いくつかの点で、台湾の歴史は中国の歴史と切り離すことが出来ない。
台湾が経験して来た多くの変化は、中国で起こった出来事が原因である。
とは言え、強い海流、予想のつかない天候変化、台風と言った航海上の危険を
伴う台湾海峡によって、ふたつの地域の間では、何世紀もの間、大きな人口
移動が妨げられて来た。

石器や土器等の考古学的発見によれば、2万年前、台湾には旧石器時代の
現代人に繋がる人類が住んでいた。 一部の学者は、こうしたヒトは、中国が
起源だと言う。 また、別の学者は、東南アジアのマレー半島辺りから渡って
来た最初の移民だと考えられている。 起源は、いずれにせよ、この頃の人々は
低地一帯だけではなく、深い山林にも住んでいたのは確かである。

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【初期の歴史】
台湾に関する中国・唐時代の記録によれば、漢人とは、この島を流求と呼んだ
と言う。 後に、琉球と字が変わった時には、沖縄の事を表し、台湾は、小琉球と
呼ばれた。 また、6世紀はじめに隋の皇帝が兵を送っている。 その頃住民は、
木を切り倒し、それを焼き払って農地を開墾し、イネ、アワ、マメ等の穀物を
植えていた。 島には階級支配制度があり、1人の指導者と、何人かの副指導者が
治めていた。 敵の頭を切り落とし、勇気の証拠として飾る首狩りの風習もあった。
隋の兵は、彼等を数千人も捕虜にして連れ帰り、以後は関係が絶えたと言う。

960年から1279年まで続いた宋の時代、近くの膨湖諸島へ渡る者もあった。
宋代の貨幣や陶器のかけらが膨湖諸島で発見されたことから、島へ渡るように
なったのは、11世紀頃から考えられる。 島の近海で獲れる豊富な魚にひかれて
漁師が渡ったのかも知れない。 台湾まで探検する者も居たことであろう。

13世紀、台湾と膨湖諸島への探検は更に盛んに行われるようになった。 この頃、
中国北部の勇敢な民族であるモンゴル人が南下し、宋王朝を現在の浙江省にある
杭州にまで追いつめていた。 南シナ海に面する江南に移った宋の政府は、造船
技術の向上を支援し、南海貿易を奨励した。 また、船乗り達は、磁気針を水に
浮かべて、方位を測定する方法を用いて、中国大陸と台湾の間の海域をより正確に
航海出来るようになった。 水針は、後の明の時代に羅針盤に発展する。 こうした
航海術の向上が海上交通を盛んにしたのである。

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