北上川河口に近い宮城県石巻市北上総合支所の庁舎は、2011年3月11日の
東日本大震災で津波の直撃を受け、全壊状態となった。 庁舎には少なくとも
57人の住民や職員らがいたとみられるが、無事が確認されたのは男性職員
2人と小学4年生の男子児童1人だけだった。 庁舎は指定避難所だったにも
関わらず、生存率はわずかに5%。 多くの人が犠牲になってしまった。
その時 何が 生存率5%(石巻市北上総合支所)
出典:河北新報
『支所に避難したから心配ないよ。 子どもたちも遊んでる』午後3時15分ごろ、
建設会社従業員だった岡一也さん(33)は、宮城県松島町の現場からの帰り道、
妻裕美さん(32)から電話を受けた。 明るい声で長女の吉浜小1年優心さん
(7)、次女彩巴ちゃん(1)も一緒だという。
『大丈夫だな』と思ったが、それが最後の会話となった。 地震直後から、支所には
近所の人が集まっていた。 近くのデイサービスセンターを利用していた高齢者も
職員に付き添われて避難していた。
支所に立ち寄った消防団員の燃料販売業佐々木正人さん(49)は、知り合いの
裕美さんに『山の方に行かないの?』と声を掛けた。 裕美さんは妹やめいとも
一緒で、『後で母もこっちに来るはずだから』と答えた。
佐々木さんは『庁舎の2階まで津波が来るとは想像しなかったが、車で避難出来る
なら、近くの高台の方がいいのでは、と思った』と振り返る。
2006年に新築された庁舎は、鉄骨木造2階で延べ床面積は約2,400平方メートル。
宮城県沖地震で想定される津波が高さ5.5メートルだったため、建物は1メートル高い
海抜6.5メートルの場所に建設された。
1、2階それぞれに支所の事務室と公民館部分があり、津波の際は公民館部分の2階
多目的研修室に住民を避難させる計画になっていた。
『多目的研修室、住民31人の避難完了』。 午後3時10分ごろ、2階事務室で災害
対応に当たっていた支所地域振興課の今野照夫さん(50)に同僚から報告が入った。
約10分後、支所と吉浜小の間の小川を津波がさかのぼった。 水かさがみるみる
増し、津波は事務室に流入。 今野さんは『窓や壁もろとも外に押し流され、
もの凄い水の勢いで地面に押しつけられた』という。
何とか浮かび上がり、がれきにつかまった。 何度も気を失いながら漂流し、寒さで
もうろうとしつつ民家に流れ着いた。
北上総合支所によると、職員38人のうち、津波の襲来時に庁舎にいたのは19人。
他に警察官や消防職員、警備会社員ら7人もいたが、無事だったのは今野さんら
職員2人。 住民『31人』のはっきりした内訳は分かっていない。 救助されたのは
4年生の男子児童だけだ。
会社員千葉守さん(45)の長女で吉浜小6年の美里さん(12)と、千葉さんの母
ゆり子さん(62)も支所にいたとみられる。 地震前、公民館の図書室にいる
美里さんを吉浜小の教諭が確認している。 孫を迎えに向かうゆり子さんの姿も
近所の人が見ていた。
2人は今も行方不明。 『美里は、毎週のように単身赴任先の仙台に手紙をくれる
優しい子だった』と千葉さん。 無念さと割り切れなさが募る。
『津波で壊滅する建物がなぜ避難所なのか。 高台に避難者を誘導すべきだった
のではないか』 津波は近くの吉浜小校舎の3階天井まで達した。 同校によると、
卒業式準備のため学校に残っていた4、5年生の計5人と教職員10人は狭い屋上に
逃げ、かろうじて難を逃れた。 全校児童49人のうち、死亡・行方不明は
優心さんや美里さんを含め7人。 いずれも支所にいた可能性がある。
【お勧めの一冊】
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東日本大震災で津波の直撃を受け、全壊状態となった。 庁舎には少なくとも
57人の住民や職員らがいたとみられるが、無事が確認されたのは男性職員
2人と小学4年生の男子児童1人だけだった。 庁舎は指定避難所だったにも
関わらず、生存率はわずかに5%。 多くの人が犠牲になってしまった。
その時 何が 生存率5%(石巻市北上総合支所)
出典:河北新報
『支所に避難したから心配ないよ。 子どもたちも遊んでる』午後3時15分ごろ、
建設会社従業員だった岡一也さん(33)は、宮城県松島町の現場からの帰り道、
妻裕美さん(32)から電話を受けた。 明るい声で長女の吉浜小1年優心さん
(7)、次女彩巴ちゃん(1)も一緒だという。
『大丈夫だな』と思ったが、それが最後の会話となった。 地震直後から、支所には
近所の人が集まっていた。 近くのデイサービスセンターを利用していた高齢者も
職員に付き添われて避難していた。
支所に立ち寄った消防団員の燃料販売業佐々木正人さん(49)は、知り合いの
裕美さんに『山の方に行かないの?』と声を掛けた。 裕美さんは妹やめいとも
一緒で、『後で母もこっちに来るはずだから』と答えた。
佐々木さんは『庁舎の2階まで津波が来るとは想像しなかったが、車で避難出来る
なら、近くの高台の方がいいのでは、と思った』と振り返る。
2006年に新築された庁舎は、鉄骨木造2階で延べ床面積は約2,400平方メートル。
宮城県沖地震で想定される津波が高さ5.5メートルだったため、建物は1メートル高い
海抜6.5メートルの場所に建設された。
1、2階それぞれに支所の事務室と公民館部分があり、津波の際は公民館部分の2階
多目的研修室に住民を避難させる計画になっていた。
『多目的研修室、住民31人の避難完了』。 午後3時10分ごろ、2階事務室で災害
対応に当たっていた支所地域振興課の今野照夫さん(50)に同僚から報告が入った。
約10分後、支所と吉浜小の間の小川を津波がさかのぼった。 水かさがみるみる
増し、津波は事務室に流入。 今野さんは『窓や壁もろとも外に押し流され、
もの凄い水の勢いで地面に押しつけられた』という。
何とか浮かび上がり、がれきにつかまった。 何度も気を失いながら漂流し、寒さで
もうろうとしつつ民家に流れ着いた。
北上総合支所によると、職員38人のうち、津波の襲来時に庁舎にいたのは19人。
他に警察官や消防職員、警備会社員ら7人もいたが、無事だったのは今野さんら
職員2人。 住民『31人』のはっきりした内訳は分かっていない。 救助されたのは
4年生の男子児童だけだ。
会社員千葉守さん(45)の長女で吉浜小6年の美里さん(12)と、千葉さんの母
ゆり子さん(62)も支所にいたとみられる。 地震前、公民館の図書室にいる
美里さんを吉浜小の教諭が確認している。 孫を迎えに向かうゆり子さんの姿も
近所の人が見ていた。
2人は今も行方不明。 『美里は、毎週のように単身赴任先の仙台に手紙をくれる
優しい子だった』と千葉さん。 無念さと割り切れなさが募る。
『津波で壊滅する建物がなぜ避難所なのか。 高台に避難者を誘導すべきだった
のではないか』 津波は近くの吉浜小校舎の3階天井まで達した。 同校によると、
卒業式準備のため学校に残っていた4、5年生の計5人と教職員10人は狭い屋上に
逃げ、かろうじて難を逃れた。 全校児童49人のうち、死亡・行方不明は
優心さんや美里さんを含め7人。 いずれも支所にいた可能性がある。
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