東京通詞 ~多言語のススメ~

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    タグ:体育館

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    東日本大震災の被災地では、校庭に仮設住宅が立ち並ぶ学校がある。
    震災の発生から4カ月が過ぎた今も、体育館で被災者が避難生活を送る
    学校もある。 子どもたちが思う存分、体を動かせない状況だ。

    津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の小中学校では、限られた
    スペースと時間の中で、やりくりを強いられている。

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    学校で何が 半分の校庭(宮城・南三陸町)
    出展:河北新報 2011年7月13日

    市街地が津波の被害を受ける中、高台にあって難を逃れた歌津中(生徒136人)。

    午後4時すぎ、校庭で部活動が始まった。 校庭の約半分は37戸の
    仮設住宅で占められている。 残った縦60メートル、横80メートルほどで
    野球部とサッカー部の計30人ほどが練習する。 キャッチボールやノックを
    する野球部員のすぐ隣で、サッカー部員がドリブルを繰り返す。 「ノックも
    加減しなければならない」。 野球部監督の長野孝志教諭(25)は漏らす。

    仮設住宅と校庭の境目には防護ネットが張られたが、打撃練習はミート中心
    になる。 3年の後藤寛飛君(14)は「思い切ってスイングしたい」と言う。
    歌津中は校庭の半分だけでなく、体育館も使用できない状態だ。 避難所として
    使われ、24人が身を寄せる。

    屋内競技のバレーボール部や剣道部などは、隣接する伊里前小(児童139人)の
    体育館や多目的ホールを借りて練習する。 「コートがあるので、試合形式の
    練習ができる」。 バスケットボール部監督の小野寺孝夫教諭(50)は
    感謝する。

    校舎と校庭の間の舗装路も貴重な練習スペースだ。 小学校のリングが
    ミニバスケット仕様で低いため、ボランティア有志が資金を募って提供して
    くれたリング2基が設置されている。

    ランニングの場所でもあるが、練習が時折、中断される。 「はい、後ろから
    車が来たよ」。 仮設住宅や避難所の住民の車が舗装路を通行する。 伊里前小
    では、被災で校舎が使えなくなった名足小の児童74人が、間借りして授業を
    受けている。校庭は、やはり仮設住宅が建ち、従来の約半分の広さになった。

    時間も制約されている。 「鉄棒とか、みんなともっと一緒に遊んでいたいな」。
    午後3時すぎ、帰りの会を終えた伊里前小4年の及川萌さん(10)はバスに
    乗り込むと、物足りなさげに、見送りの先生に手を振った。

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    本来、夏場の最終下校時刻は午後4時半。 今は安全面を考慮し、スクール
    バスで午後3時半には一斉下校する。 伊里前小、名足小とも、児童が校庭で
    遊ぶ時間は少なくなった。

    伊里前小の兵藤文隆校長(57)は「帰宅してもがれきで広場は使えない。
    子どもの運動量は間違いなく減っている」と懸念する。

    歌津中の生徒も状況は同じだ。 「はい、じゃあ今からシュート練習」。
    バスケットボール部の部員が舗装路で走り込みを終え、ボールを持ち出して
    間もなくの午後6時前。 下校のスクールバスが滑り込んで来た。
    「えっ早いよ」「シュート練習、もうちょっとしたい」

    部活は終了。 生徒たちはジャージー姿のまま、慌ただしくバスに乗り込んだ。
    仮設住宅の建設が進めば、体育館は避難所の役割を終え、使用が可能になる。
    一方で仮設住宅の入居期間は原則2年。 子どもたちの不自由な学校生活は続く。

    伊里前小の兵藤校長は「体を動かすことで、つらい現実をひとときでも忘れ
    られる。 ストレスも発散できる。 工夫をして運動の機会を増やしていきたい」
    と語る。

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    震災の直前、JR仙石線野蒜駅(宮城県東松島市)を同じ時刻に発車した2本の
    列車があった。 ともに4両編成の仙台行き上り普通列車と石巻行き下り快速列車。
    海沿いを走行中に地震に襲われ、2011年3月12日の朝刊は『野蒜駅付近を走行して
    いた列車と連絡が取れないとの情報がある』と伝えた。 乗客の明暗が分かれた。

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    その時何が 消えた列車(東松島)
    出典:河北新報

    3月11日午後2時46分。 2本の列車は、時刻表通り、野蒜駅からそれぞれの目的地へ
    出発した。 窓の外は雪が舞っていた。

    仙台に向かう上り列車の乗客は、会社員や小学生ら約50人。 駅を出てすぐ、携帯
    電話が一斉に鳴りだした。『宮城沖で地震発生』。 緊急地震速報だった。ほぼ
    同時に車両が揺れ始めた。 あちこちで悲鳴が上がった。 石巻専修大3年
    菊谷尚志さん(20)は思わず手すりをつかんだ。 『大人2人に揺さぶられて
    いるようだった』

    車両が緊急停止した場所は駅から約700メートル。 近くには東松島市指定避難所の
    野蒜小があった。

    『乗客を野蒜小に避難させてください』。 仙台のJRの指令担当者から無線指示を
    受けた乗務員の案内で、乗客は約300メートルの道のりを歩いた。 誘導された
    体育館には、既に100人以上が避難していた。

    【5年が経過した野蒜駅前】


    午後3時50分ごろ。『津波が来たー! 2階に上がれー!』。 入り口近くにいた
    菊谷さんは、男性の叫び声を聞いた。 人が殺到した近くの階段を避け、ステージ
    奥の階段へ走った。 そこも行列だった。 順番を待つ間に水は足首まで達した。

    現実感がなかった。 『映画みたいだ』と思った瞬間、近くの窓ガラスが次々に
    割れ、泥水が一気に流れ込んできた。 後ろにいた女の子やお年寄りが声もなく
    流されたが、なすすべはなかった。 必死で2階に上った。

    JR東日本仙台支社によると、少なくとも乗客1人が体育館で亡くなったとみられる。
    混乱の中、安否を確認できた人数は約20人。 2カ月が過ぎた今も、体育館に避難
    した乗客数すら『不明』のままだ。

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    津波は線路上の上り列車も押し流し、車内は1メートル以上浸水した。 菊谷さんは
    『もし車内に残っていたら、死んでいただろう』と振り返る。

    下り列車は野蒜駅から約600メートル走って緊急停車した。 幸運にもそこは十数
    メートルの高台だった。

    『とどまった方が安全だ』。 地元に住む年配の男性客が、乗客を外へ誘導しよう
    とした若い乗務員に助言した。 乗客と乗務員約60人は、最も高い位置にある
    3両目で待機することになった。

    高台は津波の襲来を免れたが、濁流にのまれる建物や車が窓越しに見えた。
    『上り列車は無事だろうか』。 石巻市の和泉徳子さん(51)は、野蒜駅で
    すれ違った列車の安否が気掛かりだった。

    乗客の男性たちが水に入り、流された家の屋根に乗って漂流していた70代ほどの
    男性を救出した。 震えるお年寄りを座席に横たえ、体をさすって温めた。
    『暗くなる前に一口ずつどうぞ』。 ある女性客が自分の弁当を周りに勧めた。
    それを機に和泉さんら他の乗客も手持ちの総菜や菓子、水を取り出した。 自然に
    分かち合いの輪が生まれた。

    1人だけ、心細そうな男の子がいた。 大人がさりげなく見守り、励ました。
    夜、母親が水をかき分けて車両にやって来た。 『みんな自分のことのように
    ホッとした』と和泉さん。 その晩、男の子は母の腕で眠った。 夜は長く、
    寒かった。 乗客は詰めて座り、互いの体温で暖を取った。

    【5年が経過した東松島市】


    12日朝。 乗客ら全員が車両を脱出、線路を歩いた後、トラックの荷台に揺られ、
    指定避難所の公民館へ向かった。

    『一人一人ができることをやった。 みんなの力で乗り越えられた』。
    和泉さんは今、そう思っている。

    【お勧めの一冊】


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    東北女川原発周辺は、多い時には、大体1日に300回以上も地震が発生する
    地域であるため、震度4強ぐらいまでであれば、住民の間でも、地震の話題は、
    むしろ出て来ない事が多い。

    女川原発も、福島と同様に原発事故が起きる寸前まで行っているのだが、この原発が
    あるせいなのかは分からないが、津波での死亡者の数で見ると、住民の10人に1人
    以上が死亡した女川が最大の被災地であるという事実は、関東のテレビでは一切
    触れられなかった。

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    女川の町自体が、津波で完全に消滅し、原発だけが残ったため、3ヶ月以上にも
    渡り、原発内の体育館に最大で364名の地域住民が避難所を強いられていた
    事実は、当然の事ながら、関東では一切報じられなかった。



    東北にある7つ(建設中を含む)の原発のうち、東北電力の施設は、この女川
    原発と、青森の東通原発のみで、残りは、全て関東へ送電をするためだけの
    原発となっている。

    尚、この女川原発付近での放射線量は、概ね、0.05ミリマイクロシーベルト
    前後であるため、『女川原発から放射能が漏れている』という話は完全にデマ。

    現在、女川原発の放射能測定施設は、津波で全て破壊されているため、
    約70キロ離れた仙台市宮城野区で測定を行っている。



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