掛かり、無事が確認されたのは、
    南三陸町長を含む8名だけでした。

    行方不明になった多くの職員は、防災担当でした。 職員の中には、屋上の更に
    上にある鉄塔に登って、助かった人も居ました。 多くの職員は、屋上にある
    フェンスにしがみついたが、津波の威力は、想像を遥かに超えていました。

    government_office_building_2
    鉄塔にしがみつく職員達。 この後、津波の威力になすすべもなく流された。

    未希さんの両親は、自ら被災しながらも、毎日、遺体安置所となっていた町総合
    体育館を訪れていた。 しかし、津波から43日後の4月23日、 未希さんの遺体が、
    志津川湾で見つかりました。 志津川湾に浮かぶ、荒島の北東700メートルの
    地点で、捜索隊が発見したそうです。 警察のDNA鑑定の結果、震災から50日
    余りも経った5月2日になって、ようやく未希さんという事が確認されました。

    未希さんの左足には、去年7月に結婚したばかりの夫、正喜さんがプレゼントした
    オレンジ色のミサンガが巻かれたままだった。 父親の清喜さんは『ずっと捜して
    きたので、やっと娘が見つかってよかったという気持ちはありますが、もう戻って
    来ないと思うと寂しい思いが募ります』と話していました。


    遠藤未希さんと高校の同級生で、同じく、南三陸町役場で働いていた、
    三浦亜梨沙さんが交際相手だった男性に向けて、最後に送ったメール。

    防災対策庁舎で津波に流されて行方不明になっていた同町職員三浦亜梨沙さん
    (当時24歳)の遺体が、2012年1月に、町内のがれき置き場で見つかっていた事が
    分かった。 DNA鑑定を終え、2012年2月に入り、ようやく、無言の帰宅をした。
    未希さんとは、剣道を通じて、小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い
    親友同士だった。

    CI0003
    南三陸町被災前の人口
    17,700人

    2014年3月現在;
    死者:619人
    行方不明者:219人


    南三陸町 語り部バス

    【お勧めの一冊】


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    本日のお題は、『市町村合併』

    我が宮城県美里町は、当時の宮城県知事の掛け声の下、平成の大合併により、
    強引に誕生した町。 当初は、遠田郡全ての町である、涌谷町、小牛田町、田尻町、
    南郷町全てと、すぐ隣の旧志田郡全ての町である、鹿島台町、松山町、三本木町との
    合併を目指しましたが、旧志田郡全ての町が、大崎地区の中心地である、古川市との
    合併を選択。 同じ遠田郡内の田尻町も古川市との合併を選択し、その後、
    古川市は、意味不明な『大崎市』という名前になりました。

    最後に残った、涌谷町、小牛田町、南郷町との3町合併で、『遠田市』という市の
    名称まで決定していたものの、町の中心地をどこに置くかで、涌谷と小牛田が
    激しく対立した結果、その戦いに敗れた涌谷が合併協議からギリギリのところで
    離脱しました。

    結果として、仕方なく残りの2町だけ合併をする事になりましたが、この時点で、
    合併後の人口が28,000人余りしか居なかったため、市に昇格をするための条件である
    『人口3万人』を割り込んでしまい、市ではなく、町のまま留まる事になりました。

    合併後の名前を大々的に募集した結果、何故か非常に意味不明な『美里町』と
    なりました。 よって、地元では、今でも『美里』とは誰も言いません。 取って
    付けたような無理やり感満載の町の形。 そもそも、美里って何だよ?と言いたく
    なるような変な名前。 小牛田町と南郷町が合併すると、何がどうなって
    美里町になるのかが疑問。 元々、5年以内に大崎市と合併をする計画であった
    ため、誰も町の名前なんて気にも止めていなかったのだが、8年以上も経過した
    今でも、そのままの状態。

    町の中心部である、小牛田への一極集中は、ますます増すばかり。 市町村合併で、
    良くなった点は、1つもなく、むしろ、悪くなる一方。 南郷地区は、元々、
    涌谷警察署管内であったため、運転免許を取る際には、すぐ隣の石巻運転免許
    センターへ行っていたのだが、市町村合併後は、100%古川管内である小牛田の
    お陰で、非常に遠い古川運転免許センターへと管轄が移されました。 市町村
    合併前までは、石巻運転免許センターまでは、車で20分程度で行けたところを、
    古川運転免許センターの場合は、45分程度も掛かるため、非常不便。 ハッキリ
    言って、倍以上遠くなりました。

    美里町は、水道料金が日本国内でも12を争うぐらい高いのですが、それは、
    合併後に、公共料金全てを高い方に合わせたため。 元々、南郷地区は、
    江戸時代にも領土問題で争いになった場所なので、領土問題でもかなりの
    デリケートゾーン。 石巻、仙台、古川、矢本を都合良くつまみ食い程度に
    完全に使い分けているため、車で15分も掛かる小牛田へは、基本的に行きません。
    バス路線も、市町村合併前までは、涌谷が終点だったのにも関わらず、合併後は、
    全て小牛田が終点に。 買い物の多くを涌谷でしているこちらと致しましては、
    不便極まりなし。 美里町民バスは、どこまで乗っても100円という超破格値
    だったのだが、遠い古川駅まで1時間半を掛けて、100円で行けますと言われても、
    普通に車で行けば、25分で到達出来ます。

    むしろ、買い物の殆どを石巻でしている南郷地区の場合は、石巻へのバスが
    あった方が便利で近い。 住民の意思を完全に無視して、市町村合併をすると、
    こんな大失敗を仕出かすと言う見本のような町が、宮城県美里町。 ここが
    自分の地元ですと言われても、一切そんな実感すら沸かない名前となってしまい
    ました。 すぐ隣の大崎市と合併をすれば、宮城県第二の都市に成り上がれるため、
    早めの合併を強くお勧め致します。

    misato01
    04505

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    東北はどこも同じと思われている方たちも大勢いると思うのですが、東北は、太平洋側と
    日本海側、また、南と北で、ほぼ共通点がないほど異なります。 まず、大きく異なるのは、
    気候、方言、県民性。 特に、一番異なるのは方言。 同じ県内と言えども、各地で非常に
    異なるそれぞれの方言で話した場合、ハッキリ言って、全く意思の疎通が出来ません。 

    宮城県の場合は、太平洋側に面しているため、気候が温暖で、雪が余り降りません。 夏は、
    太平洋側に開けた平野にあるため、さほど暑くはなりません。 よって、仙台は、日本全国の
    都道府県庁所在地の中でも、最も寒暖の差がない都市。 そこそこ田舎で、そこそこ都会、
    これが宮城県です。 海も山も車で30分程度あれば、十分行ける距離にあります。 冬は
    晴れの日が多く、『伊達62万石』と外面的には名乗っていたものの、実際の石高は、
    その後の大規模干拓により、その4倍程度あったため、食料難には直面した事がなく、他の
    東北では、飢餓やら飢饉やらに悩まされておりましたが、そんものは、他国でのお話。
    食べ物に関して、みみっちい事は一切申しません。 よって、お客様が来られた際には、
    両手に溢れるばかりの農産物を持たせてやるのが、しきたりとなっております。

    一般的に、寡黙で真面目、かつ、雪が多く、暗いイメージが常に付きまとう東北ですが、
    宮城県の場合は、この条件は、ひとつも当てはまりません。 よって、そこに住む人たちも、
    陽気でおしゃべり、かつ、ありえないぐらいのお笑い好きw 普段喋っている内容を分析
    すると、その約40%程度は、ボケに費やされており、しかも、相当な早口。 黙っていると、
    相手がボケまくって来るため、こちらも、負けじとボケてやらねばなりませんw ここで関西
    とは決定的に異なる点としては、ボケに対して、ツッコミを入れると、ドンビキされるため、
    まずは、様子を見ながら、適度にボケてみましょう。 そこから、徐々に調子の波に乗って、
    人前で、平気で大ボケをかませるようになったら、あなたは、もう立派な宮城県民ですw

    宮城県と一番感覚が似ているのは、福島県なのですが、福島の人たちは、ボケ方が
    足りません。 言っている内容は、ほぼ理解出来ますが、アクセントが平板であるため、
    東北の中では、最後の最後まで、訛りが抜けません。 宮城県の南側は、この福島とほぼ
    同じ方言です。 山形県の人に至っては、宮城県とは、性格が完全に間逆です。 よって、
    宮城県民が、たった30キロ程度しか離れていない山形県に赴くと、異国の地に立たされた
    ような気分になります。 しかも、山形県の場合は、気候も全くの間逆。 『トンネルを抜けると、
    そこは雪国だった』を地で行っているのが、山形県。 岩手県の場合は、しゃべり方が、
    全体的におっとりとしているため、個人的な見解としては、東北の中で一番親切な人が
    多いと思います。 朝ドラでも有名になった、『あまちゃん』そのものの人たちが多いと
    思います。
    tohoku
    宮城、福島、山形、岩手、いわゆる、東北4県の場合は、お互いの方言で喋ったとしても、
    かなりの割合で理解可能ですが、問題は、秋田と青森。 既に日本語の域を相当逸脱して
    いるため、全くの理解不能レベル。 良々聞くと、何となく理解出来るのですが、基本的に、
    標準語で喋らないと、後で泣きを見ます。

    ステレオタイプな人の場合は、仙台は断然青森に近いと思っておりますが、実は、仙台は、
    東京と青森どちらへも350キロ程度の完全中間地点にあります。 最近では、都市化が
    進み過ぎて、方言すら全く使わなくなりましたが、余りにも度が過ぎて、今度は、方言が理解
    出来なくなりました。 30代~60代に掛けては、100%標準語と仙台弁のバイリンガルが
    多いのですが、そこまで言葉に拘っていない人の場合は、どちらか一方だけしか喋れません。

    現在、仙台弁のネイティブは、宮城県民全体の3分の1程度にまで減少しています。 昔は、
    方言の事を恥ずかしいとしか思いませんでしたが、最近では、自分たちの本来の言葉を
    次の世代に正確に残さなければならないと考えています。 言葉とは、単なるツール
    ではなく、心や伝統を伝えるものです。 伝統文化を守るように、方言も後世に語り継いで
    行かなければなりません。 日本の中でも、一番消滅の可能性が高い仙台弁の場合は、
    尚更です。

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    宮城県の被災状況は、やはり、地元出身者ではない人は、余り強くは語れない。
    宮城県は、元々、半分程度が仙台弁のみで話している地域であるため、仙台弁が
    完全に理解出来ないと、完全に中には入って行けない。 しょせん、ヨソ者扱いを
    されるだけ。 このヨソから来た人達は、周囲を気にする余り、地元の人間に
    対しては、余り強くは言えない。



    被災者の被害者意識は、増大するため、自分だけが被害者だと思いがちだが、
    それは間違っている。 今でも、内陸部では、沿岸部を見たくないと言う人が
    多数居るが、今の現実を完全に受け止めて、この先、この事を一生忘れるなと
    言いたい。 石巻が一番地獄を見たのも十分知っているが、それでも、もう少し
    だけ、周りを見てくれても良いと思う。

    被災地で、略奪はなかったと言う話は、全くのウソで、実際の被災後は、略奪
    だらけだった。 それでも、東北には優しい人が多いため、警察には届けな
    かったり、逆に、困っているのであれば、持って行って下さいと言った人が
    多かった。 宮城県内では、遺体を燃やすための燃料が足りなかった時に、
    関東では、放射能汚染瓦礫受け入れ反対と言っていたことを一生忘れては
    いけない。 最大被災地である石巻では、遺体がまだ道端に転がっていた時期に、
    関東では、『カラオケ如何ですか?』と言われた事もこの先一生忘れない。



    3月12日に、石巻に救助に来ている外国人の通訳を依頼されたのだが、
    被災度合いが余りにも凄まじ過ぎたため、結局は、石巻までは行けなかった。
    被災当初は、飛行機しか移動手段がなかったため、ようやく実家に帰れたのは、
    新幹線が福島まで再開したゴールデンウィークだった。 それまでは、親とも
    一切連絡が取れず、関東には、詳しい情報もなかなか入って来なかったのだが、
    福島県内では、放射能の話題がタブーのように、宮城県内では、死亡した人の
    話題がタブーであるため、今でも自分の友人、同級生、知り合い、親戚、その他
    諸々、誰が死んで、誰が生きているのか、詳しい事は分からない。 知った
    ところで、どうする事も出来ないので、あえて、聞かない様にしているのも事実。



    『がんばっぺし』という言葉を良く目にしたり、耳にしたりするが、一番言って
    やるべき言葉は、『あんだも頑張らいん』だと思う。

    【お勧めの一冊】


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