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    タグ:宮城県石巻市

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    今から30年以上も前から、99%の確立で起こるであろうと予想されていた
    東日本大震災。 その最大の被災地である宮城県石巻市で、唯一患者の最後の
    砦として機能し続けたのが、石巻赤十字病院。



    市内にある他の病院は、津波災害により、電源の確保出来ずに、ほぼ全ての
    機能が麻痺したが、石巻赤十字病院だけは、緊急時用の自家発電装置を備えて
    おり、かつ、独自の免震構造により、被害を最小限に抑える事に成功した。
    これだけの大災害であったにも関わらず、石巻地域では、唯一の救護施設
    となり続け、最大で約2万人の患者を受け入れた。 このような事例は、他の
    地域では前例がなく、震災の教訓として、被災後に石巻赤十字病院を訪れる
    医療機関は少なくない。



    常に大災害を想定して、避難訓練等を行っていたため、病院内が大きな混乱に
    巻き込まれる事もなかった。 但し、1日に数千名の患者を受け入れ続けたため、
    病室は全て埋まり、廊下やロビーにまで、患者の他にも、家を流された人々が
    溢れかえった。

    現在、被災地の沿岸部では、医師や医療機関が不足しており、医療空白地帯とも
    呼ばれている。 これからの高齢化を考えると、地方にこそ、充実した医療
    機関が必要だが、予算等に問題により、それもままならず、今後も起こるで
    あろう大規模災害に対しても大きな課題を残したままとなっている。

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    宮城県石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロの川沿いに位置する
    大川小学校は、3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が
    死亡、行方不明となった。 教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が
    死亡した。 東日本大震災で起きた数々の悲劇の中でも、最も悲劇的な場所と
    される所以である。

    児童108人のうち、無事が確認されたのは31人。 21人は遺体で見つかり、
    56人は未だ安否が分かっていない。 学校にいた教職員11人のうち、助かった
    のは男性教諭1人だけだった。柏葉照幸校長(57)は午後から年休で不在だった。

    img_3

    地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。
    教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り、全員の安否を確認した後に、避難先
    について議論を始めた。 学校南側の裏山は有力な避難先であったが、急斜面で
    足場が悪い事から、児童らが登って避難するには問題があるとされていた。
    約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋の三角地帯も
    避難先候補となり、裏山へ逃げるという意見と、老人も含まれている事を考慮して
    三角地帯にするべきという意見が教職員の間で対立し、最終的に三角地帯に
    避難する事になり、移動を開始した。



    その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方から飲み込んだ。
    列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて、裏山を駆け上がり、一部は
    助かったが、迫り来る津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難
    出来ない児童も居た。 家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は
    助かった。 避難先として選定した三角地帯も標高不足で津波に呑み込まれて
    おり、避難が完了していたとしても、被害は避けられなかった。 校庭には、
    スクールバスも停車していたが、その運転手も、津波に飲み込まれて、死亡した。



    難を逃れた児童22名は新学期より、同校より10km離れた石巻市立飯野川第一
    小学校へ通学していたが、2014年からは石巻市立二俣小学校敷地内の仮設校舎に
    移転している。 校舎も新たに建て直す予定だが、時期や場所などは未定。
    その大川小には、犠牲者を慰霊するために制作された母子像が設置され、2011年
    10月23日に除幕式が行われた。



    地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、すぐに退避せず
    校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど、
    学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。 普段から避難に関する教育を徹底し、
    児童だけの自主的避難で全員無事だった釜石小学校や、地震直後より全員高台に
    避難させ、在校児童が全員無事だった、門脇小学校と対照的とされた。 宮城県が
    2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、
    津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には、津波は到達
    しないとされていた。 そのため、大川小自体が避難先とされていたため、地震の
    直後には、高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難して来た。



    石巻市教育委員会は、2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を
    指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに
    津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、
    父母らに謝罪している。 2011年4月9日の説明会で、無事だった教諭が、
    裏山に『倒木があった』と証言した。 同年6月4日夜の説明会で、石巻市
    教育委員会は、前述の証言を『倒木があったように見えた』と訂正し、裏山へ
    避難しなかった理由を、津波が校庭まで来ると想定していなかった事に加え、
    余震による山崩れや倒木の恐れがあったためと説明した。 避難が遅れた
    理由には保護者や避難住民への対応を挙げた。

    震災時の議論の詳細は明確にならなかった。 謝罪はあったが、学校も教育
    委員会も責任に言及しなかった。 2012年12月、大川小の惨事を検証する
    第三者検証委員会が設置された。 2013年7月の中間報告で調査委員は、
    大川小の『地震(津波)発生時の危機管理マニュアル』に『第1次避難』は
    『校庭等』、『第2次避難』は『近隣の空き地・公園等』と記載があるのみで
    具体的場所の記載が無かった事を指摘したものの、遺族からは既に判明して
    いる事柄ばかりで目新しい情報がない、生存者の聞き取り調査を行っていない、
    なぜ50分間逃げなかったのか言及がないなど不満が噴出した。

    2013年9月8日、石巻市教育委員会による遺族説明会が約10ヶ月ぶりに行われ、
    『話し合いを拒んできた理由を説明して欲しい』など批判が相次いだ。 2014年
    3月1日に『大川小学校事故検証報告書 最終報告書』が石巻市に提出された。
    2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し総額
    23億円の損害賠償を求める訴訟を仙台地方裁判所に起こした。
     
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    【現在の石巻市立大川小学校付近】


    >>あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争

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