多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:台北

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    1874年、日本は台湾に出兵した。 台湾に漂着した宮古島の住民69名のうち
    54名が先住民に殺害された牡丹社事件などから、自国民の保護を主張して
    出兵したのである。 清朝政府もこれを認めて、賠償金を支払った。

    この出兵を切っ掛けに、清朝は台湾の統治に積極的に乗り出した。 有能な
    官吏を派遣して、統治制度の改革と開発を行った。 1885年、清朝は台湾を
    中国の正式な一省に格上げし、1892年には、台北が台湾省の行政の中心になった。
    しかし、清朝の台湾統治の改革は、さほどの成果を見せることはなかった。
    1894年、日清戦争が勃発し、訓練と装備で勝る日本軍が勝利した。

    1894年4月、日本と清朝との間に下関条約が結ばれた。 条約には台湾と
    澎湖諸島が日本へ割譲されることが記されていた。 6月、日本軍は台北に入り、
    台湾総督となった海軍大将の樺山資紀が、日本による統治の始まりを宣言した。
    これで、211年続いた清朝による台湾統治は幕を下ろしたが、清朝は依然として
    中国大陸のほぼ全域を統治していた。

    9f74862c

    【日本の統治時代】

    日本人が台湾に入ると、清朝の役人や軍は中国大陸へ逃亡したが、移住民の子孫や
    先住民たちは激しく抵抗し、特に、先住民は、その後も長く、ゲリラ的な抵抗運動を
    散発的に続けた。 日本の台湾領有の目的は、アジアに君臨していた欧米の勢力に
    対抗する、列強国になるためのひとつの手段であった。 まず日本は、台湾を米や
    砂糖などの食料供給地として利用する。

    そのために、自作農を増やすための土地制度の改革、米の品種改良、新たな耕作地の
    開墾、用水路やダムの整備を行った。 これらの結果、米や砂糖などの生産高は、
    日本統治時代を通じて増え続けた。 特に砂糖は、日本の領有以前から台湾の
    輸出品であり、砂糖の生産が増すと、日本の需要を満たすばかりではなく、世界でも
    主要な生産地となった。 また、日本は、鉄道を敷き道路を整備し、港を改修し拡張
    すると共に、郵便や電報、電話といった通信網も整備した。 また、各地に保健所や
    病院も開設するなど、伝染病の予防と公衆衛生にも努めた。

    更に、初等教育から大学までの学校をつくり、教育制度を整えた。 この教育は、
    日本語によるもので、日本語を話せる台湾住民も増えて行った。 そして、日本の
    旧制高校や大学へ留学するなど、高等教育を受ける台湾住民の学生も珍しくは
    なくなった。

    このして発展の結果、1930年になると、台湾は工業地域としてもスタートした。
    繊維工場、製油所、製糸工場、肥料工場とはじめとする加工施設も建設された。
    日本の統治は、強い警察力を用いた厳格なものだった。 し かし、その一方で、
    ヨーロッパの列強による植民地には見られない、さまざまな改革が行われて近代化が
    進み、協力する現地住民も増え、その抵抗は、法律での平等を求める運動となった。
    また、その運動に協力したり共感する日本人もおり、日本人と台湾住民との間には、
    対立もあれば、信頼もあるといったさまざまな関係が生まれた。

    【お勧めの一冊】



    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    台湾の人口の3分の2は都市部に住んでおり、その中でも人口が多いのが台北市で
    ある(人口約270万人)。 台湾北部の都市、台北は、新店渓、淡水河の合流地点に
    位置した行政と産業の中心地である。 1949年以来、台北は中華民国の首都にも
    なっている。

    台北で有名な施設のひとつに国立故宮博物院がある。 ここには1940年に中国
    大陸から運び込まれた数十万点にもおよぶ中国の文物が所蔵されている。 市立
    美術館も数多くの芸術作品を所蔵していることで知られており、油彩、彫刻等の
    作品が展示されている。

    taipeiyakei

    台北の淡水河沿いの大稲埕は、元は平地先住民(平埔族)の村だったが、18世紀
    はじめに漢人も移り住み、やがて物流と貿易の町として発展した。 1875年には、
    台北北部の主要都市として発展した。 1875年には台湾全土の政治の中心地
    となった。 更に、日本の統治下(1895~1945年)で台湾は大きく発展する。

    現在、台北と周辺の工場では、コンピューターおよびその関連製品をはじめ
    として、様々な工業製品が作られるようになった。 また、台北は、西部沿岸を
    走る鉄道(縦貫鉄道)のターミナル駅であり、国内線の空港があり、国際線の
    空港や、主要都市へ繋がる高速道路の起点ともなっている。



    台湾第二の都市高雄(人口約278万人)は、2010年12月に高雄県を合併したため、
    台北を抜いて、人口では台湾第一の都市となった。 その東にある鳳山に漢人が
    住み着いたことに始まる。 オランダの当地を経て、17世紀に鳳山の外港として
    港が開かれてから、街として発展した。 もとは打狗(ターカオ)という地名で
    あったが、日本の統治時代に音を合わせた高雄となった。

    やがて高雄は台湾を代表する港湾都市となり、また、台湾最大の海産物市場がある。
    国内線、国外線の空港があり、鉄道と高速鉄道のターミナルにあたる高雄は、
    鉄工所、製鉄所、造船所、製油所等がある重要な産業の中心地でもある。

    中西部にある台湾第三の都市、台中市(人口約275万人)は、もとは平埔族の地で、
    18世紀から漢人が住み着き、やがて発展して19世紀には一時台湾府が置かれた。
    1967年には、台中港が建設され、工業都市としても重要な都市として位置づけを
    されるようになった。



    台湾南部の都市、台南市(人口約189万人)は、最も古い歴史を持つ街である。
    15世紀には、中国大陸や日本の海の商人らの出入りする港町、安平であり、
    1624年にオランダ人が上陸して以降、200年余り、台湾統治の拠点であった。
    日本統治時代の公共建築物や孔子を祀った廟等、多くの歴史的、宗教的な建造物が
    残っており、今でも台湾の文化の中心地となっている。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ