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    タグ:宮城県北部連続地震

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    被災地通信 に参加中!

    東松島市は、2003年の『宮城県北部連続地震』でも大規模被災をしているが、
    その当時、野蒜地区は、余り被災しなかったのだが、その隣の小野、大塩地区は、
    震源地の真上にあったために、大規模被災し、かなりの家屋が被害を受けた。

    過去に東日本大震災よりも大規模な地震に遭遇しているため、、野蒜小学校
    校長の証言にも『地震は予知出来なかった』とは出ていないのだが、野蒜
    小学校は、海から、ものの数百メートル程度しか離れていないため、津波が
    予想出来なかったというのは、教育者としても余りにも甘い考え方。

    付近を走っていたJR仙石線の乗客達も、地震発生直後に全員野蒜小学校の
    体育館へと避難をしたが、校長が校舎への入り口の鍵を掛けてしまったため、
    その一部は、津波に飲み込まれて死亡した。



    <野蒜小津波訴訟>校長『津波到達予想できず』
    東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難し、津波で死亡した住民と
    児童計3人の遺族が市に計約5,300万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が
    2015年10月22日、仙台地裁であり、当時の女性校長が『学校に津波が到達する
    とは予想できなかった』と証言した。

    校長は理由として、市防災マップで学校が避難区域外だったことや停電などで
    情報収集ができなかった点を挙げた。 津波情報の収集は『教頭に任せていた』
    と証言したが、学校に電池式のラジオがなく、情報収集ができなかったという。

    訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民らは市の地域防災
    計画で避難所に指定された野蒜小に避難し、校長らに体育館へ誘導されたとして
    いる。 校長は『児童は体育館に避難させたが、住民の避難は各自の判断
    だった』と反論した。

    死亡した3人のうち、児童1人は担任の女性教諭が同級生の親に引き渡し、
    学校より海側の自宅付近で津波にのまれた。 校長は『保護者に引き渡すのが
    あるべき姿だ』と認めつつ、『震災下では一つの判断。 引き渡し後の安全
    確保は同級生の親に委ねていた』と語った。

    児童を引き渡した担任は『(県教委の指針に)違反したかもしれないが、
    児童を早く安心させてあげたい一心だった』と当時の心境を語った。

    市の調査によると、体育館では住民ら計13人が死亡したとされる。


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    3.11東日本大震災 に参加中!

    被災地巡りの気仙沼編です。 出発地点は、JR気仙沼線の分岐駅、石巻市にある
    前谷地駅から。 なるべく気仙沼線に沿って気仙沼まで行く小旅行です。 今年の
    6月から気仙沼線のBRTが、この前谷地駅まで乗り入れを開始したため、駅前に
    BRT専用のバス乗り場が出来ました。 この付近は、12年前の宮城県北部連続
    地震でかなり破壊されましたが、今では、概ね復興は終わっております。

    【前谷地駅前】
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    気仙沼線に沿って進む筈が、途中の県道に道路標識が全くないため、気仙沼線
    からは、若干外れますが、登米に来てみました。 登米市登米と書いて
    『とめし とよま』と読むという、嫌がらせのような地名です。 登米は、
    『宮城の明治村』とも呼ばれており、旧水沢県の県庁所在地だった街。 その後、
    水沢県は、明治政府により、南北に2等分され、北は、現在の岩手県へと割譲、
    南半分だけ宮城県に留まりました。 その宮城県という名前も、明治政府に
    よって無理やり変えさせられた名前であるため、ハッキリ言って、この県名が
    嫌いな人が多い。 よって、宮城県出身者は、その殆どが『仙台出身です』と
    言う事になっております。

    【宮城の明治村 登米】
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    登米は、これまた、明治政府によって、鉄路を大きく外されてしまったため、
    その後一切発展する事すらなく、現在に至っております。 昔の県庁所在地で、
    最終的に単独で市に昇格出来なかったのは、この登米ぐらいだと思います。
    現在の登米市が、「とめし」と読むのは、『とよま』ではないためで、登米市の
    中心部は、登米ではなく、佐沼となっております。

    北上川の開運によって隆盛を極めた登米の面影は、現在では、一切残ってはおらず、
    今では、鉄道すら通ってはおりません。 よって、明治政府の残忍非道な愚行が
    そこかしこに見え隠れしているのが登米となっております。 しかも、こちらは、
    県の名前を仙台から宮城に無理やり変えられても、領土を割譲させられても、
    150年間謝罪の言葉すらなく、そのまま放置。

    【本吉駅跡】
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    今月正式に廃止、並びに、BRTへの転換が決定されたJR気仙沼線の本吉駅跡。
    気仙沼線は、津波で破壊された区間が長過ぎるため、薄々復旧は不可能である事は
    前々から分かっていましたが、実際に廃止が決定されると、やはり寂しいものが
    あります。 運行本数的には、バスの方が鉄道よりも圧倒的に多いのですが、
    地方路線であるがゆえに、国からの補助により、復旧を果たした三陸鉄道とは、
    好対照となっています。

    JR東日本は、発足当初、仙台と東京で本社を巡る熱い戦いを繰り広げた結果、
    仙台と東京に2つの本社を置く事でその問題を解決しましたが、その後、JR
    東日本東北は、単なる『仙台支社』に格下げとなったため、JR東日本の路線は、
    田舎の路線でも地方鉄道程の予算が下りずに、結局は、大船渡線共々廃止に
    なりました。 元々は鉄路であった専用路線を走行するため、通常のバスよりも
    遅れが少ないものの、やはり、バスなので、正確な時間が読めません。

    【小金沢駅跡】

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    JR気仙沼線、小金沢駅跡。 気仙沼線は、その殆どを津波によって流されて
    しまったため、このような残骸が各地に残っています。 海のすぐ隣に駅が
    あるため、土台が流されて、このような状態が残されています。 専用BRTも、
    この駅の付近は、国道45号線を走行するため、駅舎自体ももうありません。
    ホームも半分近くが流されてしまったため、見る陰もありません。

    【大谷海岸駅跡】
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    JR気仙沼線、大谷海岸駅跡。 道の駅も併設されていたため、被災前までは、
    マンボウの展示も行っていましたが、今では駅舎自体が無くなったため、
    マンボウもいなくなりました。 日本で最も海水浴場に近い駅というキャッチ
    フレーズを使っていましたが、今では、その海水浴場では、ひとりも泳いでは
    おりません。 土嚢で波よけをしているものの、再度津波が襲った場合は、何の
    役にも立たないでしょう。BRTは、斜め向かいの国道に到着します。

    気仙沼に行く度に、必ず寄るのは、イオン気仙沼。 街の入口にあるため、
    何かと便利。 こちらのお店に到達した津波の高さは、2.8mとなっており、
    1階部分がほぼ全て浸水。 被災当初は、瓦礫に埋もれて、グチャグチャに
    なっていましたが、今では、その瓦礫もなくなり、この付近は、かなり殺風景に
    なりました。

    【イオン気仙沼】

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    東日本大震災で被災した気仙沼市の観光施設。 震災から3年4ヶ月ぶりに全面
    復旧を終え、昨年7月19日に本格的な営業を再開しました。 「海の市」は、
    震災前、年間100万人の来場者で賑わった観光施設。 2014年4月に施設2階と
    3階の復旧を終え、『シャークミュージアム』と『気仙沼市観光サービスセンター』
    が運営を開始、その後、1階で飲食店1店舗が営業を再開していました。

    昨年の7月に、グランドオープンを果たしたものの、被災前と比較すると、
    おみやげ屋の数も減り、2階にある世界で唯一のサメの博物館、
    『シャークミュージアム』は復活したものの、1階にあった『氷の水族館』は、
    未だ閉鎖されたまま。 現在復旧に向けて、全力で取り組んでいるそうですが、
    その復活時期は、全くもって未定。 施設としての『氷の水族館』は、気仙沼が
    全国でも唯一だったとか。 気仙沼のサメの水揚げ高は、世界一で、中国で食べ
    られているフカヒレのほとんどが、ここ気仙沼産。 この施設を真っ直ぐ南に
    向かった突き当りが、南気仙沼駅でしたが、今では、その残骸すら残ってはいない
    ため、そこに駅があったのかすらもう分かりません。

    【気仙沼市観光サービスセンター】
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    気仙沼港から、大島行きのフェリーが出ています。 大島は、人が住んでいる
    有人の島ですが、被災時に、一時完全に孤立しました。 観光が盛んな島
    でしたが、今でも、観光客は、元のレベルには戻ってはいません。 この周辺の
    復興は、遅々として進まず、このような殺風景な風景ばかりが広がっています。
    このすぐ裏には、JR大船渡線が走っていましたが、気仙沼線共々、廃止とBRT
    への転換が正式に決定されたため、鉄路として戻る事はもうありません。
    内陸に大型の船が打ち寄せられていたのは、ここからもう少し先の場所です。

    【気仙沼港】
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    気仙沼港のすぐ隣には、今でも仮設復興商店街があります。 JR気仙沼線は、
    一部では鉄路が残ってはいるものの、その殆どを津波で土台ごと流されて
    しまったのと、多くの場所で、バス専用路線として、道路に転換してしまった
    ため、今では、このような鉄路が残っている方が珍しくなっています。 よって、
    気仙沼に鉄道で行くためには、宮城県側からは行けず、岩手県の一関から
    大船渡線に乗るしかなくなりました。

    【お勧めの一品】


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    今回は、2003年7月26日に発生した『宮城県北部連続地震』の最大の被災地、
    宮城県美里町をレポート致します。 石巻の中心部からは、車で約20分程度、
    東松島市の中心部からは10分程度、大崎市との境界線付近の場所になります。
    この場所は、10年程前までは、南郷町という自治体だったのですが、隣町の
    小牛田町と合併をしてしまったため、町の名前が美里町へと変更されました。
    元々は町の中心部であったものの、市町村合併により、何もかも全て町の
    中心地である小牛田へと持って行かれてしまったため、今では、何もなくなり
    ました。

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    当時は、周辺全ての家屋が合計4回もの大規模な連続地震により、倒壊、または、
    半壊したのですが、それでも、人口が少ないという安易な理由により、被災地指定
    からは外されました。 よって、瓦礫の処理は自腹。 地震発生から数ヶ月以内で
    あれば、町がその費用の一部を負担するという話だったのですが、この周辺の
    家屋は、農家が多いため、非常に大きい家屋が多く、納屋や牛小屋等も付いて
    いるのが当たり前であるため、瓦礫処理の費用は、1軒に付き、最低でも60~
    200万円程度でした。 その当時も、災害義援金をあちらこちらで募集していた
    ものの、実際は、びた一文足りとも現地には届かず、仮設住宅も丸2年で撤去
    されてしまったため、瓦礫の処理だけで預金を使い果たした人達は、どこかへと
    引っ越して行ってしまいました。 よって、この周辺は空き地だらけ。

    この地区の特徴としては、地震が極端に多いため、その後ブロック塀や瓦屋根の
    再建を断念した家屋が殆どであるため、ブロック塀と瓦屋根が殆どないのが
    最大の特徴と言えるかも知れません。 また、余りにも地震が多過ぎるため、
    電柱が1本たりとも真っ直ぐには立っておりません。 現在、河川工事により、
    堤防の補強が行われておりますが、この付近は、堤防以外、坂道が一切ないため、
    この堤防が切れてしまうと、逃げる場所がありません。 よって、地域住民に
    とっては、この堤防が命綱となっています。

    元々町の中心部であったため、その昔、地方創生予算を利用して、このような
    取って付けたようなログハウスがあるのですが、一体こんな田んぼのド真ん中に
    誰が宿泊するものやら?と言いたくなるほど。 このログハウスのすぐ隣には、
    東松島市の仮設住宅が丸4年間もあったのですが、つい先日撤去されました。
    旧南郷町と旧矢本町、旧鳴瀬町(現在の東松島市)との間には、12年前の同じ
    被災地という理由により、災害協定が結ばれていたため、野蒜・宮戸地区の
    避難者たちは、このすぐ近所にある体育館に長期間避難をしていました。
    木の柵のようなものは、元々は、ブロック塀だった場所で、多い時には、体に
    感じない地震を含めると、1日に約300回程度もの地震が起こるため、この付近の
    住民は、震度5強程度であれば、特に話題にはしません。

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    ここからさほど遠くない場所には、町営施設である『花野果市場』があり、朝採れた
    ばかりの新鮮な野菜が、100円程度で手に入ります。 国道356号線沿いにあり、
    道の駅でもないのに、かなりの売上高を誇っております。 三陸自動車道の
    松島北インターチェンジからは車で15分で来る事が出来るため、日本三景松島で
    魚を購入した後は、美里まで足を運んでみては。 ここでは、1,000円もあれば、
    野菜、果物、花が、沢山購入出来ます。

    美里町のバラの生産は、30年ぐらい前から始まったものなのですが、その理由は、
    減反政策により、米が思うように作る事が出来ずに、休耕地が多かったため、
    その農地を転用したのが始まり。 国が押し進めた減反政策に従うと、余剰米の
    調整のために、米が思うように作れなくなるものの、その見返りは特にないため、
    遊休地をそのまま遊ばせて置くと、単なる税金の無駄使いとなるため、近所の農家
    同士が話し合い、バラの生産を始め、現在のバラの生産高は、東北1位となっています。

    また、この付近では、イチゴの生産が盛んに行われており、『仙台イチゴ』として
    出荷されています。 宮城県産イチゴのオリジナルのブランドは、『もういっこ』と
    なっており、『花野果市場』で販売して生産品は、全て付近の農家で生産したもの
    ばかりなので、地産地消の代表格となっております。

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    その他、美里町内には、『黄金澤』の酒蔵があり、市町村合併をする前までは、
    米の生産高が、宮城県内で第二位であったため、日本酒の製造も盛んです。
    ひとめぼれ、ササニシキ、まなむすめ、全て宮城県オリジナルの一等米となって
    います。

    鯨大和煮の缶詰は、被災後に石巻港から工場が移転して来たため、石巻産として
    販売をしている鯨の缶詰は、全て美里産となっております。 中に入っている野菜は、
    工場移転の際の美里町との協定により、全て美里産の野菜を使っております。
    尚、その移転してきた工場は、女川原発から30キロ圏内にあるため、実際に原発で
    事故が起きた際には、再度移転しなければならないでしょう。

    こちらの農家レストラン『はなやか亭』では、美里町の郷土料理、『すっぽこ汁』を
    堪能出来ますが、すっぽこ汁は、他地域では、『おくずがけ』と言い、法事の際の
    定番料理となっています。



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