東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から、既に8年以上が経過
したが、原発事故の対応に関して、宮城県の対策は福島県と比較すると、
非常に出遅れたと言わざるを得ない。 原発事故発生当初から、両県の支援
格差は表面化し、福島との県境にある宮城県南部では、今でも不安を抱えた
ままの生活を余儀なくされている。

県境を越えて福島に入ると、至るところで除染作業が行われているが、
宮城県側ではほとんど行われていない。 被害の実態ではなく、県境で線が
引かれたのはなぜだったのか?

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福島第一原発から直線距離で約45キロの場所に位置する宮城県丸森町では、
2011年3月11日の東日本大震災発生以降、原子炉建屋内での水素爆発が相次ぎ、
原発から20~30キロ圏内では、屋内退避指示が長期間に渡って出されたが、
丸森町内では、空間放射線量の推移を把握出来ずにいた。

宮城県環境生活部の記録によると、宮城県は、3月14日に県南地域で測定を
始めたが、この県南地域が調査地点に追加されたのは、4月5日となっており、
既に大半の放射性物質が降り注いだ後であった。 その後、住民からの悲痛な
叫びが役場に続々と届いたため、宮城県に掛け合うも、その動きはかなり鈍かった。

東北電力女川原発を監視する県原子力センターが大津波を被って機能停止したため、
他県にある福島第一原発への意識は皆無に等しかった。

丸森町や白石市の宮城県南部では、隣接する福島県の市町より空間放射線量が
高い地点が複数個所に渡って散在したが、宮城県は当時、未曽有の津波被害への
対応に忙殺されていたため、原発事故への対応は後手に回った。

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原発事故直後、国と県の役割分担が曖昧となっており、国が直接やれる予算と、
県に託す事業が存在した。 国の事業としてきちんと位置付けられない場合は、
県が基金などを作って除染や測定をした時期があった。

原発事故のイメージが付くのを恐れて、消極的な対応を望む声と、福島と同じ
ように積極的に対応して欲しいという声が激しく交錯した。 震災直後の大混乱で、
市町村長の単独の要望は県や国に届きにくい状況が続いた。 健康管理や賠償、
除染いずれも福島側よりも遅く、不十分な結果をもたらした。

丸森町は、宮城県とは別に、独自に18歳以下の町民向けの健康調査に踏み切り、
東京電力から、妊婦と18歳以下を対象に精神的損害の賠償金を勝ち取った。
逆に宮城県は、原発事故で自主的に避難した県民の実態調査を行わなかった。
原子力損害賠償紛争審査会が2011年8月に取りまとめた中間指針でも、農林
水産物や観光業の風評被害への賠償で宮城、福島の県境が大きな壁となった。

今後、原発事故を巡っては、宮城県と福島県との支援格差が大き過ぎるため、
均等な支援が望まれる。 東日本大震災における被災状況も、常に福島ばかりが
注目されており、より悲惨な被災状況であった津波被災地は、完全に捨て
置かれた状態となっている点にも十分注意したい。

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