東日本大震災の犠牲者を一時的に土葬した『仮埋葬』の跡地の大半が、当時の
形跡すらない状態になっている。 宮城県内6市町の15カ所は、復興工事の
作業場や更地になり、伝承碑などは設けられていない。 荼毘に付して弔う
こともできないほど過酷だった震災の現場をどう語り継ぐのか、課題を指摘
する声も出ている。
宮城県内で仮埋葬がなされた場所は図の通り。 石巻市が最多の7カ所で、
亘理町3カ所、気仙沼市3カ所、東松島市と女川町、山元町各1カ所だった。
各地とも犠牲者の多さに火葬の処理能力が追い付かず、震災後の2011年6月
までに計2,108人の遺体を一旦土葬した。 その後、掘り起こされ、同11月
19日までにようやく全て荼毘に付された。
埋葬地には公園や墓地などが選ばれた。 石巻市のうち雄勝地区では、公園脇の
市有地で52人を仮埋葬した。 現地にはいま、被災した岸壁工事の業者向けの
作業小屋が立つ。 門脇地区の広場は、12年秋に人工芝を敷き、早期に復旧した。
市内の他の5カ所も当時の状況を伝えるものはない。 市の担当者は『家族
としては受け入れ難い緊急避難措置だった。 そうした感情を考えれば残す
選択はそぐわない』と語る。
亘理町の観音院は仮埋葬地を提供。 跡地には砂利を入れ、駐車場として
使えるように整備した。 既におはらいの法要が執り行われた。 和尚の
本郷正繁さん(73)は『たとえ慰霊碑を建てるにしても誰がやるのか』と
戸惑う。 仮埋葬地をめぐっては12年、宮城県内外の有識者でつくる
『3.11震災伝承研究会』が15カ所を震災遺構の保存候補に挙げたが、機運は
高まらなかった。 研究会座長で減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎
理事長は、『災害のスケールの大きさを物語る場所で、個人的には残念に思う。
仮埋葬があった現実を伝える看板などの設置をどこか1カ所でも考えても
いいのではないか』と話す。
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