1600年、オランダのリーフデ号が大分県に漂着した。 日本とオランダの
交流は、この時から始まる。 徳川家康は、リーフデ号の乗組員を熱くもてなし、
船長に貿易の許可を与え、オランダは、平戸に商館を設立した。 これが後に
長崎の出島に移され、以後、オランダは、そこを拠点に貿易を幕末まで続けた。

リーフデ号の乗組員ウィリアム・アダムズは、日本に帰化し、三浦按針と名乗り、
徳川家康の外交顧問として仕えた。 出島は、鎖国時代の約200年間、日本の
世界へのただ一つの窓だった。 ヨーロッパの文化や学問(蘭学)は、出島を
通して日本へともたらされた。

19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があったが、
明治時代になり、鎖国が解かれ、オランダ一国との貿易が終わると、出島は
忘れ去られ、周囲の埋め立てにより、消えて行った。 その後、今から60年ほど
前から始まった復元工事により、一部では、往年の雰囲気を取り戻した。

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【日本語になったオランダ語】

『おてんば』
オランダ語の『ontembaar』は、『飼い馴らせない』とか、『野生の』という
意味で、これが日本語に入って『おてんば』になったと言われている。
 
『やんちゃ』
オランダ語で、『男の子』のことを『ヤンチェ』と言うが、日本語の
『やんちゃ』は、ここから来ていると言われている。

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『ドロップ』
オランダ語でも『ドロップ』は、飴を意味するが、オランダのドロップは、
漢方薬のような味がする。

『半ドン』
日曜日を意味する『ゾンダッハ』の『ゾン』が『ドン』へと変わった。
土曜日は、休みが半分という意味で、『半ドン』という日本語になった。

【お勧めの一冊】


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