横浜通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    横浜通詞】横浜、大阪、仙台にある多言語翻訳会社
    多言語を専門とした翻訳会社を運営しています。 日本語⇔英語の他にも、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、中国語、韓国語他、世界80言語以上に対応しています。 お気軽にお問い合わせください。

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    タグ:仙石線

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    2015年12月6日に仙台市営地下鉄東西線が開業した。 仙台市内では、3本目の
    地下鉄となり、この東西線と地下部分で並走しているJR仙石線は、実は、日本で
    初めて地下を鉄道が通った路線となっており、東京メトロ浅草線よりも、仙石線の
    方が先に開業している。 但し、現在その部分は、廃止されており、現在の地下
    部分は、2000年に再度地下化したもの。


    東西線の工事は、東日本大震災発生後にも遅れずに、予定通り2015年の開業と
    なっている。 東西線は、リニアモーター方式を採用しているため、仙石線との相互
    乗り入れは出来ない。

    東西線は、計画当初、モノレールでの建設が検討されましたが、その後、仙石線の
    延伸へと変更され、最終的には、その仙石線とは乗り入れない形で、リニア方式が
    採用されたもの。

    車両とホームとの隙間が、かつて見たことがないぐらいに、ピッタリと作り上げられて
    いたのが非常に印象的。 地下鉄仙台駅は、JRあおば通駅と同じで、JR仙台駅とは
    違うのだが、東西線が出来て、その定義が崩れたため、どっちに行ったら良いのか
    分からなくなりました。 仙台では、来年の3月に北海道新幹線も開業します♪



    同じ12月6日からは、地下鉄の開業に合わせて、『仙台光のページェント』が始まったが、
    この光のページェントは、日本で初めて樹木にイルミネーションを取り付けたイベント
    としても有名で、今年で30周年目の記念の年となっている☆ 仙台のイルミネーションは、
    ケヤキ並木が完全にトンネルになっており、その真中を歩く事が出来るため、他の地域の
    イルミネーションとは、迫力がまるで違います。

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    美里編で紹介した堤防を海側へ約15キロほど下ると、野蒜海岸へと出ます。
    2015年5月30日に約4年ぶりに営業再開を果たした、JR仙石線の野蒜駅は、
    山側へと移転し、新たに街開きを行ったため、駅前には、未だ一切何もない。

    【新しく移転した野蒜駅前】
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    工事関係者の人達の話によると、来年の5月までにこの場所を宅地造成して、
    個人に引き渡すそうです。 どの場所を誰に引き渡すかは、既に決まっていて、
    後は宅地造成するばかり。 野蒜に限らず、『街開き』した筈の新しい町には、
    道路の1本すらまだなく、単なる荒れ地を切り開いただけの状態となっています。

    この場所に災害復興住宅が完成するのは、2年後と言われており、工事が遅れて
    いるため、再来年の3月に仮設住宅が全て廃止されるまでに間に合うのかすら
    分からない状況です。 この後紹介する、石巻の新蛇田地区は、街開きしたにも
    関わらず、ここよりも酷く、道の一本すらまだない。 

    【津波で廃止となった旧仙石線跡】
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    津波災害により、廃止となったJR仙石線跡。 1枚目は、新しくなった仙石線。
    この付近は、20年ほど前にも、強風時に安全に運転を行えるよう、陸前小野⇔
    野蒜駅間で若干ルート変更をしたため、その時の旧線も残っているのだが、現在、
    ファミリーマートになっている、旧野蒜駅は、その時に新しくした駅であるため、
    仙石線の駅の中では、比較的新しい駅舎だった。

    このすぐそばにある野蒜小学校では、折角仙石線の電車から乗客が避難をして来た
    のにも関わらず、校長が校舎に鍵を掛けてしまったため、体育館に避難をしていた
    人達数名が津波の犠牲となった場所。 東日本大震災発生時に、電車が津波で折れ
    曲がって倒れていたのを覚えている人も多いと思うのだが、それがこの場所。

    下り列車は、乗客の判断により、ちょうど高台部分で停車したため、翌日に乗客
    たちは、全員助けられたが、その車両自体は、2011年の12月末まで、その場に
    放置された。 

    【津波で廃止となった旧野蒜駅】

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    津波災害で残った旧野蒜駅は、今後、『津波伝承館』として整備される事が
    決まっている。 この元駅舎には、観光案内所もあり、東日本大震災で被災した
    時のパネルが展示されている。 この付近も『宮城県連続地震』の被災地である
    ため、観光局の人達に、その時の地震災害の情報も展示して下さいとお願い
    して来た。

    『東日本大震災』の時よりも、『宮城県連続地震』の時の地震の方が、地震災害
    としては、凄まじかったのだが、その事を覚えている人は、東松島周辺にしか
    居ない。

    尚、『宮城県連続地震』で被害を受けた場所は、『東日本大震災』では、ほぼ
    無傷だったのだが、その理由は、そんな程度の地震で倒壊する家屋やブロック塀は、
    その時に既に全て倒壊して無くなっていたのと、その後、地震に対する災害強化を
    更に行ったため。

     

    野蒜駅前に到達した津波の高さは、3.7メートルとなっており、町と共に、
    うっそうとした松林もほぼ全てが流出したため、一切何もなくなった。
    工事関係者に尋ねたところ、この場所は何になるのか分からないとの事だった。
    このすぐ先が野蒜海岸なのだが、工事中であったため、海側へは一切入れなく
    なった。 尚、この付近での死亡者の数は、約500名。
     
    福島県と東電によれば、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、15メートル
    だそうだが、その津波の高さは、実は、『遡上高』であった事を住民らの追求
    により、東電と福島県が既に認めています。 3.7メートルの高さの津波で、この
    有様なので、福島第一原発付近に到達した津波の高さは、明らかに2メートル以下。
    その証拠に、福島の建物は、ほぼ全て残っている。

    【新しくなった東名駅】
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    野蒜駅と同じく、5月30日に4年ぶりに営業を再開したJR仙石線の東名駅。
    高台に移転したため、その高台への入口側から見ると、野蒜駅とほぼ同じような
    位置となった。

    内陸側へ移転し、その入り口部分がほぼ同じであるため、地域住民にとっては、
    かなり使いづらい駅になった。 周囲に建物は、まだひとつもない。 この付近は、
    潮干狩りで有名な場所だったのだが、現在、潮干狩りは出来ない。



    JR仙石線の陸前小野駅前にある『空の駅』。 ここでは、仮設住宅に住むお母
    さんたち手作り、ソックモンキーの『おのくん』を購入する事が出来る。
    どれでも1体1,000円となっており、通信販売での場合は、1年半待ちの大人気
    商品となっている。 但し、この『空の駅』まで来れば、その場で購入する
    事が出来る。

    【空の駅】
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    『空の駅』とは、東松島市内にある『航空自衛隊松島基地』の事を指しており、
    日本で唯一のアクロバット飛行が出来るブルーインパルスの本拠地らしい名前と
    なっています。

    『空の駅』は、1年半後の本格運営を目指して、現在募金を募っている。 より
    正確に言うと、1年半後には、仮設住宅が全てなくなるため、それまでにこの
    『空の駅』を何とかしないと、この先、どうにもならなくなるという意味。

    ここには、『おのくん』以外にも、ブルーインパルスグッズが多数あるため、
    ブルーインパルス好きのお方にもオススメの場所かも知れない。 

    【小野駅前応急仮設住宅】

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    JR仙石線の陸前小野駅前にある『おのくん』を販売している仮設住宅。
    陸前小野駅からは、線路沿いに歩いて10分程度掛かる。 仮設住宅を入ると、
    まず、ブルーインパルスが目に飛び込んで来る。 『おのくん』は、宮城県
    東松島市の『小野駅前応急仮設住宅』の主婦らがひとつずつ手縫いで作っている、
    サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみのソックモンキー。 東日本大震災
    からの復興への願いがこめられている。 『めんどくしぇ』が合い言葉。

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    2015年5月末に約4年3ヶ月ぶりにJR仙石線が営業を再開し、それに合せて新たに
    街開きを行った野蒜駅前。 駅前には何もないという話は聞いてはいたものの、
    余りにも工事が進んでいなかったため、絶句。。 現状、野蒜駅前には、この駅舎
    以外、一切何もなく、建物がひとつもない。 線路を山側に移設した新野蒜駅の
    ホームからは、旧野蒜駅、現在のファミリーマートが見えているが、新駅舎に登る
    ための階段がないため、道路を使って旧野蒜駅まで行こうとすると、坂道を下って
    約1キロ程度の道のりとなる。

    野蒜地区は、約10mの高さの津波が襲い、何もかも流されてなくなったため、
    山側のこの場所への集団移転が決まっているものの、移転工事がかなり遅れている
    ため、災害復興住宅が完成するまでには、これから2年程度掛かる。 野蒜地区、
    宮戸地区の被災者の一部は、東松島市と災害協定を結んでいる美里町に建設された
    仮設住宅で丸4年間生活をしていたが、その仮設住宅も、今年の3月で全てなく
    なった。

    新たに建設された新野蒜駅付近
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    野蒜駅
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    野蒜駅
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    野蒜地区入口
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    野蒜駅ホーム
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    野蒜駅前
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    野蒜駅前
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    野蒜海岸(石巻方向)
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    野蒜海岸(松島方向)
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    東名駅

    福島の自主避難者に関しては、メディアでも色々と伝えているものの、野蒜や
    石巻の被災者の事は何も伝わってはいない。 宮城県の被災状況は、関東を
    はじめとする、その他の地域には、情報が5%も伝わってはいない。 よって、
    関東方面からわざわざ被災地まで行っている人達は、全てネットから情報を得て
    いる。 写真だけだと余り伝わらないと思うが、360度何もないこのような景色
    ばかりが続く。

    東北最大の海水浴場である野蒜海岸では、約500名が津波の犠牲となったため、
    震災から丸4年経過した今でも海開きをしていない。 これから先、10年後に
    海開きが出来るのかすらも分からない状況となっている。 現在、この海岸
    部分では、約15mほどの新たな防波堤の建設が行われており、3年程ほど前
    までは、それと同じ高さの瓦礫が同じ場所に積み上げられていた。

    この場所は、本州では、最もアメリカ大陸に近い場所であり、元々津波が到達
    しやすい場所であるため、25年ほど前にも、防波堤のかさ上げ工事を行ったが、
    そのかさ上げした5m程度の防波堤は、一切何の役にも立たなかった。
    被災後に宮城県内で海開きを行った海水浴場は、5ヶ所のみとなっている。

    旧野蒜駅付近
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    陸前大塚駅
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    廃止された仙石線跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    廃止された野蒜駅跡
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    津波災害後の野蒜駅前
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    仮設住宅
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    新たに新設された慰霊地蔵

    東松島市内の復興状況は、他の被災地を比べると、恐らく、一番遅れており、
    この場所は地盤沈下により、3年4ヶ月もの間、海水に沈んでいたため、
    陸地に戻って、まだ1年も経過してはいないが、それでも中央メディアでは、
    全く報道されないため、東松島に来る人は、かなり稀。

    元々、野蒜港は、「明治3大築港」と呼ばれ、明治初期に建設された、日本でも
    指折りの港だったが、開港から数年後に台風によって破壊されたため、その
    代わりに、横浜に港が開かれた。 よって、横浜開港◯◯周年は、野蒜港が
    消滅して◯◯周年と言っているのとほぼ同じ。

    東名駅前も、野蒜駅前同様、5月末に路線を山側へと移転し、新しい街を
    建設中だが、やはり周辺には、1軒たりとも建物がない。 旧東名駅からは、
    歩いて10分以上も掛かる坂道の上にあるため、ここに街を移転しても、それを
    嫌がる人が出るかも知れない。 わざわざ新しく建設した筈の道路も、かなり
    遠回りとなるため、高齢者には非常に住みづらい新しい街が建設されている。
    被災前の東名では、潮干狩りが非常に有名だったが、津波災害後は、いつ
    潮干狩りが再開するのかすら分からない。



    【野蒜小避難訴訟】 仙台地裁、現地調査へ 時期や範囲を協議 2015.07.17
    東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童
    計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5,300万円の
    国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が2015年7月16日、仙台地裁であった。

    弁論では、遺族側が裁判所に現地調査を求めていることが分かった。 地裁は、
    現地調査を実施する意向で、実施時期や範囲について現在協議を進めている
    という。

    訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は野蒜小体育館に避難
    した後、津波で犠牲になった。 もう1人は同校児童で下校後にいったん
    体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で
    車を降りた後に津波で亡くなったとしている。

    【瑞巌寺の塩害】
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    国宝にも指定されている瑞巌寺は、伊達家の菩提寺であり、伊達政宗の正室、
    陽徳院愛姫が祀られているが、その瑞巌寺の景色が一変していて、絶句。。
    樹齢400年を超える杉の木林が、塩害により概ねなくなった。 松島は、津波
    被災地の中では、一番ましな被災度合いであったものの、この付近は、1メートル
    程度の津波を被ってしまったため、日本三景松島のお土産屋も長期に渡って
    休業を余儀なくされた。

    その後の復興は順調であったが、塩害の被害は、かなり深刻。 毎年夏の
    灯篭祭りの時期には、この杉林の下でろうそくを灯して、幻想的な景色を見る
    事が出来たが、今では、こんな寂しい景色になった。 瑞巌寺では、過去の
    観光客を呼び戻そうと、これまで非公開であった陽徳院愛姫の廟所を期間
    限定で公開している。

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    JR仙石線の線路移設区間と高台への集団移転問題。 現状、野蒜、東名、両駅の
    駅前は、街開きを行ったばかりであるため、人家が1軒もない。 これは、JR石巻線の
    女川駅も同じ。 よって、現状、夜間の警備が問題となっている。 野蒜地区の災害
    復興住宅の完成予定は、2年後の2017年。 駅だけ先に開業しても、誰も住んで
    いないため、この先の利用客も全く不透明な状況。 但し、仙石線の場合は、仙台⇔
    石巻の2大都市を結ぶ幹線であるため、ここを通過する乗客は幾らでも居る。

    この区間は、前財務大臣であった安住氏が、是が非でも複線で再開しなければなら
    ないと陳情したものの、無視された。

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    仙石線の運行が遅いのは、直流電化区間であるのと、約半分が単線区間であるため、
    列車のすれ違いが多く、その度に5分程度列車交換時間が発生するため。 仙石線と
    並走している三陸自動車道は、現在全区間で4車線化を進めているため、仙石線も
    せめて野蒜⇔陸前小野間は複線にすべき。

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    仙石線は、内陸側に線路を移設したため、運転距離が数百メートル短くなり、仙台⇔
    矢本駅間であれば、運賃が数十円程度安くなった。 被災地で工事を請け負ったのは、
    どこもマンモスゼネコンの『鹿島』ばかりで、地元の建設会社は殆どが無視された。

    資本がある企業ばかりが儲けを出すのは、資本主義の定めとは言え、ここまで鹿島
    ばかりだと、賄賂絡みなのかと疑りたくなるぐらい。

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    震災から4年2ヶ月ぶりに石巻に帰って来る205系マンガッタンライナー☆
    全車両石ノ森キャラクター塗装で、このキャラクター塗装車両は、2パターン
    あります♪ これまでの石巻は、仙石線が止まったままであったため、市内の
    交通量が約2倍程あったのだが、仙石線は止まっても鉄道と並走している
    三陸自動車道は無料にはならなかった。

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    仙台⇔石巻間は、仙石線で行くよりも、高速バスの方が早いため、どこまで
    仙石線に乗客が戻せるかが鍵。 また、仙石線が全通した事により、これまで
    石巻線経由で運転をしていた直通の特別快速と、石巻線のマンガッタンライナーは
    姿を消す事となった。

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    【仙石線マンガッタンライナーと石巻線マンガッタンライナー】
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    営業再開直前のJR仙石線の旧野蒜駅前。 建物と松林は100%全て流されたため、
    一切何もなくなりました。 元々は住宅地で、防潮林が生い茂るうっそうとした松林が
    ありました。 旧野蒜駅から野蒜海岸までは、歩いても3分程度なのですが、その
    変わり果てた景色は、東日本大震災の被災地の中でも、最も景色が変わり果てた
    場所のひとつ。 この付近で死亡した人達の数は約500名。 旧野蒜駅の遥か山側に
    新しい野蒜駅のホームが見えています。 防潮林があった場所には、3年の長きに渡り
    瓦礫が置かれ、現在では、15メートル程度の新しい防波堤が建設中。 野蒜地区は
    5月30日に山の上に集団移転をして街開きを行うため、この付近が住宅地に戻る事は
    もうない。

    【旧野蒜駅前と野蒜海岸】
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    東北最大の海水浴場である野蒜海岸には、日本の開国直後に『明治三大築港』と
    呼ばれる大規模港湾が建設されましたが、数年後にこの地を襲った台風により、
    港湾施設が破壊され、その後、この地に港は戻らず、新たに横浜に港が開かれ
    ました。 この付近は、本州で最もアメリカ大陸に近い場所であり、港として最適で
    あったため、港が建設されたもの。

    その築港跡を世界遺産に推す動きもありましたが、その築港跡も津波で流出した
    ため、現在では、全て幻と化している。 野蒜海岸と宮戸島は『奥松島』とも呼ばれる
    風光明媚な観光地でしたが、今ではその面影すらない。 新旧防波堤の間を県道が
    走っているが、その周囲には一切何も残っていない。 もう一本内側の道路は、
    現在では工事車両のみで、一般車両の通行が出来なくなった。 海側にある防波堤は、
    25年ぐらい前に2メートル程嵩上げして5メートル程度まで高くしたものだったのだが、
    全く役には立たなかった。
     
    野蒜海岸をそのまま進むと日本三大渓谷のひとつ『嵯峨渓』があり、遊覧船に
    乗る事が出来る。 元々は別の場所に桟橋があり、津波災害後に宮戸島に
    移転したもの。 但し、嵯峨渓は、松島から遊覧船に乗った方が1,000円程度
    安くなるのと、松島の方が遥かに交通の便が良いため、そちらから乗船した方が楽。
    この付近は、地盤沈下により、3年以上にも渡って海に沈んでいたのだが、安倍首相は
    何度東松島に来ても、その場所を訪れる事はない。

    これまでに訪れた場所は、既に復興が完了した航空自衛隊と既に完成した災害復興
    住宅他。 東松島は、国道45号線や三陸自動車道も通っているものの、皆石巻へ
    行く際に素通りしてしまうため、殆どの人達が、その被災度合いに気付かない。
    東松島の被災地は、国道や高速道路からは見えない。 大高森にある展望台は、
    松島四大観のひとつ『壮観』。

    【大高森からの奥松島の景色】
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    遥か遠くに野蒜海岸付近が見えるが、津波で何もかもなくったのが、ここからは良く
    見える。 松島の島は、八〇八島とも言われているが、実際の島の数は、約260程度。
    この付近は、砂が白いため、海は松島よりも、奥松島の方が綺麗。
     
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    お寺があった場所に新たに設置された地蔵。 後世に津波災害の恐ろしさを伝える
    ために設置されたもの。 ここにあったお寺は、境内ごと津波で流されて、直ぐ目の
    前の川に落ちていたのだが、現在では、その川も埋め立てられて、何もなくなった。
    元々観光桟橋であった場所は、1メートル近く嵩上げされて、何もなくなった。 現在
    沿岸部各地では、防波堤が建設されているため、景色が一変し、どこからも海は
    見えなくなった。

    仙石線が営業再開を果たしたので、是非被災地を訪れて直接自分の目で見て欲しい。

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    JR仙石線は、2011年3月に発生した東日本大震災での津波災害により、駅屋や
    線路が流出したため、その後、4年以上にも渡って、一部区間で不通が続いていたが、
    震災から4年2ヶ月を経て、2015年5月30日に営業運転を再開する。 それに
    合わせて、JR東北本線との乗り入れ運転を開始する。

    これまでは、仙台⇔高城町、並びに、陸前小野⇔石巻間だけの折り返し運転を
    行っており、陸前小野⇔石巻間は、津波で送電施設を破壊されたため、気動車での
    運転を行っていた。 陸前小野⇔陸前大塚間は、高台への線路の移転に手間取り、
    営業再開までには、4年以上の歳月を費やしたが、5月30日の野蒜地区の街開きと
    共に、野蒜駅と東名駅が山側へと移設され、営業を再開する。

    高城町⇔陸前大塚間の線路は残ったたものの、海のすぐ隣に線路があるため、
    送電線が壊れたりしたため、海側に防波堤を新たにに建設し、陸前大塚駅は嵩上げ
    工事の後、このような駅となった。 陸前大塚⇔陸前小野駅間は新線での営業運転
    となる。

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    尚、高城町駅から先は、300メートルほど新線が建設されたため、仙石東北ライン
    として営業を開始するため、仙台⇔石巻間は、約10分程度時間短縮される。
    仙石線の高城町駅から東北本線の松島駅までは、徒歩10分程度で行く事が出来る
    のだが、これまでの代行バスは、松島駅には停車しなかったため、停車してれば、
    仙台駅までは20分以上も到達時間を短縮出来たところを、わざとそれをしなかったのは、
    JRがバカだから。

    現在仙石線は、東北本線との乗り入れ部分を含めた試験運転を開始しており、
    仙台⇔石巻間は被災前と比べて、10分程度の時間短縮が見込まれている。
    仙石線と東北本線は、電化方式が異なるため、ここで使用される車両は、その問題を
    考慮して、電車ではなく、発電機能付きのディーゼル車、いわゆる、ハイブリットカーが
    導入される。

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    5月30日に街開きを行う野蒜地区。 それまでは中に入れないため、街の様子が
    どのようになっているのかが分からない。 今では使われなくなった旧野蒜駅の
    遠くの方には、新しい野蒜駅が既に完成していた。 この付近で、仙石線の上り電車が
    流されたのだが、報道当初は、電車が津波により流され、全員が死亡したと伝えられた。

    実際は、このすぐそばにある野蒜小学校に避難をしたのだが、そこの校長が、学校の
    校舎に鍵を掛けたため、校舎の上に登れず、折角電車から避難をして来た人達が数名、
    その体育館で死亡した。 野蒜地区だけで、死者・行方不明者の数は、約500名、
    東松島市全体では、約1,100名が死亡している。

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    高台への野蒜地区の移転現場。 まだ街開きをしていないため急ピッチでの工事が進んでいる。

    元々あった線路からの分岐地点は、コンクリートの色が明らかに異なっていたため、
    ここから新路線である事がすぐに分かった。 この地点は、25年ぐらい前にも強風
    による列車の遅れをなくために、路線変更をしたのだが、その地点は、現在では、
    盛土が施されて、道路側からは写真撮影が出来なくなっていた。 元々は、この
    部分から、海側へと線路が下っていた場所なのだが、そこから山を切り崩して、
    高台に新しい街を建設中。

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    津波で流されて何もなくなった旧野蒜駅前。 元々この周辺は、住宅地、並びに、
    防潮林の松林だったのだが、その松は、ほぼ全て流されて、残された松も防波堤
    建設のため、全て伐採してしまったため、現在この付近に松は1本もない。 現在、
    この地区全体が大規模嵩上げ工事中につき、全く別物の景色となってしまった
    野蒜地区では、海側に15メートル程度の防波堤を建設しているため、この駅からも
    潮の香りと波の音は聞こえるものの、海は全く見えない。 元々あった5メートル
    ほどの防波堤の内側に更に高い防波堤を建設しているため、その間を走っている
    県道が、防波堤の上に移設されるのか、それとも、そのまま地上を走るのか、今の
    ところ全く分からない。 尚、旧野蒜駅は、現在ではファミリーマートとなっているが、
    この付近の民家はほぼ流されたため、ここに来るのは、概ね工事関係者ばかり。

    IMG_2743
    旧野蒜駅。 現在は、ファミリーマートとなっている。

    高台へと移転した野蒜駅と東名駅では、坂道や階段が多くなるため、高齢者には
    利用し辛い構造となるため、バリアフリー化や、その他高齢者対策をしっかりと
    施して欲しいところ。 尚、これまでの終点駅は、仙台側が、高城町駅、石巻側が、
    陸前小野駅であったが、高城町駅以南では、これまで通りの電化での営業を行って
    いたものの、陸前小野⇔石巻間では、送電施設が津波で破壊されたため、気動車
    での運転を行っていたが、この度、その電化工事も終了し、晴れて、電車での
    営業再開となる。

    IMG_2720

    現在石巻側の終着駅となっている陸前小野駅。 現在は東松島市となっているが、
    小野は元々は旧鳴瀬町の中心地。 小野小町ゆかりの地であるため、小野という
    地名となっている。 この付近は、11年前の宮城県連続地震の際にも、かなり
    大規模な被害を受けたため、東日本大震災では、津波さえ来なければ、全く被害を
    受けなかったのだが、この駅から海側は、全て流され尽くされて、何もなくなっている。

    元々この付近の家屋は、全て耐震構造であるため、震度6強程度では全く崩れない。
    この駅の内陸側には、海側から新たに移転して来た人達が新しい家を建てて暮らして
    いるものの、その場所も津波浸水区域であるため、防波堤を更に高くしなければ、
    また津波被害に遭遇する可能性が高い。

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    陸前小野駅は、営業を再開したとはいえ、1日にたった8往復しか列車が来て
    いなかったため、実際の代行バスの乗り換え駅は、この先にある矢本駅。
    小野駅前にもバスを停車出来るロータリーがあるため、この駅で全て乗り換えられる
    ようにした方が、かなり効率的だったのだが、どうしてそうなったのかは、今となっては
    分からないまま。 尚、この付近は、内陸側7キロまで津波が押し寄せた場所。
    陸前小野駅も営業再開時に新しくなった。

    【営業再開直前の旧野蒜駅付近】
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    仙台藩は150年程前に戊辰戦争に敗れてしまったため、近代化を図るために引いた
    はずの鉄道は、それぞれの町を発展をさせないために、わざと宮城県内全ての
    町の中心街を外して施設されました。

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    当然この仙台駅も当初は、中心地から外れた現在のJR貨物の仙台貨物ターミナル
    駅付近に建設をする計画でしたが、その後の市民運動により、多少中心部に近い
    地点に戻されました。 よって、仙台駅付近は、無意味にS字を描くように大きく湾曲
    した路線として建設をされました。

    元々仙台駅を通過する列車は1本もないため、このような遠回りをするような路線でも
    構わないのですが、30年ほど前に新幹線を建設する際にも、この無意味な湾曲が
    問題視されたため、やはり宮城野貨物駅付近に新仙台駅を建設する計画がありました。

    現在では押しも押されもしない東北の玄関口の仙台駅ですが、実際の仙台の中心部は
    県庁や市役所がある地下鉄勾当台公園駅付近なので、地下鉄で2駅、歩くと15分程度
    中心部から外れています。 尚、現在のJR仙石線の仙台駅は、当初駅を新設する
    計画ではなく、現在のあおば通駅が仙台駅となる計画でしたが、JR線との乗換えが
    不便になるため、急遽仙台駅と交差する場所に駅が追加されました。



    その後、地下鉄仙台駅との接続駅をどうするかという話になり、結局はあおば通駅が
    仙石線の終着駅になりました。 本来は、この仙石線を延伸して、そのまま地下鉄
    東西線となる計画でしたが、東西線の建設計画が大幅に変更され、しかも、リニア駆動
    形式で建設される事となったため、仙石線と地下鉄の相互乗り入れは、未来永劫
    なくなりました。

    尚、仙石線のあおば通駅~仙台駅間は、元々宮城電鉄が運営をしていた地下路線で、
    これが日本で初めて電車が地下を通った路線となるため、日本初の地下鉄路線と
    呼べるかも知れません。 尚、現在の仙台駅は、元々この地下鉄東西線の建設を
    見越して設計をされていますが、あくまでも1路線だけを想定して設計を行っており、
    仙石線が既に地下化されて仙台駅の下を通っているため、地下鉄東西線の仙台駅
    付近の工事は、かなりの難工事となっています。

    今年の年末に開業予定の地下鉄東西線は、東日本大震災により、半年ほど、工事が
    中断されましたが、地震の影響を殆ど受けなかったため、予定通りの開通を予定して
    います。 これが、日本における最後の地下鉄工事とも言われています。

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    JR東日本が、2015年5月に新規開業を予定している『仙石東北ライン』

    その名の通り、東北本線と仙石線を繋ぐ渡り線の事だが、実は、この区間は、30年以上も
    前に、簡単な渡り線を既に建設しているため、それを活用すれば、もっと簡単な工事で
    済んだ筈。 しかも、その新規開業区間はたったの300メートル程。 元々、仙石線は、
    旧国鉄路線ではなく、宮城電鉄という私鉄だったものを、国鉄が買い取ったため、東北の
    JRでは、唯一電圧が直流電化のまま残されている。

    senseki

    ここで問題になるのが、すぐ隣を走っている交流電化区間との電圧の切り替え。
    新幹線と同じ2万ボルトから、関東以南と同じ1,500ボルトへ一気に電圧を下げる
    ため、かなり無理が生じます。

    通常は、一定区間のデットセクションを設けて、そこで、電圧の切り替えを行いますが、
    この区間の場合は、ご覧の通り、そのデットセクションが短過ぎて、交直切り替えが
    出来ません。 よって、現在小海線を走っているこのハイブリットカーと同じ車両を
    導入して、それを乗り切ろうというもの。

    hybridcar

    単に仙石線を交流電化に作り直せば言いだけの話なのですが、実は、仙石線は、
    高城町以遠の変電所を津波で流されており、現在は、電車ではなく、気動車で
    運転を行っているため、こうなった模様。 この区間は、仙石線が、一方的に
    東北本線へ乗り入れるだけの運転となるため、東北本線側には、何の利益も
    ありません。 前々から、松島海岸駅に、東北本線のホームを建設しようと言う話も
    ありましたが、そちらは、遅々として進まないまま。

    1-4

    この区間の北側にある東北本線の松島駅と仙石線の高城町駅は、徒歩で10分
    程度で歩いて行けるのですが、東北本線と仙石線は、ものの数メートル程度の
    場所をかなりの距離並走しているにも関わらず、接続駅が1つもないため、かなり
    不便です。 よって、北側から、多賀城の中心駅である多賀城駅へ行こうと思った
    場合は、松島駅から高城町駅へ歩いて行くか、塩釜駅から西塩釜駅まで歩いて、
    そこで乗り換えるしかありません。

    仙石線は、日本で初めて、地下を走った鉄道で、地下鉄銀座線よりも早く地下を
    走っています。 但し、その区間は、現在既に廃止されており、現在地下区間と
    なっている、陸前原町~あおば通間で、その面影を見る事が出来ます。

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    JR東日本仙台支社は、東日本大震災で被災した仙石線の全線運転を2015年6月までに
    再開すると発表した。 これと同時に、仙石線が東北線に乗り入れる『仙石東北ライン』が
    運行を開始する。 不通区間の高城町~陸前小野駅間(10.4キロ)のうち、陸前大塚~
    陸前小野駅間の線路を約500メートルほど内陸側の高台に移設する工事がこの程完了し、
    2014年12月14日にレールの締結式が行われた。 2011年3月の津波災害により、長期に
    渡って運転不能となっていた仙石線がこの日1本のレールで繋がれた。 今後は、内陸部に
    移設する東松島市の東名、野蒜2駅の整備が進められる。
    20140731012jc
    仙石線の東北線乗り入れに関しては、仙石線松島海岸~高城町駅間と東北線塩釜~松島駅
    間で両線が近接する区間に新たに約300メートルの接続線を設ける。 このルートを通ると、
    震災前と比べて、仙台~石巻間が、約10分程度短縮可能となる。 但し、この区間は、
    東北線が2万ボルトの『交流電化』、仙石線が1,500ボルトの『直流電化』となっているのと、
    交直切り替えのデッドセクション区間が、極端に短か過ぎるため、当面は、小海線で使用
    されている、ハイブリットカーで対応するとの事。
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    陸前赤井付近にあった送電施設が津波で破壊されてしまったため、再開区間の高城町
    以北は、現在でも電化での再開の目途は立っていない。 東北線との乗り入れを考えると、
    仙石線は、全線で交流電化に転化すべきで、今後は、スピードアップと、複線区間の延長等も
    考えなければならない。 全線複線でなくとも、例えば、松島海岸~高城町、野蒜~陸前小野、
    矢本~東矢本間を複線化するだけでも、かなりのスピードアップが期待出来る。
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    現状、石巻地区の復興状況は、女川もそうですが、東松島がかなり酷いです。
    東北最大の海水浴場である、野蒜海岸では、そこだけで、約500名が死亡し、
    現在、仙石線が不通となっています。 東松島市内だけでも、約1,100名が
    死亡しました。 人口約4万5千に対しての1,100人なので、被災度合いは、
    石巻よりも酷いです。

    しかも、東松島の場合は、11年前の『宮城県連続地震』でも自宅を失った人も
    おり、2回連続で被災しています。 そんな状況なのにも関わらず、よそから
    来た人たちにより、『被災地に花火を上げよう』というプロジェクトが開かれた
    のですが、自宅を2回も失った人たちが、頭上の花火を見て、喜ぶとでも思った
    のかは分かりませんが、私は、そのイベント自体、許せませんでした。



    東松島でも、内陸への集団移転が現在進んでいますが、野蒜海岸周辺は、
    地盤沈下により、約3年4カ月もの間、海に沈んでおり、今年の夏に、ようやく、
    かさ上げ工事が本格化したため、やっと、陸地に戻ったばかりです。 私の
    いとこと叔母は、今でもそこに住んでいます。

    石巻市内の長面地区は、今でも海に沈んだままで、2年半程度、電気という
    ものが通っていませんでした。 大川小学校から、たった2キロしか離れて
    いない場所の話です。 これが、何もかも忘れ去られてしまった被災地と、
    クリスマスに浮かれている関東との差なのだと思いますが、余りにも違い過ぎて、
    既に、同じ国だとすら思えません。

    被災直後に、仙台出身のお笑芸人のサンドウィッチマンが、被災地から帰って
    来た直後に、東京で、『カラオケ如何ですか?』と言われたと言っていましたが、
    地獄絵図最中の石巻から帰って来て、降りた駅で私も完全に同じ事を言われ
    ました。



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