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    タグ:宮城県美里町

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    宮城県美里町を中心に活動を行っている、M's Japan Orchestra。 先日、稲城市で開催
    されたライブに行って来た。 なかなかの美男美女揃いです (^0^)/ 自分の地元の町内の
    人たちの筈なのですが、自分の町の中心部の小牛田とは余り共通点がないため、私は
    100%仙台弁のみで喋ったのですが、全て標準語で返されましたw 最近の若い者は、
    方言を余り喋れませぬ。。 『あ、今度合併で一緒になった・・・』と言われたのですが、
    そんな程度の繋がりしかありませんので、市町村合併の弊害がここでも見られましたw
    私の実家は、小牛田よりも、東松島と石巻の方が近いのであった・・

    馴れ馴れしく、話しかけたところ(←仙台では、これが当たり前w)、メンバーは、小牛田、
    古川、仙台出身と言っておりました。 そのうちのお一人が、三味線の全国大会で、日本一
    になったとか☆ 別ユニットでも活動を行っており、その際の名前は、『族 -yakara-』と
    『閃雷(せんらい)』。



    美里町は、すぐお隣の東松島市の災害援助活動を行っているため、『青い鯉のぼりプロジェクト
    の手ぬぐいも会場で購入致しました。 1枚1,000円の売り上げがそのまま寄付となり、
    東松島市の子供たちに夢と希望を与えるプロジェクトの活動資金となります。 実は、
    この東松島市を助けているのは、同じ被災地の美里町と松島町だけで、東松島市の
    避難所は、美里町内に今でも2ヶ所あります。 東松島、松島共に大量に瓦礫が発生した
    ため、一番助けに行ったのは、実は美里町。 松島町は、被災地の中では、一番まし
    レベルの被災度合いですが、それでも、本調子ではないため、やはり、美里町が全面的に
    東松島を援助するしかありません。

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    私の実家がある宮城県美里町は、11年前の『宮城県連続地震』の際に、
    周辺地域全てが倒壊し、震度6強連続4回という史上最大の被災地だった
    のにも関わらず、被災地指定からは外され、周辺からボランティアがやって
    来たのは、ものの数ヶ月程度であった。 人口が少ないという安易な理由
    により、被災地指定を外されたため、当然、義捐金は一切届かなかった。

    >>宮城県北部連続地震と美里町

    周り全ての家屋が倒壊したとしても、結局は、倒壊家屋の件数だけで判断
    されてしまうため、人口が少ない自治体は、、おちおち被災すら出来ない。
    すぐ近所の小学校には、2年間だけ、仮設住宅があったのだが、丸2年間が
    経過した時点で、強制的に撤去されたため、自宅の再建が叶わなかった
    人たちは、皆町からは出て行った。

    当時は、まだ南郷町という名前の自治体であったのだが、この時に地震の
    影響なのか、すぐ隣の小牛田町と合併をして、これまでの地名とは一切縁も
    ゆかりもない美里町という名前になった。

    >>市町村合併

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    当時は、私の実家にも『倒壊判定』の赤紙が張られたのだが、私の母親は、
    避難所には一切行かず、自宅で過ごした。 避難所に行くと、食事が貰えた
    のだが、それすら貰わなかった。 その後の余震は、半年以上も続いたため、
    常に家屋が倒壊する危険性があったのだが、そのまま家に留まった。

    被災時に、被災地指定から外されてしまうと、どうなるかと言うと、倒壊家屋の
    瓦礫処理が、全て自腹となりるため、私達の場合は、瓦礫処理代として、家屋
    1軒につき、60万~200万円程度の支払いが必要だった。 隣近所全ての家屋が
    無くなったのだが、それでも被災地指定からは外されたため、特別税制優遇
    として、被災したその年だけ、年間で1,000円が免除された。 すぐ近所にある
    神社とお寺も倒壊したため、檀家代として、5年間もの長きに渡り、毎年5万円
    づつの寄付を取られた。 近所にある小学校と中学校に対しても、寄付を取られ
    たが、その見返りとして貰ったものは、タオル1枚だけ。

    >>被災から4年が経過した石巻の状況

    その際に、すぐ隣の自治体である石巻は、全く無事だった。 より正確に言うと、
    旧河南町の部分だけ被災し、その他、旧来の石巻市内は無事だった。 相当
    大規模な地震が連続で起きた割には、死者が1人も出なかったため、その後は、
    全て忘れ去られた。

    東日本大震災のように、大量に死者を出して、3年半以上経過しても、未だ
    忘れられないのと、家が地震災害で無くなったとしも、ものの数ヶ月間だけで
    忘れ去られるのとでは、どちらがましなのかと、常々考えているのだが、石巻の
    人たちに、この事を言っても、当時の事を殆ど覚えてはいないため、如何に人事
    としてこちらの災害を捉えていたかが良く分かる。

    こちらもすぐお隣の自治体である、東松島市と松島町は、この時に美里町と
    一緒に被災したため、当時の状況を良く覚えているのだが、こちら側と石巻との
    関係が完全に溝になっている事を知っているのは、地元以外の人間では居ないと
    思う。

    >>【4年経過した】東松島市野蒜地区の被災状況

    石巻の人たちは、自分たちが一番不幸だと常々言っているが、それでは、完全に
    見捨てられた我々はどうなるのかと、言い返してやると、何も答えられないのは
    何故なのだろう。

    宮城県連続地震の際の災害が縁となって、現在、美里町と東松島市は、災害協定を
    結んでいるのだが、東日本大震災が発生した際には、美里町も被災地に指定された
    ものの、被災地の中では最も被災度合いがましであったため、真っ先に東松島市の
    救援活動に入ったのだが、災害後に設置されていた美里町内の東松島市の仮設住宅は、
    災害から丸三年を経て、全て撤去された。

    >>東北電力女川原発

    美里町は、東北電力女川原発の30キロ圏内に一部入るのだが、その場所は、私の
    祖父の実家がある場所で、私の実家自体は、原発からは、ギリギリ30キロ圏外の
    32キロの場所にある。 女川原発自体も、福島第一原発同様、地震により、
    非常用電源回路が消失したため、爆発し掛けたのだが、日本の中央メディアは、
    その事を一切報道しなかった。

    【お勧めの一冊】


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