フランスの人口ち経済は15世紀の後半になって、長年の疫病、飢え、戦争の
痛手から回復した。 シャルル7世の後継者ルイ11世は、フランス貴族の力を奪い、
租税を徴収し、王領を広げ、常備軍をつくった。
平和と国王たちの経済政策によって、16世紀初頭には既に、商人や銀行家の中産
階級が育っていた。 ルネサンス(文芸復興運動)がイタリアで起こり、フランソワ
1世がフランス人の芸術家を奨励したので、フランスにも広まった。
カトリック教に対する新教徒(プロテスタント)の宗教改革も、16世紀初頭に、
スイスの神学者ジャン・カルヴァンの教えを通してフランスにもたらされた。
フランスのカルヴァン派新教徒ユグノーは、多くの追随者を獲得した。
フランスの国王とカトリック教徒は、ユグノーを王権への脅威とみなした。 国王は
ユグノーを滅ぼそうと企て、16世紀後半には、宗教をめぐる内戦が始まり、沢山の
死者が出た。 ローマ・カトリック教会は1572年、パリで新教徒の群集を攻撃し、
2,000人も殺した。
フランソワ1世の3人の孫は、母親であるアンリ2世王妃カトリーヌ・ド・メディシス
の強い指示で次々と王位に就いた。 最年少の孫が1589年、直径の継承者を残さ
ないで暗殺されると、聖王ルイ9世の子孫でユグノーの指導者のアンリ・ド・
ナヴァールが王位を継ぐ。
これが、ブルボン朝第1代国王のアンリ4世で、新教徒の王を嫌うカトリック教徒を
なだめるために1593年、カトリックに改宗し、1598年には信仰の自由を認めた。
フランスは、アンリ4世時代に、再び力を盛り返した。 国王は道路と運河を建設、
平民の税金を軽くし、貴族の土地所有を減らした。
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