経済活動が拡大するにつれて、同盟内の社会的対立が増大し、表面に現れて
来た。 ジュネーヴ、ベルン、ルツェルンでは、小作人たちが移住して来て
人口が増え、社会は極めて不安定な状態となった。

Malmaison

富裕な支配層が、新たに増えた自由市民の権利を認めなかったため、市民は
参政権を与えなければ税金を払わないと抵抗した。 それと同時に、カトリックと
プロテスタントの間でも、時折、小競り合いが生じていた。 1798年にフランスで
革命が起こり、その影響は全ヨーロッパに及んだが、特にスイスの受けた影響は
大きかった。 革命の後、司令官ナポレオンが率いるフランス軍は、スイスを
侵略する。 ナポレオンは州の自治体制を廃止して、新しい中央政府を樹立させ、
スイスをヘルベチア共和国と名付けた。

フランスが制定した新しいスイス憲法によって、諸侯は、権力を失った。 更に、
それまで都市諸州を支配していた封建商人の権力も弱まった。 スイス人は、
新憲法を支持したが、フランスによる占領には強く反対した。

フランスによって樹立された中央政権的な政府は、民族も宗教も文化も州に
よって大いに異なるスイスの国情に合わず、すぐに混乱をきたした。

20FR1935

混乱をおさめるため、1803年にナポレオンは、各州の代表をパリに集めて、
調停条約を結ばせ、憲法を改正させた。 この条約に基づいて、各州に自治権を
認める連邦制が出来上がった。 連邦政府は、外交や軍事、通貨を定め、戦いと
和平を司った。

この時、新たに6州に自治権が与えられ、合計19州からなる連邦制が成立した。
また、条約は、市民は法の前で平等に取り扱われなくてはならないと規定した。
これによって、スイスの封建制度は、永久に終わりを告げたのである。

このようにな改革を実現してくれたことへのお返しとして、スイスは、自国の
兵士をフランス軍に提供することに同意した。 だが、1815年に、ナポレオンが
ヨーロッパ連合軍に敗北して統率力がなくなると、スイス新憲法は、たちまち
効力を失った。

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