ソビエト連邦崩壊を前にした1991年8月、ソビエトからの独立を果たした
ラトビア、エストニア、リトアニアのバルト海に面する三国は、ドイツの
ヒトラーとソビエトのスターリンの間で結ばれた独ソ不可侵条約(1939年)に
よって、ドイツとソビエトに占拠され、後にソビエトに併合された。

その後、1985年からのミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカ(政治
改革運動)の中では、この占領は、『ソビエトの利益に反するスターリン個人の
決定だ』として明確に非難されていた。

2005年5月9日、ロシアのヴラジーミル・プーチン大統領は、対独ソ戦勝記念日に
当たるこの日、更に踏み込んだ発言をした。 旧ソ連によるバルト三国占拠は、
悲劇であると認めたのだ。 プーチン氏は、『実際、バルト三国は、壮大な
世界政治における取引材料に過ぎなかった。 これらの国にとっては正に悲劇
だった点は、ハッキリさせねばならない』と明言。 占領と言う言葉こそ使わな
かったが、初めてその間違いを認めたのだ。

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【それぞれ異なる三国の特徴】
バルト三国と一口に言っても、ラトビア、エストニア、リトアニアでは、その
成り立ちも国民の気質も大いに異なる。 バルト海に面する共和制国家である
ラトビアは、13世紀には、ドイツ騎士団、17世紀には、ポーランド、18世紀には
ロシア帝国からの支配を受けるなど、受難の歴史を繰り返して来た。 民族的には、
ヨーロッパ系で、言語は、ギリシャ語、ラテン語、英語、ロシア語などが含まれる
印欧語族の一派のバルト語派となっている。

エストニアには、13世紀にはデンマーク、16世紀にはスウェーデン、そして18世紀
にはロシア帝国に支配される。 民族は、フィンランドと同じアジア系で、言語も
フィンランド語に近い。

リトアニアは、14世紀にはポーランド・リトアニア連合王国を形成し、16世紀に
なってポーランド・リトアニア共和国が成立した。 しかし、18世紀後半に
ポーランドの分割によって、ロシア帝国に併合され、1918年なってようやく独立
した。 言語は、ラトビアと同じ印欧語族の一派のバルト語派。

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【三国に共通するロシア人問題】
ソビエトの崩壊で、三国はほぼ半世紀ぶりに独立を果たしたが、共通するものは、
ロシアに対する反感とロシア人の処遇問題となっている。

ラトビアの場合、ラトビア人が60%を占めるが、ロシア人も28%と三国の中では
一番多い。 そのせいか、公用語はラトビア語とされてはいても、ロシア語系住民
(ロシア人、ベラルーシ人など)が多いことから、ロシア語使用の頻度が高い。

ラトビア人の70%がロシア語を、ロシア人も半数以上がラトビア語を話すことが
出来る。 また、映画館やテレビ放送では2つの言語での字幕が並んでいたり、
新聞や雑誌ではラトビア語版とロシア語版があったりするものの、ロシア語版の
方が種類、量とも豊富である。 独立した今も、かつての占領国のロシア語が
大いに幅を利かせている事実から、ロシアを脅威と感じるラトビア人は多い。
1990年に独立した際に、ラトビア政府は、ロシア系住民の国籍取得に対して、
厳しい条件を付けた。 それは、ソビエト時代にラトビア井に移民して来た
ロシア人や、ラトビアで生まれた人の子孫には与えなかったことだ。

仕方なく彼らは、旧ソビエトが発給した旅券をそのまま使用していたが、1997年
には、ラトビア政府発給のエイリアンパスポート(無国政旅券)への切り替えが
義務付けられ、無国籍者と定義されるようになった。 ラトビア移民帰化局に
よると、約230万人のラトビア人口のうち、ラトビア国籍者は、約180万人、
外国籍が3~4万人、そして、残りの45~50万人は無国籍者となっている。

エストニアでもロシア人の国籍取得には、エストニア語試験などの条件を付けて
いるが、リトアニアでは、人口の80%以上がリトアニア人で、ロシア人は6%と
少数派であるところから、ロシアとの関係は、他の2国に比べると、良好だと
されている。

独立後のロシア人処遇問題は、人権に関わるとして、当のロシアやヨーロッパからの
指摘が絶えない一方、三国に共通する悩みは、ロシア人マフィアの存在だ。 麻薬や
密輸品の売買、人身売買や売春などに暗躍するマフィアは、地元の下請け組織の
協力もあって、その犯罪件数は、うなぎ登りとなっている。 ヨーロッパとロシアの
間に位置するバルト三国は、犯罪の中継地点という、ありがたくない名前をいかに
して返上するかが、これからの課題となっている。

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