1930年年代後半、日本と中国とが交戦状態にあった時、日本の台湾総督府は、
台湾住民を公民化する運動を開始した。 これは、台湾住民の日本人化を更に
進めて、戦争の態勢を整えようとするものだった。 神社参拝の強要、新聞の
漢文記事の廃止、日本語を使うよう進めて行く等の方策が採られた。 1940年代
には改姓名といって、姓名を日本式にする運動も進められた。 これらに対して、
台湾住民は、自ら協力する者、反抗の意思を示す者等、様々だった。 

1940年代までに、日本は台湾を軍事基地化していた。 フィリピンの米軍基地を
素早く空襲する理想的な基地となり、 そのため、米・英連合軍の激しい爆撃の
対象となった。 多くの日本の工場や発電所は、瓦礫となり、飛行場は破壊され、
陸上交通もほとんど麻痺した。

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1945年、日本は、連合軍に降伏する。 やがて、中華民国の国民党政府は、
新しい台湾行政長官を役人や軍隊と共に送り込んで来た。 しかし、この
新参者達は、台湾住民の同胞ではなく、支配者のように振舞った。 日本人の
残した住宅や産業等を摂取し、インフレが急激に進み、大規模な食糧不足が
起きた。 そして、台北市内の小さないざこざから、台湾人と国民党政府との
大きな衝突が起きた。

1947年2月28日に起きたこの事件は、二二八事件と呼ばれているが、台湾住民の
政府への不満の大きさから、事件は台湾島全土へと広まった。 国民党政府は、
軍隊を出動させて鎮圧にあたり、台湾人らに2万人とも3万人とも言われる死者が
出た。 重大な事態に蒋介石は、行政長官と呼び戻し、新しい長官を任命した。

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