宮城県石巻市にある小高い日和山。 ここから見える場所だけで、約3,000名が
津波の犠牲となった。 この地に、約1,200軒もあった家は、ほぼ全て津波で
流された。 鉄筋コンクリート建てであった、市民病院や石巻文化センターも
全て取り壊されてなくなった。
石巻は、津波災害後に、流出した重油により、海が燃えたため、この辺り周辺
では、大規模火災が起きて、数日間燃え続けた。 被災直後に、この場所に
『探しています』と貼り出されていたのは、物ではなく人であった。 東日本
大震災で最も酷い被災地をひとつだけ挙げるとすれば、この石巻の門脇地区周辺。
日和山は、約50メートルほどの標高であるため、この地域周辺を見渡すことが
出来るが、それと同時に、被災状況も目の当たりにすることとなる。 遠くには、
牡鹿半島も望むことが出来るため、石巻随一の観光スポットであったが、今では、
その観光客もまばらで、時折、津波災害の被災現場を見に来る人たちばかり。
【日和山からの景色】
以下の画像は、被災前と被災後の石巻の比較画像。 被災前の石巻の画像は、
ウェブ上にもYoutubeにも殆ど残ってはいない。 この画像で比較すると、河口
付近が津波で何もなくなったのが、良く分かる。 このような被災前の画像は、
非常に貴重であるため、なかなか見ることが出来ないのだが、『がんばろう!石巻』
の看板のすぐ隣に新しく出来た、『震災伝承』つなぐ館では、被災時の様々な
資料が展示してあり、係員が常駐しているため、更に詳しい話を聞くことも出来る。
【被災前後の石巻】
石巻は、仙台藩唯一の港町として栄え、港湾設備の規模では、東洋一とも言われて
いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
変化は特にない。
新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。
いるのだが、その施設の活用は、まだまだで、災害復興だけではなく、この先を
見据えての都市計画も非常に重要となって来る。 現在、北上川の河口付近には、
新たな橋が2本建設中であり、街の再開発が進んではいるものの、まだ目に見える
変化は特にない。
新たに建設された防波堤により、海岸沿いでは、海が全く見えなくなったが、その
ようなハード面ばかりに頼るのではなく、防災意識を更に高めて、様々な自然災害
にも打ち勝てる強い街づくりが今後必要になるであろう。
【日和幼稚園】
『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
謝罪すらしていない状況となっている。
がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
続く。
『日和幼稚園』ご遺族で、語り部をされている佐藤さんに、送迎バスの資料を
見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
見えなかったそうです。
現在、この場所は、道路工事の工事現場となってしまっている。 見せて頂いた。 これが、日和幼稚園の送迎バスの最後の姿。 1枚目の写真で
見ると分かるのだが、家屋の屋根が上から覆い被さっていたため、バスが瓦礫で
見えなかったそうです。
『頑張ろう!石巻』の看板の斜め向かいの場所なのだが、日和山のすぐ麓で、
助けられたのではないかと何度も思ってしまった。 日和幼稚園の裁判は、
既に園側とは和解しているのだが、その後、園長とは全く連絡が付かず、未だ
謝罪すらしていない状況となっている。
がんばろう!石巻の看板も、この道路工事により、裏側からしか入れなく
なった。 がんばろう!石巻の看板の下には、『復興するぞ!』と書かれている。
この周辺にあった住宅街の面影は、今では全くなく、荒涼とした景色ばかりが
続く。
【新蛇田周辺】
新しく街開きをした新蛇田地区。 街開きとは『集団移転先』という意味。
沿岸部の人達は、今後順次この場所へと移り住む事となるのだが、これで
街開きをした言われても、一切何もない。 遠くに見えているのが、災害復興住宅。
来年の3月に石巻めぐみ野駅が開業するため、駅が出来れば、多少なりとも活気が
出るのかも知れないが、山側へ移転した仙石線の野蒜駅を見ても、期待は出来ない
であろう。 この場所は、東松島市との境界線上にあるため、石巻西高校の
高校生も利用する駅となる。 最後の2枚の画像は、先日X JAPANがライブを
行った『石巻ブルーレジスタンス』。
【石ノ森萬画館】
石巻編の最後は、『石ノ森萬画館』。 この漫画館自体も、川の中州にあるため、
一時完全に孤立して、避難者が生活を共にしていた場所。 今では、すっかり
リニューアルされて、その面影すらないが、こういう記憶は、大事にしたいところ。
漫画館の前に建っているシージェッター海斗像は、津波で流され、後日瓦礫の
中から発見されたのだが、破損度合いが酷過ぎて、東京の制作会社からキカイダー
01の像共々石巻市に贈られたもの。 ご当地ヒーローで街興しをしている街は
多々あるが、その先駆けが、石巻となっている。
【お勧めの一冊】
>>トップページに戻る

クリックをお願いします☆

にほんブログ村