東日本大震災の最大の被災地、宮城県石巻市門脇町・南浜町地区では、震災から
6年半が経過したが、復興が進んでいる場所とそうではない場所との『落差』が
目立ち始めている。
石巻市全体での死者数は3,282名となっており、行方不明者は699人となって
いるが、この地区は、津波とその後に発生した火災により完全に廃墟と化した。
被災前までは、約1,700世帯が住んでいた住宅街であったのだが、被災前までの
名残は一切残ってはいない。
【被災から6年半が経過した石巻市門脇地区】
一部では、住宅地が復興したが、一部は道路となり、現在では、あちらこちらで
工事中だらけとなっており、度々移転を繰り返している『がんばろう石巻』の
看板のある場所にたどり着くのでさえ、ままならない。 基本的に右折が出来ない
個所ばかりであるため、車での移動も非常に難しくなった。
この地区には、災害復興住宅が建設されたが、この地区を襲った津波の高さは、
約6.9メートルであるため、再度津波が襲った際には、また同じ過ちを繰り返すので
あろう。 日和山へと登る階段の麓には、1つだけ商店が出来たが、住民がまばらで
あるため、売り上げ増も期待出来ない。
被災直後に炎に包まれた門脇小学校は、現在では廃校となり、この先、のこ地区での
人口増が全く望めないという理由により、石巻小学校と統合された。 2012年の
紅白歌合戦で、長渕剛がライブ中継を行った校庭には、その面影すら残っては
いない。
最近では、テレビ等でも全く報道されなくなった東日本大震災最大の被災地は、
復興もままならないままの状態で、人気も無くひっそりと静まり返っていた。
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