東北電力女川原発は、被災当初、原発内の体育館が避難所になりました。
最大で350名ほどが、その原発内で、長期間の避難生活を強いられましたが、
その事は、関東では、一切報じられませんでした。 女川原発自体も、2011年
4月2日に起きた余震により、非常用電源回路が麻痺し、後1本、非常用電源
回路が失われていたら、宮城県も福島県と完全に同じ運命でした。

女川原発は、名前は『女川』ですが、原発施設の約5分の1程度は、石巻市内に
あります。 よって、東日本大震災の最大の被災地である石巻は、原発立地
自治体です。

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女川に到達した津波の高さは、20メートルを超え、遡上高で最大43メートル、
住民の死亡率で比較すると、住民の10人に1人以上が津波災害で死亡した、
東日本大震災最大の被災地です。

石巻も、死亡者数だけで、約3,000名、被災後、人口の約2万人近くが、市外へと
出て行ったと言われているため、復興に関する町内会での話し合いすら出来
ない状況です。

津波で、何もかも流され尽くされたJR女川駅周辺は、女川原発からは、直線
距離にして、約7.5キロの位置にありますが、被災前までの女川原発の避難
区域は、5キロ圏内のみでした。

女川駅前には、『女川原発原子力保安委員会』の鉄筋コンクリート製の建物も
ありましたが、津波により破壊され、真っ先に瓦礫として処理されたため、今では、
何もない更地になっています。

私の実家は、その女川原発からは、直線距離にして、約32キロの位置にあるため、
例え、30キロ圏内が避難区域であったとしても、完全に見殺しにされた地域です。

被災当初、建物や、車両等の下には、「捜索済み」という張り紙が、あちらこちらに
張り出されたのですが、それは、『その下には、もう遺体はない』という意味です。
石巻市内には、6月の末まで、倒壊家屋を撤去するための重機がなかなか入って
来なかったのですが、その間、倒壊した家屋に潰されて死亡した人たちは、その
ままにされました。

重油が海に流れ出したため、海が燃え、今度は、それが沿岸部を焼き尽くしました。
一番悲惨な死に方をした人は、津波に飲まれて、何十時間も寒空の中、放置され、
その後起きた火災により、生きたまま焼かれて死亡しました。

関東等では、『放射能汚染瓦礫受け入れ反対!』などと言っていた頃、宮城県内
では、1万人程度が、一気に津波で死亡したのにも関わらず、その遺体を燃やす
燃料すらなかったため、一旦土倉にして、後日、再埋葬を行いました。 その
土葬が全て終了したのは、2011年12月の末の話です。 今でも、遺体が見つから
ない人が大勢居ます。

遺体が見つかったとしても、身元が分からないため、お寺に預けられて、無縁仏に
なった人たちも、大勢居ます。 岩手県の人の遺体が、茨城県の沿岸部で
見つかったという話も聞いた事があります。

東日本大震災では、略奪は起きなかったと、皆言いますが、石巻やその周辺では、
一時期無法地帯と化したため、現金が盗まれたり、物が略奪されたりは、かなり
頻繁にありました。

被災地の現状を正確に伝えなかった、中央メディアには、特に何も期待はしており
ませんが、これ以上、『風評被害』を拡散するようなまねだけは、止めて欲しい
ところです。 宮城県の被災を何もかも、『フクシマ』にしないで下さい。 被災地の
現状を勝手に歪めないで下さい。

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東日本大震災発生から45回目の月命日

死者       行方不明者
宮城県 9,538人  1,256人
岩手県 4,673人  1,130人
福島県 1,611人   204人
全国 15,889人    2,594人

全国避難者数 23万6千人

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