先月、日光に行った際に、『日光江戸村』に立ち寄ったのだが、『ニャンまげ』
等に代表される、ゆるキャラのイメージとは打って変わって、この日光江戸村には、
【裏スポット】なるものが存在致している。 この場所は、昔の刑務所のような
場所を忠実に再現したものなのだが、余りにも忠実過ぎて、良い子のおこちゃま
には、完全に『トラウマ』になる事間違いなし。 それでは、詳細に見て
参りましょう。
まずは、入り口から。 とりあえず、一見何もない、普通の江戸時代の門構え。
実は、この先は、恐怖のズンドコですw
こちらは、拷問を行う際に使用した、ギザギザの台座。 この上から、更に、
重い石を乗せて、受刑者を拷問に掛けた。
貼り付け台。 この上に、罪人を貼り付けて、処刑しました。 説明を受け
ないと、何なのかすら分からないので、それほどグロくはないかも知れない。
その下が、具体的な貼り付け方法と、処刑の仕方。 非常に事細かく説明
されているため、容易に処刑の瞬間を想像出来ます。
昔の留置所。 この広さの場所に、約80人を収容しており、罪人が多くなると、
『病気』と偽って、適当に口減らしを行っていたそうです。 よって、留置所が、
罪人で溢れる事はなかったとか。
江戸時代、初犯の場合は、刺青の刑で済まされる事も多かったのだが、わざと
人目に付く場所に、刺青を入れられたため、その後、一生『前科者』としての
烙印を押されて、差別の対象とされ、社会復帰は、ほぼ無理だったとか。
その罪の回数や重さにより、刺青の入れ方も決まっていたのだとか。 その下は、
100叩きの刑のやり方。
罪人を桶の中に入れて埋め、通行人にのこぎりで、1回づつ、首を引かせて
処刑する方法。 後に、この処刑方法は、残忍過ぎるとして、禁止になったとか。
打ち首の刑に処せられた人たちは、日本橋の入り口にあたる、わざと目立つ
場所に、3日間さらされ、庶民の教訓とされた。 罪状まで、事細かく書かれて、
その家族も、辱めを受けた。 今で言うところの、『恐怖政治』なのかも知れない。
姦通罪に処せられると、このように人前でさらされた後に、打ち首に処せられた。
どうせ、首をはねられるのであれば、最初から、首をはねて欲しいような・・
36歳で処刑された、鼠小僧次郎吉。 元々は、とび職の職人で、賭博で身を
持ち崩し、その資金稼ぎのために盗人稼業に手を染めるようになったと伝わる。
如何でしたでしょうか、日本の残忍な風習。 人権も減った暮れもない、
江戸時代に生まれたのが、運の尽きだったという事なのでせうか・・・
それにしても、親子連れに人気の『日光江戸村』にこのような残忍な
【裏】スポットがある事自体、驚きの旅でした♪
日光江戸村の全体画像は、こちらをご覧下さい♪
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