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    タグ:大曲

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    ブログネタ
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    ある一人の少年の想いから発足した『青い鯉のぼりプロジェクト』は、東日本
    大震災で亡くなったこども達の為に、3月11日から5月5日のこどもの日まで、
    津波の心配のない青空に『青い鯉のぼり』を掲揚する鎮魂プロジェクト。
     
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    宮城県東松島市大曲浜で東日本大震災以降、毎年開催されており、初年度は、
    約200匹程度の青い鯉のぼりであったが、2015年度の今年は、約700匹まで
    増えた。 来年度からは、大曲地区でのかさ上げ工事が本格化するため、
    来年度からは、別の場所に移動しての開催が予定されている。



    東松島市内で震災により亡くなった人達の数は、約1,100人。 すぐ隣の石巻市と
    比較すると、街の規模が一回り小さいため、東松島の被災は見過されがちだが、
    市域の約6割以上が津波で浸水したため、その被災度合いは、かなり深刻と
    なっている。 自分の地元なので、被災前から大曲は時々通っていたものの、
    被災度合いが激し過ぎるため、昔の景色を全く思い出せない程。



    仙台方面から石巻へ向かう途中で、東松島市を通過するものの、三陸道や国道
    45号線からは、東松島市内の被災度合いが全く見えないため、そのまま通過
    されてしまいがちだが、このプロジェクトを見るためだけに東松島を訪れて
    見るのも被災地を考える切っ掛けとしては良いのかも知れない。

    大曲地区のすぐ隣には、航空自衛隊松島基地があり、週に3~4日程度、
    ブルーインパルスの展示飛行を無料で見る事が出来る。 また、1ヶ月前までに
    予約をすれば、直接松島基地内に入る事も出来る。



    東松島市観光PRソング


    青い鯉のぼりプロジェクト各種グッズ

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    石巻地区の被災状況は、女川もそうなのだが、東松島がかなり酷い。
    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、そこだけで、約500名以上が
    死亡し、JR仙石線は内陸側に移転した。 東松島市内だけでも、約1,100名が
    死亡したが、人口約4万5千に対しての1,100名の死亡であるため、被災度合いは、
    石巻よりも酷い。

    しかも、東松島の場合は、東日本大震災の8年前に起きた『宮城県連続地震』でも
    自宅を失った人が多いため、2回連続で被災している。 そんな状況なのにも
    関わらず、よそから来た人たちにより、『被災地に花火を上げよう』という
    プロジェクトが開かれたのだが、自宅を2回も失った人たちが、頭上の花火を見て、
    喜ぶとでも思ったのかは分からないが、私は、そのイベント自体、許せなかった。



    東松島は、内陸への集団移転が完了しているが、野蒜海岸周辺は、
    地盤沈下により、約3年4カ月もの間、海に沈んでおり、2014年の夏になった
    ようやく、かさ上げ工事が本格化したため、やっと、陸地に戻ったばかり。
    実は、私のいとこと叔母は、今でもそこに住んでいる。

    石巻市内の長面地区も、長期間に渡り海に沈んだままで、2年半程度もの長期に
    渡り、電気というものが通っていなかった。 大川小学校から、たった2キロしか
    離れていない場所の話であるが、情報が全く伝わらなかった。 これが、被災地と
    何もかも忘れ去られてしまった関東との差なのだと思うのだが、余りにも違い
    過ぎて、既に、同じ国だとすら思えない。

    被災直後に、仙台出身のお笑芸人のサンドウィッチマンが、被災地から帰って
    来た直後に、東京で、『カラオケ如何ですか?』と言われたと言っていたのだが、
    私も地獄絵図の真っ最中である石巻から帰って来て、降りた駅で完全に同じ事を
    言われ絶句した。。



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