その昔、ロシア語とドイツ語を学び始めた切っ掛けは、実はユーゴスラビアと
ポーランドとハンガリーに興味があったからなのだが、その当時、サラエボ
オリンピックと、その翌年には、ロサンゼルスオリンピックが控えていた。
当時は、東西冷戦により、東西両陣営に分かれて、それぞれのオリンピックへの
出場をボイコットをしたのだが、上記の東欧3ヶ国だけは、冷戦時代にだったの
にも関わらず、どちらのオリンピックにも出場した。


 
元々、旧ユーゴに非常に興味があったため、セルビア・クロアチア語を学びた
かったのだが、残念ながら、当時の日本では、セルビア・クロアチア語を
学べる場所はなかったため、一番似ているロシア語を選択したのだが、実は、
ロシア語よりも、ドイツ語の方が旧ユーゴでは通じるという事に後で気付いたため、
すぐにドイツ語にも手を出した。 この組み合わせは、両言語共に、文法構造が
かなり複雑であるため、日本国内では、非常に珍しい組み合わせとなっており、
その昔、大学院を受験した際に、この2言語で外国語を受験したが、ロシア語と
ドイツ語で受験をした人は、我が校始まって以来と言われた。
 
大学時代は、たまたま、学内に旧ユーゴの第一人者がいたため、そのゼミを迷わず
選択し、卒業後は、東欧に最も近いという理由で、ドイツではなく、オーストリアに
留学をした。 一番最初にモスクワに留学をした際に、クラス内にユーゴスラビア人
(セルビア人)がいたのだが、ロシア人とは異なり、顔立ちがなかりヨーロッパ的に
見えた。 当時の旧ユーゴは、東欧内では、唯一ビザが必要ない国であったため、
非常に先進的な国に見えたものだが、他の東欧諸国と比較して、余りにも進み
過ぎていたため、足並みが全く揃わず、結局は、民族浄化による各民族間の激しい
対立にまで発展し、平和だった国が、一瞬で廃墟と化した。

そんな時に、旧ユーゴで最も有名な歌手で、サラエボオリンピックでメインソングを
歌った、ヤドランカ・ストヤコヴィッチが日本に住んでいるという情報を小耳に
挟んだため、早速ライブに行って、声を掛けたところ、非常に仲良くして頂き
ました。 そのヤドランカも、ボスニアでのライブの途中に、急に体調を崩して、
そのまま、ボスニアに帰ってしまった。

東欧好きが転じて、その昔、旧ユーゴスラビア大使館と、ウクライナ大使館へ強引に
経歴書を送付して、面接に呼ばれた事があるのだが、旧ユーゴスラビア大使館は、
今のセルビア大使館に当たる。 大学時代に、もっとお金があれば、本当は、
コソボにも行きたかった。 ウィーンに留学をしていた際には、クラスの中に、
セルビア人も、クロアチア人もコソボ人もいたが、当時は、それぞれの民族が
激しく対立していたため、気軽には話し掛けられる雰囲気ではなかった。

東欧には、セルビアやポーランドをはじめ、非常に親日的な国が多いが、その
当事者である日本人が、その事実を全く知らないのは、恥ずかしい限り。

22201771

セルビア共和国
Republic of Serbia

1.面積
77,474平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)

2.人口
712万人(2011年国勢調査)

3.首都
ベオグラード(人口164万人)

4.民族
セルビア人(83%),ハンガリー人(4%)等(2011年国勢調査)

5.言語
セルビア語(公用語),ハンガリー語等

6.宗教
セルビア正教(セルビア人),カトリック(ハンガリー人)等

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