キング首相の後継者ルイ・サン・ローラン首相の下で、カナダは国際社会に
積極的に進出するようになった。 国際連合(UN)の創設にも加わり、尽力した。


1949年には、アメリカ合衆国および西ヨーロッパ諸国と共に、北大西洋条約機構
(NATO)に加盟した。 国際問題に新しい役割を果たすようになったカナダは、
朝鮮戦争(1950年~1953年)や、1950年代の中東戦争にも関わった。 国家間に
紛争が起こると、停戦を監視する国連軍に兵を派遣し、しばしば停戦役を演じも
した。

しかし、国内では昔からの問題が再燃した。 フランス系カナダの小数民族である
彼らの不満の声が再び上がった。 ケベックをカナダから分離独立させようという
考え方が定着した。 分離主義者のグループが結成されたが、その中でも最も
過激なのは、『ケベック開放戦線』というテロリストの集団だった。 新政党
『ケベック党』は、ケベック州の行政における分離主義者を支持した。

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1968年の選挙では、ケベック出身のフランス系カナダ人ピエール・トルドーの
率いる自由党が勝利をおさめた。 新たに首相となったトルドーは、ケベックの
分離主義者の問題を解決しようとした。 トルドー政権は、フランス語を英語と
同等のものとする公用語法の制定に成功した。 彼は、カナダにおけるフランス系の
伝統を公式に認めさせて、カナダの統一を図ろうとしたが、余り効果的では
なかった。

1976年、ケベック州議会で(ケベック党)が政権を得て、同党の党首ルネ・
レベックが州首相の座に就いた。 レベック政権は、州政府がケベック独立に
関する交渉権を握ることを提案し、州民投票でその賛否を問うた。 しかし、
その提案は、反対約60%で否決された。 これにより、分離主義者の運動は
後退した。

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1970年代になると、反米感情が再燃した。 カナダの経済・軍事にアメリカ
合衆国の及ぼす影響が強くなって来たことを、カナダ人は心配したのである。
カナダの企業の多くは、アメリカ資本に支配されていた。 カナダの貿易と
財政の安定は、アメリカに頼るところが大きく、経済の好・不況は、必ず
カナダにも反映した。

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