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東京電力福島第1原発事故によって、全町避難となった福島県富岡町では、
事故当時の町の対応や避難過程などを収録した『東日本大震災・原子力災害の
記憶と記録』を発刊した。 原子力災害への無力感や避難所運営の苦労、
再生への希望が、町職員らの率直な言葉で語られ、原子力施設を抱える他の
自治体への教訓になる一冊とも言えそうだ。

町民が一斉に川内村を目指して動き始めたが、道は県道小野富岡線1本だけで
あるため、たちまち渋滞し、流れは止まった。 全町避難を強いられた
富岡町では、原発事故直後の大移動の混乱が記録されている。 国道は寸断、
大渋滞、避難用バスの確保は難航。 人口1万6,000の町が丸ごと避難する
難しさを、証言が裏付ける。

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福島第1原発から8キロの町が避難を決断したのは3月12日朝。 北には
第1原発があり、南への避難も国道6号の崩落などで断念。 西側の川内村へ
移動を決めた。 全町避難は、防災計画で想定していない。 ある職員は
自問せざるを得なかった。

『全町避難?-今まで屋内退避や町内の体育館への避難訓練しか経験の
ない町民に、突然『町外への避難』を呼び掛けるのはきつすぎるとの
思いが湧いた』

実際の避難では、川内村へ繋がる狭い県道に車がなだれ込んだ。 到着まで
通常なら30分。 それが4時間以上を要した。

【福島県富岡町の現在の様子】


移動手段がない高齢者らの避難はさらに困難を極めた。 バスをかき集め
ようとするが上手く行かない。 当時の企画課長で災害対策本部に詰めて
いた田中司郎さん(65)が証言する。

『手配し始めてすぐ、ほとんどのバスが押さえられていることが分かった
(後に国によって調達されていたことが判明)』 町が保有するマイクロ
バスは、わずか数台。 建設会社などにも協力を要請したが、運転手が
避難しか動かせないケースもあったという。 事故の拡大を受け、3月16日、
町は川内村からさらに内陸部の郡山市への避難開始を決めた。

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またしても、バスの手配がつかなかった。 『バスがあっても運転手が
行かない、バスを動かせない』という。 公用バスでは1日では終わらない」

結局、友好市の埼玉県杉戸町からバス7台の派遣を受け、窮地を脱した。
職員たちは悪化する原発からの風向きに神経をとがらせながら、移動手段の
確保に常に苦しんでいた。

>>「そこだけ時間が止まっていた」福島第一原発周辺を外国人カメラマンが撮影

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