ユーリー・アレクセーエヴィチ・ガガーリン (Юрий Алексеевич Гагарин
1934年3月9日~1968年3月27日)は、ソビエト連邦の軍人、パイロット、
宇宙飛行士。 最終階級は大佐。 1961年、ボストーク1号で、世界初の
有人宇宙飛行を成功させた人物である。 日本においてのみ、ガガーリンを
象徴とする言葉として、帰還後に語ったとされる、『地球は青かった』が
非常に有名であるが、正確な引用ではない。
Kosmos-web
両親はコルホーズの労働者であり、『労働者階級出身の英雄』という
ガガーリン像を強調するため『両親は農民であった』と語られるが、実際の
ガガーリンの父親は教養のある腕利きの大工であり、母親もインテリで
読書家であった。



【ガガーリンの言葉】

『地球は青かった』は不正確な引用
 
ガガーリンの言葉として、日本においてのみ有名な『地球は青かった』は、
1961年4月13日付けのイズベスチヤに掲載されたルポライター記者によるもので、
原文では、Небо очень и очень темное, а Земля голубоватая. となっており、
日本語では、『空は非常に暗かった。 一方、地球は青みがかっていた』

『地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった』が、英語に翻訳される際、
『地球は青かった』に変化して広まったという説もあるが、根拠が見当たらない。
ガガーリンの著書『宇宙への道』にも、地球の描写として、『地球はみずみずしい
色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれていた』のような記述が見られる。

『神はいなかった』
 
ガガーリンの地球周回中の言葉として報道され、有名になったものとして
『ここに神は見当たらない』というものがある。 ガガーリンが飛行中に
『見回してみても神はいない』と言ったとされているが、記録にはその種の
発言は一切残されていない。 しかしながら、日本以外では、この言葉の方が
『地球は青かった』よりも有名である。

他に『私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった』という表現でも
よく引き合いに出されている。

ガガーリンの親友であった宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフは著書
『アポロとソユーズ』の中でガガーリン自身が好んで語った、小話として次の話を
あげている。 恐らく、この中の言葉が彼自身の言葉として一人歩きして
いるのではないかと思われる。
 
宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教
アレクセイ1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。

総主教 『宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。』
ガガーリン 『見えませんでした。』
総主教 『わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めて
おくように。』

しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。 総主教との
約束を思い出したガガーリンは先ほどとは違う事を答えた。
ガガーリン 『見えました。』
フルシチョフ 『同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。』
(レーニン主義は宗教を否定している)

英語で『宇宙飛行士』を表す『Astronaut(アストロノート)』は、実は、
ロシア語の『Астронавт(アーストラナフト)』から入った外来語。

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